高橋惠子

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たかはし けいこ
高橋 惠子
本名 同じ
別名 関根 恵子(旧姓・旧芸名)
生年月日 1955年1月22日(59歳)
出生地 日本の旗日本北海道川上郡標茶町
血液型 AB
職業 女優
ジャンル 映画、テレビドラマ、舞台
活動期間 1970年 - 現在
配偶者 高橋伴明(1982年 - )
家族 長女:秋山佑奈
事務所 ブロウアップ
公式サイト 高橋惠子 公式ホームページ
主な作品
映画
高校生ブルース』(1970年)

高橋 惠子(たかはし けいこ、1955年1月22日 - )は、日本の女優血液型AB型 身長162cm。本名:同じ、旧芸名・旧姓:関根 恵子(せきね けいこ)。北海道川上郡標茶町磯分内出身。(小学6年生からは、東京都府中市で育つ)

来歴・人物[編集]

家族は夫(映画監督高橋伴明)との間に一男一女。長女はタレントの秋山佑奈。結婚時に芸名も現姓に改名している。現在は東京都国立市在住。

両親はいとこ婚だった[1]。父は標茶町で小規模な牧場を営んでいたが、子牛の死産と同時に母牛も死んでしまい、牧場経営を絶たれ、借金だけが残った。そのため小学校2年生の時に、父は帯広市で保険外交員に転職し、母は住み込みによる宿泊業の仕事を得て恵子と釧路市へ移った。その後は5年生で父の転勤により斜里町へ移るも、もともと歌手を目指していた父の『娘を東京で育てたい!(文化的な意味合いで)』との希望により、6年生の途中で一家揃って東京都府中市へ落ち着く事となる[2]。中学校時代から持ち前の大人びた容貌で芸能スカウトの目に留まり、2年生の時に大映のスチールカメラマンにスカウトされ[2]、若かりし頃より浅草などの興行に慣れ親しんだ父の大賛成もあり、中学を卒業するまでの1年間、大映の研修所へ通い演技のレッスンを積み[3]。同時に第1回ミスセブンティーンを目指し、コンテストに歌の審査があったことから、音楽教室に通った。そこで、後に石川さゆりの名前でデビューする小学校6年の天才少女と出会った。1970年春の中学卒業と同時に大映へ入社、高校には進学しなかった[4]

デビュー作品は当初『おさな妻』で決定していたが[5]、『高校生ブルース』の主演予定だった女優が怪我をしたことから、代役に抜擢されて、旧姓(当時の本名)関根恵子の芸名で、1970年8月封切の『高校生ブルース』で主演デビューを果たす[6][7]。妊娠する女子高校生という当時としては衝撃的な役を演じ、ヌードだけではなく、白いパンティに透けたアンダーヘアや、透け透けのネグリジェ姿を披露するなど、15歳とは思えない大胆な演技で、話題を集める。さらに同年『おさな妻』でゴールデンアロー賞新人賞受賞[8]。マスコミによる記事で、奔放な不良少女のイメージが作られた[9]。自分とは違うイメージが一人歩きしたことから、女優引退を決意するが[10]、引退作のつもりで臨んだ増村保造監督の『遊び』で増村の情熱に感動し、辞意を撤回した[11]

1971年11月末に大映が倒産したことにより五社協定が自然消滅し、東宝へ移籍した[12]。翌1972年新・だいこんの花にレギュラー出演し、竹脇無我の妻役を務めた(インタビューでは川崎敬三の妻役と答えているが本人の勘違い)[13]。同年7月から東宝と日本テレビが共同制作していたテレビドラマ太陽にほえろ!』に2年間[14]。 レギュラー出演した[15]

1973年熊井啓監督の映画『朝やけの詩』に主演[16]。映画の冒頭、湖を全裸で泳ぐシーンが話題となった[8]野尻湖で撮影された、このシーンでは[16]前貼りをせずに撮影に臨んだが、あまりに湖水が鮮明過ぎてヘアーが見えてしまい、環境庁からもクレームがあったことから、ロケ地を変更して撮り直しになった[17]

1974年3月、『太陽にほえろ』で共演した松田優作の劇団「F企画」の旗揚げ公演「みやもと武蔵」で舞台デビューを果たした[18]

1977年、年明け直後からストレスがピークとなり、自己否定するようになった[19]。同年春、睡眠薬を大量に服薬し、自殺未遂を起こした。その後、女優業を休業して、岐阜県の山村で晴耕雨読の日々を送った[20]

