豪栄道豪太郎

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豪栄道豪太郎 Sumo pictogram.svg
Goeido Gotaro 2008.jpg
咳き込む豪栄道
基礎情報
四股名 豪栄道 豪太郎
本名 澤井 豪太郎
愛称 ゴウタロウ、豪ちゃん、GAD、ガッド
生年月日 1986年4月6日(27歳)
出身 大阪府寝屋川市
身長 183.0cm
体重 154.0kg
BMI 42.10
所属部屋 境川部屋
得意技 右四つ、寄り、出し投げ、切り返し、外掛け
成績
現在の番付 関脇
最高位 関脇
生涯戦歴 362勝253敗25休(49場所)
幕内戦歴 253勝202敗25休(32場所)
優勝 幕下優勝2回
三段目優勝1回
序ノ口優勝1回
敢闘賞3回
技能賞3回
殊勲賞1回
データ
初土俵 2005年1月場所
入幕 2007年9月場所
趣味 格闘技テレビ観戦、漫画読み
備考
金星1個(朝青龍1個)
出典
2013年3月24日現在

豪栄道 豪太郎(ごうえいどう ごうたろう、1986年4月6日 - )は、大阪府寝屋川市出身で境川部屋所属の現役大相撲力士。本名は澤井豪太郎(さわい ごうたろう)、愛称はゴウタロウ、豪ちゃん、GAD、ガッド[1]身長183cm、体重141kg、血液型はB型。得意手は右四つ、寄り、出し投げ、切り返し。趣味は格闘技テレビ観戦、漫画雑誌を読むこと。好きな食べ物は牛肉、嫌いな食べ物は生魚、納豆漬け物。最高位は東関脇2012年7月場所、2013年1月場所~3月場所)。

目次

人物 [編集]

明和小学校1年生の時に相撲を始める。当時の豪栄道が同級生の中で偉そうにしていたため、家族が「相撲大会で大きい子にやっつけてもらおう」と市の大会に出場させたところ優勝してしまい、それ以来相撲の虜になったという。小学校3年生からアマチュア相撲では高名な古市道場(元十両・古市の実家)に通った。5年生の時にはわんぱく横綱に輝き、寝屋川四中を経て名門埼玉栄高相撲部に進んだ。高校では高校横綱世界ジュニア相撲選手権大会無差別級優勝など11個の個人タイトルを獲得し、全日本相撲選手権大会でも高校生として史上4人目の3位入賞し将来を有望視された。

その後、埼玉栄高相撲部の山田道紀監督の先輩である境川親方(元小結・両国)が師匠を務める境川部屋に入門し、高校卒業を待たずに2005年1月場所に初土俵を踏んだ。同期である春日野部屋栃煌山は自他共に認めるライバルである。序ノ口から三段目までをそれぞれ1場所で通過し、幕下2場所目となる2005年11月場所では7戦全勝で初の幕下優勝を果たした。2006年1月場所では西幕下2枚目まで昇進したが、その1月場所で初めての負け越しを経験した。以降は幕下上位で足踏みが続き、新十両昇進では栃煌山に先を越されたものの、課題とされた立ち合いを強化して、2006年9月場所では西幕下6枚目の位置で7戦全勝の成績を挙げて2回目の幕下優勝を果たし、翌11月場所において新十両へと昇進した。同時に、四股名を本名の「澤井」から「豪栄道」へと改名した。"豪"は本名の豪太郎と師匠の境川豪章の名前から、"栄"は埼玉栄高から、"道"は相撲道と埼玉栄高相撲部監督の山田道紀の名前から1字ずつ採り、「力強く栄え相撲道に精進する」意を込めた。[2]

新十両となった2006年11月場所と翌2007年1月場所を連続して勝ち越し、ライバルである栃煌山が新入幕を果たした翌3月場所では、初日から7連勝して里山と十両優勝を争い、千秋楽には里山に敗れて十両優勝はならなかったものの、11勝4敗の好成績を挙げた。東十両3枚目へと番付を上げた翌5月場所では6勝9敗と負け越したが、翌7月場所では西十両5枚目の位置で12勝3敗の好成績を挙げて優勝決定戦まで進出し、岩木山旭天鵬との巴戦となった優勝決定戦では敗れてしまい十両優勝は逃したものの、翌9月場所において新入幕を果たした。

