栃煌山雄一郎

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栃煌山 雄一郎 Sumo pictogram.svg
Tochiozan 08 Sep.jpg
入場する栃煌山
基礎情報
四股名 影山 雄一郎→栃煌山 雄一郎
本名 影山 雄一郎
愛称 カゲ
生年月日 1987年3月9日(27歳)
出身 高知県安芸市
身長 185cm
体重 159kg
BMI 46.46
所属部屋 春日野部屋
得意技 右四つ・寄り・もろ差し・押し
成績
現在の番付 前頭8枚目
最高位 関脇
生涯戦歴 428勝339敗16休(58場所)
幕内戦歴 350勝309敗16休(45場所)
優勝 三段目優勝1回
殊勲賞1回
敢闘賞2回
技能賞2回
データ
初土俵 2005年1月場所
入幕 2007年3月場所
趣味 読書、寝ること
備考
金星1個(白鵬1個)
2014年9月28日現在

栃煌山 雄一郎(とちおうざん ゆういちろう、1987年3月9日 - )は、高知県安芸市出身[1](「相撲レファレンス」において須崎市出身とされている[2]のは明徳義塾高校の所在地と混同されたため)で春日野部屋所属の現役大相撲力士。本名は影山雄一郎(かげやま ゆういちろう)、愛称はカゲ。身長185cm、体重159kg、血液型はA型。得意手は右四つ・寄り・もろ差し・押し。最高位は東関脇2010年11月場所)。好物はとんかつ。[3]趣味は読書、寝ること。

人物[編集]

入門前[編集]

影山が相撲を始めたのは小学2年生の時であり、父親に頼んで地元の安芸少年相撲クラブに入団した。小さい頃から体が大きく同級生たちと比べても頭ひとつふたつ抜きん出ていたが性格はおっとりとしていた。父方の祖父が相撲好きということもありテレビの大相撲中継をよく観ていた。また安芸市は相撲が盛んな町だったため自然と角界への憧れは育まれていった。だが虫を怖がるなど臆病な面を持ち合わせていた栃煌山は相撲の稽古でも弱音を吐いてばかりいた。「はじめは稽古がきつくて、休みが1日もなかった。それで相撲が嫌いになって、逃げてばかりいました」と本人が当時の様子を証言しており、上級生に引き戻されては「やめたい」と嘆くことを繰り返していた時期もあったという。母親はそんな影山を「いつまで続くやろうね」というぐらいの気持ちで見守っていた。相撲を習い始めた頃は相当期待薄であったようであり、両親が初めて稽古を見に行った時の影山は自分よりも小さい子と組み合っては「痛い」「触るな」「あっちいけ」と叫びながら相撲を取っており、当時これを見た両親は「ダメだ、これは」と落胆してその場を後にしたという。それでも影山は負けず嫌いの性格で相撲をやめず、日々の稽古を積んでいくうちに精神的にも逞しく成長していき、4年生になると「やめたい」と漏らすこともなくなった。4年次からわんぱく相撲の全国大会に出場するようになり、6年時にはわんぱく相撲大会でベスト16、全日本小学校相撲優勝大会ではベスト8に入るなど実績を挙げるようになった。わんぱく相撲の全国大会に出場した際には相撲部屋に宿泊した経験もあり、4年時は鏡山部屋、5年時は北の湖部屋。そして6年時には後の所属先である春日野部屋に泊まった。 [4]

その後当時相撲部の監督を務めていた吉田道彦を「稽古の鬼」と仰ぎその吉田の指導を受ければ自分は強くなれると信じて安芸市立安芸中学校に進学する。吉田は入学前から影山に光るものを感じていたが差し身が自然にできていたことに関して「差したり、まわしをとることで楽を覚えたら、雄一郎の伸びが止まると思った。」と感じ、投げや相手を崩す技は全く教えずひたすらぶつかり稽古を課して出足を鍛えた。中学2年時に全国中学体育大会(以下、全中)の団体戦決勝で1-2と惜敗したことをきっかけに吉田は影山の母親や学校にも協力を仰ぎ増量を敢行し、1日5食の食事稽古をこなした結果として2年夏の時点で75㎏しかなかった体重を1年後に120㎏まで伸ばした。こうした努力が実り、準々決勝で小学校時代からの宿敵・澤井豪太郎(現・豪栄道)を寄り切るなどの活躍を果たしたことで3年時の全中団体戦を制し、個人戦でも中学横綱のタイトルを得る。[5]

