内村航平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
内村航平 Gymnastics (artistic) pictogram.svg
Kohei Uchimura (2011).jpg
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1989年1月3日(25歳)
生誕地 福岡県北九州市
故郷 長崎県諫早市
身長 161cm
体重 55kg
種目 男子体操競技
代表 2006-
所属 KONAMI
学歴 東洋高校日本体育大学
 
獲得メダル
男子 体操競技
オリンピック
2012 ロンドン 個人総合
2008 北京 個人総合
2008 北京 団体総合
2012 ロンドン 団体総合
2012 ロンドン ゆか
世界選手権
2009 ロンドン 個人総合
2010 ロッテルダム 個人総合
2011 東京 個人総合
2011 東京 ゆか
2013 アントワープ 個人総合
2013 アントワープ 平行棒
2014 南寧 個人総合
2010 ロッテルダム 団体総合
2010 ロッテルダム ゆか
2011 東京 団体総合
2014 南寧 団体総合
2014 南寧 鉄棒
2010 ロッテルダム 平行棒
2011 東京 鉄棒
2013 アントワープ ゆか
2013 アントワープ 鉄棒
テンプレートを表示

内村 航平(うちむら こうへい、1989年1月3日 - )は、日本体操競技選手ロンドンオリンピック個人総合金メダリスト。

人物[編集]

1989年昭和64年)1月3日福岡県北九州市に生まれる。誕生時には元号がまだ"昭和"だったが、誕生4日後に"平成"に改元したことにあやかり、「平成の時代を真直ぐ渡れるように」という願いを込めて、"航平"と命名された[1]

父・和久は日本体育大学体操競技部出身で柳川高等学校時代に高校総体の種目別で優勝しており、母・周子も元体操選手、妹の春日(はるひ)も体操選手(日体大)という体操一家である。1992年(平成4年)に両親が『スポーツクラブ内村』を開設し、長崎県諫早市に移住したのを機に、3歳で体操を始めた。

両親の反対を押し切り、諫早市立諫早中学校卒業と同時に、塚原直也に憧れて上京し、朝日生命体操クラブに入門した[2]東洋高等学校を経て、日本体育大学体育学部体育学科に入学。大学では体操競技部に所属し、4年時には主将を務めた。高校生の時あん馬の種目で2点をたたき出したことがある。

日体大卒業後の2011年(平成23年)4月、山室光史とともにコナミスポーツ&ライフに入社。

2012年11月11日、一般女性と結婚した[3]

2013年4月19日、夫人が第1子となる女児を出産した。

特徴[編集]

得意種目はゆか

幼い頃から両親の営むスポーツクラブ内村でタンブリング・トランポリンに親しみ、既に小学校高学年の時には(トランポリン上で)ひねり技を身につける[4] など、高度な空中感覚に加え安定した着地感覚を身につけた[5]

日本代表となった後も、新たな技に取り組む際はトランポリンを使って技の感覚を覚え体の動きをチェックしている[4]。着地と空中姿勢には定評があり、2011年の世界選手権でロンジン・エレガンス賞を受賞。日本勢の受賞は2007年の冨田洋之・2010年の田中理恵に続いて3人目。

かつては極端な偏食家だった。野菜嫌いで、食事はほぼ米と肉のみ。好物はバナナとチョコレート。特にひいきだったのは有楽製菓の「ブラックサンダー」で、北京オリンピックには40個持ち込み、「勝負食」として競技前に食べていたほどであった[6]。また、喫煙者である。コナミスポーツ&ライフへの入社後、同社の指導により食生活の改善に取り組み始めた。野菜を食べるようになり、チョコレートも断っている。

好きな人物は織田信長坂本龍馬(同じ誕生日だからという理由)、好きな城は姫路城

経歴[編集]

2007年(平成19年)ユニバーシアードの団体と種目別ゆかで優勝。2008年(平成20年)、初めてのオリンピック代表選考である二次予選では、二日間ともに冨田洋之を抑えてトップに立ち予選通過。最終予選のNHK杯体操選手権では優勝こそ冨田に譲ったが2位に入り、北京オリンピックの出場権を獲得した。

