吉川晃司

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吉川 晃司
基本情報
出生名 吉川 晃司
出生 1965年8月18日(46歳)
血液型 B型
学歴 修道高等学校中退
出身地 日本の旗 日本, 広島県安芸郡府中町
ジャンル J-POPロック
職業 シンガーソングライター
担当楽器 ボーカルギター
活動期間 1984年 -
レーベル SMSレコード
1984年 - 1988年
東芝EMI
1989年 - 1996年
ポリドール
1997年 - 1999年
kitty mme
2000年
徳間ジャパンコミュニケーションズ
2002年 - 2008年
ユニバーサルミュージック
2009年 - )
事務所 アクセルミュージックエンターテイメント
共同作業者 菅原弘明
松井五郎
公式サイト K2 NET CAST : KOJI KIKKAWA OFFICIAL WEBSITE

吉川 晃司(きっかわ こうじ、1965年8月18日 - )は、日本ミュージシャン俳優。本名同じ。

広島県安芸郡府中町出身。自身設立の所属事務所、株式会社アクセルミュージックエンターテイメント代表取締役社長。身長182cm。既婚。

1984年、シングル『モニカ』で歌手デビュー。『LA VIE EN ROSE』、『KISSに撃たれて眠りたい』、『VENUS 〜迷い子の未来〜』や布袋寅泰とのユニット、COMPLEXでの『BE MY BABY』などのヒット曲で知られる。デビュー当時は映画に多数出演し、一時俳優業からは遠ざかっていたが、2000年の『漂流街』出演以降、しばしば取り組むようになった。

