西田敏行

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にしだ としゆき
西田 敏行
本名 同じ
生年月日 1947年11月4日(65歳)
出生地 日本の旗 日本福島県郡山市
血液型 B型
職業 俳優歌手タレント司会者
活動期間 1967年 -
事務所 オフィスコバック
公式サイト 西田敏行 Nishida Toshiyuki (2011年11月25日より更新されている)
西田敏行公式HP (2013年3月 2年ぶりの更新再開)
主な作品
池中玄太80キロ
八代将軍吉宗
釣りバカ日誌』シリーズ
備考
歌手「もしもピアノが弾けたなら」
探偵!ナイトスクープ』2代目局長

西田 敏行(にしだ としゆき、1947年(昭和22年)11月4日 - )は、日本俳優歌手タレント司会者である。

福島県郡山市出身。オフィスコバック所属。明治大学付属中野高等学校卒業、明治大学農学部中退。身長166cm体重80kg超。主演の映画『釣りバカ日誌』は1988年(昭和63年)から2009年(平成21年)まで20作続いた代表作である。日本俳優連合理事長。

目次

来歴・人物[編集]

幼少・学生時代[編集]

5歳の時に父が亡くなり、同じ郡山市内に住む母方の伯母夫婦に引き取られた。

少年時代は映画好きの義父に連れられ映画館へ通い、チャンバラ映画に熱中した。観る側より映画のスクリーンに映る自分の姿をぼんやりとながら夢想していた。中学校では演劇活動をするクラブはあったが、当時は男子生徒はスポーツをすることが一般的だった風潮であった上に、部員が女子生徒ばかりということもあり、演劇には興味があったが入部に気後れする。

高校に進学してバレーボール部に入部。男子部員が居なくて困っていた演劇部の女子部員から、男役として部に協力するという顧問のような形で演劇部に参加。東京で就職し福島に帰郷した中学時代の同級生の垢抜けた風貌と口調に、演劇が好きでも福島弁でしか演じられない現状に自問して、標準語を習得すべく親と相談して上京を志す。

1966年(昭和41年)、明治大学入学と同時に日本演技アカデミー夜間部に入り、同年大学を中退して夜間部から昼間部に移り、翌年に卒業。仲間と劇団『シアター67』を結成するが失敗。1968年(昭和43年)、青年座俳優養成所に入り、1970年(昭和45年)に卒業し、青年座座員となる。1970年(昭和45年)の青年座公演『写楽考』では早くも主役に抜擢され大器の片鱗を見せた。

本格的に役者へ[編集]

1967年(昭和42年)にテレビドラマ『渥美清の泣いてたまるか』でテレビ俳優としてデビューしている。その個性的な演技と、愛嬌のある顔立ちや体型で人気が出て、1977年(昭和52年)には『特捜最前線』、1978年(昭和53年)には『西遊記』に出演。さらに1980年(昭和55年)には『池中玄太80キロ』を主演するなど連続ドラマで活躍。

また、歌手活動も精力的に行い、1981年(昭和56年)に『もしもピアノが弾けたなら』は大ヒットとなった。なおNHK紅白歌合戦において司会、歌手、審査員、応援の基本となる4つの出演パターン全てで出演した経験があるのは西田のみである。

1988年(昭和63年)から映画の『釣りバカ日誌』シリーズに出演し、本人の素に近いコミカルな演技を見せる。第1作から始まり最終の第22作までで20年以上に渡る長期シリーズとなり、自身の代表作の1つとなった。

さらなる活躍[編集]

2001年(平成13年)『探偵!ナイトスクープ』の2代目局長に就任(詳しくは 後述 「探偵ナイトスクープ」)。

2003年(平成15年)心筋梗塞で倒れる。それまでは1日に数箱喫煙するヘビースモーカーだったが、入院中に吉永小百合からの助言もあり禁煙宣言をした。なお、全快後のインタビューで「ここで死んだら遺作(のタイトル)が『ゲロッパ!』になるが、それだけは避けたかった」とのコメントを残している。

また、師事していた劇団青年座元代表の金井彰久(声優、かないみかの父)の死去により、青年座を退団。元青年座のスタッフが設立したオフィスコバックに移籍。

2008年(平成20年)11月、演劇界での活動が認められ、紫綬褒章を受章。また、日本俳優連合理事長に就任。俳優の資質や地位の向上・権利問題などにも取り組んでいる。後に2009年度日本アカデミー賞会長功労賞を受賞。

2012年社団法人日本喜劇人協会主催の喜劇人大賞を受賞。

エピソード[編集]

大河ドラマについて

NHK大河ドラマに数多く出演しており、初出演した1972年(昭和47年)の『新・平家物語』から、2013年(平成25年)放送予定の『八重の桜』まで、出演作品数は計12作にのぼる。