オリンピック本大会では、団体戦メンバーとして19歳で最年少ながら安定した堂々とした演技を披露、男子体操団体で日本の銀メダル獲得に貢献すると、その2日後の男子体操個人総合決勝では、苦手とするあん馬で2度の落下がありながらも他種目で23人を抜き、最終的には2位となって銀メダルを獲得した。日本人選手の個人総合でのメダル獲得は北京五輪代表監督の具志堅幸司ロサンゼルスオリンピックにおいて金メダルを獲得して以来24年ぶりであると同時に、10代での獲得は史上初である。

2008年(平成20年)、全日本選手権で個人総合優勝を果たす。それまで男子体操を牽引していた冨田洋之が同年末をもって引退し、名実ともに日本の新たなエースとなった。2009年世界体操競技選手権(ロンドン)の個人総合決勝ではゆか、跳馬、吊り輪、鉄棒の4種目で1位の得点を記録し、トータル91.500で2位に2.251点の大差をつけて初優勝を達成[7]。20歳での獲得は日本勢史上最年少であった。2010年世界選手権ロッテルダム)でも全種目で15点以上のトータル92.331点で2位に2.283点差をつける圧勝で、日本人初の個人総合2連覇を達成した。また同年12月の全日本選手権種目別跳馬で、新技「伸身ユルチェンコ3回ひねり」を成功させている[8]

2011年世界体操競技選手権東京)は、社会人となってから初めての国際大会でもあったが、個人総合で全種目で3位以内の得点を記録し、国際大会自己ベストの93.641点をマーク。2位のP・ボイに3.101点の大差をつける圧勝で、世界選手権史上初の個人総合3連覇[9] を達成した。種目別には跳馬以外の5種目に出場。ゆかではG難度のリ・ジョンソンを成功させて金メダルを獲得。内村のひねりが速く、審判がこれを見落としていたため、日本チームの指摘により得点が訂正された。ゆかの種目別金メダルは1974年(ヴァルナ)笠松茂以来34年ぶりの快挙。鉄棒でも銅メダルを獲得した。今大会での個人総合3連覇によりロンドンオリンピック代表選手に内定した。

2012年ロンドンオリンピックは、各国のメディアから個人総合「金メダル確実」と評され臨んだが、予選で鞍馬と鉄棒で落下するミスをしてしまう。男子団体では5種目で安定した演技を見せるも、最終種目鞍馬のフィニッシュで倒立から着地に移行する際に態勢を崩したため倒立の得点が認められず、一時は4位になったが日本選手団の正式な抗議により得点が見直され2大会連続の銀メダルを獲得した。しかし、インタビューでは「4位でも、2位でも、僕は、あまり、変わらなかった、と思う」と話し、笑顔はなかった。過去に例を見ない不調に個人総合金メダルへの心配する声も上がったが、団体でミスをした鞍馬を15.066点で乗り切ると3種目目の跳馬で完璧な着地を見せ16.266点の高得点で首位に立ち、全6種目を全て15点台以上でまとめるなど安定した演技を取り戻して最終得点は2位に1.658点の大差をつける92.690点をマークして金メダル。2大会連続のメダル獲得は前述の具志堅幸司以来28年ぶり。これまで長崎県は九州で唯一個人、団体種目を通じて金メダリストが出ておらず、内村は長崎県出身者として初めての金メダリストとなった。[10]。種目別決勝のゆかでは、一人目の演技者として登場し、15.800点で銀メダルを獲得した。

2013年世界体操競技選手権アントワープ)の個人総合では、予選で91.924点を記録して2位に2.394点差をつけてトップ通過。決勝でもただ一人全種目で15点台かつ3位以内を記録する安定した演技でトータル91.990点をマークし、2位の加藤凌平に1.958点差をつけて個人総合4連覇を達成。種目別では平行棒で金メダル、ゆかと鉄棒で銅メダルを獲得した。