目次

[編集] 略歴

  • 父親は若い頃、京都太秦で大部屋俳優をしていた。実家の料亭太平洋戦争前は広島市中島本町にあったが、原子爆弾投下で崩壊した為移転した[1]。)を継ぐため俳優を諦め板前になったという経緯を持つ。吉川が幼い頃、店が火事になり廃業し、その後喫茶店の経営やタクシー運転手・管理職などをした。
  • 吉川家は武家の名流・吉川氏毛利氏一門、周防岩国藩主・吉川元春)の末裔であり、吉川国経毛利元就の子孫にも当たる[要出典]
  • 府中町立府中小学校出身(宇梶剛士も2年まで在学で先輩、竹原慎二は後輩になる[2])。修道高等学校中退。
  • 広島の男子進学校である修道中学校時代から水球の選手として活躍し、修道高校時代には世界ジュニア水球選手権大会の日本代表。また2年連続全日本高校最優秀選手に選ばれたほどの逸材で、最年少日本代表としてイタリアエジプト遠征にも参加した。なお、広島屈指の進学校である修道中学校を受験した理由は、「制服の袖の部分に2本の白線があり、それがカッコよかったから」。合格したものの授業についていけず、いきなり落ちこぼれたとメディアでも語っている。しかも、いざ入学するとその2本の白線で、修道中学校生だと判ってしまい、悪いことが出来なかった為、嫌いになってしまったそうである(入学後は、その白線を物と擦って消していたそうである)。
  • バンド活動(EIGHT CITYS FISH BAND/通称:はまちバンド)も平行して行っていたが、佐野元春のコンサートを見て、カルチャーショックを受け音楽一本に絞る。「音楽の世界でビッグスターになる」とその後のサクセスストーリーを考えた吉川は、「まずはスカウトされること」と考えたが、田舎でスカウトされる筈も無く、シビれを切らして渡辺プロダクションに「広島にスゴい奴がいる、見に来ないと一生悔いを残す」などと自ら手紙を書き送りつけた[3][4]。なお、なぜナベプロかといえば「沢田研二アン・ルイス、などが当時所属していたのがナベプロで、ここがいいな」と言い(吉川本人の回想)、他のプロダクションは知らなかった。
  • 渡辺プロの関係者が、高松松本明子を見に行った帰りに、本当に会いに来てくれて、その後の数度のオーディションを経てナベプロ入り[5]。実際は高校を卒業してからという話だったが、吉川本人の「今すぐにでも」と言う話で、修道高校を中退して上京。だが、すぐにデビューさせてもらえる訳でもなく、当時のマネージャーの部屋に居候し、ダンスのレッスン代わりに新宿渋谷六本木のディスコで毎日踊り、当時最先端の音楽、ファッション、踊りを身につけた。しかしいつまでたってもデビューさせてくれないことに業を煮やし、社長室に直談判したところ渡辺晋社長に気に入られ、デビューへの運びとなった。
  • 実際には渡辺プロは吉川を「10年に1度の逸材」とみなし、凋落していたナベプロの起死回生のために社長自らが音頭をとってデビューのためのプロジェクトチームを編成するほどの力の入れようだった[6]。「ナベプロ帝国の興亡」軍司貞則著、文藝春秋(1995年)によると、その当時渡辺プロの金庫には3億円の現金しかなく、渡辺晋は30人ほどのスタッフとの会議において、その金で吉川を売り出す方法をひねり出せ、と迫った。映画と歌の同時デビューも並々ならぬナベプロの肝いりで実現した。大澤誉志幸が「渡辺プロは総力を挙げて吉川晃司を売り出すから、お前にかける金はない」と、ナベプロのスタッフから言われたという逸話も残る[7]
  • 1984年2月1日シングル『モニカ』でデビュー。この曲は、主演映画『すかんぴんウォーク』の主題歌でもあった。その後『サヨナラは8月のララバイ』、『LA VIE EN ROSE』、『ユー・ガッタ・チャンス』(オリコン3週連続1位)、『にくまれそうなNEWフェイス』(オリコン1位)、『RAIN-DANCEがきこえる』(オリコン4位)、『キャンドルの瞳』(オリコン2位)と立て続けにヒットシングルをリリースし。1984年の日本歌謡大賞最優秀新人賞、日本アカデミー賞新人賞など歌手と俳優の両部門で8つの新人賞を独占。翌1985年暮れにはNHK紅白歌合戦に出場した。
