九重部屋

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九重部屋。東京都墨田区石原

九重部屋(ここのえべや)は、日本相撲協会所属で高砂一門相撲部屋

歴史[編集]

1930年(昭和5年)10月場所限りで引退して井筒部屋の部屋付き親方となっていた年寄・8代九重(元大関・豊國)が、1931年に井筒部屋から分家独立して九重部屋を創設した。しかし、8代九重が体調を崩したために1937年5月場所限りで部屋は閉鎖され、所属力士は朝日山部屋へ移籍した。

その後、年寄名跡・九重は9代九重(元幕内・宇都宮)に10代九重(元幕内・大江戸)の襲名を経て、1959年(昭和34年)1月場所限りで引退して出羽海部屋の部屋付き親方となっていた一代年寄・千代の山(元横綱・千代の山)の手に渡り、同年9月に千代の山は年寄・11代九重を襲名した。当時は11代九重に独立の意思はなく出羽海部屋を継承することを望んでおり、1960年11月に出羽海部屋の師匠である7代出羽海(元横綱・常ノ花)が亡くなった後には出羽海部屋の部屋付き親方である13代武蔵川(元幕内・出羽ノ花)が8代出羽海を襲名して出羽海部屋を継承したものの、将来は11代九重が出羽海部屋を継承すると周囲からは目されていた。

しかし、8代出羽海は自身の後継者を横綱・佐田の山と決定したため、1967年1月場所千秋楽の翌日に11代九重は大関北の富士ら13人の内弟子を連れて出羽海部屋からの分家独立を申し出た[1]。同年1月31日に出羽海部屋からの分家独立と内弟子13人のうち10人の力士の移籍が承認されたものの、当時の出羽海一門には「分家独立を許さず」という不文律があり、同時に11代九重は出羽海一門から破門された。これに対して高砂部屋の師匠である4代高砂(元横綱・前田山)が11代九重の救済へと動き、11代九重は高砂一門へ移籍して九重部屋を創設した。その後、所属力士の北の富士が横綱へ昇進した。

1977年10月に11代九重が逝去したため、1974年7月に現役を引退して同時に九重部屋から分家独立する形で井筒部屋を創設していた12代井筒(元横綱・北の富士)が同年11月に12代九重を襲名して、旧・九重部屋の力士全員を引き取って井筒部屋を九重部屋と改称し、実質的に九重部屋を継承した。12代九重は先代からの弟子である千代の富士と直弟子である北勝海という2人の横綱を筆頭として数多くの関取を育て上げた。1985年9月場所から1987年3月場所にかけては所属力士が10場所連続しての幕内最高優勝を果たし(千代の富士8回・北勝海2回)、1917年(大正6年)1月場所から1921年5月場所における出羽ノ海部屋の連続優勝記録に並ぶ記録を打ち立て、名実共に九重部屋は全盛期を迎えた。

1992年(平成4年)4月に12代九重と九重部屋の部屋付き親方である17代陣幕(元横綱・千代の富士)が年寄名跡の交換を行い、17代陣幕が13代九重を襲名して部屋の師匠に就任し、12代九重は18代陣幕を襲名して九重部屋の部屋付き親方となった。しかし、後に13代九重と18代陣幕の仲は決裂し、1993年10月に九重部屋の部屋付き親方である8代八角(元横綱・北勝海)が九重部屋から分家独立して八角部屋を創設した際に、18代陣幕など当時の九重部屋に部屋付き親方として所属していた年寄4人は全員が八角部屋へと移籍した。ちなみに、八角部屋はそれまでの九重部屋の施設を18代陣幕から譲り受けて開設されている。

13代九重は東京都墨田区にある自宅を改装して部屋の施設を建設し、自身の38歳の誕生日である1993年6月1日に部屋開きを行った。現在までに、13代九重は大関・千代大海や小結・千代天山などの関取を育てている。近年は学生相撲出身者を多く迎え入れており、小結・千代鳳や小結・千代大龍などといった関取を輩出している。現在では三段目に昇進した時点で四股名に「千代」の字が付けられる力士が多い。

所在地[編集]

師匠[編集]

  • 11代: 九重雅信(ここのえ まさのぶ、横綱・千代の山、北海道)
  • 12代: 九重勝昭(ここのえ かつあき、横綱・北の富士、北海道)
  • 13代: 九重貢(ここのえ みつぐ、横綱・千代の富士、北海道)

所属年寄[編集]

  • 佐ノ山龍二(さのやま りゅうじ、大関・千代大海、大分)

力士[編集]

2014年9月場所現在

現役の関取経験力士[編集]

横綱・大関[編集]

横綱[編集]

  • 北の富士勝昭(52代・北海道)
  • 千代の富士貢(58代・北海道)
  • 北勝海信芳(61代・北海道)

大関[編集]

  • 千代大海龍二(大分)

幕内[編集]

関脇[編集]

小結[編集]

前頭[編集]

十両[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 11代九重が独立を申し出た時期は1967年1月場所前とする資料もある。

外部リンク[編集]