宮根誠司

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みやね せいじ
宮根 誠司
Marui Jam Shibuya.JPG
出演番組:情報ライブ ミヤネ屋
2012年2月6日の番組リニューアルを知らせる看板 
設置場所:マルイジャム渋谷
プロフィール
本名 同じ
愛称 ミヤネ屋さん
出身地 日本の旗 日本 島根県大田市
生年月日 1963年4月27日(48歳)
血液型 B型
最終学歴 関西大学経済学部経済学科
所属事務所 テイクオフ(TakeOFF)
職歴 朝日放送アナウンサー・アナウンス部課長
活動期間 1987年 -
ジャンル フリーアナウンサー司会者
出演番組・活動
現在 情報ライブ ミヤネ屋
Mr.サンデー』など
過去 おはよう朝日です

宮根 誠司(みやね せいじ、1963年4月27日 - )は、日本アナウンサー司会者島根県大田市出身。現在は、大阪府大阪市在住。テイクオフ(TakeOFF)所属。「誠司」という名前は、東京大学総長を務めた物理学者茅誠司にちなむ[1]

司会を務める冠番組『情報ライブ ミヤネ屋』の影響で、紹介字幕スーパーでは、「ミヤネ」と表記されることが多い。又、番組名である『ミヤネ屋』が本名と思われている節もあるようで、「ミヤネ屋さん」と呼ばれることがしばしばあり[2]、「僕はミヤネです」とか「落語家のような名前やん」などとツッコむ場面が見られる。

目次

[編集] 来歴

[編集] 局アナ時代

島根県立大田高等学校を経て関西大学経済学部経済学科卒業。1987年に大阪の朝日放送(以下、ABC)へ入社。同期に加瀬征弘がいる。

1989年には深夜ラジオ番組ABCラジオシティ』で小林千絵と共演し、1990年4月、ABCテレビで朝に生放送される情報ワイド番組おはよう朝日です』(以下、おは朝)に出演。2年上の先輩アナウンサーである岡元昇と共に司会を務め、主にスポーツコーナーやスポーツ新聞の芸能面紹介などを担当する。

1994年からは『おは朝』の単独司会を務める。従来、『おは朝』は朝の爽やかな情報番組を掲げていたが、宮根の単独司会を機に、長年使われたテーマ曲やスタジオの変更、芸能情報コーナーの拡大等、大幅なリニューアルをおこなった。その象徴としては、同年4月4日、宮根の単独司会初日に、宮根を応援するためにオカマバーのホステスが、ABC本社前に集結しダンスを披露した。これは「桃の節句」(3月3日)と「端午の節句」(5月5日)の中間である4月4日は「オカマの節句」という宮根のジョークがきっかけだった。

『おは朝』においてメディア登場が極端に少なかったZARD坂井泉水と一対一で共演したことがある[要出典]

スポーツ実況の機会もあり、フリー転向後も、ABCテレビの阪神タイガース戦中継で副音声を務めることがある。

[編集] フリー転身後

2004年3月末でアナウンス部課長職を最後にABCを退社。同年4月より、フロム・ファーストプロダクション大阪支社所属のフリーアナウンサーとなる。

フリーアナウンサーになる決定的なきっかけは、やしきたかじんがABC社長の西村嘉郎に宮根がフリーになるための退職話を直談判したことである。その時、当時のアナウンス部長であった和沙哲郎をはじめ社員が宮根を引き止めたと言う。

退社後も、レギュラー番組である『おは朝』『食べて元気!ほらね』にはフリーの立場で引き続き出演。

2005年4月から1年間、毎日放送テレビっちゅ〜ねん!』にレギュラー出演。さらに同年11月からは読売テレビ『激テレ★金曜日』で司会を務め、テレビ大阪(TVO)を除く大阪の民放テレビ全局でレギュラー番組を持った。

以降の宮根はキー局発の全国ネットのテレビ番組に、決して頻度は多くないもののゲスト出演するようになる。なおテレビ朝日系(古巣ABC除く)およびテレビ東京系全国ネット番組の出演歴は、TVO制作を含めても今の所ない。

2009年12月25日、2010年3月をもって『おは朝』を降板することが報じられた[3]

[編集] 「ミヤネ屋」でのエピソード

2006年7月31日から、金曜のみの放送だった『激テレ』をリニューアルし、新たに月 - 金の帯番組情報ライブ ミヤネ屋』(以下『ミヤネ屋』)をスタートさせた。『ミヤネ屋』のスタートに伴い、平日は『おは朝』と掛け持ちで朝と夕方の生番組の司会を務めることとなる。宮根は『ミヤネ屋』の第1回で、東京都キー局である日本テレビに行って『午後は○○おもいッきりテレビ』本番終了後に、司会のみのもんた本人と対談し、第2回では『ザ・ワイド』(2007年9月末で終了)の司会草野仁と対談した。宮根が、みの・草野と共演した番宣用スポットも制作された。

