妙義龍泰成

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水をつけてもらう妙義龍
基礎情報
四股名 妙義龍 泰成
本名 宮本 泰成
愛称 ミヤモト
生年月日 1986年10月22日(28歳)
出身 兵庫県高砂市
身長 187cm
体重 148kg
BMI 42.32
所属部屋 境川部屋
得意技 押し・右四つ・寄り
成績
現在の番付 前頭11枚目
最高位 関脇
生涯戦歴 211勝137敗59休(33場所)
幕内戦歴 143勝116敗26休(19場所)
優勝 十両優勝2回
幕下優勝1回
技能賞5回
データ
初土俵 2009年5月場所
入幕 2011年11月場所
趣味 釣り
備考
金星2個(白鵬1個、日馬富士1個)
2014年11月23日現在

妙義龍 泰成(みょうぎりゅう やすなり、1986年10月22日 - )は兵庫県高砂市出身の境川部屋所属の現役大相撲力士。本名は宮本泰成(みやもと やすなり)。身長187cm、体重148kg、血液型A型、最高位は東関脇2012年9月場所~11月場所、2013年7月場所~9月場所、2014年9月場所)。趣味は釣り。Facebookを利用している。得意手は押し相撲だが、右を差して寄る相撲も見せている。

経歴[編集]

小学校時代より兵庫県姫路市の広畑少年相撲教室に通い、チームメイトには同県龍野市(現在のたつの市)出身で中学卒業後に北の湖部屋へ入門した同級生の北磻磨がいた。高砂市立荒井中学校時代には3年生の時に兵庫県大会で2位の実績を挙げたことで全国中学校体育大会(全中)への出場を果たした一方で陸上部に籍を置いて円盤投げや砲丸投げにも取り組んだ。全中に出場した際、埼玉栄高校の相撲部監督に見学を薦められ、その縁で同校に入学。[1]2004年には同級生の豪栄道と共に全国高等学校総合体育大会(高校総体)に出場し、団体戦では豪栄道が主将・妙義龍が副将としてチームを引っ張った。個人戦では豪栄道が高校横綱、妙義龍は準優勝に輝いた。日本体育大学4年生の2008年には大分国体成年個人の部で優勝し、大相撲幕下15枚目格付出の資格を獲得した[2]。複数の部屋から誘いがあったが[2]2009年5月場所前に豪栄道が所属する境川部屋へ入門し[2][3]、5月場所で2007年3月場所の以来となる幕下15枚目格付出として初土俵を踏んだ[4]

初土俵となった2009年5月場所では、デビュー戦では黒星を喫したものの、その後4連勝して5勝2敗と勝ち越しを決めた。その後、同年7月場所・9月場所・11月場所と3場所連続して5勝2敗と勝ち越し、同年11月場所後の番付編成会議で2010年1月場所における新十両への昇進が決定した。昇進と同時に、四股名を本名である「宮本」から、「いろいろな技を出せるように」という意味を込めて、埼玉栄高校時代の恩師らと考案した「妙義龍」へと変更した。

新十両後[編集]

新十両の場所となった2010年1月場所では、初日に十文字を押し出しで破って初勝利を挙げたが、2日目の臥牙丸戦で左膝前十字靭帯断裂という重傷を負って3日目から休場し、以後は再出場することなくこの場所を1勝2敗12休で終えた。翌3月場所以降も休場が続き、同年7月場所では番付が三段目まで降下した。同年9月場所において復帰して7戦全勝の成績を収め、優勝決定戦では大学の後輩である千代桜に敗れたものの、翌11月場所にて幕下へと復帰した。その11月場所では6勝1敗の成績を挙げて、優勝決定戦も制して幕下優勝を果たした。2011年1月場所でも6勝1敗という好成績を挙げ、翌5月技量審査場所では東幕下8枚目の位置で4勝3敗という成績だったものの、大相撲八百長問題で関取から多数の引退者が出た影響もあり、翌7月場所において再十両を果たした。その7月場所では11勝4敗の成績を挙げ優勝決定戦まで進出し、優勝決定戦では舛ノ山を破って初の十両優勝を飾った。翌9月場所でも圧倒的な強さを見せ、13勝2敗の成績を挙げて2場所連続2回目となる十両優勝を達成し、翌11月場所において新入幕を果たした。

新入幕後[編集]

2011年・2012年[編集]