歴代の徳川将軍家の人物を演じることが多く、『八代将軍吉宗』では徳川吉宗、『葵徳川三代』では徳川秀忠、『功名が辻』では徳川家康、と、3名の徳川家将軍を演じている。特に『功名が辻』で家康役を演じるにあたり、見た目や体型が書籍でよく描かれている家康像に似ているため、より家康の姿に似せるために、特殊メイクで福耳を施して演じた。また、『おんな太閤記』では豊臣秀吉を演じ、西田の台詞「おかか」(正室・ねねの呼称)は当時の流行語になった。なお、大河ドラマのみで三英傑のうち二人以上演じたのは西田が唯一である。但し、大河枠以外の作品を含めた場合は、3人全員演じた俳優(例:中村橋之助)もおり、西田は織田信長を演じていないためこの中には含まれない。

1990年(平成2年)の『翔ぶが如く』に西郷隆盛役で出演を依頼された際に故郷(会津)の友人に相談したところ、「長州は駄目だが、薩摩なら大丈夫だ」と言われたので出演を引き受けたとのこと[1]。また、2013年(平成25年)の『八重の桜』に西郷頼母役で出演をし、両西郷を演じるのは日本テレビの年末時代劇で出演していた里見浩太朗についで二人目である。

松崎しげるらとの親交

互いが売れ始める前(松崎24歳、西田26歳)からの飲み友達で、毎晩のように飲み歩いては、互いの愚痴を吐き出しながら、励まし合う仲だった。そんな中でも知り合いや先輩が経営する飲食店に顔を出してリクエストに応えて歌うと、無料で飲み食いさせてもらえるメリットがあった。そうした中で出来上がったのが「客の出す3つの『お題』を入れて即興で歌を作る」という、落語三題噺のようなネタ。松崎は元より、西田も歌唱力と音楽的センスがあったため、二人の即興デュエットは当時の六本木界隈では有名になった。その噂を聞きつけたTBSのスタッフが二人を進行役に起用したテレビ番組が『ハッスル銀座』(1975年)だった。この番組では、視聴者から寄せられるハガキのエピソードを元に即興で歌を作り、披露するコーナーが評判となった。この番組出演が契機となり、翌1976年には松崎は『愛のメモリー』がCMに起用され、スペインのマジョルカ音楽祭・最優秀歌唱賞を受賞する等注目され始め、西田はTBSのドラマ『三男三女婿一匹』への出演などを経て、その主役を喰うほどの演技力が高く評価される。さらに翌1977年には共にブレイクし、人気を不動のものにしていく。以来、親交は続き、現在でも無二の親友同士である[2]。 また、この松崎に加え、柴俊夫田中健志垣太郎も当時からの親密な友人で、家族ぐるみで親交がある。『即興ソング』は現在でも松崎、西田の十八番ネタである。

武田鉄矢とも親交が深く、NET→テレビ朝日みごろ!たべごろ!笑いごろ!』(1976年10月~1978年3月)の番組中のコントで初共演し、二人でコーナーを担当するようになって以来、家族ぐるみの仲である。

田淵幸一との親交

プロ野球は福島県出身ということで東北楽天ゴールデンイーグルスファンクラブ名誉会員として名を連ねているが、自身は大の阪神タイガースファン(阪神ファン)である。2006年5月には、甲子園球場で行われた阪神対ヤクルト戦にて始球式を務めている。

1979年(昭和54年)にはいしいひさいち原作のアニメ映画『がんばれ!!タブチくん!!』で主人公のタブチくんの声を担当した。プロ野球阪神タイガースのファンで、『がんばれ!!タブチくん!!』のタブチ役を演じたことから、映画のモデルである田淵幸一と今日まで長く親交を続けている。ちなみに『探偵!ナイトスクープ』に元阪神の田淵がときどきゲスト出演するのはこの縁からである。

「探偵ナイトスクープ」

番組の局長(司会者)になって以来、番組以外でも「局長」と呼ばれることが増えている。起用された理由は「同番組の大ファン」だったから。同番組では関西弁交じりで話し、非常に涙もろい一面が伺え、依頼内容に少しでも感動的な要素があると、ほぼもれなく涙を流している。そのあまりに涙もろい点から、大阪で移動にタクシーを利用すると、運転手に「なんであれで泣くの?」と聞かれることがあるという[3]

その他のエピソード

イメージ的に「いい人」的な役回りが多いため、「白い巨塔」では金に物を言わせて根回しをする悪役を演じるにあたり、意地汚いイメージを出そうと付けにカツラを着用して演じた。製作発表の席で駄洒落交じりで、「私の役名は財前又一(またいち)ですので、財前ヌーとは読まないで下さい。」と、笑いを誘った。それから4年後には白い巨塔と同じ、山崎豊子原作の『華麗なる一族』に又一と比較して「いい人」である大川一郎役で出演している。この役は又一と同じく、主人公万俵鉄平(演:木村拓哉)の妻の父、いわゆる義父である。