2007年10月1日からは『ミヤネ屋』は『ザ・ワイド』の後継番組として13:55 - 16:53の枠に移動し、(独立UHF局を含めた)関東地区を除くほとんどの地方で放送されることになった。そして2008年3月31日からはキー局である日本テレビでも放送開始され、フジテレビ系列とのクロスネットの都合で『ザ・ワイド』を放送していなかったテレビ大分テレビ宮崎を除いた全ての日本テレビ系列局で放送されるようになった。

2008年の『鳥人間コンテスト選手権大会』では、「チームミヤネ屋」のパイロットとしてプロペラのない機体で飛行距離を競う滑空機部門に出場。300m越えを目標としていたが、301.30mで有名人新記録を樹立。

2009年3月22日東京マラソンに参加。宮根は参加前に『ミヤネ屋』内で「4時間30分を切らなければ丸刈りにする」と宣言した。しかし結果は5時間56分09秒(正式には5時間40分00秒)。目標を果たせなかったことから、翌日の生放送中にバリカンを入れられ丸刈り頭になった。

2012年1月6日は、番組冒頭で、隠し子がいたという週刊誌の報道を認め、謝罪した。[4]

[編集] 新事務所設立

2010年3月末でフロム・ファーストプロダクションとの契約を解消。これに伴い『おは朝』を降板。3月1日に東京都で設立した事務所である株式会社テイクオフ(TakeOFF)へ4月1日付で移籍した。[5]自身は所属第1号タレントとなり、共同出資者としても名を連ねている。[6]フリー転身当初からマネージャーを務めた横山武が代表を務める会社で、宮根はこの移籍について「東京をベースに頑張りたい」「(横山について)フリーになる時に最初に相談した人」「東京での新たな道をこの人(横山)とまた一緒に切り開いていけたら」(「」内一部要約)という発言をしている。[5]

同月より、在京キー局制作番組初のレギュラー番組としてフジテレビ系列にて情報番組『Mr.サンデー』を開始。また、『おはよう朝日です』で共演したクマガイタツロウたつをとともに宮根誠司と2Tを結成し、エンディングテーマソング『Hey!Mr.サンデー』の作詞・作曲・歌唱を担当している。

[編集] 人物

韓国観光大使であるという[7]

浪速浪花ナニワのみのもんた[8]と称され、ステレオタイプの大阪人像を唱えたり、「大阪のおばちゃん」を強調することがある。だが、父親は大阪府出身であるものの、自身は島根県の出身であり、生粋の大阪人ではないので近畿方言大阪弁ではない発音をすることがある。これらのことにより、「ニセ大阪人」との批判されることもあり、2009年には週刊文春でその批判に対するインタビューが行われたことがある[9]

[編集] 詳細情報

[編集] テレビ番組

[編集] 過去の出演番組

[編集] ABCアナウンサー時代

[編集] ABC退社以降

レギュラー出演
単発司会・ゲスト出演

[編集] 映画

[編集] 備考・出典

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  1. ^ 2009年12月8日放送の『情報ライブ ミヤネ屋』での発言。
  2. ^ 主に一番遅く放送が開始された為、あまり知られていなかった関東圏に多い
  3. ^ 宮根誠司が「おはよう朝日です」3月降板 - 『asahi.com 日刊スポーツ芸能ニュース』2009年12月25日付
  4. ^ 宮根誠司アナ 週刊誌の隠し子報道認め謝罪「全て事実です」 ― スポニチ
  5. ^ a b 宮根誠司アナ気合十分!東京都内に新会社設立 - 『Sponichi Annex』2010年4月14日付
  6. ^ 宮根誠司アナが事務所移籍 “盟友”と新事務所を共同出資で設立 - 『オリコンキャリアニュース』2010年4月15日付ウェブ記事
  7. ^ 実は、韓国観光大使です。 - 『宮根誠司オフィシャルブログ「宮根のブログ屋」』2008年09月12日付
  8. ^ 参考:
  9. ^ 「ミヤネ屋宮根「ニセ大阪人」批判に答える」 - 週刊文春2009年10月29日号

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

以下、インターネットアーカイブの保存キャッシュ一覧。

※過去にABC公式サイト内で掲載されたプロフィールページ

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