新入幕となった2011年11月場所では11日目に勝ち越しを決め、最終的には10勝5敗という好成績を挙げた。翌2012年1月場所でも12日目に勝ち越しを決め、9勝6敗の成績を挙げて初の技能賞を受賞した[5]。自己最高位となる東前頭筆頭の位置で迎えた翌3月場所では、横綱・大関陣に対して1勝もできず、早々と11日目に負け越しが決まってしまったものの、結果的には7勝8敗と1点の負け越しに抑えてこの場所を終えた。翌5月場所では4大関を破る活躍を見せて、9勝6敗の成績を挙げて2回目の技能賞を受賞した。翌7月場所では新三役へ昇進(東小結)した。兵庫県からの新三役は1991年5月場所の貴闘力以来。その場所は3日目に大関・鶴竜を破り、8日日にそれまで全勝だった大関・把瑠都を破る活躍を見せて、8勝7敗と勝ち越しを決めて3回目の技能賞を受賞した。翌9月場所には新関脇へ昇進(東関脇)。兵庫県からの新関脇は1991年7月場所の貴闘力以来。その場所は初日に大関・稀勢の里戦で敗れたが、2日目から6連勝し、11日目に勝ち越しが決定。最終的に10勝5敗の好成績を挙げて4回目の技能賞を受賞した。3場所連続しての技能賞受賞は、1987年5月場所から同年9月場所にかけての旭富士以来25年ぶりのこととなった。翌11月場所は序盤から苦戦して、早々と10日目に負け越しが決まってしまい、結果的にも6勝9敗に終わったものの、11日目に鶴竜を破り、12日目には新横綱の日馬富士を破り、13日目には大関・琴奨菊を破って意地を示した。

2013年[編集]

翌2013年1月場所では3日目に横綱・白鵬を破り自身初となる金星を獲得。千秋楽に勝てば初の殊勲賞受賞だったが、大学の後輩である千代大龍に敗れて7勝8敗となって負け越したために受賞を逃した。同年5月場所では2日目に横綱・日馬富士を破り2個目の金星を獲得し、11勝4敗の好成績を挙げて5回目の技能賞を受賞した。翌7月場所で三役に復帰したが、初日は千代大龍戦でまげを引っ張ってしまい、初の反則負けを喫してしまった[6]。9日目には横綱・日馬富士を2場所連続で破ったが[7]、千秋楽に8勝7敗とようやく勝ち越しにとどまった。翌9月場所では新入幕場所以来となる初日白星で発進したが、中盤から終盤に崩れて14日目に負け越しが決まり、最終的には6勝9敗に終わった。

2014年[編集]

2014年1月場所は初日の碧山に敗れた一番で脇腹付近を痛めた上に3日目に豪風に敗れた際に脇腹の負傷を悪化させ、結局初日から3連敗を喫した末に4日目から「右後腹膜血腫で約2週間の安静加療を要する」との診断書を日本相撲協会に提出して休場した。 [8]途中休場を喫した直後は食事を摂るだけで青黒く腫れた患部に強い痛みが走ったというが、患部の画像を携帯電話に残して見返すことでそのころの辛さを忘れないようにしたと伝わっている。[9]同年7月場所は11勝4敗の好成績を挙げて復調を示した。この場所は技能賞獲得の可能性が取り沙汰されるも、三賞選考委員会の賛成が過半数に満たず受賞はお預けとなった。[10]9月場所は1年ぶりに東関脇の地位で迎えたが、左目網膜剥離により全休。境川は「約1週間前から目の違和感を訴えており、稽古も休んでいた。休場は残念だが、早く手術した方がいいので決断した」と話した。9月11日に東京都内の病院で左目の手術を受け、その後入院せず部屋での静養を行っている模様。[11][12]

取り口[編集]

187cmの長身ながらも膝を割って腰を落とした低い体勢のまま鋭い出足を活かして[13]前に出て繰り出す押し相撲を得意としており、これは強い下半身がもたらす卓越した型と呼べる。引き技にも落ちにくく、そのまま追尾して引き・叩きに乗じるように勝負を決めることも多い。特に引きに乗じる相撲は上位陣に対して大きな威力を発揮している。[14]この押し相撲の相撲の型が評価されてこれまでに技能賞を5回獲得している。[15]押し相撲だけでなく右差しから寄る相撲もこなすことができる。一方で守勢に回ると脆く、突き押しを受けると後退しやすく廻しを取られると粘れない部分がある。