打ち上げなどでは、『即興ソング』以外にも旺盛なサービス精神と芸達者ぶりを披露し、周囲を笑いに巻き込んでいる。持ちネタとして、エルビス・プレスリー丹波哲郎のものまねなどがあり、最近では「シャンソン風『与作』」(北島三郎の『与作』のカラオケに合わせて、でたらめなフランス語を駆使して「シャンソン風」に歌いあげる。シャンソン風なので、サビの部分は「与作」を「ピエール」に変え、語りかける、というもの)が『SMAP×SMAP』など、ゲスト出演したバラエティ番組で紹介されている。

NHK紅白歌合戦』には、出場歌手、司会(白組司会)、応援ゲスト、ゲスト審査員、応援団長、ナレーションと様々な形で出演を果たしてきた。出場歌手、司会、応援、ゲスト審査員を全て経験しているのは西田のみである。

出演作品[編集]

映画[編集]

釣りバカ日誌シリーズ[編集]

テレビドラマ[編集]

舞台[編集]

  • 情痴 (青年座劇場 1970年)
  • どらまないと (青年座劇場 1970年)
  • 抱擁家族 (青年座劇場 1971年)
  • 写楽考 (俳優座劇場 1971年 , 紀伊国屋ホール 1972年)
  • 悲喜劇おんな系図 (青年座劇場 1971年)
  • 明治の柩 (紀伊国屋ホール 1973年)
  • 神々の死 (紀伊国屋ホール 1973年)
  • 私はルヴィ (俳優座劇場 1975年)
  • 写楽考 (紀伊国屋ホール 1977年)
  • セチュアンの善人 (紀伊国屋ホール 1978年)
  • 盟三五大切 (国立劇場小劇場 1979年)
  • 欲望という名の電車 (紀伊国屋ホール 1979年)
  • 冒険ダン吉の冒険 (紀伊国屋ホール 1981年)
  • 江戸のろくでなし (サンシャイン劇場 1982年)
  • 弥次喜多 (サンシャイン劇場 1985年)
  • からゆきさん (サンシャイン劇場 1990年)
  • 屋根の上のヴァイオリン弾き (帝国劇場 1994年-2001年 , 梅田コマ劇場 2001年)
  • つくづく赤い風車-小林一茶- (池袋西口テント劇場 1995年)
  • リセット (紀伊国屋ホール 1999年)

ラジオ[編集]

劇場アニメ[編集]

人形劇[編集]

その他テレビ番組[編集]

バラエティ番組[編集]

ドキュメンタリー・教養番組[編集]

  • 人生の楽園(テレビ朝日) - 2代目ナレーション
  • こころの遺伝子 〜あなたがいたから〜(2010年4月-7月、NHK) - 司会
  • “花は咲く”スペシャル
    • “花は咲く”スペシャル〜一つの歌がつむぐ物語〜(2012年9月5日、NHK)
    • “花は咲く”スペシャル〜復興を願う心のうた〜(2013年3月14日、NHK)
  • NHKスペシャル 3.11 あの日から2年「福島のいまを知っていますか」(2013年3月14日、NHK)

音楽番組[編集]

CM[編集]

音楽[編集]

歌詞提供[編集]

  • 花ひとつ 夢ひとつ(堀江淳2013年
    • 発売元はビクターエンタテインメント。

NHK みんなのうた[編集]

  • のらねこ三度笠 (放送時期:1980年6月~7月期) 作詞:たかはし雅美、作曲:中村勝彦、、アニメーション:倉橋達治
  • こんな日がほしかった (放送時期:1984年2月~3月期) 作詞:杉紀彦、作曲:森田公一、実写

その他[編集]

  • 西田敏行さん主演『星守る犬』(2011年6月3日、朝日新聞夕刊3面「映画 ART&CULTURE」インタビュー)
  • 映画『星守る犬』公開記念対談 西田敏行×村上たかし(2011年6月3日、朝日新聞朝刊全面広告10面)

栄典[編集]

受賞歴[編集]

映画賞[編集]

ノミネート[編集]

日本アカデミー賞

  • 1985年:助演男優賞『天国の駅』
  • 1987年:主演男優賞『植村直己物語』
  • 1993年:主演男優賞『寒椿』
  • 1993年:助演男優賞『おろしや国酔夢譚
  • 1997年:主演男優賞『学校II
  • 2004年:主演男優賞『ゲロッパ!』・『釣りバカ日誌14』

脚注[編集]

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  1. ^ 朝日新聞 2010年6月8日東京版夕刊2面『ニッポン宝探し -福島-』での本人インタビュー記事より
  2. ^ vol4. 松崎しげるインタビュー”. OCN TODAY. 2013年5月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年5月閲覧。
  3. ^ ANA機内誌『翼の王国』2007年8月号掲載インタビュー
  4. ^ 映画タイトルの参照先
    『あさひるばん』ティザー公式サイトをオープンしました!”. 松竹株式会社(映画配給元). 2013年6月7日閲覧。
  5. ^ 松ケンが主演男優賞/映画賞” (日本語). nikkansports.com. 日刊スポーツ新聞社 (2011年12月6日). 2013年5月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年12月6日閲覧。

外部リンク[編集]