香川照之

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かがわ てるゆき
香川 照之
本名 香川 照之
別名 九代目市川中車
生年月日 1965年12月7日(48歳)
出生地 日本の旗 日本 東京都
国籍 日本の旗 日本
民族 日本人
身長 171cm[1]
血液型 AB型
職業 俳優
ジャンル 映画、テレビドラマ、舞台
活動期間 1989年 -
活動内容 1989年:『春日局』でデビュー
家族 父:二代目市川猿翁
母:浜木綿子
長男:五代目市川團子
従弟:四代目市川猿之助
事務所 ロータス・ルーツ
公式サイト TERUYUKI KAGAWA OFFICIAL SITE
主な作品
映画
OUT』『KT』『赤い月
天国の本屋〜恋火』『北の零年
ゆれる』『キサラギ』『トウキョウソナタ
20世紀少年』『劔岳 点の記』『カイジ
SP 』『あしたのジョー
アンフェア the answer

テレビドラマ
利家とまつ』『マルサ!!
功名が辻』『天花
救命病棟24時』『役者魂!
アンフェア』『MR.BRAIN
坂の上の雲』『龍馬伝』『南極大陸』『半沢直樹

くだいめ いちかわ ちゅうしゃ
九代目 市川中車
屋号 澤瀉屋
定紋 大割牡丹 Ōwari Botan inverted.png
生年月日 1965年12月7日(48歳)
本名 香川 照之
襲名歴 1. 九代目市川中車
出身地 東京都
二代目市川猿翁
浜木綿子
五代目市川團子

香川 照之(かがわ てるゆき、本名同じ、1965年12月7日 - )は、日本俳優

歌舞伎役者でもあり、名跡市川中車」の当代、九代目 市川中車(くだいめ いちかわ ちゅうしゃ)を名乗る。屋号は澤瀉屋。定紋は大割牡丹、替紋は片羽車。

コムスシフトを経て、ロータス・ルーツ所属。東京大学文学部卒業。

来歴[編集]

生い立ち[編集]

東京都出身。父は歌舞伎役者二代目市川猿翁、母は元宝塚歌劇団雪組主演娘役で現在は女優浜木綿子。父方の祖父は三代目市川段四郎、祖母は女優の高杉早苗、叔父は四代目市川段四郎、叔母は市川靖子。母方の叔母は元タカラジェンヌ宝塚歌劇団47期生の浜由理子。

1965年、NHK大河ドラマ太閤記』に念仏踊りの姉妹の姉役で出演していた浜は妊娠のため、番組を途中で降板したが、その年の12月に生まれたのが照之である。

両親は1968年に離婚、母親の浜が照之を引き取り、女優活動を続けながら女手一つで香川を育てた。小学校から高等学校まで一貫して暁星学園に在籍した後、1988年東京大学文学部社会心理学科を卒業した。

俳優として[編集]

1989年、NHK大河ドラマ『春日局』で俳優デビューし、小早川秀秋を演じた。初期の代表作はオリジナルビデオ作品『静かなるドン』シリーズ。その後は橋田壽賀子脚本作品などのテレビドラマが活動の中心であったが、『犬、走る DOG RACE』、『独立少年合唱団』、2002年のカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した『鬼が来た!』などで、徐々に知名度が高まった。さらに、NHK大河ドラマ『利家とまつ〜加賀百万石物語〜』で豊臣秀吉を演じたことで一般的にもその存在が広く知られるようになった。

2004年、再び中国映画『暖〜ヌアン〜』(日本公開名『故郷(ふるさと)の香り』)に準主演。同作で香川は東京国際映画祭の男優賞を受賞。主演女優賞の寺島しのぶとともに映画界の話題をさらう。私生活では同年1月16日に長男・政明が誕生する。この年の上半期の連続テレビ小説天花』に出演した。

2006年スタジオジブリアニメーション映画ゲド戦記』で声優に初挑戦した。

2010年3月、『劒岳 点の記』で日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞した[2]

歌舞伎界進出[編集]

2011年9月27日、香川が九代目市川中車を襲名して歌舞伎俳優に進出し、2012年6月に催される「六月大歌舞伎」に出演することが発表された[3][4]。八代目まで屋号は立花屋だったが、香川が襲名する九代目からは特別に猿之助の屋号と同じ澤瀉屋を名乗る[3]。また、同時に、実父の三代目市川猿之助が二代目市川猿翁、従弟の二代目市川亀治郎が四代目市川猿之助をそれぞれ襲名し、長男・政明が五代目市川團子(だんこ)として歌舞伎界にデビューすることも発表された。なお、特例により「香川照之」の名で引き続き芸能活動することを許され、俳優業では「香川照之」、歌舞伎では「市川中車」の2つの名前を使い分けることとされた[3][5]
きっかけとなったのは、父・三代目猿之助との和解と、何よりも政明の誕生だった。歌舞伎の家に生まれた事で「猿之助の名前は140年続く。政明という長男がいて、この船に乗らない訳には行かない」との思いを強くした、と語っている[6]