明徳義塾高進学後は埼玉栄高の澤井豪太郎(現・豪栄道)と切磋琢磨し良きライバル関係を築いた。高校時代は浜村敏之監督(当時)の指示の下にあっても稽古には難なくついて行き、自身が「一番きつかった」と語る腕立て伏せによって肩関節が鍛えられ、それまで脱臼しやすかった肩が負傷することもなくなった。[6]

入門から新入幕まで[編集]

大学進学も検討していたが、高校卒業直前には2005年1月場所に澤井と同時に初土俵を踏む。入門当初はおっつけや摺り足に課題があり、稽古で改善を重ねていった。[6]そうして初土俵から勝ち越しを続け、同年11月場所では7戦全勝で三段目優勝を果たし、翌2006年1月場所に幕下へ昇進し、西幕下3枚目の位置まで番付を上げた同年5月場所では5勝2敗という好成績を挙げたものの、幕下に陥落する力士が少なかったために場所後の十両昇進はならなかった。翌7月場所でも東幕下筆頭の位置で6勝1敗という好成績を挙げて、初土俵から1回も負け越すことなく、翌9月場所において新十両へ昇進した。初土俵から所要10場所での十両昇進は貴花田朝青龍露鵬時天空と並ぶ史上9位タイのスピード記録となった。また、十両昇進と同時に四股名を本名の「影山」から「栃煌山」へと改めた。「栃煌山」という四股名は、春日野親方と母親が相談して決めた。春日野部屋の多くの力士がつける「栃」、そこから煌めいて欲しいとの思いを込めて、「煌」そして本名の影山から「山」をとり、「栃煌山」となった。実は栃煌山自身は、記者会見当日まで四股名を知らされておらず、「記者の人たちに“四股名、どう思いますか?”“どういう由来ですか?”と言われたのですが、その時に初めて聞いたので返答に困りました」という。[7] 新十両の昇進会見では、色紙に「横綱になる」と記している。

新十両となった2006年9月場所では9勝6敗と勝ち越し、西十両2枚目の位置まで大きく番付を上げた翌2007年1月場所では10勝5敗の好成績を挙げ、霜鳥豊響との優勝決定戦に進出した。優勝決定戦は豊響が制して十両優勝はならなかったものの、翌3月場所において新入幕を果たした。初土俵から13場所での新入幕は旭富士・貴花田・武蔵丸豊真将に続き史上9位タイのスピード記録となった。

入幕から三役昇進まで[編集]

新入幕の場所に際して、本人は幕内勝ち越しを目標に掲げていたが、師匠の春日野親方(元関脇・栃乃和歌)は期待を込めて10勝と敢闘賞獲得を命じた。その2007年3月場所では前に出る相撲が冴えて、終盤まで優勝争いに参加する活躍を見せ、11勝4敗の好成績を挙げて初の敢闘賞を受賞した。西前頭4枚目の位置へ昇進した翌5月場所では6勝9敗と自身初となる負け越しを経験した。続く7月場所では左肩関節を脱臼して11日目から休場し、翌9月場所では10日目の時点で7勝3敗という成績を挙げていながら、11日目から5連敗を喫して7勝8敗と負け越してしまった。のちにこの不振を本人が「その頃は(顔を)張られたら、すぐに横向いてしまって、当たり削がれちゃうことがあったんです。ひとりがそれをやったら、それを見た他の力士も張ってくるようになった。“幕内は研究してくるんだな”と思いましたね」と振り返った様子が伝えられている。[7]

