阿川泰子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
阿川 泰子
基本情報
出生 1951年10月16日(62歳)
出身地 日本の旗 日本 神奈川県

阿川 泰子(あがわ やすこ、本名:佐藤 康子1951年10月16日 - )は、神奈川県鎌倉市出身のジャズシンガー、元女優。旧芸名:麻里 とも恵麻理 ともえ佐藤 康子。現在、オフィス・ダァグに所属。血液型A型。父親は鎌倉在住の洋画家。趣味・特技は絵画・イラスト・エッセイ。椙山女学園高等学校卒業。「シュガー・ボイス」、「ネクタイ族のアイドル」「オジサマ族のアイドル」などと称された[1]。身長158cm、46kg[1]

人物・来歴[編集]

鎌倉の洋画家の一人娘として生まれ、小学校3年から名古屋市中区で育つ[2]。最初、水泳選手を志願し、水泳の名門で名古屋有数のお嬢様学校でもある椙山女学園中学校に入学[1]。水泳は1年で辞め演劇部へ。杉村春子に憧れ椙山女学園高等学校卒業後上京、文学座演劇付属演技研究所第12期生(同期生に松田優作高橋洋子、一年上に桃井かおり)に合格、演劇を学ぶ。一年で退学し、後に東宝映画の「華麗なる一族」、「青春の門」やテレビドラマなどに端役として出演する。しかし「主役でもないのに脱がされる、端役のヌードがいや」と女優業を辞める[1]。銀座の「ファンファン」でジャズと出会い1973年、ジャズ・クラリネット奏者の鈴木章治を紹介され、ジャズ・ボーカリストに挑戦、翌年「鈴木章治とリズム・エース」の専属シンガーとなる。後にソロ・シンガーとなり、六本木や赤坂のライブ・スポットで脚光を浴びる。1978年に「ヤスコ/ラブバード」で歌手デビュー。ビクターのバックアップのもと、トミー・フラナガンローランド・ハナジョージ・ムラーツロン・カーターセルジオ・メンデスネイザン・イーストジョー・サンプルなどの様々な著名ミュージシャンとセッションを行う。1981年には、自らのバックバンド「フラミンゴ・ビッグ・バンド」を結成。スタンダード曲を現代的なアレンジで歌うコンセプトが受け、その声質から「シュガー・ボイス」と呼ばれ、曲のCM起用や自らも出演することで、ジャズ・ボーカルの分野でアイドル的な人気を獲得する。

1980年秋に出した四枚目のアルバム『JOURNEY』が、サラリーマンを中心に9万枚のセールスを記録[1]。それまでジャズといえばインストルメンタルしか売れたことがなく、ボーカルものはせいぜい1万5000枚程度。それまでの最高は笠井紀美子で5万枚といわれていため、9万枚という売上げは異例であった[1]。また当時はニューミュージック勢以外の邦楽アルバムはほとんど売れず、歌謡曲沢田研二ですら、アルバムの売り上げは5万枚もいかなかった[1]

1987年からテレビのトーク番組オシャレ30・30古舘伊知郎と司会を務め、ゲストとのトークの他に毎回1曲歌を披露したが、延べ360曲となった。文学座時代の同期の関係からか、当時テレビのトーク番組にはほとんど出なかった松田優作もこの番組に出演した。

当時は「都会の子っぽい気がする」なる理由で大洋ホエールズ(横浜ベイスターズ)ファンと話していた[3]が、今は熱狂的巨人ファンらしく雑誌に巨人観戦記のような記事が載る[4]

1970年代の後半では珍しい美女シンガーだったため、当時のロック誌(Music Life等)にもグラビアで扱われたりインタビューが掲載されることがあった。脚にスリットの入るようなセクシーなドレスを着用する時には、パンティの線が出るのでパンティを付けないなどと話し当時のロック少年を煽情した[5]

シングル[編集]

  • She - Senior Dreams(1981年)
  • L.A.ナイト (1986年 ロンドン・Beechwood Record)

アルバム[編集]