新入幕となった2007年9月場所では、2日目に栃煌山に敗れる以外は白星を重ね、11日目の時点で10勝1敗の成績を挙げて、新入幕ながら優勝争いに加わり、11日目に横綱・白鵬が2敗目を喫したために優勝争いの単独トップに躍り出た。そのため12日目から上位との対戦が組まれたが、12日目に安馬、13日目に大関・千代大海、14日目には白鵬に敗れた。新入幕力士と横綱との対戦は、1995年7月場所2日目の土佐ノ海と横綱・貴乃花との対戦以来のこととなった。優勝争いからは脱落したものの、最終的にこの9月場所では11勝4敗の好成績を挙げて初の敢闘賞を受賞した。続く11月場所でも2日目から6連勝し、後半に負けが込んだものの8勝7敗と勝ち越しを決めた。東前頭3枚目まで番付を上げた翌2008年1月場所では、3日目に大関・琴光喜を破って大関戦初勝利を挙げたものの、結果的には5勝10敗と、自身の入幕後において初めての負け越しを経験した。西前頭5枚目の位置で迎えた同年9月場所では10日目の時点で9勝1敗と好調ぶりを示し、横綱・大関陣には不戦勝の朝青龍を除いて1勝もできなかったものの、10勝5敗という好成績を挙げて2回目の敢闘賞を受賞し、翌11月場所において新三役となる東小結へと昇進した。その11月場所では5勝10敗と大敗したものの、平幕へ陥落した翌2009年1月場所で10勝5敗の好成績を挙げて初の技能賞を受賞し、翌3月場所で小結へ復帰した。その3月場所では白鵬と朝青龍の両横綱には敗れたものの、千代大海・琴光喜・琴欧洲の3大関と把瑠都・稀勢の里の両関脇を破り9勝6敗と勝ち越しを決め、翌5月場所に西関脇に昇進した。2010年1月場所では対横綱戦初勝利となる金星を朝青龍から挙げたが、この場所後に朝青龍は自身の問題行動によって突如引退を表明したため、結果的に豪栄道は朝青龍にとって最後の金星配給の相手となった。

2010年に発覚した大相撲野球賭博問題では野球賭博に関与したという理由により、特別調査委員会から謹慎休場を勧告され[3]、そのため同年7月場所を全休し、翌9月場所では十両へと陥落した。なお、大相撲野球賭博問題に関しては、本人は2011年3月3日賭博開帳図利容疑書類送検されている。[4]

東十両筆頭の位置で迎えた2010年9月場所では、12勝3敗の好成績を挙げて十両力士との実力差を示し、1場所での幕内復帰を果たした翌11月場所でも12勝3敗という好成績を挙げた。続く2011年1月場所でも11勝4敗と大勝し、翌5月技量審査場所でも3場所連続しての二桁勝利となる11勝4敗の好成績を挙げて2回目の技能賞を受賞した。翌7月場所では再び東小結へ昇進したが、その場所では5勝10敗と大敗した。

2012年3月場所では西前頭6枚目の位置で12勝3敗という好成績を挙げて3回目の敢闘賞を受賞し、再び自己最高位となる西関脇へ昇進した翌5月場所では、8日目に横綱・白鵬に初めて勝利し、加えて把瑠都・琴奨菊琴欧洲という3大関も破る活躍で8勝7敗と勝ち越しを決め、初の殊勲賞を受賞した。この5月場所の後、同年3月場所前から違和感があったという左肘を内視鏡手術し、遊離軟骨の除去を行っている[5]。自己最高位を更新する東関脇の位置で迎えた翌7月場所では、2日目に琴欧洲を破り、7日目に稀勢の里を破ったものの、その稀勢の里戦で左脇腹を痛めてしまい、その後も出場して勝ち越しを目前としていながら、13日目の栃ノ心戦において上手投げで敗れた際に負傷箇所を悪化させたために翌14日目から休場し、結果的には7勝7敗1休という成績となって負け越した。前場所で負け越したものの翌9月場所でも西関脇の位置に留まり、その9月場所では8勝7敗と勝ち越しを決めた。

翌11月場所では幕内では自身初となる初日からの8連勝で中日に勝ち越しを決めた。その後、9日目に横綱・日馬富士に敗れ[6]、12日目まで4連敗を喫して優勝争いからは脱落したものの、2009年9月場所における把瑠都以来となる5大関全員を破る活躍を見せて、11勝4敗の好成績を挙げて3回目の技能賞を受賞した。

取り口 [編集]

廻しを取ると力と技の両方が活きて強い。根は右四つではあるが、右でも左でも前褌を引けば、引きつけの強さを生かして吊り寄り気味に前に出る。出し投げや切り返しなどで崩しつつ寄るテクニックもある。力を頼りに思い切った投げにいくこともある。引き技が多くなり、また前に落ちる場面も目立った時期があった。弱点は2011年までのそれほど大柄でなかった時期も含め、元来出足が鈍いことである。寄りながら不意に外掛けを打つことがある。

略歴 [編集]

  • 2005年1月場所 - 初土俵
  • 2005年3月場所 - 序ノ口優勝(7戦全勝)
  • 2005年7月場所 - 三段目優勝(7戦全勝)
  • 2005年11月場所 - 幕下優勝(7戦全勝)
  • 2006年9月場所 - 2度目の幕下優勝(7戦全勝)
  • 2006年11月場所 - 新十両、四股名を豪栄道と改名
  • 2007年9月場所 - 新入幕
  • 2008年11月場所 - 新小結
  • 2009年5月場所 - 新関脇
  • 2010年1月場所 - 初金星
  • 2010年2月7日 - 第34回日本大相撲トーナメント優勝