2008年1月場所では8勝7敗と新入幕の場所以来となる勝ち越しを果たし、続く3月場所では初日から7連勝して11勝4敗という好成績を挙げて初の技能賞を獲得した。2009年1月場所では初日から8連勝して10勝5敗の好成績を挙げ、自己最高位となる西前頭2枚目まで番付を上げた翌3月場所でも序盤に3大関を破る活躍で8勝7敗と勝ち越しを決め、翌5月場所に新三役となる西小結へと昇進した。その5月場所では6勝9敗と負け越し、平幕へ陥落した翌7月場所では場所の中盤に風邪を引いて体調を崩してしまい、初日から13連敗して2勝13敗という惨敗を喫してしまった。

大関候補へ[編集]

2010年5月場所で6場所ぶりに西小結へ復帰し、その5月場所では7勝8敗と負け越したものの、東前頭筆頭の位置で迎えた翌7月場所では9勝6敗と勝ち越し、翌9月場所で西関脇へ昇進した。その9月場所では魁皇日馬富士琴欧洲という3大関を破る活躍で、11勝4敗と自身初となる三役での二桁勝利を挙げて2回目の技能賞を獲得した。東関脇となり、大関昇進への足固めが注目された翌11月場所では5日目までは4勝1敗と順調な成績だったものの、6日目から7連敗して結果的に7勝8敗と負け越してしまい、東小結となった翌2011年1月場所でも6勝9敗と負け越して三役から陥落した。

2011年1月場所後に、定年退職した清見潟親方(元前頭・大竜川)に代わり年寄名跡・清見潟を取得した。同年11月場所は4日目の安美錦戦でくるぶし付近を痛め、10日目の若荒雄戦で悪化させてしまい、11日目から右足関節捻挫(外側靭帯損傷)のために休場した。

2012年5月場所では、東前頭4枚目の位置で9日目に早々に勝ち越しを決め、10日目に旭天鵬と11日目に豊ノ島に敗れたものの、12日目には単独で優勝争いの先頭を走る大関・稀勢の里を破り、14日目には新大関の鶴竜を破る活躍を見せ、千秋楽まで優勝争いに絡んだ。千秋楽では対戦相手の琴欧洲が休場したために不戦勝で、同じ3敗で並ぶ稀勢の里と旭天鵬のそれぞれの本割の勝敗を待つ形となり、その結果、千秋楽に勝利した旭天鵬との12勝3敗での史上初の平幕同士の優勝決定戦となった。優勝決定戦では旭天鵬に敗れて優勝はならなかったが、2回目の敢闘賞を受賞。2010年11月場所以来となる関脇へ復帰した翌7月場所では4勝11敗という大敗に終わったものの、翌9月場所では10日目に白鵬を破り自身初となる金星を獲得し、9勝6敗と勝ち越しを決めて初の殊勲賞を受賞。三役に復帰した2013年1月場所では3大関(鶴竜・稀勢の里・琴奨菊)を破るなど8勝7敗と勝ち越し、新関脇だった2010年9月場所以来となる三役での勝ち越しを果たすと、翌3月場所は4大関(琴欧洲・琴奨菊・稀勢の里・鶴竜)を総なめにする活躍で10勝5敗と2010年9月場所以来の三役での二桁勝利を挙げた。この年は年6場所中5場所で三役を務めるなど、安定感を増した一年となった。

小結で迎えた2014年1月場所では11勝4敗の好成績を収め、3月場所では2場所ぶり関脇に復帰したが、豪栄道と琴欧洲の両関脇も勝ち越していたため、2011年9月場所以来の3関脇となった[8]。5月場所は横綱・鶴竜と大関・琴奨菊を破り、10勝5敗と新関脇だった2010年9月場所以来となる関脇での2桁勝利を挙げた。7月場所は場所前の稽古で痛めた左肩に苦しめられ7日目まで2勝5敗と振るわず、相撲協会に「反復性左肩関節亜脱臼で1カ月間の休養を要する」との診断書を提出して中日以降を休場した。[9]東前頭8枚目まで後退した9月場所は怪我の影響でぶっつけ本番で挑んだものの、千秋楽までの6連勝もあって11勝4敗と復調ぶりを見せた。[10]

取り口[編集]

