相撲部屋

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相撲部屋(すもうべや)は、単に部屋ともいい、大相撲力士を養成する機関。

目次

[編集] 概説

力士はいずれかの部屋に所属していなければ本場所に出場することはできない。基本的に親方を中心とする共同生活を営む場であり、結婚するまでは関取であっても部屋に住むのが基本のルールである。また、関取になると個室が与えられるが、幕下以下の養成員は、大部屋で共同生活をする。相撲界の年寄(親方)たちが運営し、一門と呼ばれるグループのいずれかに所属する(一門制度)。もともとは個別のグループ単位で各地を巡業していたときのグループが一門の起こりであるが、巡業が協会に一元化された現在は、相撲協会の役員選挙のためのグループという性質が強くなっている。以前は稽古場がなく、一門の中心の部屋に稽古にいく部屋もあったが、現在は自前の稽古場をもたなければ部屋の設立は認められない。部屋それぞれの名称は、運営する年寄(師匠)の名をつけるが、逆に伝統ある部屋を継承する年寄が先代の年寄名跡を譲り受けてその名跡を名乗ることも多い。相撲部屋は不変ではなく、運営する年寄の就任・引退などにより、たえず生まれたり、消滅したり、吸収合併などを繰り返している。基本的に分家独立があっても一門には所属したままだが、一門から破門されるなどして別の一門に移籍したり、現在の高田川部屋のように無所属になったりすることもある。自ら一門を立ち上げた年寄ももちろんいる。

[編集] 一門別部屋一覧

2008年9月29日現在の相撲部屋(5大一門・無所属1、計52部屋)。

[編集] 出羽海一門

[編集] 二所ノ関一門

[編集] 時津風一門

[編集] 高砂一門

[編集] 立浪一門

[編集] 独立系

  • 高田川部屋(1998年1月31日、高砂一門を離脱(破門))

[編集] 過去に存在した部屋

  • 平成以降、消滅年月順。
部屋名 師 匠 消滅年月 備  考
春日山部屋 1・大昇 1990年7月 停年直前に部屋を閉じる
所属力士は安治川部屋へ移籍
藤島部屋 大関貴ノ花 1993年2月 二子山に名跡変更、存続部屋は二子山部屋
藤島部屋と二子山部屋が合併
大鳴戸部屋 関脇高鉄山 1995年1月 親方廃業により部屋消滅
所属力士は桐山部屋へ移籍
熊ヶ谷部屋 前8・芳野嶺 1996年 停年直前に部屋を閉じる
所属力士は立浪部屋へ移籍
木瀬部屋 前9・清の盛 2000年2月 停年直前に部屋を閉じる
所属力士は桐山部屋へ移籍
立田川部屋 関脇・青ノ里 2000年9月 停年直前に部屋を閉じる
所属力士は陸奥部屋へ移籍
若松部屋 大関・朝潮 2002年2月 高砂に名跡変更、存続部屋は高砂部屋
若松部屋と高砂部屋が合併
甲山部屋 前1・大雄 2002年7月 所属力士0人となり部屋消滅
親方は湊部屋へ移籍
中立部屋 小結両国 2003年1月 境川に名跡変更、名称を境川部屋に変更
大鵬部屋 横綱大鵬 2004年1月 大嶽親方が部屋を継承し、名称を大嶽部屋に変更
二子山部屋 大関・貴ノ花 2004年2月 貴乃花親方が部屋を継承し、名称を貴乃花部屋に変更
武隈部屋 関脇・黒姫山 2004年3月 所属力士0人となり部屋消滅
親方は友綱部屋へ移籍
押尾川部屋 大関・大麒麟 2005年3月 停年前に部屋を閉じる
所属力士は尾車部屋へ移籍
二十山部屋 大関・北天佑 2006年6月 親方死亡により部屋消滅
所属力士は北の湖部屋へ移籍
伊勢ヶ濱部屋 前1・和晃 2007年1月 停年前に部屋を閉じる
所属力士は桐山部屋へ移籍
安治川部屋 横綱・旭富士 2007年11月 伊勢ヶ濱に名跡変更、名称を伊勢ヶ濱部屋に変更
荒磯部屋 小結・二子岳 2008年9月 停年直前に部屋を閉じる
所属力士は花籠部屋へ、親方は松ヶ根部屋へ移籍