  • Yasuko "Love-Bird" (ヤスコ/ラブバード 1978年 ビクター
  • Flyin' Over (フライン・オーバー 1978年 ビクター)
  • SWEET MENU (スイート・メニュー 1980年 ビクター)
  • JOURNEY (ジャーニー 1980年 ビクター)
  • SUNGLOW (サングロウ 1981年 ビクター)
  • SOFT WINGS (ソフトウイングス 1982年 ビクター)ライブ盤
  • Fine! (ファイン 1982年 ビクター) 東京・L.A.録音
  • Night Line (ナイト・ライン 1983年 ビクター)
  • Gravy (グレイビー 1984年 ビクター)L.A.録音
  • ALL RIGHT WITH ME (オール・ライト・ウイズ・ミー 1985年 ビクター)
  • Lady September (レディ・セプテンバー 1985年 ビクター)
  • MELODIES (メロディーズ 1986年 ビクター)
  • MS. MYSTERY (ミズ・ミステリー 1987年 ビクター)L.A.録音
  • OURO do MANAUS (オウロ・ド・マナウス 1988年 ビクター)L.A.録音
  • WHEN THE WORLD TURNS BLUE (ホエン・ザ・ワールド・ターンズ・ブルー 1989年 ビクター)
  • 「DANCING LOVER'S NITE」MISS A (ダンシング・ラバーズ・ナイト・ ミス・エー1989年 ビクター)東京・L.A.録音、N.Y.mix
  • オシャレ30・30 (1989年 ビクター)
古舘伊知郎との競演曲 "Everybody Loves Somebody(誰かが誰かを愛してる)"を収録。
  • YOUR SONGS (ユアー・ソングス 1990年 ビクター)
  • COME IN CHRISTMAS (カム・イン・クリスマス 1990年 ビクター)L.A.録音
  • MY DUKE (マイ・デューク 1991年 ビクター)L.A.録音
  • Le Cinema (ル・シネマ 1992年 ビクター)東京・L.A.録音
  • IN AUTUMN (イン・オータム 1992年 ビクター)L.A.録音
  • AMIZADE (アミザージ 1993年 ビクター)L.A.録音
  • Beauty And The Beast (ビューティー・アンド・ザ・ビースト 1994年 ビクター)東京・L.A
  • オシャレ30・30 Vol.2(1994年 ビクター)
  • CLOSE TO YOU (クロス・トゥー・ユー 1996年 ビクター)
  • Echoes (エコーズ 1996年 ビクター)London録音
  • 「ソング・ブック」5枚組CD集 1996年 ビクター)
  • Tea For Two (ティー・フォー・トゥ1997年 ビクター)L.A.録音
  • L.A. NIGHT (L.A.・ナイト 限定スペシャルLP、2000年 ビクター)
  • Other World (アザー・ワールド 2001年 日本コロムビア
  • We've got mail (ウィ・ガット・メール 2003年 日本コロムビア)
  • Anklet (アンクレット 2004年 日本クラウン
  • Tiara (ティアラ 2004年 日本クラウン)
  • RE-MODE-CLUB JAZZ DIGS YASUKO AGAWA (REMIX-CD)、TATSUO SUNAGA DIGS BEST OF YASUKO AGAWA (BEST-ALBUM)、『復刻版』 紙ジャケットCD 名盤復活! ~3タイトル~(JOURNEY、SUNGLOW、OURO do MANAUS)(2007年 ビクター)5枚同時リリース

CM曲[編集]

「She - Senior Dreams」(1981年、「SUNGLOW」所収)
「Night Line」(1983年、「Night Line」所収)ほか多数
  • J-WAVE「トラフィック・インフォメーション」
「Greensleeves」、「Danny Boy」、「Home Sweet Home」(2004年 株式会社三田ハウジング)

出演[編集]

映画[編集]

ドラマ[編集]

バラエティ番組[編集]

ほか多数

CM[編集]

ライヴ・コンサート[編集]

  • 「MATURE NIGHT」= 大人のためのクラブイベント(2001年 毎月1回開催)
  • 「DISCO PARTY」= 70~80年代のディスコシーンを再現するクラブ・イベント(2002年 毎月1回開催)

著書[編集]

  • 『We've got mail~恋をするなら』(吉村浩二共著、早川書房出版)
  • 『ECHOES』(1996年、郡司大地撮影、ビクターブックス発行)※CD付き写真集

賞歴[編集]

脚注・出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g 週刊朝日1981年6月12号、136-138頁
  2. ^ 佐藤正弥編著 『データ・バンク にっぽん人』 現代書林、1982年、103頁。
  3. ^ オシャレ30・30での発言
  4. ^ 婦人公論中央公論新社、2008年3月22号
  5. ^ 美人ボーカリストというと現在では数えきれない程多いが、1970年代後半には日本に限らず外国にも多くはいなかった。こうした特集をした場合、必ず取り上げられたのがオリビア・ニュートン=ジョンスティーヴィー・ニックスフリートウッド・マック)、リンダ・ロンシュタットあたり(ABBAの二人は微妙、ヒップラインはきれいと言われていた)だったが、日本では非歌謡曲系、ロックテイストの美人ボーカリストというとアン・ルイスあたりしかいなかったためか、ジャズシンガーである阿川が取り上げられたものと思われる。

外部リンク[編集]