もろ差し・右四つ・押しが得意である。2012年頃までは押し相撲を基調としていたが2013年に入ってからはもろ差しが主体の四つ相撲を取るようになっていった。栃煌山の場合は体を左右にぶらして右や左を差すのではなく頭で当たってから下から掬い上げるような方法でもろ差しを行う。[11]立合いが決まれば速攻相撲で勝利するが、相手十分の体勢を許すと全く抵抗できずに敗れることが多い。以前は相手の引き技や叩き込みに弱くバッタリと前から落ちることが目立っていた(琴錦はもろ差しに拘りすぎて攻め方がわからなくなるからと指摘している)[11]が最近はそれが多少減り、逆に引きや叩きで勝つこともある(2012年9月場所の白鵬戦での金星など)。また差し身のよさを生かした肩透かしも新たな取り口として加わっている。

合い口[編集]

いずれも2014年9月場所終了現在。
  • 横綱・白鵬には1勝24敗。白鵬の横綱昇進後は1勝21敗。初顔合わせから2012年7月場所まで14連敗していたが、2012年9月場所で初勝利を挙げた。その場所は9勝6敗と勝ち越しを決めて初の殊勲賞を受賞した。
  • 横綱・日馬富士には7勝15敗。日馬富士の横綱昇進後は1勝8敗。2011年技量審査場所までは6勝3敗と相性が良かったが、2011年9月場所から2013年3月場所まで6連敗を喫しており、5月場所で勝った後、7月場所から現在まで再び6連敗(不戦敗による1敗を含む)を喫している。
  • 横綱・鶴竜には16勝17敗とほぼ互角である。
  • 大関・稀勢の里には10勝16敗であるが、稀勢の里の大関昇進後は6勝7敗となっている。
  • 大関・琴奨菊には14勝9敗と勝ち越している。琴奨菊の大関昇進後も8勝3敗と勝ち越している。
  • 元大関・琴欧洲には13勝10敗と勝ち越している。琴欧洲の大関時代も11勝10敗(不戦勝による1勝を含む)と勝ち越している。2011年1月場所から2012年5月場所まで6連勝(不戦勝による1勝を含む)した。
  • 元大関・把瑠都には2勝16敗と大きく負け越すなど相性が悪く、初顔合わせから2010年5月場所まで後述の吊り出しによる完敗を含め8連敗していたが、2010年7月場所で初勝利を挙げた。最後の対戦となった2013年5月場所は寄り切りで勝利を収めた。

略歴[編集]

  • 2005年(平成17年)1月場所‐初土俵
  • 2005年(平成17年)11月場所‐三段目優勝(全勝、このとき豪栄道は幕下優勝)
  • 2006年(平成18年)9月場所‐新十両(初土俵から所要10場所のスピード記録)
  • 2007年(平成19年)1月場所‐十両優勝同点(優勝は豊響)
  • 2007年(平成19年)3月場所‐新入幕(敢闘賞を受賞)
  • 2009年(平成21年)3月場所‐技能賞
  • 2009年(平成21年)5月場所‐新小結
  • 2010年(平成22年)9月場所‐新関脇(2度目の技能賞を受賞)
  • 2012年(平成24年)5月場所‐幕内最高優勝同点(優勝は旭天鵬)、2度目の敢闘賞を受賞
  • 2012年(平成24年)9月場所‐殊勲賞、初金星

エピソード[編集]

