松鳳山裕也

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松鳳山裕也 Sumo pictogram.svg
Matsutani 2010 May.JPG
十両土俵入りする松谷関(当時)
基礎情報
四股名 松谷 → 松鳳山
本名 松谷 裕也
愛称 マツタニ、アシュラマン[1]、壊し屋、悪魔
生年月日 1984年2月9日(30歳)
出身 福岡県築上郡築上町(旧椎田町
身長 178cm
体重 137kg
BMI 43.24
所属部屋 松ヶ根部屋二所ノ関部屋
得意技 突き・押し
成績
現在の番付 前頭10枚目
最高位 小結
生涯戦歴 2807勝240敗22休(53場所)
幕内戦歴 136勝149敗(19場所)
優勝 幕下優勝2回
序二段優勝1回
敢闘賞2回
データ
初土俵 2006年3月場所
入幕 2011年11月場所
趣味 ビリヤード・自転車
備考
金星1個(日馬富士1個)
2014年12月1日現在

松鳳山 裕也(しょうほうざん ゆうや、1984年2月9日 - )は、福岡県築上郡築上町(旧椎田町)出身で二所ノ関部屋(入門時は松ヶ根部屋)所属の現役大相撲力士。本名は松谷裕也(まつたに ゆうや)、愛称はマツタニ。身長178cm、体重137kg、血液型はA型。最高位は東小結2013年7月場所、11月場所)。趣味はビリヤード・自転車。好物はチャーハン。[2] 

来歴[編集]

幼稚園時代に空手や水泳などを習ったがこの頃はどれも中途半端であったといい、岩丸小学校時代には相撲1本に絞り県大会にも出ていたものの稽古は大会前に行う程度であったという。幼少期の松谷はお菓子よりご飯を食べる子であったといい、小学校高学年の頃からチャーハンなどを自炊して食べることが多く、このころから体が大きくなったとのことである。[2]椎田中学校入学後は相撲を中断して野球部に所属していたが、中学2年時に体が大きくなりすぎて動きが悪くなったので柔道部の顧問から誘われて柔道に転向。[2]高校進学を間近にした頃、近所に住んでいた人物が大分県立宇佐産業科学高等学校の卒業生である垣添徹の父と知り合いである縁から当時身長170cm、体重90kgの巨体を持っていた松谷を同校相撲部の真砂昌史監督に紹介し、これを受けて松谷は本格的に相撲を行うようになった。[2]他にも柔道や相撲の腕を買われて数校から勧誘があり、初めは自宅から遠いことを気にして宇佐産業への進学を躊躇していたが「練習後、責任を持って送り届けます」と真砂が申し出たことが決め手となったといい、実際に高校時代には真砂を始めとして指導者達が交代で送迎を担当していた。[2]高校2、3年と選抜高校相撲宇佐大会に出場し、ベスト8になったが共に琴奨菊に敗れている(琴奨菊とは同学年かつ同郷)。

駒澤大学仏教学部[3]に進学し、1年生から団体戦のレギュラーを務めた。大学在学中には国民体育大会の成年男子Aで準優勝(優勝は下田圭将)などの実績を残した。こうした活躍ぶりに着目した数多くの部屋から入門の勧誘を受ける。その中でも、最初に声を掛けてくれた松ヶ根親方(元大関・若嶋津)の「外国人力士を倒せるよう一緒に頑張ろう」との言葉で入門を決意し、松ヶ根部屋へ入門して2006年3月場所において前相撲から初土俵を踏んだ。入門の意志を家族が聞いたのは大学4年の正月に帰省した時であり、母は松谷の決意に反対せず送り出した。[2]

序二段へ昇進した2006年7月場所では7戦全勝の成績を挙げて優勝決定戦まで進出し、優勝決定戦で境澤尾上部屋)に勝利して序二段優勝を果たした。2007年3月場所に幕下へ昇進し(本人としてはを結える前に幕下に昇進したかったと語っている)、その3月場所で6勝1敗と大きく勝ち越し、翌5月場所においても6勝1敗と大きく勝ち越した。翌7月場所は東幕下9枚目の位置で3勝4敗と負け越し、入門してから初となる負け越しを記録した。

2010年3月場所では東幕下筆頭の位置で4勝3敗と勝ち越しを決め、翌5月場所において新十両へ昇進した。駒澤大学からの十両昇進は尾形以来33年ぶり2人目、築上町出身の関取は2009年に十両昇進した琴禮佐渡ヶ嶽部屋)以来3人目となった。