合い口[編集]

いずれも2014年11月場所終了現在。
  • 横綱・白鵬には1勝10敗。初顔合わせから2012年11月場所まで5連敗だったが、2013年1月場所で初勝利を挙げ、初金星を獲得した。
  • 横綱・日馬富士には4勝7敗だが、日馬富士の横綱昇進後は3勝4敗とほぼ互角である。2013年5月場所から7月場所まで2連勝していた。
  • 横綱・鶴竜には6勝6敗と互角だが、鶴竜の大関昇進後は6勝4敗と勝ち越している。2012年5月場所から11月場所まで4連勝していた。最近では2013年9月場所で勝利している。
  • 大関・琴奨菊には4勝6敗(不戦敗による1敗を含む)とほぼ互角である。2013年5月場所から7月場所まで2連勝していた。
  • 大関・稀勢の里には2勝10敗。最近では2013年3月場所で押し出しで勝利している。
  • 元大関・琴欧洲には4勝6敗(不戦勝による2勝を含む)だった。途中、2013年1月場所から5月場所まで3連勝していた。
  • 元大関・把瑠都には4勝3敗(不戦勝による2勝を含む)だった。把瑠都の大関時代は2勝2敗(不戦勝による1勝を含む)だが、把瑠都が関脇へ降下してからは2勝1敗(不戦勝による1勝を含む)と勝ち越した。

エピソード[編集]

  • 2013年8月24日夜、ジャカルタ巡業の遠征中であった妙義龍は豊響と共にタクシーに乗って夕食に出掛けたが、2人とも一般と比べて並外れた巨漢であったことから現地の警察官はテロリストと疑って車を止め、荷物を調べた後警官は2人が力士であると理解してようやく収束した。[16]
  • 2010年1月場所で重傷を負って途中休場していた際はしばらく車椅子生活を送っていたが入院先の女性看護師が自身の乗った車椅子を懸命に押している姿を見て不甲斐なさや恥ずかしさを感じ、全力でリハビリに取り組んだという。この体験が三役を掴んだ原動力となっている。[17]
  • 豪風と並んで角界随一の筋トレ論を持つ力士であるといい、豪風と共に相撲教習所で行ったトークショーで「週に最低2回、基本は下半身」とトレーニング周期と重点的に鍛える部位を語ったことがある。因みに豪風は「肩の日、胸の日、背中の日と3日間に分けています」とそのトークショーで答えていた。[18]妙義龍はまた同じトークショー内で「ゆでたまごを1日20個食べてます」と明かしたが、豪風からは「タンパク質を取りすぎると肝臓に負担がかかって疲れやすくなるからダメ。ちゃんこ鍋がバランスの良いプロテイン」と駄目出しを受けてしまった。[19]

記録など[編集]

  • 2012年5月場所から同年9月場所にかけて平成以降では単独1位となる3場所連続単独での技能賞受賞を記録している[20]。同じく平成以降単独1位の記録として同一年における技能賞受賞回数の記録が残っており、2012年には3月場所と11月場所を除いて技能賞を4回を受賞している。
  • 幕内在位19場所中(2014年9月場所は全休)、初日が白星だったのは、新入幕だった2011年11月場所、幕内で初の2連勝スタートだった2013年9月場所、2014年5月場所、幕内で初の3連勝スタートだった2014年7月場所のわずか4場所だけである。2012年1月場所から2度目の三役復帰だった2013年7月場所まで10場所連続で初日が黒星だった(うち7場所は勝ち越し)。

主な成績[編集]

2014年11月場所終了現在

通算成績[編集]

  • 通算成績:211勝137敗59休(33場所)
  • 通算勝率:.606
  • 幕内成績:143勝116敗26休(19場所)
  • 幕内勝率:.552

各段優勝[編集]

  • 十両優勝:2回(2011年7月場所、2011年9月場所)
  • 幕下優勝:1回(2010年11月場所)

三賞・金星[編集]

  • 金星:2個(白鵬1個、日馬富士1個)
  • 三賞:5回
  • 技能賞:5回(2012年1月場所、2012年5月場所、2012年7月場所、2012年9月場所、2013年5月場所)

                

妙義龍泰成
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2009年
(平成21年)
x x 幕下付出 #15
5–2
 
西 幕下 #7
5–2
 
西 幕下 #2
5–2
 
西 幕下 #1
5–2
 
2010年
(平成22年)
東 十両 #14
1–2–12[21]
 