  • 小さなころに家で鍋を食べていたとき、生きた大きなエビが自身の顔に飛んできた。それ以来エビを食べられない。
  • 同郷の先輩に土佐ノ海(現・立川親方)がいる。栃煌山は中学時代に、帰省していた土佐ノ海に稽古を付けてもらったことがある。栃煌山が新入幕を果たした2007年3月場所では、同じ前頭14枚目で栃煌山(東)と土佐ノ海(西)が並んだ。
  • 2009年3月場所12日目に把瑠都と対戦した際、栃煌山は把瑠都に豪快に吊り上げられたものの、全く反撃出来ずに静止したまま土俵外に出されてしまう。当日、NHK大相撲中継で解説を務めていた北の富士勝昭は、その姿を見て「もっと抵抗しないと!シャケ(鮭)じゃないんだから…」と評し、冗談交じりに苦言を呈した。
  • 2010年7月場所11日目に魁皇が休場し、自身に1本だけ思いがけず舞い込んだ懸賞金で、十両昇進がほぼ決定していた栃乃若へお祝いに帯を買ってあげた。[12]
  • 2012年9月場所10日目に白鵬に勝利して金星を獲得したが、もしこの勝利がなければ白鵬と日馬富士による史上初の2場所連続同じ力士による全勝相星決戦となるところだった。[13]
  • 2013年5月場所4日目に稀勢の里戦で、待ったが3度あり、4度目で立ち合いが成立した。取組後、両者は審判部に呼ばれ、朝日山(元大関・大受)審判長から厳重注意を受けた。朝日山審判長は「稀勢の里が立ち渋っていた」と話した。[14]
  • ファンに対しての態度は優しく、ファンサービスの良さには定評がある。
  • 2013年10月23日付で同年秋巡業の出雲場所を休場することがTwitterの日本相撲協会公式アカウントによって報告されたが[15]翌日の島根日日新聞には「出雲巡業で隠岐の海と取組を行った。」と写真付きで誤報された。[16][17]
  • 2014年1月場所5日目の豪栄道戦では豪栄道の髷に小指が引っ掛かったが慌てて抜いて最後は押し出して勝った。本人は「髷が引っ掛かったのは初めて。もし物言いがついたら負けになった。相手の足腰が強くて倒れなかったからよかった。」と述べていた。[18]

主な成績[編集]

2014年9月場所終了現在

通算成績[編集]

  • 通算成績:428勝339敗16休(58場所)
  • 幕内成績:350勝309敗16休
  • 幕内在位:45場所
  • 三役在位:16場所(関脇7場所、小結9場所)
  • 十両成績:28勝17敗

各段優勝[編集]

  • 三段目優勝:1回(2005年11月場所)

三賞・金星[編集]

  • 三賞:5回
    • 殊勲賞:1回(2012年9月場所)
    • 敢闘賞:2回(2007年3月場所、2012年5月場所)
    • 技能賞:2回(2008年3月場所、2010年9月場所)
  • 金星:1個
    • 白鵬1個(2012年9月場所)

場所別成績[編集]

                                     

栃煌山 雄一郎[19]

一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2005年
(平成17年)
(前相撲) 東 序ノ口 #31
6–1
 
東 序二段 #61
6–1
 
東 三段目 #93
6–1
 
東 三段目 #36
5–2
 
西 三段目 #12
優勝
7–0
2006年
(平成18年)
西 幕下 #12
4–3
 
西 幕下 #7
5–2
 
西 幕下 #3
5–2
 
東 幕下 #1
6–1
 
東 十両 #11
9–6
 
西 十両 #7
9–6
 
2007年
(平成19年)
西 十両 #2
10–5
 
東 前頭 #14
11–4
西 前頭 #4
6–9
 
東 前頭 #7
4–6–5[20]
 
西 前頭 #13
7–8
 
東 前頭 #15
7–8
 
2008年
(平成20年)
東 前頭 #15
8–7
 
東 前頭 #12
11–4
東 前頭 #5
5–10
 
東 前頭 #11
9–6
 
西 前頭 #6
6–9
 
東 前頭 #9
6–9
 
2009年
(平成21年)
東 前頭 #12
10–5
 
西 前頭 #2
8–7
 
西 小結
6–9
 
東 前頭 #2
2–13
 
東 前頭 #12
11–4
 
東 前頭 #3
5–10
 
2010年
(平成22年)
東 前頭 #10
8–7
 
東 前頭 #6
11–4
 
西 小結
7–8
 
東 前頭 #1
9–6
 
西 関脇
11–4
東 関脇
7–8
 
2011年
(平成23年)
東 小結
6–9
 
八百長問題
により中止
西 前頭 #2
4–11
 
東 前頭 #10
10–5
 
西 前頭 #3
7–8
 
西 前頭 #4
5–6–4[21]
 
