田丸美寿々
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たまる みすず
田丸 美寿々 |
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| プロフィール | |
| 出身地 | |
| 生年月日 | 1952年7月1日(57歳) |
| 最終学歴 | 東京外国語大学外国語学部英米語学科 |
| 職歴 | 元フジテレビアナウンサー |
| 活動期間 | 1975年~ |
| ジャンル | 報道・ワイドショー |
| 出演番組・活動 | |
| 現在 | 『報道特集NEXT』 |
| 過去 | 『FNNニュースレポート6:30』 『モーニングショー』など |
| その他 | 日本ニュース時事能力検定協会理事 |
田丸 美寿々(たまる みすず、1952年7月1日 - )はニュースキャスター、元フジテレビアナウンサー。
広島県高田郡吉田町(現安芸高田市)出身。埼玉県立川越女子高等学校、東京外国語大学外国語学部英米語学科卒業。血液型はA型。「女性報道キャスター」の先駆け、また頼近美津子らと共に「美人女子アナ」といわれる存在の先駆けでもあった。 日本ニュース時事能力検定協会理事。早稲田大学大学院政治学研究科非常勤講師。
目次 |
[編集] 来歴・人物
高校教師だった父親が、英語の勉強をしたいとアメリカに留学。その後、父親がサンフランシスコで新聞記者になったため、母親と共にアメリカに渡り、5歳から5年間カリフォルニア州に在住。後に父親がNHKに就職したため帰国し東京都小金井市、埼玉県草加市に住む。帰国子女のはしりでもあった。高校、大学と進学し、大学卒業後は三井物産への就職が内定するも、好奇心から親に内緒で受けた当時低迷期だったフジテレビに合格し、1975年同社に報道局解説放送室付リポーターとして入社(正社員以外のアナウンサーをリポーター(記者)と呼んだため、肩書き上はリポーターとしての入社である)する。同局アナウンス室室長の堺正幸やフリーアナウンサーの酒井ゆきえ、同局解説委員の和田圭は同期。2期後輩の城ヶ崎祐子(現フリー)も同じ東京外国語大学の同一学部・同一学科出身である。13期先輩の村上光一(フジテレビ元社長)も学科は違うが、同じ東京外国語大学の同一学部出身である。
「重要なニュースは男が読まなければ信頼されない」と思われていた時代、女性アナウンサーの出番は、天気予報やお知らせ、街の話題、番組司会者のアシスタントなどだった。入社時、「報道をやりたい」と当時の鹿内信隆会長に直訴したが、半年後まで干された。同期の酒井は『ママとあそぼう!ピンポンパン』の担当となった。田丸にようやく決まったのが『FNNニュース』の天気予報だった。翌1976年ロッキード事件が発生、天気予報に自民党の内部抗争の話題を引き合いに出したところ、政府筋から猛抗議を受けた。
1970年代後半、それまでの娯楽番組主体から、衛星中継など放送技術の進歩に伴いニュース番組の構成が変わり始めた。田丸は天気予報を3年半務めた後、『FNNニュース』が『FNNニュースレポート6:30』と衣代えした1979年4月、7期先輩の逸見政孝と共にメインキャスターに抜擢された。ほぼ同時期にNHK『7時のニュース』で女性キャスターが初めて抜擢されたが、田丸はフジテレビ女性キャスターの第1号であった。またこの番組では、キャスターが現場に出向いてリポートする新しい手法がとられたが、田丸も笹川良一、武見太郎などの大物とされる人物に直撃インタビューを行った。フジテレビの機構改革によりようやくアナウンサー(正社員)として活動できるようになった。(ただし、アナウンサーとして籍を置いていたのはわずか2年間だった)