1979年の初夏に事務所に女優復帰を申し出て、7月21日初日の渋谷PARCO西武劇場公演『ドラキュラ』の舞台公演でのルーシー役が決まったが、演技に対して恐怖を感じて、7月20日、タイバンコクに逃亡した[21]。同年11月初旬に日本に帰国し謝罪会見を開いた。一時芸能界引退を決意するが、翌1980年1月に芸能界復帰会見を開き活動を再開した[22]。民放のサスペンスドラマの愛人役で復帰[23]

にっかつロマンポルノ10周年記念の大作『ラブレター』の主役へのオファーをもらった[24]。同作品は、ロマンポルノ史上最高の興行収入を記録した。『ラブレター』公開後、所属事務所との契約が切れる時期に、かつて太陽にほえろで共演した萩原健一からの誘いを受けて、比較的小規模の事務所に移ることとなった[25]

1982年操上和美撮影のヌード写真集が発売された[26]。同年三菱銀行人質事件を題材とした映画『TATTOO<刺青>あり』で映画監督の高橋伴明と知り合い結婚[8][27]、同時に芸名も高橋姓に改名。以後は大人の落ち着きある女性の役柄を数多くこなしている。

2012年11月、『カミハテ商店』で、1989年の『花物語』以来23年ぶりに映画主演をしている[28]

出演作品[編集]

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

舞台[編集]

ミュージックビデオ[編集]

ラジオ[編集]

バラエティ[編集]

CM[編集]

音楽[編集]

  • 愛の出発/はじめての愛(1970年、大映レコード)大映映画「おさな妻」主題歌/挿入歌
  • 愛の日記(1971年、大映レコード)大映映画「樹氷悲歌」挿入歌

写真集[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 木村隆『この母ありて』 青蛙房 2010年 152頁
  2. ^ a b 高橋惠子 (2012年11月19日). “見知らぬ男性が「娘さんを女優に」”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  3. ^ 近代映画 近代映画社 1970年11月号 113頁
  4. ^ 高橋惠子 (2012年11月23日). “あの天才少女は「石川さゆり」”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  5. ^ 高橋惠子 (2012年11月26日). “デビュー作は「おさな妻」”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  6. ^ 高橋惠子 (2012年11月28日). “代役で「高校生ブルース」主演”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  7. ^ アサヒ芸能 2012年5月24日特大号
  8. ^ a b c 週刊現代 2012年5月5・12日号 「関根惠子とその時代」
  9. ^ 高橋惠子 (2012年11月30日). “「奔放な不良少女・関根恵子」”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  10. ^ 高橋惠子 (2012年12月3日). “「奔放な女優・関根恵子」がひとり歩き”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  11. ^ 高橋惠子 (2012年12月5日). ““巨匠”と出会い引退を翻意”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  12. ^ 高橋惠子 (2012年12月7日). “引退撤回、そして大映が倒産”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  13. ^ 高橋惠子 (2012年12月10日). “新しい“就職先”は東宝テレビ部”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  14. ^ 高橋惠子 (2012年12月17日). “ワンクール限定出演だった裕次郎さん”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  15. ^ 高橋惠子 (2012年12月12日). “新しい“就職先”は東宝テレビ部”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  16. ^ a b 高橋惠子 (2013年1月5日). “苦肉の策は「サービスショット」”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  17. ^ 高橋惠子 (2013年1月7日). “「前貼りなし」のこだわりが大騒動に”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  18. ^ 高橋惠子 (2012年12月30日). “結婚後も続いた優作さんとの交遊”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  19. ^ 高橋惠子 (2013年1月11日). “私人・関根恵子までもが“魔性の女””. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  20. ^ 高橋惠子 (2013年1月14日). “無期限の休養申し入れ山村へ””. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  21. ^ 高橋惠子 (2013年1月14日). “二度と女優復帰はできないと思いながらタイへ”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  22. ^ 高橋惠子 (2013年1月18日). “「もう死のうと思わなくて済む」”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  23. ^ 高橋惠子 (2013年1月21日). “復帰作は2時間ドラマの愛人役 1/2”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  24. ^ 高橋惠子 (2013年1月21日). “復帰作は2時間ドラマの愛人役 2/2”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  25. ^ 高橋惠子 (2013年1月23日). “私が大手事務所を敬遠した理由 1/2”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  26. ^ 高橋惠子 (2013年1月23日). “私が大手事務所を敬遠した理由 1/2”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  27. ^ 高橋惠子 (2013年2月1日). “夫も「1か月で離婚」に賭けていた”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。
  28. ^ 高橋惠子 (2013年2月6日). “「カミハテ商店」は私がやるべき作品”. 東京スポーツ. 2013年2月16日閲覧。

外部リンク[編集]