2012年
(平成24年)
東 前頭 #8
11–4
 
西 小結
5–10
 
東 前頭 #4
12–3[22]
西 関脇
4–11
 
東 前頭 #5
9–6
西 前頭 #1
10–5
 
2013年
(平成25年)
東 小結
8–7
 
東 小結
10–5
 
東 小結
6–9
 
東 前頭 #2
10–5
 
東 小結
8–7
 
西 関脇
7–8
 
2014年
(平成26年)
西 小結
11–4
 
西 関脇 #2
9–6
 
西 関脇
10–5
 
西 関脇
2–6–7[23]
 
東 前頭 #8
11–4
 
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴[編集]

  • 影山 雄一郎(かげやま ゆういちろう)2005年1月場所 - 2006年7月場所
  • 栃煌山 雄一郎(とちおうざん - )2006年9月場所 -

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 栃煌山 雄一郎goo 大相撲 2013年7月22日閲覧
  2. ^ 栃煌山 雄一郎 力士情報2013年7月22日閲覧
  3. ^ 『NHK大相撲中継』2007年6月号
  4. ^ FORZA SHIKOKU(月曜日更新) : 栃煌山雄一郎(春日野部屋/高知県安芸市出身)第1回「不器用でも真っすぐな相撲道」 二宮清純責任編集 SPORTS COMMUNICATIONS 2013-07-01 00:00:00
  5. ^ FORZA SHIKOKU(月曜日更新):栃煌山雄一郎(春日野部屋/高知県安芸市出身)第2回「“原点”を磨いた中学時代」二宮清純責任編集 SPORTS COMMUNICATIONS 2013-07-01 00:00:00
  6. ^ a b FORZA SHIKOKU(月曜日更新):栃煌山雄一郎(春日野部屋/高知県安芸市出身)第3回「刺激し合う好敵手の存在」 二宮清純責任編集 SPORTS COMMUNICATIONS 2013-07-15 00:00:00
  7. ^ a b FORZA SHIKOKU(月曜日更新) : 栃煌山雄一郎(春日野部屋/高知県安芸市出身)第4回「越えなければならない壁」 二宮清純責任編集 SPORTS COMMUNICATIONS 2013-07-22 00:00:00
  8. ^ 鶴竜、初の綱とり=遠藤は東筆頭に躍進-大相撲春場所新番付 時事ドットコム 2014/02/24-06:33配信
  9. ^ 栃煌山左肩脱臼で休場 6日目松鳳山戦で悪化 Sponichi Annex 2014年7月21日 05:30
  10. ^ 栃煌山ぶっつけ本番「正直びびってる」 nikkansports.com 2014年9月5日9時34分 紙面から
  11. ^ a b 『大相撲ジャーナル』2014年4月号24頁から25頁
  12. ^ 栃煌山 思わぬ懸賞で、弟弟子に「帯を」 スポーツニッポン 2010年7月22日
  13. ^ 大相撲‐星取・番付‐Yahoo!スポーツ
  14. ^ 大相撲夏場所:立ち合いで厳重注意毎日新聞 2013年7月24日閲覧
  15. ^ <秋巡業休場者>(幕内)栃煌山 ※出雲場所より Twitter 日本相撲協会公式アカウント
  16. ^ 綱対決は日馬富士が勝利/大相撲出雲場所 島根日日新聞 2013/10/25
  17. ^ 2013年10月21日 巡業 綾部場所 この写真では栃煌山と豪栄道の姿が確認され、左膝にテーピングをしている方が栃煌山である。島根日日新聞の報道で掲載された写真で確認される土俵上の力士2人はテーピングをしていないため、綾部場所の様子が撮影された写真を参考として同じ色の締め込みをしている豪栄道と間違えて報道したと推測できる。
  18. ^ 『相撲』2014年2月号28頁から29頁
  19. ^ Rikishi in Juryo and Makunouchi” (English). szumo.hu. 2007年6月7日閲覧。
  20. ^ 左肩関節脱臼のため10日目から途中休場
  21. ^ 右足関節捻挫(外側靭帯損傷)のため11日目から途中休場
  22. ^ 旭天鵬と優勝決定戦
  23. ^ 反復性左肩関節亜脱臼のため中日から途中休場

外部リンク[編集]