2010年8月12日大相撲野球賭博問題の警視庁捜査により同じ松ヶ根部屋所属の三段目・若力堂と共に野球賭博に関与していたことが明らかになり、松ヶ根親方らと記者会見で謝罪した。2010年6月に行われた相撲協会の2度の調査に対して賭博申告をしていなかったため当初の方針通り解雇の可能性もあったが温情的に本場所の出場停止2場所(2010年9月場所・11月場所)の処分に落ち着き、その影響により十両から幕下へと陥落した。破門を避けてもなお自ら角界から身を引くことも考えたが母から「ここでやめたら支えてくれた人に恩返しもできない」と説得されて思い直し「稽古していい相撲を取ること」に集中した。[4]

西幕下51枚目の位置まで番付を落とした謹慎明けの2011年1月場所では、幕下力士を寄せ付けない強さを見せ、7戦全勝の成績を挙げて幕下優勝を果たした。翌5月技量審査場所でも7戦全勝の成績で幕下連覇を達成した。翌7月場所では大相撲八百長問題により多くの力士が引退した影響もあり、十両への復帰を果たすと共に自己最高位の東十両3枚目まで番付を大きく上げた。その7月場所では7勝8敗と負け越したものの、翌9月場所では東十両5枚目の位置で11勝4敗と大きく勝ち越した。翌11月場所において新入幕を果たし、同時にそれまで「松谷」という本名で取っていた四股名を「松鳳山」と改めた。

2011年11月場所の番付は東前頭15枚目。この場所では10勝5敗という好成績を挙げた。自己最高位となる西前頭3枚目の位置まで番付を上げた2012年7月場所では、10日目まで3勝7敗の成績だったものの、11日目から5連勝して8勝7敗と勝ち越した。東前頭筆頭へ番付を上げた翌9月場所では、4日目に大関・琴欧洲を破ったものの、最終的に7勝8敗と負け越した。翌11月場所は3大関(琴欧洲・把瑠都稀勢の里)を破る活躍を見せ、10勝5敗の好成績を挙げて自身初となる敢闘賞を受賞した。2013年1月場所では新三役(西小結)に昇進した。この場所を境に現在に至るまで種子島酒造から贈られた黄金の締め込みを本場所に採用している。[5]この場所は7日目に大関・琴奨菊を破ったが最終的に4勝11敗と大きく負け越した。平幕へ降下した翌3月場所は序盤好調だったが、終盤にかけて負けが込み7勝8敗と2場所連続で負け越した。場所後の3月27日には保育士の女性と結婚したことが4月17日に部屋で開かれた会見で明らかになった。この会見ではその女性から「三役にならないと結婚しないよ」と励まされ、見事に約束を果たした経緯を明かした。[6]翌5月場所は14日目に大関・琴欧洲を破り、最終的には8勝7敗と勝ち越した。翌7月場所は3場所ぶりの小結(東小結)復帰。この場所は7勝8敗と負け越したが、14日目に大関・琴欧洲を2場所連続で破った。東前頭筆頭へ下がった翌9月場所は2日目に横綱・日馬富士を押し出して横綱戦での初勝利、並びに初金星を獲得した。[7]その後も6日目に大関・琴欧洲、8日目に大関・琴奨菊を破る活躍で、千秋楽に8勝7敗と勝ち越しを決め、2回目の敢闘賞を受賞した。同年10月2日には長男が誕生。[8]翌11月場所は2場所ぶりの小結(東小結)復帰。小結復帰は2回目。この場所は4勝11敗と大きく負け越したが、3日目に大関・琴欧洲を4場所連続で破った。2014年3月場所は4度目の小結在位となったものの終盤の4連敗が響いて5勝10敗に終わった。翌5月場所は東前頭5枚目の地位で8勝7敗として、場所後の6月21日には挙式披露宴を都内のホテルで行い、大関・稀勢の里ら二所ノ関一門の関取、親方衆、関係者ら約400人が出席した。 [8]同年11月場所は結果として松ヶ根部屋所属として最後の場所となり、この場所は新入幕となった2011年11月場所以来の前頭2桁台の地位を与えられたが2日目から5連敗するなど振るわず、これが尾を引いて千秋楽に負けて7勝8敗の不振に甘んじてしまった。

取り口[編集]

立合いの諸手突きから突き押しを基本に相手の懐に入るかそのまま突き切ることが松鳳山の型である。[9]和歌乃山は2014年3月場所前の座談会で「当たる角度が良いから相手も起きる」と技量に裏打ちされた当たりの力強さを評価しており、「突っ張ってスパッと二本入る」差し身の良さについても話していた。[10]一方で大至伸行は同じ座談会で「突っ張っているときに少し顎が上がり気味で、それを直せばもっと突っ張りの威力が増す」と指摘していた。[10]他に、大型力士が相手であってもまともに寄りたててねじ伏せる相撲も得意である。