東 幕下 #14
休場
0–0–7
西 幕下 #54
休場
0–0–7
西 三段目 #34
休場
0–0–7
西 三段目 #94
7–0
 
東 幕下 #58
優勝
6–1
2011年
(平成23年)
西 幕下 #26
6–1
 
八百長問題
により中止
東 幕下 #8
4–3
 
西 十両 #12
優勝
11–4
東 十両 #3
優勝
13–2
西 前頭 #11
10–5
 
2012年
(平成24年)
東 前頭 #5
9–6
東 前頭 #1
7–8
 
東 前頭 #2
9–6
東 小結
8–7
東 関脇
10–5
東 関脇
6–9
 
2013年
(平成25年)
西 前頭 #1
7–8
西 前頭 #2
8–7
 
東 前頭 #1
11–4
東 関脇
8–7
 
東 関脇
6–9
 
東 前頭 #1
8–7
 
2014年
(平成26年)
東 小結
0–4–11
 
東 前頭 #10
8–7
 
東 前頭 #8
8–7
 
西 前頭 #6
11–4
 
東 関脇
休場
0–0–15
東 前頭 #11
9–6
 
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴[編集]

  • 宮本 泰成(みやもと やすなり)2009年5月場所 - 2009年11月場所
  • 妙義龍 泰成(みょうぎりゅう - )2010年1月場所 -

脚注[編集]

  1. ^ 『大相撲ジャーナル』2013年10月号
  2. ^ a b c 日体大の宮本が境川部屋に入門へ”. スポニチ (2009年4月24日). 2009年12月3日閲覧。
  3. ^ 宮本「全勝目標」で最速十両照準!”. スポニチ (2009年5月2日). 2009年12月3日閲覧。
  4. ^ 国体王者の宮本が黒星デビュー/夏場所”. 日刊スポーツ (2009年5月12日). 2009年12月3日閲覧。
  5. ^ “鶴竜 初の殊勲賞 妙義龍は技能で初三賞 千代の国は落選”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2012年1月22日). http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2012/01/22/kiji/K20120122002484140.html 2013年7月26日閲覧。 
  6. ^ ““日体大対決”先輩の妙義龍が反則負け「しょうがない」”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2013年7月7日). http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2013/07/07/kiji/K20130707006171520.html 2013年7月29日閲覧。 
  7. ^ “妙義龍 粘りの押しで日馬撃破「気合ですよ」10日目は白鵬戦”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2013年7月15日). http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2013/07/15/kiji/K20130715006224550.html 2013年7月29日閲覧。 
  8. ^ 小結妙義龍が休場 右後腹膜血腫、初日に脇腹痛め3日目に悪化 Sponichi Annex 2014年1月15日 10:12
  9. ^ 【大相撲名古屋場所】妙義龍、一気の出足で遠藤退ける 辛さ忘れないために携帯に腫れた患部 MSN産経ニュース 2014.7.14 20:30
  10. ^ 【名古屋場所】殊勲賞に豪栄道、高安は敢闘賞 大砂嵐は勝ち越しで殊勲賞 2014年7月27日13時45分 スポーツ報知
  11. ^ 妙義龍、左目を手術 入院せず静養 2014年9月11日18時18分 スポーツ報知
  12. ^ 関脇・妙義龍が網膜剥離のため秋場所休場 2014年9月11日12時26分 スポーツ報知
  13. ^ 『相撲』2012年1月号70頁
  14. ^ 『相撲』2013年11月号56頁
  15. ^ 『相撲』2012年3月号 技の世界 第36回
  16. ^ 妙義龍&豊響 テロリストに間違えられた「いい経験になりました…」 Sponichi Annex 2013年8月26日 06:00
  17. ^ 妙義龍復活させた"ナースとの恥辱体験" 東スポWeb 2012年7月18日 12時00分
  18. ^ 妙義龍と豪風がトークバトルで筋力自慢!? nikkansports.com 2014年9月3日22時9分
  19. ^ 妙義の筋肉食に豪風がダメ出し nikkansports.com 2014年9月4日8時59分 紙面から
  20. ^ 昭和時代も含めると栃錦の5場所連続、千代の富士の4場所連続に続いて3位タイ。因みに後者は技能賞該当者なしの場所を挟んだ形を含めた場合5場所連続となる。
  21. ^ 途中休場

関連項目[編集]

外部リンク[編集]