2012年3月、襲名公演の演目と配役を発表された。新橋演舞場六月大歌舞伎では、『小栗栖の長兵衛』の長兵衛、『スーパー歌舞伎三代猿之助 四十八撰の内 ヤマトタケル』の帝。新橋演舞場七月大歌舞伎では、『スーパー歌舞伎三代猿之助 四十八撰の内 ヤマトタケル』の帝、『将軍江戸を去る』の山岡鉄太郎である。

人物[編集]

俳優業[編集]

俳優としては、カンヌ国際映画祭へ3度(出演作品は2度の受賞)、ベルリン国際映画祭にも招聘(出演作品受賞)されている。愛称はドカベン

元々俳優になるつもりはなく、親が俳優だったことや他にやりたいこともなかったため、親の七光りを利用しない手はないとの消去法で俳優になったという。また、デビュー当時は両親のネームバリューとともに、「東大出身」という経歴だけでマスコミに注目されていたところも大きく、当時のバラエティ番組などでは周囲からのそうした取り上げられ方に対して、不遜な態度をとり、批判の的となることも少なくなかった。20代の頃はなんとなく俳優を続けていたが、『静かなるドン』の撮影時、監督の鹿島勤から100回NGを出され、それ以来、真剣に演技に向き合うようになった、と語っている[7]

俳優になる直前には、TBS緑山スタジオで数か月、ADのアルバイトをしていた。連日、怒られ通しだったが、その後、現場に後輩として入ってきた新米ADに「でかい顔をして」かなり横柄に弁当の配り方などを教えていたという。その人物が実はのちの映画監督、行定勲で、その後行定の作品に起用された際にはきっちりと復讐されたと語っている[8]

2009年、南京事件を題材にした『ジョン・ラーベ』(原題:John Rabe、日本未公開)に昭和天皇の叔父・朝香宮鳩彦王役で出演[9]皇族としての役柄を演じる経緯や国際的な政治問題に言及するコメントが、事件の評価や発生そのものに異議を唱える国内右派を中心に物議を醸したが[10]、他方ではこの姿勢を評価されて同年4月28日中国北京において同映画製作を記念する「ラーベ平和賞」の第1回受賞者にも選ばれた。[11]

NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』の出演にあたっては結核脊椎カリエスに冒された正岡子規役を演じるため、食事制限やランニングなどをして5か月で15kg以上の減量を行った[12]

また、雑誌『キネマ旬報』にはコラム「日本魅録」を連載。数々の撮影現場での共演者の素顔や現場の空気感、俳優論や様々な作品についての考察などについて綴られている。このコラムは2006年のキネマ旬報読者賞を受賞した。

2013年に大ヒットしたドラマ「半沢直樹」にて主人公のライバル大和田常務役を演じ高い評価を受ける。最終回の土下座シーンを安田大サーカスの団長安田がモノマネ芸として披露したのを見て留守番電話で「バンバンやってください」と自ら公認する。その後も団長安田に対しては「土下座のタメが浅い。もっと粘れ!」と熱演指導も行っている。

ボクシング愛好家[編集]

熱狂的なボクシングファンである。俳優として名前が売れる以前から、『ボクシング・マガジン』(ベースボール・マガジン社)で連載「香川照之の熱病的思考法」を執筆していた。連載1回目では、「ガードを固め、テクニックがないのにがむしゃらに前進するファイターが賞賛される日本のボクシングは遅れている」と、当時の日本のプロ・ボクシング界の技術レベルを厳しく批評している。好きなボクサーはウイルフレド・ゴメスプエルトリカン・ボクサーが好みである香川は、1990年代、ウェルター級スーパーウェルター級ミドル級の3階級を制覇したフェリックス・トリニダードの活躍を大いに喜び、1ページを割いて絶賛したこともあった。玄人受けする人気のコラムで長期連載となったが、最後はネタ探しに苦しみ、それも限界が来たことにより連載を取りやめることにした、と最終回で述べている。

ボクシングにのめり込むきっかけは、少年時代に具志堅用高の試合を見たことだった。国内はもちろん海外の試合のビデオや専門誌をも通信販売で購入して研究するほどのマニアである。現役チャンピオンの防衛戦や世界タイトル戦などより新人のデビュー戦、国内戦を好んで観戦し、次世代の新たな才能を見出す事に強い関心を寄せている。WOWOWのボクシング番組『エキサイトマッチスペシャル』にゲスト解説者として出演した際(下述)にはその豊富な知識に、解説のジョー小泉浜田剛史ですら、番組内で舌を巻き関心するほどだった。ボクシングライターとして活躍する原功氏は「WOWOWの世界戦中継の収録スタジオで香川君と一緒だったことがありますが、番組全体のバランスを見渡しながら、自分に求められている役割を見事に果たしていましたよ」と評価した。[13]