1982年に『小川宏ショー』の後継番組『おはよう!ナイスデイ』の女性メインキャスターとなり、話題になる。しかし、この番組が開始して間もない頃に既婚者で妻子もいたフリージャーナリストの美里泰伸と不倫した故の結婚、いわゆる“略奪婚”であったことが発覚し、視聴者の反発を買った。これに対して田丸は「(前妻から美里泰伸氏を)奪ったのではなく、譲ってもらった」と発言し、FOCUSなどの週刊誌からもバッシングされた。女子アナ史上初のスキャンダルを起こした田丸は“不倫女子アナ”の草分けでもあった[1]。そして、当時のフジテレビ関係者とも確執をおこし対立してしまう。退社会見では当時上司で編成局長だった日枝久(現フジテレビ会長)も同席し、当時『ナイスデイ』プロデューサーだった宇留田俊夫がスキャンダルの火種を作ったことにより自身が追い込まれていったことも公表した。彼女は1983年3月末日に退社すると発表したが、2月7日付で全ての担当番組を降板した。そして約40日間の長期有給休暇をとった後、10日間で各部署に挨拶回りをして、予定通り3月末で退社した。
美里と結婚して独立後は美里美寿々(みさと みすず)と改名してフリーアナウンサーとして活動する。1985年にプリンストン大学大学院に研究員として留学し、国際関係論を学び、1986年に修了し帰国。その後はフリーキャスターとなる。はじめはテレビ朝日と専属契約を結び、『モーニングショー』『ANNナイトライン』『朝まで生テレビ!』『ザ・ニュースキャスター』などを担当する。後に離婚し、名前を田丸美寿々へと戻す。
1995年にはテレビ朝日との専属契約を解消し、新たにTBSとの間に専属契約を結ぶ。現在は、土曜日夕方に放送されている『報道特集NEXT』の総合司会や、各種選挙報道番組の司会を務める。その傍らで多くの著作と翻訳書籍がある。1998年の自由民主党総裁選挙で勝利した小渕恵三が「日本国万歳、自民党万歳。」と定型文例の口上を述べ万歳した際に「どうして自分の言葉で素直に表現できないのでしょうか。」と苦言を呈し話題になった。思想はかつて著書に「朝鮮戦争はアメリカの侵略。」と書くなど左翼的であった時期がある。
フジテレビ在籍時代から現在に至るまで喫煙者であることを公表している。
フジテレビの女性アナウンサーでは2期後輩の益田由美が彼女と2年間同僚時代をおくった他、男性アナウンサーでは4期先輩の須田哲夫、同期の堺正幸、1期後輩の福井謙二(同じ広島県の出身)、6期後輩の向坂樹興が彼女と同僚時代をすごしている。
[編集] 出演番組
- 報道番組など
- FNNニュースレポート6:30(フジテレビ、1978.10~1982.3)
- おはよう!ナイスデイ(フジテレビ、1982.04~1983.02.07)
- モーニングショー(テレビ朝日、1986.10~1987.10.2)
- ナイトライン(テレビ朝日、1987.10~1991.3)
- ANNニュース&スポーツ(テレビ朝日、1989.10~1990.09)
- ニュースステーション(テレビ朝日、レポーターとして)
- 朝まで生テレビ!(テレビ朝日、1987.4~1994.9)
- ザ・スクープ(テレビ朝日、1990.10~1993.3)
- ザ・ニュースキャスター(テレビ朝日、1993.4~1994.9)
- JNN報道特集(TBS、1994.10~2008.3)
- 報道特集NEXT(TBS、2008.04~)
- みのもんたのサタデーずばッと(TBS) - コメンテーター(不定期)
- その他
- ドリーム・プレス社(TBS) - ゲスト
- ここがヘンだよ日本人(TBS) - ゲスト
- 水曜プレミア 島田紳助の国民的潜在能力検定 PQテスト(TBS) - パネラー
- みのもんたvs国会議員ずばッとコロシアム春(TBS) - ゲスト
[編集] 主な著書と関連書籍
- 「薔薇は荒野に咲け」東京白川書院、1981年
- 「面白おしゃべり術」青春出版社、1982年1月
- 「男の空模様」1993年12月
- 「可愛い女はちょっと生意気」PHP研究所、1994年10月
- 「自分らしさが愛される」大和出版、1996年9月
- 「20代のあなただからできること」大和出版、1999年8月
- 「本当にやりたいことのために、今しておくこと」PHP研究所、2004年12月
- 「働く女性の会話のおしゃれ」三笠書房、2002年2月
- 「働く女性のちょっと気のきいたものの言い方」三笠書房、2003年5月
- 「シリーズ こんな生き方がしたい ニュースキャスター田丸美寿々」板倉久子、理論社、2001年7月
[編集] 脚注
[編集] 関連人物
[編集] 外部リンク
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