北村一輝

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きたむら かずき
北村 一輝
本名 北村 康(きたむら やすし)
生年月日 1969年7月17日(45歳)
出生地 日本の旗 日本 大阪府大阪市
国籍 日本の旗 日本
民族 日本人
身長 178 cm
血液型 A型
職業 俳優
ジャンル テレビドラマ映画ナレーター舞台
活動期間 1991年 -
配偶者 独身(離婚歴あり)

北村 一輝(きたむら かずき、1969年7月17日 - )は、日本俳優。本名、北村 康(きたむら やすし)。大阪府大阪市出身。フロム・ファーストプロダクション所属。弓削商船高等専門学校中退。身長178cm。体重68kg。当初は本名で活動していたが、1997年の映画出演が縁で三池崇史監督によって「北村一輝」と改名する。

来歴・人物[編集]

生い立ちより俳優業へ[編集]

幼少期より映画好きであったという。なかでも深作欣二監督の『蒲田行進曲』に衝撃を受ける。また、タイロン・パワー主演の『海の征服者』を観て海賊に憧れを抱き、「海賊になる」ために商船高専(当時は、航海学科、機関学科の2学科、修業年限は5年6か月(練習船実習1年含む))に進学したが「海賊になれない」事に気がつき三年で中退して、もう一つの夢であった役者を志す。「役の上ならどのような人間にもなれる。海賊にもなれる」と、俳優を志した理由を『徹子の部屋』出演時に語っている。

19歳の時に上京する。事務所やオーデションを片っ端から受けるもエキストラがせいぜいであった。売り込むために本人とマネージャーの一人二役をこなしていた事もあったがなかなか芽は出ず、失意の中一度は廃業しオーストラリア南アメリカ東南アジアなどおよそ4年間海外で放浪生活をしていた。しかし「これでは逃げ出したままで終わってしまう」と思い直し一路帰国の途に就く。俳優活動を再開し、やがて三池作品や望月六郎監督作品と出会った事がターニングポイントとなり今日の活躍に到る。

略歴[編集]

エピソード[編集]

  • 1997年公開『鬼火』では、ゲイバーのママの役作りのための店に行く金が無いので何週間も新宿二丁目の通りに立ち、果たして声をかけて来た客にゲイバーに連れていってもらった。また、望月六郎監督に連れられ主演の原田芳雄に初めて挨拶した際、原田は役柄で黒のショートパンツ姿だった北村を見て、てっきり本物のゲイを起用したものと勘違いした程だったという。
  • 1998年公開『JOKER 厄病神』では、チンピラ役で出演。役作りで前歯数本を抜こうと歯科医に頼んだら、困惑されたという。
  • 2005年当時の雑誌のインタビュー内で、「自分の好きなところ、嫌いなところは?」との質問に対し、「全てにおいて力加減が下手」と述べている。
  • 中国や映画 怪物くんのロケで、現地の俳優からインド人に間違えられてしまった。
  • 上京後、賃貸の住まいでも室内の壁紙が気にそぐわないと独断で張り替えてしまい、退去時に負担する羽目になった。張り替え作業の玄人並みの腕前をスタジオで披露し、見事成功。カメラに向かって大工(実家は内装業)である父に、『お父さん!やりました!』と満面の笑みにガッツポーズで報告した。[要出典]
  • 上戸彩との共演が多い(『あずみ』シリーズ、『ひと夏のパパへ』、『ホカベン』、『テルマエ・ロマエ』、『昼顔~平日午後3時の恋人たち~』など)。
  • 「ディスカバ!99超有名人大集合SP」では、仕事の帰りに遠出をしロケ先で見つけた人気のない所、番組では神社の前などのスポットで1人で5時間ほどぼ〜っとする趣味を公開した。
  • 英語を覚えることに熱心で、数人の外国人とルームシェアしているほか、長男とも英語について電話で会話することがある。[1]
  • 二人兄弟の次男。

出演作品[編集]

映画[編集]

オリジナルビデオ[編集]

テレビドラマ[編集]

連続ドラマ[編集]

単発ドラマ[編集]

舞台[編集]

ラジオドラマ[編集]

ナレーター[編集]

語学番組[編集]

CM[編集]

ミュージック・ビデオ[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 男の履歴書 北村一輝編”. インライフ. 2014年1月13日閲覧。
  2. ^ 北村一輝が妖艶に絡むTHE RiCECOOKERS「SPEC」曲PV(2014年1月9日)、ナタリー、2014年1月9日閲覧。

外部リンク[編集]