  • またこの年の始めに、デビュー1年目では史上2人目の日本武道館公演を行った。1人目は原田真二(1978年7月24日[8])。その他、初期に行われた学園祭コンサートで、体育館にある緞帳(どんちょう)にぶら下がり、緞帳をビリビリに破いてしまったことがある。その弁済金は1,000万円だったという(本人が『笑っていいとも』に出演した際に告白し、「緞帳を破って100万円の借金を作ってしまった」と言っていたが、その後ファンクラブの会報誌で「1,000万円」と訂正した)。
  • 1988年に一時活動を停止した後、渡辺プロダクションから子会社独立と言う形で、マネージャーの河村嚴生が代表取締役社長のセブンスエンタープライズ所属になる。レコード会社を東芝EMIに移籍。
  • BOØWY布袋寅泰とユニット「COMPLEX」を結成し、翌1989年4月にシングル『BE MY BABY』(トヨタ・セラのCM曲)をリリース。COMPLEXは『BE MY BABY』を含め2枚のシングルと2枚のアルバムをリリースした(いずれもオリコンチャート1位を記録)後、1990年11月8日東京ドームのライブをもって活動を停止。ビジネス的なことにはまったく興味がなく純粋にロックがやりたかった吉川と、音楽をビジネス面も含めてトータルで捉える布袋との間に徐々に溝が生まれ、最後は飲み屋でのつかみ合いの喧嘩に発展して活動停止に至った。布袋、吉川はそれぞれ、当時の音楽雑誌のインタビューで「COMPLEXさえ組まなければ、少なくとも友人を失う事はなかった」とコメントしている。
  • 1997年に、東芝EMIから、元同社専務取締役である石坂敬一が代表取締役に就任したユニバーサルグループに移籍。しかしこの時期の音楽業界に吹き荒れた外資の嵐と変革の混乱の中で売上が低迷。その後2002年徳間ジャパンへ移籍。
  • 自身設立のアクセルミュージックエンターテイメントは1998年設立。前所属のセブンスエンタープライズで、会社スタッフによる会社資金の使い込みが発覚。事務所の空中分解という状況で、セブンスエンタープライズの音楽部門若手スタッフを引きつれ設立という経緯である。本人曰く「他所に世話になるなんて考えられなかったので、自分について来てくれる会社の若い連中もいたし、仕方なく自分で会社を立ち上げざるを得なかった。今では立ち上げて本当に良かったと思っている」。ちなみにセブンスエンタープライズ俳優部門は金山一彦つみきみほ達で新たに立ち上げている。
  • 1998年、自宅で知人と殴り合いになり、鼻骨および肋骨を骨折させる傷害容疑で、示談は成立していたが書類送検された。原因は、酒に酔った知人が吉川所有の尾崎豊の形見のギターを蹴った事による。謝罪会見では、前所属事務所セブンスエンタープライズの会社スタッフによる資金使い込み騒動の真っ只中でもあり、真実をありのままに述べられない状況下での謝罪会見になった。この会見で記者の「何発殴ったのか?」との質問に、一方的に殴ったわけじゃなく殴りあいになり、相手もボクシングの経験があると前置きした上で、「ワン、ツー、スリー?」と答える。この3発のパンチを打つ動作を確認しながら「こう、こう、こう、うん、3発殴った」「僕はちょっと人より力が強いみたいで..」などと発言したシーンがTV放送で流された。
  • 2006年にDJ TASAKAKAGAMIによるテクノユニットDISCO TWINSのアルバム『TWINS DISCO』にて『Juicy Jungle』『Thunder Storm』の二曲にゲストボーカルとして参加。また『Juicy Jungle』のPVにも出演した。このPVはSPACE SHOWER Music Video Awards 07でBEST IMPACT VIDEO賞を受賞。授賞式ではスペシャルゲストとして登場し、DISCO TWINSと共にライブパフォーマンスを行った。またDISCO TWINSとのユニット「DISCO K2 TWINS」を結成しシングル『Juicy Jungle』を発売した。
  • 2009年のNHK大河ドラマ天地人』(主演:妻夫木聡)に織田信長役として出演。同年に、徳間ジャパンコミュニケーションズから古巣であったユニバーサルミュージックに移籍。また、『仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010』に、主人公の師である鳴海荘吉(仮面ライダースカル)の役で出演。
  • 2011年5月31日にファンクラブのページにて一般女性との結婚を発表。翌6月1日に、婚姻届を提出。二人の間には既に第一子も誕生しており、未婚の父であったことも明かした。