主な成績 [編集]

2013年3月場所終了現在

通算成績 [編集]

  • 通算成績:362勝253敗25休(49場所)
  • 幕内成績:253勝202敗25休(32場所)
  • 三役在位:11場所(関脇7場所、小結4場所)
  • 十両成績:57勝33敗

各段優勝 [編集]

  • 幕下優勝:2回(2005年11月場所、2006年9月場所)
  • 三段目優勝:1回(2005年7月場所)
  • 序ノ口優勝:1回(2005年3月場所)

三賞・金星 [編集]

  • 三賞:7回
    • 殊勲賞:1回(2012年5月場所)
    • 敢闘賞:3回(2007年9月場所、2008年9月場所、2012年3月場所)
    • 技能賞:3回(2009年1月場所、2011年5月技量審査場所、2012年11月場所)
  • 金星:1個


場所別成績 [編集]

豪栄道豪太郎 [7]


一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2005年
(平成17年)
(前相撲) 西 序ノ口 #31
優勝
7–0
西 序二段 #25
6–1
 
西 三段目 #61
優勝
7–0
西 幕下 #37
4–3
 
西 幕下 #32
優勝
7–0
2006年
(平成18年)
西 幕下 #2
3–4
 
西 幕下 #5
3–4
 
西 幕下 #9
4–3
 
西 幕下 #7
4–3
 
西 幕下 #6
優勝
7–0
西 十両 #11
8–7
 
2007年
(平成19年)
西 十両 #10
8–7
 
西 十両 #9
11–4
 
東 十両 #3
6–9
 
西 十両 #5
12–3
 
西 前頭 #14
11–4
西 前頭 #6
8–7
 
2008年
(平成20年)
東 前頭 #3
5–10
 
東 前頭 #8
8–7
 
西 前頭 #7
8–7
 
西 前頭 #4
7–8
 
西 前頭 #5
10–5
東 小結
5–10
 
2009年
(平成21年)
西 前頭 #3
10–5
東 小結
9–6
 
西 関脇
6–9
 
西 前頭 #1
5–10
 
東 前頭 #5
10–5
 
西 小結
7–8
 
2010年
(平成22年)
東 前頭 #2
7–8
東 前頭 #3
2–4–9[basho 1]
 
西 前頭 #9
9–6
 
東 前頭 #4
休場[basho 2]
0–0–15
東 十両 #1
12–3
 
東 前頭 #14
12–3
 
2011年
(平成23年)
東 前頭 #5
11–4
 
八百長問題
により中止
東 前頭 #1
11–4
東 小結
5–10
 
西 前頭 #5
10–5
 
西 前頭 #1
7–8
 
2012年
(平成24年)
西 前頭 #2
6–9
 
西 前頭 #6
12–3
西 関脇
8–7
東 関脇
7–7–1
 
西 関脇
8–7
 
西 関脇
11–4
2013年
(平成25年)
東 関脇
8–7
 
東 関脇
10–5
 
x x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

[編集]

  1. ^ 2010年3月場所は左膝脛骨平面内側骨髄骨折のため7日目から途中休場。
  2. ^ 2010年7月場所は大相撲野球賭博問題による謹慎休場。

改名歴 [編集]

  • 澤井 豪太郎(さわい ごうたろう)2005年1月場所 - 2006年9月場所
  • 豪栄道 豪太郎(ごうえいどう - )2006年11月場所 -

関連項目 [編集]

脚注 [編集]

  1. ^ 「ニコ動」は角界の救世主か/技量審査場所 - 日刊スポーツ
  2. ^ ちなみに四股名の最終候補まで残ったものは「豪栄道」と「富士の山」という名前だった。
  3. ^ 朝日新聞 2010年6月29日
  4. ^ 野球賭博:元琴光喜ら書類送検 捜査終結へ 毎日新聞(毎日jp) 2011年3月3日
  5. ^ 豪栄道、左肘の手術明かす MSN産経ニュース 2012年6月29日閲覧
  6. ^ この一番では豪栄道が日馬富士を土俵際まで寄った際に審判を務めていた湊川(元小結・大徹)が「日馬富士の足が出た」と挙手し、立行司式守伊之助は取組を止めさせた。協議の末に審判部長である鏡山親方(元関脇・多賀竜)は「向正面の審判が日馬富士の足が出たと勘違いし、手を挙げてしまいました。したがってもう一度、やり直しという形でやらせていただきます」と誤審を認める説明を行い、史上初の「やり直し」の裁定となった。やり直しの一番では日馬富士に敗れ、豪栄道は「負けは負けですから」と取組後に語った。
  7. ^ Rikishi in Juryo and Makunouchi” (English). szumo.hu. 2007年8月28日閲覧。

外部リンク [編集]