谷隼人

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たに はやと
谷 隼人
本名 岩谷 肇
別名 岩谷 隆広
生年月日 1946年9月9日(65歳)
出生地 日本の旗 日本鹿児島県
国籍 日本の旗 日本
民族 日本人
身長 179cm
血液型 A型
ジャンル 俳優タレント
活動期間 1961年 -
配偶者 松岡きっこ
主な作品
映画
『非行少女ヨーコ』『網走番外地』シリーズ
不良番長』シリーズ『夜の歌謡』シリーズ
『非情学園ワル』

テレビドラマ
少年ケニヤ』『キイハンター
アイフル大作戦』『バーディー大作戦
寺内貫太郎一家2』『明日の刑事
熱中時代』『熱中時代・刑事編
光戦隊マスクマン

バラエティ番組
痛快なりゆき番組 風雲!たけし城

谷 隼人(たに はやと、1946年昭和21年〉9月9日 - )は、鹿児島県隼人町(現・霧島市)生まれで長崎県佐世保市東京都中野区育ちの俳優タレント。本名、岩谷 肇(いわたに はじめ)。1980年(昭和55年)頃に一時期岩谷 隆広(いわたに たかひろ)と名乗っていた時期もあった。身長179cm体重82kg血液型A型[1]

目次

[編集] 来歴・人物

経済的な事由に加え、元軍人である父の「姉3人に妹1人という女所帯で育つと女々しくなる」という意向から母の実家がある佐世保で母と姉3人、肇は父と妹、それぞれ別居生活を送ることとなる、小学校5年生の時に、防衛庁(現・防衛省)勤務の父親の転勤に伴い母と妹の4人で佐世保から東京へ転居、中学校は中野八中へと進み、2年次に新設の北中野中学へ編入[2]

1961年昭和36年)、中学校3年生の夏休み、TVドラマ『少年ケニヤ』に本名の「岩谷肇」名義で出演。1963年(昭和38年)春、かねてより憧れていた石原裕次郎が所属する日活のニューフェイス試験に合格[3]したことを機に高校[4]を2年で中退し同社の映画に出演する。その後、代々木のスナック[5]で働いているところをスカウトされ東映に入社。谷隼人の芸名で1966年(昭和41年)『非行少女ヨーコ』で緑魔子の相手役として気の弱い予備校生役で準主演デビュー。その風貌から和製アラン・ドロンと謳われ、デザイナー・テッド・ラピドスの日本に於けるイメージ・キャラクターに選ばれた。また東映アクションスターの一人となり、網走番外地シリーズ、不良番長シリーズ、夜の歌謡シリーズなどで活躍。主演作『非情学園ワル』1973年(昭和48年)では27歳にして高校生役を演じ、翌1974年(昭和49年)にかけてシリーズ化された。

1968年(昭和43年)スタートのTBSテレビドラマキイハンター』に国際警察秘密捜査チームのメンバー、島竜彦役でレギュラー出演して、愛嬌あるキャラクターでお茶の間の人気スターとなる。引き続き、後番組の『アイフル大作戦1973年(昭和48年)~1974年(昭和49年)、『バーディー大作戦』1974年(昭和49年)~1975年(昭和50年)には準主演格で出演。通算7年間、丹波哲郎と共にTBS土曜9時のアクションドラマの顔として活躍した。

『バーディー大作戦』の後番組『Gメン'75』への出演を打診されたが、『寺内貫太郎一家2』の出演によってホームドラマへの関心が沸き始めアクション俳優からの脱皮を図り辞退する。このことが俳優からタレントへとポジションの変化に繋がる転機となった。以降は各種のドラマに加えてバラエティー番組への出演も増えていき、1986年(昭和61年)から1989年平成元年)にかけてTBS系バラエティ番組『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』にレギュラー出演し、攻撃軍の谷隊長役で一躍若年層にまで知られるようになる。これによりタレントのイメージが定着した。