[編集] エピソード

  • デビュー当初はヴォーカル専任であったが、現在は以外に作詞作曲演奏プログラミングプロデュース等幅広く手がけ、「PANDORA」「JERRY FISH&CHIPS」など様々な作品を世に送り出している。
  • 俳優としての活動は、デビュー作の『すかんぴんウォーク』(『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』と並映)および『ユー・ガッタ・チャンス』(少女隊主演のクララ白書と並映)『テイク・イット・イージー』の通称「大森三部作」が有名。音楽に専念するため役者は一時封印するが後年、再び映画に出演し始める。渡辺プロ時代の「シャタラー」以来十数年ぶりに三池崇史監督作品『漂流街』に出演。独特のオーラと存在感に高評価を得る。この作品において三池監督と意気投合。その後の三池作品、プロモーションビデオ、ライブ撮影と繋がっていく。三池監督は吉川について「存在感が凄すぎて気軽な役には使えない。特別な役にもってこいな人。吉川さんはスペシャルな血が流れてますね」と語っている。『天国から来た男たち』『レディ・ジョーカー』など、ほぼ年一本のペースで映画にコンスタントに出演している。
  • 「駆け出しのころは歌手一本では食っていけなかったので、副業もこなせたらいいなと思って俳優業をしていた」とTV番組で後年回想している。
  • ザ・ベストテン』や『夜のヒットスタジオ』、『NHK紅白歌合戦』など、当時の歌番組での数々のパフォーマンスも有名[6][9][10][11][12]。『ザ・ベストテン』でのパフォーマンスで最も知られているのは出身校・修道高校のプールでのバク転飛込みだが、毎回出演時には視聴者を驚かす演出を自ら考案して楽しませた[6]。この頃は日本におけるヴィジュアル系の走りとも言われる沢田研二がテレビに出なくなった時期で、安全地帯玉置浩二とともに、続いて男の化粧を認知させたと言える。また吉川デビュー時の衣装=ノータイ・白スーツは街に“偽吉川”を溢れさせた。同時期活躍したチェッカーズタータンチェックともどもよく流行った。若い頃吉川に似ていると言われた元プロ野球選手新庄剛志は、吉川のファッションをよく真似ていた。また髪に色を付けたり立たせたり新しい髪型を考案するなど、いわゆる男のおしゃれ、男性ファッションを認知させたスターである[6]。当時、日曜朝にラジオ番組を持っていた小泉今日子が「チェッカーズや吉川クンに負けてるよ女の子たち」と言ったことがある。
  • 小泉は当時、ベストテン出演時に吉川晃司を「理想の男性」と話したことがあったが、当時の吉川は「全然興味ありません」と素気なく答えてしまい、司会の黒柳徹子から叱責されたという。本人の弁によれば、「恥ずかしかっただけで、気持ちは嬉しかった」とのこと。[13]
  • デビュー当時はアン・ルイスに大きな影響を受けた。アンとは姉弟のような関係だが『夜のヒットスタジオ』では"放送コードの限界"とまで言われた二人の性行為を連想させる仰天コラボレーションを見せたこともある(1985年10月2日放送)[9][11]。この時のアン・ルイスの楽曲『六本木心中』と、続編『あゝ無情』のモデルは、いずれも吉川だったと作詞家湯川れい子は話している[11]。『あゝ無情』のサビ「サングラス外したら吹き出しちゃうほどあどけない目をしてる」は、そのまま吉川のことで「そんな年下の男に、艶っぽくて気風のいいアンちゃんを立ち向かわせた形でした」と話している[11]。 
  • バク転する他は、足を高く上げてドラムのシンバルを蹴る「シンバルキック」もある。初期はハイキックで垂直に蹴り上げ、肉離れを起こした。これを対処すべく、旋風脚のように回って蹴るようになった。福岡放送「ナイトシャッフル」2009年12月27日放送より。2011年10月7日放送のフジテレビ「萌えよ!ドドドドーン」にて、視聴者応募の中から選出されてオンエアされる「見たい映像10連弾」で「シンバルキック10連弾」が応募から選ばれ審査員(タレント)5名から満場一致で「美味い画像」に選ばれた。
  • 体育会系のノリで広い交遊を持った。アン・ルイス、ブラザー・コーン、チェッカーズ、尾崎豊とんねるず大沢誉志幸岡村靖幸氷室京介布袋寅泰布川敏和本木雅弘[14][15][16]。特に尾崎豊と岡村靖幸を交えた3人の仲は親友として有名だった。まだ彼らが若かった頃、飲みに行く際に「じゃんけんをし、勝った者が行き先を決めることが出来る」という方法で飲みに行く先を決めていたそうで、吉川が勝つとひたすら飲む、尾崎が勝つと女を口説くことが出来るクラブ、お酒が苦手な岡村が勝つとディスコ(岡村は、ディスコであの独特の踊りをずっと踊っていたそうである)に行っていたそうで、「昔は3人で無茶なことばっかりやっていた」と述べている。尾崎が亡くなった時は、友人代表としてお悔みを述べ、岡村が不祥事を起こした際は、「自分のケツは自分で拭かないとね。でもきっと、スリムになって戻ってくるんじゃないかな?」と気遣うコメントを述べている。尾崎の死後は「彼は反論できないのでフェアじゃない」と言い、彼について深く語る事は無い。
  • 初期の頃の専属バックバンドは、PaPa。このスタイルは、沢田研二井上堯之バンドや、EXOTICSを真似たものであると思われる。ただし、PaPaはTVや映画、ライブ等「見える場所」では共演していたが、レコーディングには参加していない。
  • 吉川のファッションといえばサングラスである。吉川がサングラスを常用した動機は、細いキツネ目にコンプレックスがあったためと言われている。現在はサングラスをどんな時も外さなくても、批判をされるような事は無かったが当時は批判を受けることがあった。主なものに岡田有希子葬儀参列がある。
