肥後ノ海直哉

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基礎情報
四股名 坂本山 直充→肥後ノ海 直哉
本名 坂本 直人
生年月日 1969年9月23日(45歳)
出身 熊本県熊本市
身長 183cm
体重 152kg
BMI 45.39
所属部屋 三保ヶ関部屋
得意技 左四つ、寄り、上手出し投げ突き落とし
成績
現在の番付 引退
最高位 西前頭筆頭
生涯戦歴 407勝476敗80休(66場所)
幕内戦歴 335勝417敗43休(53場所)
優勝 幕下優勝1回
データ
初土俵 1992年1月場所
入幕 1993年3月場所
引退 2002年11月場所
引退後 年寄木村瀬平(木瀬)
備考
金星2個(1個、貴乃花1個)
2013年8月25日現在

肥後ノ海 直哉(ひごのうみ なおや、1969年9月23日 - )とは、熊本市出身で三保ヶ関部屋所属の元大相撲力士である。本名は坂本 直人(さかもと なおと)。最高位は西前頭筆頭(1995年5月場所)。得意手は左四つ、寄り、上手出し投げ突き落とし。現役時代の体格は183cm、152kg。現在は、年寄木村瀬平(木瀬)。

来歴[編集]

熊本市河内小白浜分校出身の坂本は分校の学友を元気づけるために大相撲力士を志し、相撲を始めた。そんな坂本は、熊本工大高等学校(現・文徳高校)時代から全国大会に出場し、日本大学では4年次に主将を務め、全国学生相撲選手権大会で尾曽(のち武双山)を破り学生横綱に輝いた。通算7個のタイトルを獲得。高校時代からの同じ環境で相撲を取ってきた濱洲(のちの濱ノ嶋)とともに三保ヶ関部屋に入門。

1992年1月場所に幕下付出初土俵を踏んだ。3場所で幕下を通過し、同年7月場所には十両に昇進した。その後も勝ち越しを続け、1993年3月場所には新入幕を果たした。左四つの相撲で右上手を取ると力を発揮し、突き押しでも相撲が取れた。一方で攻めが遅く、上位に進出した所で怪我に泣かされ続けたため三役に昇進することはできなかった。

1995年5月場所に引き落とし1999年3月場所には貴乃花押し倒して2つの金星を挙げる。2000年7月場所には新入幕からの平幕連続在位が44場所となり平幕連続在位記録を更新(最終的には53場所まで更新。記録は旭鷲山に抜かれたが、三役未経験力士ではなお1位の記録)。金星を挙げた2場所とも勝ち越せず、三賞を受賞することは叶わなかった。

左肩の故障のため2001年11月場所を最後に十両に陥落。本来の相撲が取れなくなり2002年11月場所には東十両13枚目まで陥落。初日から苦戦し9敗目を喫した11日目を最後に現役を引退。同時に年寄株を取得し、年寄・木村瀬平(木瀬)を襲名した。一門、系統こそ違うが、先代から名跡を譲渡された経緯もあり、引退相撲では先代の木瀬親方もハサミを入れている(元前頭・湊富士も引退し、年寄・立田川を取得したが、引退相撲では名跡を譲った元青ノ里の前立田川親方がハサミを入れている)。

当初は三保ヶ関部屋の部屋付きの親方として後進の指導に当たっていたが、2003年12月に独立し、木瀬部屋を開設した。木瀬部屋はグルジア出身の臥牙丸や学生相撲で活躍した清瀬海が入門するなど部屋の勢いも伸びていて、親方としての手腕に注目が集まっていた。関取の中にも、力士の自主性に任せてのびのびと過ごせる環境を理由に入門した者が多く、臥牙丸勝や徳真鵬などはそれを明言している。

2009年7月の名古屋場所において手配した維持員席のチケットが山口組系暴力団弘道会の幹部に渡っていたことが翌2010年5月になって発覚した[1]。2010年5月27日、この問題により委員から平年寄への2級降格処分と共に部屋の閉鎖が協会によって決定された。部屋に所属していた力士たちは、出羽海一門の預かりとなったが、同年5月29日、同じ出羽海一門に所属する北の湖部屋へ移籍し、自身も北の湖部屋の部屋付き親方となった[2]

2011年の大相撲八百長問題では弟子の清瀬海が八百長に関与したと特別調査委員会に認められ、[3]4月1日の相撲協会臨時理事会の結果、引退勧告処分となった[4]。師匠としての監督責任があるとして、年寄据え置き3年の処分を受けた[5]

2012年3月場所中の理事会で上記の処分が解除され、4月1日付で、部屋を再開した。2014年4月に発表された新たな職務分掌では昇格停止処分が明けたことを受けて主任に昇格した。

主な成績[編集]

  • 生涯成績:407勝476敗80休 勝率.461
  • 幕内成績:335勝417敗43休 勝率.445
  • 現役在位:66場所
  • 幕内在位:53場所
  • 金星:2個(曙1個、貴乃花1個)
  • 各段優勝:幕下優勝1回(1992年5月場所)

場所別成績[編集]

肥後ノ海直哉
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1992年
(平成4年)
幕下付出 #60
6–1
 