高校生の時に知り合い、その後『キイハンター』『アイフル大作戦』『バーディー大作戦』で共演した松岡きっこ1981年(昭和56年)に再婚。以後芸能界のおしどり夫婦としても数々のテレビ番組に出演した。最近では夫婦でテレビ東京の旅番組・グルメ番組などに出演することが多い。

[編集] 出演作品

[編集] テレビドラマ

[編集] バラエティ

[編集] 映画

  • 『学園広場』 1963年昭和38年) 日活
  • 『月曜日のユカ』 1964年(昭和39年) 日活
  • 『抜き射ちの竜 拳銃の唄』 1964年(昭和39年) 日活
  • 『猟人日記』 1964年(昭和39年) 日活
  • 『黒い太陽』 1964年(昭和39年) 日活
  • 『非行少女ヨーコ』 1966年(昭和41年) 東映東京
  • 『網走番外地 荒野の対決』 1966年(昭和41年) 東映東京
  • 『夜の青春シリーズ 赤い夜光虫』 1966年(昭和41年) 東映東京
  • 『網走番外地 南国の対決』 1966年(昭和41年) 東映東京
  • 『北海の暴れ竜』 1966年(昭和41年) 東映東京
  • 『ボスは俺の拳銃で』 1966年(昭和41年) 東映東京
  • 『残侠あばれ肌』 1967年(昭和42年) 東映東京
  • 『決着(おとしまえ)』 1967年(昭和42年) 東映東京
  • 『続・組織暴力』 1967年(昭和42年) 東映東京
  • 『網走番外地 悪への挑戦』 1967年(昭和42年) 東映東京
  • 『網走番外地 吹雪の斗争』 1967年(昭和42年) 東映東京
  • 『続・決着(おとしまえ)』 1968年(昭和43年) 東映東京
  • 『あゝ海軍』 1968年(昭和43年) 東映東京
  • 『マル秘トルコ風呂』 1968年(昭和43年) 東映東京
  • 不良番長』 1968年(昭和43年) 東映東京
  • 『不良番長 猪の鹿お蝶』 1969年(昭和44年) 東映東京
  • 『夜の歌謡シリーズ 長崎ブルース』 1969年(昭和44年) 東映東京
  • 『不良番長 練鑑ブルース』 1969年(昭和44年) 東映東京
  • 『夜の歌謡シリーズ 港町ブルース』 1969年(昭和44年) 東映東京
  • 『不良番長 送り狼』 1969年(昭和44年) 東映東京)
  • 『夜の歌謡シリーズ 悪党ブルース』 1969年(昭和44年) 東映東京
  • 『不良番長 どぶ鼠作戦』 1969年(昭和44年) 東映東京
  • 『新網走番外地 さいはての流れ者』 1969年(昭和44年) 東映東京
  • 『不良番長 王手飛車』 1970年(昭和45年) 東映東京
  • 『不良番長 一獲千金』 1970年(昭和45年) 東映東京
  • 『日本ダービー 勝負』 1970年(昭和45年) 東映東京
  • 『不良番長 出たとこ勝負』 1970年(昭和45年) 東映東京
  • 『ずべ公番長 夢は夜ひらく』 1970年(昭和45年) 東映東京
  • 『経験』 1970年(昭和45年) 東映東京
  • 『不良番長 暴走バギー団』 1970年(昭和45年) 東映東京
  • 『新網走番外地 吹雪のはぐれ狼』 1970年(昭和45年) 東映東京
  • 『ずべ公番長 はまぐれ数え唄』 1971年(昭和46年) 東映東京
  • 『新網走番外地 嵐呼ぶ知床岬』 1971年(昭和46年) 東映東京
  • 『新網走番外地 吹雪の大脱走』 1971年(昭和46年) 東映東京
  • 『不良街』 1972年(昭和47年) 東映東京
  • 『非情学園ワル』 1973年(昭和48年) 東映東京
  • 『非情学園ワル 教師狩り』 1973年(昭和48年) 東映東京
  • 『夜の歌謡シリーズ なみだ恋』 1973年(昭和48年) 東映東京
  • 『聖獣学園』 1974年(昭和49年) 東映東京
  • 『非情学園ワル ネリカン同期生』 1974年(昭和49年) 東映東京
  • 『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』 1975年(昭和50年) 松竹
  • 『ラグビー野郎』 1976年(昭和51年) 東映京都
  • 『男組 少年刑務所』 1976年(昭和51年) 東映東京
  • 『狭山裁判』 1976年(昭和51年) 東映東京
  • 『ピーマン80』 1979年(昭和54年) 東宝
  • 『結婚案内ミステリー』 1985年(昭和60年) 角川映画
  • 『劇場版 光戦隊マスクマン』 1987年(昭和62年) 東映