  • 上條淳士の漫画作品『TO-Y』(1985〜1987年)の主人公のライバル・哀川陽司のモデルであり、作者との対談(サンデーコミックス一巻収録)もしたことがあるが、その時まで自分では気づいていなかった。
  • 「音楽を真面目にやっているミュージシャンも、テレビに出ないとだめだ」と言い続けていた。これは渡辺プロに在籍している以上、テレビに出る仕事は避けられなかったが、テレビに出演していく内に、テレビの影響力を自ら肌で感じ、「上手い具合に出演すれば、ミュージシャン自身の向上にもつながる」と考えるようになったためである。そのため、吉川自身がテレビに出なくなると、ファンは「自分がテレビに出ないとダメだと言っておいて、なぜテレビに出ないのか?」と非難をするため、本人もテレビに出るようにしている。COMPLEXで活動中、テレビ出演をほとんどしなかったため、「布袋に遠慮している」と非難されたことがある。
  • 1986年1987年12月24日日本テレビで放送された伝説的音楽番組メリー・クリスマス・ショー(Merry X'mas Show)』の企画を言い出したのは吉川。「たくさんミュージシャンを集められるのは桑田さんしかいない」と呑みの席で桑田佳祐に「今の音楽シーンがつまらないのは、ある意味あなた方にも責任があるんじゃないの?」と暴言を吐き「ガキのくせにこのボケ!」とケンカになったが、朝まで話し込んで「よっしゃ考えてみる」という桑田の話で始まったもの。当初は二人を中心に運営したが吉川が働かないのでほぼ桑田がやったという。ただBOØWYや若いバンドに声をかけたのは吉川である[17]
  • 最近では当たり前になった「CD + DVD」2枚組は、吉川の作品「I WRITE THE SONGS」が業界で初めてといわれている。
  • 傷害事件時期にシングル『KEY 〜胸のドアを暴け〜』をリリースし、アルバムプロモーションも兼ねて『HEY!HEY!HEY!』で同曲を収録(傷害事件によるプロモーション自粛により未放送)。このときの収録でダウンタウンの浜田に傷害事件を突っ込まれ「氷山の一角?」、松本に「新曲タイトルは、ハードパンチャー鼻を殴らせろ」とからかわれ、会場の大爆笑を誘った。その翌年に吉川が同番組に出演した際も「ワン、ツー、スリー?」とネタにしていた。
  • 所有車は、フェラーリ・512TRアストンマーチンV8である。スープラコルベットと乗り継いで現在に至る。
  • 三国志をはじめとする中国史マニアである(日本史の知識も少しある)。別冊文藝春秋2005年1月号では中国歴史小説家の宮城谷昌光と対談しており、中国史について並々ならぬ知識の片鱗をのぞかせている。また、北方謙三とも交流があり、北方氏は対談した際の感想で「深く掘り下げた質問をしてくるし、細かい所まで良く知っているし、こいつは何で中国史をこんなに勉強しているんだ? 音楽やっているんじゃないのか?」と述べている。近年では古代中国関係の美術展にコメンテーターとして参加したりする[18]。吉川自身CD BOOK『エンジェルチャイムが鳴る前に』のなかで小説を執筆している。
  • 2007年6月10日放送分の『ジャンクSPORTS』芸能人アスリートSPにて、かつて修道高校で日本の水球界で知らない人間はモグリといわれる程の名選手として一世風靡した時のエピソードを披露。午前4時に起床→地元の獲ったばかりの生ガキ冷凍庫に入れるアルバイト→学校で勉強→放課後、部活→少林寺拳法を習う→バンド練習という一日を過ごしながら、広島では地元の新聞に取り上げられる程の勇士として有名だったと紹介されている。主将を務め、試合中始まっていきなり相手を沈めたり、首を絞めたり、鼻を折るなどのラフプレーは当たり前だったという(吉川はそれを「水球は競泳飛び込みシンクロサッカーを採り入れた水上競技の最高峰だからこれぐらい当たり前」と解釈している」)。また、タイヤを持ちながら、本を読みながら、弁当を食べながら泳ぐという特訓も行っており、今でも海に行けば女性2人をそれぞれ自分の両肩に座らせる事ができると語った。これにはさすがの浜田雅功も呆然とした。最後に「水球よろしく!」と締め、これからの日本水球界の発展を願った。
  • ナベプロが制作していた『新春かくし芸大会』にも出演した。演目は、1985年は日本刀を使った竹割りや、殺陣。リハーサルの際、上手く竹を割ることが出来ず、日本刀が曲がってしまい、何本も壊した。1986年はバイクスタント。猛スピードのバイクに乗りジャンプ台まで疾走し、バイクとともにジャンプした後にダンボールの山に突っ込むという、体を張った芸を披露した。
  • 2009年10月2日と12月4日に放送をした『中居正広の金曜日のスマたちへ』で、無人島で生活したい試練を自らに与え、挑戦する。やらせでないことをしきりに証明するために、寝る時に撮影班を撤収させるなどして、厳しい一面を見せた。ボーイスカウトだった経験を活かしている。
  • 2010年7月11日放送「TheサンデーNEXT」のインタビューでは公園でうんていなどを利用し筋トレしている事、ヒヤシンスの根のように東京では出稼ぎ感覚であると語った。
  • ウーパールーパーを飼っている。繁殖も経験しているという。だが、2010年7月1日の朝日新聞夕刊3面にて「手乗りウパ」を披露し、誤った飼育法を全国へ伝える結果となった。
  • 2010年8月28日放送のスマステーションで「大阪たこ焼きってキャベツないっておかしくないですか」「これを大阪人に言うと、馬鹿にされるんですよ」と発言。(これには広島出身の大下容子テレビ朝日アナウンサーも同意していた。)
  • 2011年4月15日も、『中居正広の金曜日のスマたちへ』でアフリカの地でサバイバルを敢行している。群れをなすヌーが吉川を見て始めは逃げ出すが、うちの2~3匹は急に方向転換をして吉川に走りかかる。吉川は逃げる際に「Oh my god!」と発した。