合い口[編集]

いずれも2014年11月場所現在。
  • 横綱・白鵬には8戦全敗。
  • 横綱・日馬富士には1勝10敗。日馬富士の横綱昇進後は5連敗だったが、2013年9月場所2日目に押し出しで初勝利を挙げると共に初金星を獲得した。
  • 横綱・鶴竜には8戦全敗。
  • 大関・琴奨菊には2勝8敗。2013年1月場所で小手投げで初勝利を挙げた。最近では2013年9月場所で突き落としで勝っている。
  • 大関・稀勢の里には1勝7敗。2012年11月場所で引き落としで破り、初勝利を挙げた。
  • 元大関・琴欧洲には7勝2敗と勝ち越している。琴欧洲の大関時代も6勝2敗と勝ち越している。2012年9月場所で押し出しで初めて勝っている。2013年5月場所から5連勝で終わった。
  • 元大関・把瑠都には1勝1敗で、把瑠都が大関だった2012年11月場所2日目に掬い投げで勝っている。なお、把瑠都は翌日から休場し9日目に大関陥落が決まった。

人物[編集]

  • 土俵上では常に気合十分な怖い顔をしており非常に強面なイメージが漂い、後述のように対戦相手が頻繁に怪我をすることも理由となって一般ファンからは「壊し屋」、「悪魔」「アシュラマン」といった異名が与えられている。しかし新十両インタビューでは大変柔和な笑顔や語り口を見せており、また新十両を決めた相撲や初金星を挙げた相撲では花道で涙を流すなど、その実は人好きのする優しい性格である。母によると反抗期が無かったといい、高校生になってもよく両親に学校での出来事を話したり一家で焼肉を食べに行ったりするなど家族仲は良かったという。[2]他方では、2014年5月場所2日目に話題の人気力士である遠藤を破った際の心境として「いいじゃないですか。ヒーローになれなくてもヒールにはなれる」と答えるなど、その役回りについて自負するところがある。[11]
  • 本項に掲載された写真から窺えるように大変に色黒であり、入門後に憧れの力士である朝青龍に呼ばれた際に出身地を聞かれ、「九州です。」と答えたら「いや、絶対に違うだろう。」と信じてもらえなかったという逸話がある。
  • Twitterを使っている。
  • 本場所では太刀持ち・露払いの経験はないが、2011年12月4日に大分県宇佐市で行われた白鵬の宇佐神宮奉納土俵入り(双葉山生誕100年記念事業の一環)に参加した際露払いを務めた。高校時代に宇佐産業科学高相撲部に所属した関係もあって、このような大役に抜擢された。[12]
  • 2013年7月場所9日目の豪風戦、翌9月場所6日目の琴欧洲戦、その次の11月場所2日目の琴奨菊戦と3日目の琴欧洲戦の翌日に対戦相手が休場しており、わずか3場所の間にのべ4人の力士を結果として休場に追い込んだ形となってしまった。[13]それも全て同じ一門の幕内力士であり、4例中3例は現役大関であり、その内把瑠都と琴欧洲は松鳳山戦の翌日に途中休場を喫した末に大関を陥落している。特に琴奨菊に至ってはその場所の御当地大関であり、2013年11月場所3日目の発言に基づいた記事によって本人が「相撲を取って相手がケガするのは気分良くない。これで一門の御当地幕内力士は自分1人。」と後ろめたく思う様子が伝えられた。[14]
  • 新三役だった2013年初場所より、金色の廻しを締めて土俵に上がっている。
  • 2013年12月10日及び11日に行われた協会の体脂肪率測定では幕内力士の中で2番目に低い24%を記録した。[15]
  • 自転車が趣味であり、2014年11月には134kgの体重でありながらアルミフレームのクロスバイクを軽快に乗り回す様子が伝えられた。このクロスバイクを愛用するようになったきっかけは、2010年にママチャリを盗まれた後に安岡剛士の漫画作品『Over Drive (漫画)』を読んで影響されたことにある。[16]
  • 船橋本町の飲食店の間では絶大な人気を誇る。

テレビ出演[編集]

主な成績[編集]

2014年11月場所終了現在

通算成績[編集]

  • 通算成績:287勝240敗22休(53場所)
  • 通算勝率:.545
  • 幕内成績:136勝149敗(19場所)
  • 幕内勝率:.477
  • 十両成績:33勝27敗15休(5場所)
  • 幕下成績:91勝56敗7休(22場所)
  • 三段目成績:15勝6敗(3場所)
  • 序二段成績:7勝0敗(1場所)
  • 序ノ口成績:5勝2敗(1場所)
  • 三役在位:4場所 (小結4場所)

三賞・金星[編集]