[編集] レコード

キングレコードより発売

  • 薔薇と皮ジャン / 傷だらけのマシン 1969年(昭和44年) BS-1074
  • 夜明けの口笛 / 俺の明日はどこにある 1970年(昭和45年) BS-1199
  • 男の流れ歌 / 望郷ブルース 1971年(昭和46年) BS-1303

[編集] その他

[編集] エピソード

  • ある日の撮影で崖から海面に飛び込むシーンがあり『もし岩が突き出ていたら御陀仏だ!』と誰もが恐怖に慄いていた時、谷は真っ先に『僕にやらせて下さい!』と勇んで飛び込んだ。海から上がって来るとその場にいた役者たちからは『何て恐ろしくも卑しい奴だ!そうまでして自分だけ良く見られたいのか!』と激しく罵られ、善意で行ったことに対してそのような物の見方しか出来ない理不尽な人々に嫌気が差し日活と決別。
  • 1971年昭和46年)夏に小学生の時分より想い描いていたスイスの教会にて、ファッション・モデルの岡美智子(1969年(昭和44年)にレストランにて岡のマネージャーより紹介される)と大恋愛の末に結婚するも『バーディー大作戦』収録中の1974年(昭和49年)に離婚する。原因は谷の母が岡を嫁として好まなかったことと言われている。
  • 高倉健と共演が決まったとき、セリフの少なさに不満を漏らしてしまったことがスタッフに伝わり、降板した苦い経験がある。なお、その役は高倉が谷のために考案した役だったため、谷はすぐに謝罪しむしろ高倉との絆が深まったという。
  • 2005年平成17年)に「ズバリ言うわよ!」の「運命のカルテ」に出演したときに、谷の人柄に細木数子が番組史上最高の絶賛をした(これが功を奏したのか、秋のスペシャルにも出演している)。また、秋の「オールスター感謝祭」で赤坂ミニ駅伝で3位に終わった際に、同じチームの石田純一とデリマ選手(アテネ五輪・銅メダリスト)に自分が足を引っ張ってしまったことを何度も謝罪するなど律儀で非常に責任感の強い一面を見せた。
  • 妻にパンツを履かせてもらっているほどの亭主関白である。
  • 「谷隼人」の芸名の由来は谷が本名の岩谷から、隼人は出身地の鹿児島県隼人町(現・霧島市)=薩摩隼人にちなんでの意味である。

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

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  1. ^ 谷隼人 - プロフィール” (日本語). YAHOO! JAPAN 人物名鑑. 日本タレント名鑑. 2010年11月23日閲覧。
  2. ^ 以上は、近代映画 近代映画社 1969年7月号 102~103頁。
  3. ^ 同期には山本陽子
  4. ^ 聖パウロ学園高等学校。1972年に八王子市へ移転、跡地はTBSの新社屋となっており、以前は同校の記念碑があった。
  5. ^ 現代の店舗形態とは大いに異なる。
  6. ^ これをきっかけにたけし軍団にも谷体調と言う芸人がいた。

[編集] 外部サイト

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