[編集] NHK紅白歌合戦でのハプニング

  • 吉川自身、現在唯一の出場である1985年暮れの『第36回NHK紅白歌合戦』では、「にくまれそうなNEWフェイス」で白組のトップバッターで登場したが、その際に自らさまざまなハプニングを起こし、物議を醸すきっかけとなる[6][9][10][19][20][21]。そのハプニングは下記の通りである。
  • 白組なのに真赤な衣装で、酒(シャンパン)を撒き散らしながら登場
  • 当初予定になかった、ステージから客席に降りる行為を行なう
  • 当初NHK側より「ギター、ベースの2人以外は、ステージに登場させないで欲しい」という指示があったにも関わらず、もう一人のギター、ショルダーキーボードを抱えたキーボード2人も、演奏の終盤でステージに登場させた(実際、後方にいたもう一人のギタリスト、キーボーディストにはスポットライトが当たっていない。また後日これについて本人より「ステージで演奏するバンドのメンバー全員を呼んで演奏しているのに、バンドのメンバーに『2人だけステージで演奏してくれ』とは言えなかった」と説明した)。
  • 本来の出演時間をオーバーしたあげく、さらにギターに火をつけ、ステージに叩きつけて破壊するという度の過ぎたパフォーマンスを行った。但し番組の進行上、ギターを破壊するシーンは放映されることはなかった。
  • 既に次曲の河合奈保子デビュー』のイントロが始まっており、さらに紅組司会の森昌子が歌手及び楽曲の紹介を行っていたにもかかわらず、まだ吉川本人とバンドのメンバーらはステージに居残り続け、しかもステージ上でギターを燃やすシーンが数秒放映される。その直後、TV画面は河合奈保子の方へ切り替わっていたが、その光景にたじろぎ戸惑う河合とバックダンサーらがハッキリと放映されてしまった。この煽りをまともに受けた河合は、歌唱曲『デビュー』の出だしが歌えなくなる羽目となった。
  • 河合の歌唱終了後、酒浸しになったステージ上で歌うこととなったシブがき隊は、『スシ食いねェ!』の歌唱中に布川敏和が、その影響で2回も足を滑らせて転倒してしまった。この布川の転倒については、吉川のせいではなく、布川自身が事前に予定していたパフォーマンスだったという。吉川からは何をやるかは聞かされてなかったが、布川はステージから落ちる、いうパフォーマンスを考えていた。しかし足元が滑りやすいというその時の流れから、2度転倒に変更したと布川は話している[19]
  • こうした逸話は今や伝説化しているが、『雨の西麻布』をひっさげこの紅白歌合戦への出場を狙うと公言していた(結果は落選)とんねるず石橋貴明にも、紅白後すぐの正月の生番組で「吉川、見事やってくれました!」と言われた。

[編集] 鳴海荘吉 / 仮面ライダースカル

  • 前述のように『仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010』に鳴海荘吉 / 仮面ライダースカル役で出演しているが、依頼が来た時はマネージャーに「怪人の役じゃないの?」と尋ねたという。吉川の起用は、「主人公がハードボイルドを目指しているキャラクターなので、その師を演じるのはハードボイルドを体現できる人でなければならない」という理由によるもの。なお、劇中で荘吉は左足を負傷するという展開だが、撮影当時の吉川は右足に怪我を抱えていたため、引きずる足を間違えることもあったという(左足を負傷する描写は先に別人を起用して撮影したものがTVシリーズ『仮面ライダーW』で放送されていたため、吉川の都合に合わせて変更することが出来なかったとのこと)。
  • TVシリーズ『仮面ライダーW』には直接登場することはなかったが、「鳴海荘吉」名義で挿入歌「Nobody's Perfect」の作曲と歌唱を担当し、そのPVで再び荘吉を演じている。
  • 2010年公開の『仮面ライダー×仮面ライダー オーズ&ダブル feat.スカル MOVIE大戦CORE』では、登場するのは回想とエピローグのイメージ映像のみだが、そのタイトルが示すように荘吉が主役並の扱いになっている。出演にあたって吉川は「荘吉の『お前の罪を数えろ』という決め台詞はどうして生まれたのか」「荘吉はなぜ娘に会うことを避けていたのか」の2点を明確にしてほしいとスタッフに伝え、それが実際の作品に反映されたことを喜んでいる。なお、回想シーンは時系列的には『MOVIE大戦2010』より前の出来事であるため、構え方や声の高さを意識的に変えて若く見せようとしたが、そのせいで声が裏返ってNGを出したこともあるという。

[編集] ディスコグラフィ

COMPLEXでの作品に関してはCOMPLEXの項を参照。

[編集] シングル

[編集] インターネット配信

  • NOW(2008年4月16日)
    作詞・作曲:中島みゆき
    ミュージカル「SEMPO -日本のシンドラー 杉原千畝物語-」主題歌。
  • 光と影 〜SEMPO LIVE ver.〜(2008年4月30日)
    作詞:松井五郎/作曲:吉川晃司
    ミュージカル「SEMPO -日本のシンドラー 杉原千畝物語-」劇中歌。
  • あの夏を忘れない(2011年8月3日)
    作詞:吉川晃司・松井五郎・府中小の子どもたち/作曲:吉川晃司
    広島県民会議主催の子供達の夢を叶える「夢配達人プロジェクト」にて選ばれた広島県府中小学校の生徒の夢「被爆者に、原爆の様子を聞いて、それを元に、作曲家と一緒に歌を作って、歌いたい」を実現するため、同校OBの吉川晃司に作曲の依頼があった事から作成された曲。2010年、日本テレビ24時間テレビで子供たちによって歌唱披露された。また、2011年にはフジテレビFNS歌謡祭で吉川晃司とAKB48によって歌唱披露されている。ちなみにリリースされた曲は中学生となった発案者達と府中小学校在校生の子供達約40人の合唱と、吉川晃司ボーカルによりレコーディングされたもの。