2011年公開の実写映画『あしたのジョー』に丹下段平役で出演が決まった際に「私生活でボクシングを30年間見守り続けてきたのは、この役のため」と語った。主演の山下智久にはボクシングを初歩から指導し、またその他の共演者にも様々のアドバイスを行っている。2011年2月には、この映画の公開に合わせ、ボクシングへの思いを綴った著書『慢性拳闘症』(講談社)を出版した。

また元プロボクサーの西岡利晃選手とも親交が深く、2011年10月1日(日本時間10月2日)にラスベガスで行われた、西岡とラファエル・マルケスとのWBCスーパーバンタム級タイトルマッチの中継放送([『エキサイトマッチスペシャル』、WOWOW)では試合解説を務め、西岡が7度目のタイトル防衛を決めた際には涙を流して「30数年ボクシングを観てきました。日本人ボクサーで、いつか誰かが今日みたいな日を勝利で飾ってくれる時代がきてほしいって、ずっと…」とコメントを述べている。西岡が引退後に解説を勤めるフジテレビダイヤモンドグローブスペシャル」にもゲスト解説として出演している。

香川自身は仕事の関連等で多少ジムワークの経験がある程度で、ボクシング自体はほぼ未経験である。「ボクシングが好きだからこそ、一線を引きたい」と語っている。

家族・親族[編集]

1歳の時に父が家を捨て、3歳の時に両親が離婚以来、父・二代目猿翁(2012年6月までは、三代目 猿之助)との関わりは完全に絶たれたが、大学卒業後に俳優デビューしたのを機に、25歳の冬、思い立って初めて公演先の父に会いに行く。しかし猿之助は「大事な公演の前にいきなり訪ねてくるなんて役者としての配慮が足りません」と香川を叱責、「すなわち、私は家庭と訣別した瞬間から蘇生したのです。だから今の僕とあなたとは何の関わりもない。あなたは息子ではありません。したがって僕はあなたの父でもない。」「あなたとは今後、二度と会う事はありません。」と冷たく言い放たれたという[14][15]。以来、長らく確執が続いていたが、それでもその間、香川は父の舞台を何度も観に行っている。近年、特に長男誕生を機に猿之助の後妻・藤間紫の取り計らいにより父子関係が修復、藤間紫の葬儀(2009年)には香川も親族として参列した。2011年9月の合同襲名会見時には、父と共に8年ぶりに公の場で姿を現し、同年春より長年無縁だった父とともに3世代で同居していることを明かした[3][16]。その後、程なくして同居は解消。二代目猿翁はパートナーの女性や弟子らとともに、香川宅近くのマンションに居を移している[17]。稽古は香川が猿翁宅を訪れ、つけてもらっている[18]

私生活では「元・ミスさっぽろ」という経歴が話題だったタンゴ歌手・冴木杏奈と長く交際していた。一時は婚約関係にあり、冴木は所属事務所を退社したため「結婚秒読みか?」と報じられたが、結局離別。程なく1995年12月に元・日本航空国際線CAの智子夫人と入籍したことから、しばし香川の「二股交際」報道がメディアを賑わし、女性週刊誌上などでバッシングを受けている。[19][20]。夫妻の間には2004年に誕生した長男・政明(五代目市川團子)がおり、2012年6月の「六月大歌舞伎」で父子揃って歌舞伎界にデビューした。

従弟である二代目市川亀治郎(2012年6月からは、四代目市川猿之助)の存在は知っていたが、幼少期に両親が離婚しているという事情から、父方の親戚である亀治郎とは長らく疎遠であり、亀治郎がNHK大河ドラマ風林火山』の収録を迎える前の2006年、祖母・高杉早苗の墓参りのため、上野の寛永寺に行った折、初めて出会っている[21][22]。この邂逅をきっかけに、それ以降、香川は同作でテレビドラマ初出演となる亀治郎の挨拶回りに付き添う[21]など映像の俳優の先輩としてのサポート、また、香川の歌舞伎進出に際しては亀治郎が細やかにアドバイスするなど、私生活においても親密な関係となる[22]。亀治郎が『クイズ$ミリオネア』に出演した際(2008年3月27日放送)には、父子で応援に駆けつけている。大河ドラマ『龍馬伝』最終回では1シーンのみではあるがドラマ初共演を果たした。

 
 
 
 
 
 
二代目段四郎
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
八代目中車
 
初代猿翁
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
高杉早苗
 
三代目段四郎
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
四代目段四郎
 
市川靖子
 
藤間紫
 
二代目猿翁
 
浜木綿子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
四代目猿之助
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
香川照之
(九代目中車)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
五代目團子
 
