木瀬部屋

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木瀬部屋(きせべや)は、日本相撲協会に所属していた相撲部屋伊勢ヶ濱一門所属時代と出羽海一門所属時代があり、両者に系統的関係はない。

目次

[編集] 沿革

[編集] 伊勢ヶ濱一門所属としての木瀬部屋

1942年(昭和17年)5月場所限りで引退した伊勢ヶ濱部屋(関脇・清瀬川)所属の元前頭筆頭・桂川年寄北陣を襲名(その後、木瀬に名跡変更)して伊勢ヶ濱部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたる傍ら、一般人に相撲を指導する相撲練成道場を開いていた。その後、相撲錬成道場の門人が大相撲入門を志願したため、1956年(昭和31年)9月に伊勢ヶ濱部屋から分家独立して木瀬部屋を創設した。

伊勢ヶ濱部屋の後輩で娘婿の前頭9枚目・清の盛1967年(昭和42年)5月場所限りで引退した時、年寄名跡・木瀬を清の盛に譲渡するとともに部屋経営を任せて、桂川は廃業して相撲練成道場の運営に戻りつつ、さらに居合道の道場を興した。10代木瀬親方(清の盛)は、小結青葉山十両天剛山相撲甚句の名手・幕下大納川を育てた。この木瀬部屋は、10代木瀬親方が2000年(平成12年)4月に停年退職を迎えるため同年2月に部屋を閉じるとともに、所属力士は桐山部屋(小結・黒瀬川)へ移籍した。

[編集] 出羽海一門所属としての木瀬部屋

2002年(平成14年)11月場所限りで引退した三保ヶ関部屋大関増位山)所属の元前頭筆頭・肥後ノ海は、年寄木村瀬平を襲名して三保ヶ関部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたっていたが、2003年(平成15年)12月1日付で7人の内弟子を連れて三保ヶ関部屋から分家独立して木瀬部屋を創設した。部屋創設後は幕内力士(清瀬海孝行)を出し、また現役の臥牙丸勝など有望力士を育成し、所属力士27人という大勢力となった。

2010年(平成22年)5月、平成21年7月の大相撲名古屋場所で暴力団幹部らが一般では入手できない維持員席で観戦していた問題で、日本相撲協会は整理券の確保にかかわったとされる木瀬親方に対し、役職を「委員」から「年寄」への2階級降格と木瀬部屋所属力士を出羽海一門預かりとする処分を決定した[1]。これにより木瀬部屋は閉鎖となり、所属親方、力士は出羽海一門所属で、木瀬親方の三保ヶ関部屋での兄弟子に当たる北の湖敏満率いる北の湖部屋へ移籍、木瀬親方も北の湖部屋付とすることが5月29日に正式決定した[2]5月31日に一同預り願い届が提出され、部屋は消滅した。

[編集] 最終所在地

[編集] 最終師匠

  • 11代:木村瀬平(きむら せへい、前1・肥後ノ海、熊本)

[編集] 力士

[編集] 出羽海一門時代

[編集] 幕内

[編集] 前頭

[編集] 十両

[編集] 幕下以下

[編集] 伊勢ヶ濱一門時代

[編集] 幕内

[編集] 小結

[編集] 注釈

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