2014年世界体操競技選手権南寧)の団体総合決勝では5種目を終えた段階で日本がトップに立ち、その後日本が最終種目の鉄棒を先に終えて2位の中国の結果を待つという状況だったが、中国が鉄棒で高得点をマークして日本を逆転したため、自身初の世界選手権団体優勝はならなかった。個人総合ではただひとり全種目で15点以上の演技(ゆか、跳馬で1位)を見せて91.965点を記録し、2位のマックス・ウィットロックに1.492点差をつけて連勝記録を5に伸ばした。この個人総合での金メダル獲得で世界選手権での通算獲得金メダル数が7個目となり、監物永三中山彰規が持っていた日本人選手最多記録に並んだ[11]。また銀と銅をあわせたメダル獲得数でも15個目となり、監物永三と並んで日本人最多タイとなった[12]。この後、種目別鉄棒で銀メダルを獲得し、世界選手権の獲得メダル数は日本人歴代最多を更新する16個となった[13]

主な競技成績[編集]

国内大会[編集]

  • 2003年 全国中学:個人42位
  • 2003年 全国ジュニア2部出場
  • 2005年 高校選抜:個人15位
  • 2005年 インターハイ:個人14位
  • 2005年 全日本ジュニア:個人3位
  • 2005年 全日本選手権出場
  • 2006年 高校選抜:個人優勝
  • 2006年 インターハイ:個人2位
  • 2006年 全日本ジュニア 一部選手権、個人総合優勝
  • 2006年 全日本選手権:個人8位
  • 2007年 全日本学生:個人優勝

国際大会[編集]

大会名 団体 個人 ゆか つり輪 平行棒 鉄棒 跳馬 あん馬
2006年04月 環太平洋選手権 団体1位 ゆか1位 つり輪4位 平行棒2位
2006年12月 ボローニンカップ 団体1位 個人4位 ゆか3位 つり輪6位 平行棒7位 鉄棒3位
2007年05月 フランス国際 跳馬3位
2007年08月 ユニバーシアード 団体1位 ゆか1位 跳馬3位
2007年10月 全日本選手権(第61回) 個人7位 ゆか1/優勝
2007年11月 北京国際招待 団体2位 ゆか7位
2008年05月05-06日- NHK杯(第47回)
(北京五輪最終選考)
個人2/総合2位
2008年05月15-16日 天津国際 ゆか1位
2008年08月 /五輪2008/北京オリンピック 団体2/総合2位 個人2/総合2位 ゆか5位
2008年11月01日 全日本選手権(第62回) 個人1/総合優勝
全日本選手権/1/連覇開始)
ゆか2位 あん馬2位
2008年11月15-16日 豊田国際 ゆか2位
2008年12月 ワールドカップ決勝(第14回) ゆか2位
2009年03月 コトブス国際 ゆか1位
2009年04月 全日本選手権(第63回)個人 個人1/総合優勝
全日本選手権/2連覇)
2009年06月 NHK杯(第48回) 個人1/総合優勝
NHK杯/1/連覇開始)
2009年07月 体操JAPAN CUP 2009 団体1/優勝 個人1/優勝
2009年10月 世界選手権(2009) 個人1/総合優勝
世界選手権/1/連覇開始)
ゆか4位 鉄棒6位
2009年11月 全日本選手権(第63回)種目別 ゆか1/優勝
全日本選手権/1/連覇開始)
つり輪2位 平行棒1/優勝 鉄棒2位
2009年12月 豊田国際 ゆか1/優勝 鉄棒2位 あん馬7位
2010年04月 フランス国際 つり輪2位 鉄棒1/優勝
2010年05月 全日本選手権(第64回)個人 個人1/総合優勝
全日本選手権/3連覇)
2010年06月 NHK杯(第49回) 個人1/総合優勝
NHK杯/2連覇)
2010年07月 体操JAPAN CUP 2010 団体1/優勝 個人1/優勝
2010年10月 世界選手権(2010) 団体2/総合2位 個人1/総合優勝
世界選手権/2連覇)
ゆか2位 平行棒3位
2010年12月03-05日 全日本選手権(第64回)種目別 ゆか1/優勝
全日本選手権/2連覇)
平行棒7位 鉄棒1/優勝 跳馬1/優勝
2010年12月 豊田国際 ゆか1/優勝 鉄棒2位 跳馬6位
2011年04月 全日本選手権(第65回)個人 個人1/総合優勝
全日本選手権/4連覇)
2011年06月 NHK杯(第50回) 個人1/総合優勝
NHK杯/3連覇)
2011年07月 体操JAPAN CUP 2011 団体1/優勝 個人1/優勝
2011年10月 世界選手権(2011) 団体2/総合2位 個人1/総合優勝
世界選手権/3連覇)
ゆか1位 つり輪6位 平行棒4位 鉄棒3位 あん馬5位
2011年11月04-06日 全日本選手権(第65回)種目別 ゆか1/優勝
全日本選手権/3連覇)
鉄棒1位 あん馬1位
2011年11月27日 ワールドカップ東京 個人1位
2011年12月 豊田国際 ゆか1位 鉄棒1位
2012年04月 全日本選手権(第66回)個人 個人1/総合優勝
全日本選手権/5連覇)
2012年05月 NHK杯(第51回)
(ロンドン五輪最終選考)
個人1/総合優勝
NHK杯/4連覇)
2012年07月 /五輪2012/ロンドンオリンピック 団体2/総合2位 個人1/総合優勝 ゆか2位
2013年05月 全日本選手権(第67回)個人 個人1/総合優勝
全日本選手権/6連覇)
2013年06月 NHK杯(第52回) 個人1/総合優勝
NHK杯/5連覇)
2013年10月 世界選手権(2013) 個人1/総合優勝
世界選手権/4連覇)
ゆか3位 平行棒1位 鉄棒3位
2013年12月 豊田国際 ゆか2位 平行棒1位 鉄棒1位
2014年10月 世界選手権(2014) 団体2/総合2位 個人1/総合優勝
世界選手権/5連覇)
鉄棒2位