[編集] アルバム

[編集] オリジナルアルバム

[編集] ライブアルバム

  • ZERO(1988年)
  • GOLDEN YEARS VOL.I(1993年)
  • GOLDEN YEARS VOL.II(1993年)
  • GOLDEN YEARS VOL.III(1996年)
  • GOLDEN YEARS VOL.IV(1999年)
  • Spirit×ナイフ 〜GOLDEN YEARS MILLENNIUM EDITION〜(2000年)

[編集] コンピレーションアルバム

[編集] その他関連アルバム

  • I WRITE THE SONGS(1997年)
  • CDブック「ウインター・グリーティング」(2002年)
  • The Gundogs(2002年)
  • KATANA FISH(2003年)
  • CD BOOK 「エンジェルチャイムが鳴る夜に」(2005年)
  • DISCO TWINS 「TWINS DISCO」(2006年)※ゲストとして2曲に参加。

[編集] サウンドトラック

  • The Soundtrack 〜YOU GOTTA CHANCE〜
  • BOY'S NIGHT OUT - Sound Tracks From TAKE IT EASY -
  • THE SHATTERER

[編集] 映像作品

  • KIKKAWA KOJI '84 FLYING PARACHUTE TOUR(1984年8月1日)
  • '85吉川晃司 LIVE for Rockfeeling Kids in BUDOKAN(1985年3月21日)
  • '85 JAPAN TOUR FINAL IN 東京昭和記念公園(1985年12月16日)
  • DRASTIC MODERN TIME Tour Tokyo 8Days live(1987年3月5日)
  • ZERO -KIKKAWA KOJI HI-VISION LIVE WORLD '88(1988年9月10日)
  • VOICE OF MOON(1991年6月21日)
  • Lunatic LUNACY(1991年10月25日)
  • ACTIVE OVERDRIVE(1992年12月9日)
  • SHYNESS OVERDRIVE 1992(1993年4月21日)
  • Cloudy Heart's(1994年3月9日)
  • CONCERT TOUR 1994 My Dear Cloudy Heart(1994年9月26日)
  • LIVE GOLDEN YEARS EXPANDED 0015 GIGANTIC 2DAYS LIVE Vol.1 & 2(1998年6月10日)
  • HOT ROD MAN LIVE(2000年4月26日)
  • HOT ROD MAN DOCUMENT(2000年4月26日)
  • SOLID SOUL 2001(2001年、FC限定ビデオ)
  • SMASH THE PANDORA FINAL! TOKYO CIRCUS(2003年1月22日)
  • The Gundogs Perfect DVD Plus!(2003年4月2日)
  • LIVE JELLYFISH(2003年12月21日)
  • LIVE GOLDEN YEARS 20th Anniversary PRELUDE at BUDOKAN(2004年7月22日)
  • LIVE GOLDEN YEARS Thanks0201 at BUDOKAN(2005年7月27日)
  • THE FIRST SESSION KIKKAWA KOJI LIVE 2005 “エンジェルチャイムが鳴る夜に”(2006年3月22日)
  • KIKKAWA KOJI LIVE 2006 ROLL OVER the DISCOTHEQUE! From Club Jungle(2007年1月17日)
  • THE STORY OF TARZAN 〜2007 TOUR FINAL & DOUBLE TV DOCUMENTS〜 (2008年2月13日)
  • THE SECOND SESSION KIKKAWA KOJI LIVE 2007 CLUB JUNGLE EXTRA TARZAN RETURN(2008年3月21日)
  • KIKKAWA KOJI 25th ANNIVERSARY LIVE FILM COLLECTION 『LIVE=LIFE』(2009年12月23日)
  • 25th ANNIVERSARYLIVE GOLDEN YEARS TOUR FINAL at 日本武道館(2010年6月30日)

[編集] 楽曲提供

  • 原田知世「葡萄畑の走り方」(1986年)作曲
  • 原田知世「セレブレーション」(1986年)作曲
  • PARTY HULA「PURE BABY」(1987年)作曲 - 「BIG BAD BABY BASTARD」のカバー。花王ピュアCM曲。
  • 金山一彦「Summer Timeを引きずって」(1987年)作曲
  • 小泉今日子「Hippies」(1987年)作曲
  • 小川美由希「Stand Up」(1987年)作曲
  • 小川美由希「Shining days」(1988年)作曲
  • KEN-JIN BAND「Hungry Man」(2001年)作曲 - 後に「Fame & Money」としてセルフカバー
  • DISCO TWINS「Juicy Jungle feat. 吉川晃司」(2006年)作詞・作曲・編曲(作詞はJam、作曲・編曲はDISCO TWINSと共作)
  • 川村カオリLOVE REAL ACTION」(2009年)作曲 - デュエットでボーカルとしても参加

