内村航平

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内村航平 Gymnastics (artistic) pictogram.svg
Uchimura Kōhei, Japanese artistic gymnast.jpg
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1989年1月3日(23歳)
生誕地 福岡県北九州市
故郷 長崎県諫早市
身長 161cm
体重 55kg
種目 男子体操競技
代表 2006-
所属 KONAMI
学歴 東洋高校日本体育大学

内村 航平(うちむら こうへい、1989年1月3日 - )は、日本体操競技選手

目次

[編集] 略歴

1989年昭和64年)1月3日福岡県北九州市に生まれる。誕生時には元号がまだ"昭和"だったが、誕生4日後に"平成"に改元したことにあやかり、「平成の時代を真直ぐ渡れるように」という願いを込めて、"航平"と命名された。

父・和久は日体大体操競技部出身で柳川高等学校時代に高校総体の種目別で優勝しており、母・周子も元体操選手、妹の春日(はるひ)も体操選手(日体大)という体操一家である。1992年(平成4年)に両親が『スポーツクラブ内村』を開設し、長崎県諫早市に移住したのを機に、3歳で体操を始めた。

両親の反対を押し切り、諫早市立諫早中学校卒業と同時に、塚原直也に憧れて上京し、朝日生命体操クラブに入門した[1]東洋高等学校を経て、日本体育大学体育学部体育学科に入学。大学では体操競技部に所属し、4年時には主将を務めた。

2007年(平成19年)ユニバーシアード団体優勝とともに種目別ゆかで優勝。2008年(平成20年)、初めてのオリンピック代表選考である二次予選では、二日間ともに冨田洋之を抑えてトップに立ち予選通過。最終予選のNHK杯体操選手権では優勝こそ冨田に譲ったが2位に入り、北京オリンピックの出場権を獲得した。

オリンピック本大会では、団体戦メンバーとして19歳で最年少ながら安定した堂々とした演技を披露、男子体操団体で日本の銀メダル獲得に貢献すると、その2日後の男子体操個人総合決勝では、苦手とするあん馬で2度の落下がありながらも他種目で23人を抜き、最終的には2位となって銀メダルを獲得した。尚、個人総合では北京五輪代表監督である具志堅幸司以来24年ぶりのメダル獲得であると同時に、日本体操界では10代での個人総合のメダル獲得は史上初であった。

2008年(平成20年)、全日本選手権で個人総合優勝を果たす。それまで男子体操を牽引していた冨田洋之が同年末をもって引退し、名実ともに日本の新たなエースとなった。2009年世界体操競技選手権(ロンドン)では、ついに個人総合優勝を達成[2]。20歳での獲得は日本勢史上最年少であった。2010年(平成22年)、世界選手権ロッテルダム)でも圧勝し、日本人初となる個人総合2連覇を達成した。また同年12月の全日本選手権種目別跳馬で、新技「伸身ユルチェンコ3回ひねり」を成功させている[3]

日体大卒業後の2011年(平成23年)4月、山室光史とともにコナミスポーツ&ライフに入社。社会人となってから初めての国際大会でもあった2011年世界体操競技選手権東京)では個人総合で国際大会自己ベストの93.631点をマークし、2位のP・ボイに3点以上の大差をつける圧勝で、体操史上初となる個人総合3連覇[4]を達成した。種目別には跳馬以外の5種目に出場。ゆかではG難度のリ・ジョンソンを成功させて金メダルを獲得。内村のひねりが速く、審判がこれを見落としていたため、日本チームの指摘により得点が訂正された。ゆかの種目別金メダルは1974年(ヴァルナ)笠松茂以来34年ぶりの快挙。鉄棒でも銅メダルを獲得した。

[編集] 特徴

得意種目は床運動

幼い頃から両親の営む『スポーツクラブ内村』でトランポリンに親しみ、既に小学校高学年の時には(トランポリン上で)ひねり技を身につける[5]など、高度な空中感覚に加え安定した着地感覚を身につけた[6]。日本代表となった後も、新たな技に取り組む際はトランポリンを使って技の感覚を覚え体の動きをチェックしている[5]。着地と空中姿勢には定評があり、2011年の世界選手権でロンジン・エレガンス賞を受賞。日本勢の受賞は2007年の冨田洋之、2010年の田中理恵に続いて3人目。

[編集] 逸話

極端な野菜嫌いであるが、好物はバナナとチョコレートで、特にひいきなのは有楽製菓の『ブラックサンダー』であることが話題となった。ただし、実父によれば中学までは偏食はなかったという[1]

その偏食っぷりは異常なほどのものでプリンとハンバーガーだけで1日を終える日もあるという。母は「子供が好むようなものばかり食べるんですよ」と苦笑・・・

性格はとても負けず嫌いで自分に厳しい。

[編集] 主な競技成績

  • 2007年全日本選手権 種目別ゆか優勝
  • 2008年、 全日本選手権 種目別ゆか2位、あん馬2位
  • 2008年-2011年 全日本選手権 個人総合優勝(四連覇中)
  • 2008年、NHK杯(五輪最終選考) 個人総合2位
  • 2008年、北京オリンピック 団体総合2位、個人総合2位、ゆか5位
  • 2009年、全日本選手権 団体総合2位、種目別平行棒優勝、つり輪2位、鉄棒2位
  • 2009年-2010年、全日本選手権 種目別ゆか優勝(二連覇中)
  • 2009年-2010年、NHK杯 個人総合優勝(二連覇中)
  • 2009年-2011年、世界選手権 個人総合優勝(三連覇中)
  • 2010年、全日本選手権 団体総合優勝、跳馬優勝、鉄棒優勝
  • 2010年、世界選手権 団体総合2位、ゆか2位、平行棒3位
  • 2011年、世界選手権 団体総合2位、ゆか1位、鉄棒3位

[編集] 受賞

  • 2008年9月7日:諫早市市民栄誉賞(第一号)受賞。
  • 2009年:日本スポーツ賞グランプリ、朝日スポーツ賞、テレビ朝日ビッグスポーツ賞、毎日スポーツ人賞感動賞受賞。
  • 2011年11月:長崎県民栄誉賞受賞。

[編集] 脚注

  1. ^ a bAERA』2008年9月1日号「父が育てたメダル息子」
  2. ^ 1970年の監物永三、1974年の笠松茂、2005年の冨田洋之に続き4人目。五輪金も含めると7人目。
  3. ^ 2010年12月6日 朝日新聞「内村が3冠達成 体操の全日本団体・種目別選手権」
    今後、国際大会で成功させれば「ウチムラ」として新技認定される可能性がある
  4. ^ 過去に二連覇は、ペテル・シュミ(1922年・26年)と楊威(2006年・07年)の二人。世界選手権はかつて4年おきの開催だったが、近年は五輪開催年を除き毎年開かれている。なお、楊威は北京五輪も含め三連勝している。
  5. ^ a b NHK総合 2008年8月4日放送「”栄光の架け橋”ふたたび ~密着 体操男子団体~」[1]
  6. ^ 2008年8月12日 読売新聞「五輪体操団体 強心臓19歳…内村「銀」着地 コンテナ体育館育ち」

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

先代:
2006年/2007年
楊威
世界体操競技選手権
男子個人総合優勝
2009年/2010年/2011年
(三連覇中)
次代:
-
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