受賞[編集]

CM出演[編集]

エピソード[編集]

2013年3月、出身地の諫早市に完成した諫早市中央体育館は内村の偉業を称え、その愛称を「内村記念アリーナ」とした[14]。館内にはパネル展示コーナーが設置されている。

脚注[編集]

  1. ^ この為、内村は昭和生まれ最後のオリンピックメダリストでもある。
  2. ^ AERA』2008年9月1日号「父が育てたメダル息子」
  3. ^ 体操・内村が結婚 ロンドン五輪金メダリスト”. スポニチ (2012年11月26日). 2012年11月26日閲覧。
  4. ^ a b NHK総合 2008年8月4日放送「”栄光の架け橋”ふたたび ~密着 体操男子団体~」[1]
  5. ^ 2008年8月12日 読売新聞「五輪体操団体 強心臓19歳…内村「銀」着地 コンテナ体育館育ち」
  6. ^ NEWSポストセブン|体操・内村航平のブラックサンダー断ちに発売元「残念です」
  7. ^ 1970年の監物永三・1974年の笠松茂・2005年の冨田洋之に続き4人目。五輪金も含めると7人目。
  8. ^ 2010年12月6日 朝日新聞「内村が3冠達成 体操の全日本団体・種目別選手権」
    今後、国際大会で成功させれば「ウチムラ」として新技認定される可能性がある
  9. ^ 過去に二連覇は、ペテル・シュミ(1922年・26年)と楊威(2006年・07年)の二人。なお、楊威は北京五輪も含め三連勝している。
  10. ^ 内村の地元・長崎、うれしい悩み…県民栄誉賞以上の賞は?
  11. ^ 内村、世界体操V5 日本選手最多の金7個目”. 日本経済新聞 (2014年10月10日). 2014年10月10日閲覧。
  12. ^ 内村航平、大本命が実力通りの金。日本歴代最多に並ぶ15個目のメダル”. Number (2014年10月10日). 2014年10月10日閲覧。
  13. ^ 内村が銀メダル、最多16個目 世界体操、加藤は平行棒で銅”. 日本経済新聞 (2014年10月12日). 2014年10月15日閲覧。
  14. ^ 毎日jp. “諫早市中央体育館:落成祝う 愛称は「内村記念アリーナ」 /長崎”. 2013年3月19日閲覧。

外部リンク[編集]