[編集] 参加作品

  • BOØWY「1994-LABEL OF COMPLEX-」(1986年)ボーカル(ツインボーカル)
    アルバム「JUST A HERO」収録
  • 松井常松「TONIGHT」(1998年)ギター
    アルバム「Bye Bye EXTREMER」収録
  • 村上秀一「飾りじゃないのよ涙は」(2003年)ボーカル
    アルバム「MY PLEASURE 〜FEATURING GREATEST MUSICIANS〜」収録
  • 山下久美子「Someday」(2005年)ボーカル(デュエット)
    アルバム「Duets」収録
  • DISCO TWINS「Juicy Jungle feat. 吉川晃司」(2006年)ボーカル
    アルバム「TWINS DISCO」収録
  • DISCO TWINS「Thunder Storm feat. 吉川晃司」(2006年)ボーカル
    アルバム「TWINS DISCO」収録
  • 川村カオリ「LOVE REAL ACTION」(2009年)ボーカル(デュエット)
    アルバム「K」収録
  • 松井常松「GOOD FEELING」(2009年)コーラス
    アルバム「HORIZON 〜20TH ANNIVERSARY〜」収録

[編集] 主な出演作品

[編集] テレビドラマ

[編集] 映画

[編集] 舞台

  • ミュージカル SEMPO -日本のシンドラー 杉原千畝物語-(2008年4月公演) - 杉原千畝
  • 陽だまりの樹(2012年4月公演) - 伊武谷万ニ郎 役(W主演)

[編集] ラジオ

[編集] CM

[編集] ナレーション

  • 三国志 Three Kingdoms(2011年、日本語版DVD)第22巻収録の前篇ダイジェストを担当
  • シリーズ平清盛(2011年、NHK総合)全4回

[編集] 書籍

[編集] 写真集

[編集] 関連書籍

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^24時間テレビ33 愛は地球を救う』(日本テレビ系 2010年8月29日放送にて吉川晃司本人が語る。)
  2. ^ 『仮面ライダー』撮影で山本太郎、吉川晃司にビビってワキ汗止まらず!
    府中町 3人 組じゃ|竹原慎二 オフィシャルブログ-竹原慎二はブタっ鼻(2010-01-24)
    宇梶剛士オフィシャルサイト2009-03
    [PDF] - 1 - 平成18年第4回府中町議会定例会
  3. ^ 送り主は女子高生という設定であったため、文面は女子言葉だった。
  4. ^ [1]
  5. ^ 合格の理由は吉川の才能というより、吉川の観客動員力。吉川のはまちバンドはアマチュアながら、広島のホールを満杯にする程の人気があり、主力スタッフ・歌手の独立が相次ぎ、凋落していたナベプロにとってその観客動員力は大きな魅力だった。
  6. ^ a b c d e 吉川晃司('09年10月号) - インタビュー | Rooftop
  7. ^ アサヒ芸能 2010年11月25日号、70-73頁。
  8. ^ Amazon.co.jp: 原田真二 OUR SONG and all of you 〜Live at 武道館
  9. ^ a b c KIKKAWA KOJI QUARTER CENTURY ANNIVERSARY 吉川晃司デビュー25周年記念特別座談会('09年3月号)
  10. ^ a b 宮城谷昌光さんに助けられます 歌手・俳優 吉川晃司さん(44) / 西日本新聞
  11. ^ a b c d週刊アサヒ芸能』2011年11月17日号、徳間書店、62-65頁
  12. ^ サイゾーウーマン-デビュー25周年目のキャラ崩壊!? いま一番見逃せない男・吉川晃司
  13. ^徹子の部屋』、テレビ朝日系、2009年5月20日
  14. ^ 【電脳サブカルマガジンOG】HELLO!OG「辛・新春号」YOU THE ROCK
  15. ^ BUBKA 2009年8月号、84頁
  16. ^ 【今だから語れる涙と笑いの私の酒人生】布川敏和(タレント)
  17. ^ 日経BP社日経エンタテインメント!』3月号増刊、2007年3月20日、60頁。
  18. ^ 始皇帝と彩色兵馬俑展 2007 広島県立美術館
  19. ^ a b 紅白で騒動になった"大暴走事件" NHKスキャンダル紅白 迷シーンを誌上再放送(1)
  20. ^ “NHK出禁”吉川晃司 - ZAKZAK
  21. ^ Music Lovers|日本テレビ|2011年10月10日放送
  22. ^ 作品のテレビ本編である『仮面ライダーW』にも回想など重要な存在として登場しているが、テレビ用の映像は吉川の出演が決まる前に撮影されたため別人が演じ、顔が映らないように撮影されている。TV第31話ではOPでの表記は無いが、写真と回想(映画の映像の流用)で登場する。

[編集] 外部リンク

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