 

受賞歴[編集]

2000年度

2002年度

2003年度

2004年度

2005年度

2006年度

2007年度

2008年度

2009年度

2010年度

2011年度

2012年度

2013年度

  • 第78回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 助演男優賞(『半沢直樹』)[23]

出演作品[編集]

映画[編集]

歌舞伎[編集]

テレビドラマ[編集]

ドキュメンタリー[編集]

  • NHKスペシャル「父と子 市川猿翁・香川照之」(NHK、2013年1月6日)
  • テレビ未来遺産「“いのちの輝きSP” ヒューマンサイエンス 何が奇跡を呼んだのか 生きる力…真実の記録」(TBS、2013年5月22日) - スペシャルナビゲーター

オリジナルビデオ[編集]

舞台[編集]

劇場アニメ[編集]

吹き替え[編集]

ミュージック・ビデオ[編集]

バラエティ[編集]

CM[編集]

著作[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ YAHOO! 人物名鑑
  2. ^ シネマ報知 (2010年3月6日). “香川照之感激!5度候補で初 最優秀助演男優賞…日本アカデミー賞授賞式”. 2011年1月12日閲覧。
  3. ^ a b c d 香川、父と同じ歌舞伎の道へ 戦後初の2つの名前」、テレ朝ニュース、2011年9月27日閲覧。
  4. ^ 「亀治郎、四代目猿之助を襲名へ」、読売新聞、2011年9月27日閲覧。
  5. ^ 市川亀治郎さん・香川照之さん 記者会見全文掲載、NHK「かぶん」ブログ、2011年9月30日閲覧。
  6. ^ スポニチアネックス「東大から俳優、そして40代で歌舞伎界へ…香川照之 異色の経歴」(2011年9月27日 8:35配信)2013年1月16日閲覧)
  7. ^ ロングインタビュー 香川照之(3)『R25.jp』Vol.196 - Page3
  8. ^ 香川照之、行定勲監督との因縁の過去を吐露!?『カイジ』初日
  9. ^ 南京大虐殺を描いた『ジョン・ラーベ』、日本で上映禁止「ジョン・ラーベ」、日本で上映できず南京大虐殺を描いた『ジョン・ラーベ』、日本で上映禁止
  10. ^ サーチナ (2009年4月1日). “南京大虐殺を描いた『ジョン・ラーベ』、日本で上映禁止”. 2009年5月11日閲覧。
  11. ^ Nomierung des japanischen Schauspielers Teruyuki Kagawa für den John Rabe Friedenspreis ("John Rabe Award")
  12. ^ オリコン (2009年1月16日). “香川照之、「あしたのジョー」並みに15キロ減量”. 2009年1月18日閲覧。
  13. ^ INLIFE 男の履歴書 香川照之
  14. ^ 2010年12月22日放送 NHK『ラストデイズ』で香川本人談
  15. ^ この時のことについて、父・猿翁は「生きるも死ぬも身一つで、僕はあえて一人でやってきました。だから、照之も役者の道を貫きたいと思うなら私の事を父と思うな。何ものにも耐えうる独立自尊の精神でいきなさいと。僕としてはごく当然のことを言ったつもりなのですよ。」と、突き放した真意を述懐している。NHKスペシャル「父と子 市川猿翁・香川照之」(2013年1月6日放送)
  16. ^ 香川照之 歌舞伎デビュー 父とも和解デイリースポーツ、2011年9月27日閲覧。
  17. ^ 香川照之と父・市川猿之助の三世代同居 すでに破綻していた、NEWSポストセブン、2011年12月10日閲覧。
  18. ^ 襲名披露公演では、出演後、楽屋を訪れた息子の手を握りながら「いい芝居だった」「(おまえなら)大丈夫」と優しく声をかける様子や、孫である團子の姿に眼を細めながら「僕より凄い役者になるよ」と語る猿翁の姿が放送されている。NHKスペシャル「父と子 市川猿翁・香川照之」(2013年1月6日放送)
  19. ^ 「意外にダメ男!?」東大卒のサラブレッド俳優・香川照之 その"愚劣"な過去”. 日刊サイゾー (2010年4月18日). 2013年9月19日閲覧。
  20. ^ アーカイブス / 10年前ニュース / 1996/4/10~1996/4/16”. 梨本勝の恐縮です! (2006年4月10日). 2013年1月17日閲覧。
  21. ^ a b 2011年8月13日放送『メレンゲの気持ち』より。
  22. ^ a b 歌舞伎・文楽インタビュー 市川亀治郎 2011年9月28日閲覧。
  23. ^ 週刊ザテレビジョン2013 No.47』、角川マガジンズ、 3-10頁。

外部リンク[編集]