東 幕下 #31
6–1
 
東 幕下 #13
優勝
7–0
西 十両 #10
8–7
 
西 十両 #8
9–6
 
西 十両 #5
8–7
 
1993年
(平成5年)
西 十両 #3
9–6
 
東 前頭 #16
9–6
 
西 前頭 #9
7–8
 
西 前頭 #11
8–7
 
東 前頭 #5
6–9
 
東 前頭 #7
5–10
 
1994年
(平成6年)
東 前頭 #13
8–7
 
西 前頭 #8
9–6
 
東 前頭 #2
4–11
 
西 前頭 #9
8–7
 
西 前頭 #4
6–9
 
西 前頭 #6
4–11
 
1995年
(平成7年)
西 前頭 #13
8–7
 
西 前頭 #10
10–5
 
西 前頭 #1
6–7–2[6]
東 前頭 #3
休場[7]
0–0–15
東 前頭 #3
4–11
 
西 前頭 #8
6–9
 
1996年
(平成8年)
東 前頭 #14
9–6
 
東 前頭 #3
4–11
 
東 前頭 #9
6–9
 
東 前頭 #14
9–6
 
西 前頭 #8
7–8
 
西 前頭 #10
9–6
 
1997年
(平成9年)
西 前頭 #4
5–10
 
西 前頭 #8
7–8
 
西 前頭 #9
8–7
 
西 前頭 #3
2–13
 
西 前頭 #12
8–7
 
西 前頭 #5
6–9
 
1998年
(平成10年)
西 前頭 #8
5–10
 
東 前頭 #14
9–6
 
東 前頭 #9
8–7
 
西 前頭 #6
6–9
 
西 前頭 #10
9–6
 
東 前頭 #2
4–11
 
1999年
(平成11年)
西 前頭 #7
8–7
 
東 前頭 #4
6–9
東 前頭 #7
8–7
 
西 前頭 #3
2–13
 
西 前頭 #11
8–7
 
西 前頭 #7
8–7
 
2000年
(平成12年)
東 前頭 #3
2–5–8[8]
 
東 前頭 #11
休場[7]
0–0–15
東 前頭 #11
9–6
 
東 前頭 #5
4–11
 
西 前頭 #12
10–5
 
西 前頭 #2
5–10
 
2001年
(平成13年)
東 前頭 #7
7–8
 
西 前頭 #8
6–9
 
東 前頭 #11
11–4
 
西 前頭 #2
3–12
 
東 前頭 #9
5–10
 
西 前頭 #13
4–8–2[9]
 
2002年
(平成14年)
西 十両 #4
休場[7]
0–0–15
西 十両 #4
9–6
 
東 十両 #1
4–4–7
 
西 十両 #6
休場[7]
0–0–15
西 十両 #6
4–11
 
西 十両 #13
引退
2–10–0
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴[編集]

  • 坂本山 直充(さかもとやま なおみつ)1992年1月場所~5月場所
  • 肥後ノ海 直哉(ひごのうみ なおや)1992年7月場所~2002年11月場所

年寄変遷[編集]

  • 木村 瀬平(木瀬)(きむら せへい)2002年11月~

エピソード[編集]

  • 幕下付け出しでデビューした後1年余りで幕内に入幕するなどスピード出世だったため、髪の伸びが出世に追い付かず、入幕後も暫くは大銀杏が結えなかった。
  • 2009年11月4日には、熊本市の河内小白浜分校の全児童23人を九州場所宿舎として利用している高橋稲荷神社に招待した。肥後ノ海が同校出身だった縁で交流が始まり、2年前に続き2回目の交流であった。この時、児童たちの質問を受けていた力士である肥後ノ城はそれから丸4年(24場所)かけて新関取を果たした。[10]
  • 三保ヶ関とは少なくとも独立の課程で険悪な仲になったようであり、部屋開きの際に三保ヶ関は招待状を渡されなかったことで憤慨したと伝わる。そうした経緯もあって大相撲野球賭博問題に揺れていた時期には三保ヶ関によって木瀬と清見潟が暴力団と交際していることを暴露され[11]、結果としてこの2人は維持員席問題により協会から処分を受けた。

脚注[編集]

  1. ^ “組幹部観戦席手配の親方2人、相撲協会が処分へ”. YOMIURI ONLINE (読売新聞). (2010年5月26日). オリジナル2010年5月28日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/20100528171729/www.yomiuri.co.jp/national/news/20100526-OYT1T00123.htm 2010年5月26日閲覧。 
  2. ^ 閉鎖処分の木瀬部屋、力士は北の湖部屋に転属”. 読売新聞 (2010年5月29日18時56分). 2010年6月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年5月29日閲覧。
  3. ^ “八百長問題:師匠聴取に着手 調査委、処分案に監督責任”. 毎日jp  (毎日新聞). (2011年3月29日). オリジナル2012年7月12日時点によるアーカイブ。. https://archive.is/3bpg 2011年3月29日閲覧。 
  4. ^ 八百長関与23人に厳罰=理事3人も引責辞任-相撲協会 時事ドットコム 2011年4月1日
  5. ^ 17人の親方を処分/八百長問題 日刊スポーツ 2011年4月1日
  6. ^ 左大腿部屈筋筋断裂により13日目から途中休場
  7. ^ a b c d 公傷
  8. ^ 左大腿四頭筋挫傷により7日目から途中休場
  9. ^ 左肩関節脱臼・左肘関節捻挫により12日目から途中休場
  10. ^ 『熊本日日新聞』2009年11月5日付
  11. ^ スポーツ報知 2010年5月26日

関連項目[編集]