[編集] 部屋新設の条件

もともとは年寄名跡を所有すること以外には特に条件は設けられていなかったが、近年入門から引退までの期間が短い大学相撲出身の年寄が次々と部屋を新設し、それらの年寄が大相撲の伝統を上手く継承できずに力士が問題を起こすケースが出てきていることから、2006年9月28日に部屋新設の条件を定めた規定が出来た。条件は以下の通りである。

  1. 横綱大関
  2. 三役関脇小結)通算25場所以上
  3. 幕内通算60場所以上

これらのいずれかの条件を満たし、師匠の了承を受けることにより、引退後1年以上経過で部屋を新設できる。

ちなみに、2008年9月場所終了時の現役力士で、この条件を満たしているのは以下の力士である。年寄名跡を取得できるのは、日本国籍を持つものに限られている。

なお、既存の部屋を継承する場合は、以下の条件のうちいずれか1つを満たすことが必要である。

  1. 幕内通算12場所以上
  2. 幕内、十両通算20場所以上

[編集] 伝統など

昔から「部屋持ち親方は娘が生まれると赤飯炊いて喜ぶ」と言われていた。これは、いずれ娘を有望な弟子と結婚させて養子縁組を行ない部屋を継承させるという伝統によるものであり、古くから行なわれていたことを伝えている。現在でも、部屋持ちの年寄は男の子が生まれるより女の子が生まれることを喜ぶ者が多い。実際、師匠が弟子を婿に迎え入れ部屋を継承させることは現在でもよく見かけることである。ただし直接の弟子ではなく同門の別の部屋の力士が継承することもある。

相撲部屋はまた、師匠を父親とした大家族制の体裁も持つ。近年では核家族化の傾向も手伝って、力士志願の若者の中にもこうした大所帯での生活になじめない者も多く、多数の兄弟子がいる大部屋をむしろ避ける傾向も見られる。出羽海や高砂といった名門部屋でも、大部屋としてまとまっていくのは難しくなってきている。

まれにふたつの土俵を備えた部屋もあったが、どれだけ所属力士が多くても、ほとんどの部屋で稽古土俵はひとつである。他人の相撲を見るのも稽古のうちという意味合いと、他人をおしのけて土俵にあがるようでなくてはいけない、という考え方による。

近年ではウェイトトレーニング設備を備えた部屋も多い。かつては器具で作った筋肉は相撲では役に立たないと敬遠されたが、平成に入って貴乃花光司武双山正士らの成功もあって、力士が他のトレーニングジムへ通う煩を避けるためもあり、こうした傾向が進んでいる。入門時の基準にこうした設備の充実をあげる新弟子も少なくない。

多くの部屋が稽古の見学などを受け入れているが、相撲部屋は鍛錬の場であると同時に生活の場でもあることに留意する必要がある。

[編集] 各種部屋別記録

最多横綱昇進
出羽海部屋 8人(大錦卯一郎栃木山守也常ノ花寛市武藏山武安藝ノ海節男千代の山雅信佐田の山晋松三重ノ海剛司
最多幕内優勝
九重部屋 52回(北の富士勝昭10回、千代の富士貢31回、北勝海信芳8回、千代大海龍二3回)
  • 元千代の山の旧九重部屋は師匠の死で消滅、独立して井筒部屋を興していた元北の富士がこれを吸収して、新九重部屋となったもので、ふたつの九重部屋は厳密には別の部屋という見方もある。同様に、千代の富士引退とともに、元北の富士は部屋を譲り、独立した八角部屋(元北勝海)に所属したので、これも別の部屋という考え方も可能になる。北の富士の10回の優勝を数えないとすれば、出羽海部屋の49回が最多となる。
最多連続幕内優勝
出羽海部屋 10場所連続(大正6年1月~大正10年5月、栃木山守也5回、大錦卯一郎4回、常ノ花寛市1回)
九重部屋 10場所連続(昭和60年9月~昭和62年3月、千代の富士貢8回、北勝海信芳2回)
同一部屋力士による三賞独占(受賞者3人以上)
出羽海部屋(昭和24年5月、殊勲賞:千代の山雅信、敢闘賞:羽島山昌乃武、技能賞:五ツ海義男
藤島部屋(平成3年5月、殊勲賞:貴花田光司、敢闘賞:安芸ノ島勝己:貴闘力忠茂、技能賞:該当者なし)
二子山部屋(平成5年5月、殊勲賞:若ノ花勝、敢闘賞:貴ノ浪貞博、技能賞:貴闘力忠茂

[編集] 関連項目

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