  • 敢闘賞:2回(2012年11月場所、2013年9月場所)
  • 金星:1個
    • 日馬富士1個(2013年9月場所)

各段優勝[編集]

  • 幕下優勝:2回(2011年1月場所、2011年5月技量審査場所)
  • 序二段優勝:1回(2006年7月場所)

場所別成績[編集]

                                      

松鳳山 裕也
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2006年
(平成18年)
x (前相撲) 西 序ノ口 #14
5–2
 
西 序二段 #90
優勝
7–0
西 三段目 #84
5–2
 
西 三段目 #52
6–1
 
2007年
(平成19年)
東 三段目 #2
4–3
 
東 幕下 #54
6–1
 
東 幕下 #26
6–1
 
東 幕下 #9
3–4
 
東 幕下 #14
3–4
 
西 幕下 #19
2–5
 
2008年
(平成20年)
西 幕下 #34
4–3
 
西 幕下 #25
4–3
 
西 幕下 #17
6–1
 
東 幕下 #5
1–6
 
東 幕下 #26
4–3
 
西 幕下 #16
3–4
 
2009年
(平成21年)
西 幕下 #24
6–1
 
東 幕下 #9
3–4
 
東 幕下 #13
3–4
 
東 幕下 #21
6–1
 
東 幕下 #7
4–3
 
西 幕下 #5
3–4
 
2010年
(平成22年)
西 幕下 #7
6–1
 
東 幕下 #1
4–3
 
東 十両 #12
9–6
 
東 十両 #8
6–9
 
東 十両 #11
出場停止
0–0–15
西 幕下 #11
出場停止
0–0–7
2011年
(平成23年)
西 幕下 #51
優勝
7–0
八百長問題
により中止
西 幕下 #4
優勝
7–0
東 十両 #3
7–8
 
東 十両 #5
11–4
 
東 前頭 #15
10–5
 
2012年
(平成24年)
東 前頭 #8
8–7
 
東 前頭 #6
7–8
 
東 前頭 #7
9–6
 
西 前頭 #3
8–7
 
東 前頭 #1
7–8
 
東 前頭 #2
10–5
2013年
(平成25年)
西 小結
4–11
 
西 前頭 #4
7–8
 
東 前頭 #5
8–7
 
東 小結
7–8
 
東 前頭 #1
8–7
東 小結
4–11
 
2014年
(平成26年)
東 前頭 #5
9–6
 
西 小結
5–10
 
東 前頭 #5
8–7
 
西 前頭 #1
4–11
 
東 前頭 #7
6–9
 
東 前頭 #10
7–8
 
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 2011年9月場所3日目配信の『どすこいFM』内で稲川(普天王)により命名された異名
  2. ^ a b c d e f g 『相撲』2012年1月号66ページ
  3. ^ 稲川から「アシュラマン」の異名を冠された背景に仏教学を修めていた(愛称の欄を参照)。
  4. ^ 野球賭博で出場停止から2年…松鳳山、恩返しの大関撃破 Sponichi Annex 2012年9月13日 06:00
  5. ^ 松鳳山に黄金まわし「目立ってナンボ」 nikkansports.com 2013年1月11日8時32分 紙面から
  6. ^ 松鳳山 三役ノルマクリアし元保育士の女性と結婚 Sponichi Annex 2013年4月18日 06:00
  7. ^ 因みに同じ日には、付き人を務めていた序二段(当時)の犀皇丸(せいおうまる)が同年8月23日に千葉県船橋市内の部屋の前で横転した車内で動けなくなった74歳の女性を救出したことで日本相撲協会から表彰された。
    松鳳山 男泣き初金星 横綱挑戦10度目 舞う座布団に「こらえ切れず」 Spinichi Annex 2013年9月17日 06:00
  8. ^ a b 松鳳山が挙式披露宴「三賞、自己最高位を目指す相撲を」 Sponichi Annex 2014年6月21日 05:30
  9. ^ 『大相撲ジャーナル』2014年2月号45ページ
  10. ^ a b 『大相撲ジャーナル』2014年4月号57頁から58頁
  11. ^ 朝日新聞 2014年5月31日1面 天声人語
  12. ^ 『相撲』2012年1月号82頁
  13. ^ 因みにその前の2012年11月場所2日目も対戦相手の把瑠都が負傷し翌日から休場に追い込まれた。
  14. ^ 『相撲』2013年12月号25頁
  15. ^ 魁聖が碧山に体脂肪で黒星「そうなの…」 日刊スポーツ 12月11日(水)23時32分配信
  16. ^ 【自転車やろうぜ!!】松鳳山 アルミバイクで軽快「ホント面白い」 Sponichi Annex 2014年11月7日 12:00

外部リンク[編集]