蒲田行進曲

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蒲田行進曲』(かまたこうしんきょく)は、

  1. 松竹キネマ(現・松竹株式会社蒲田撮影所の所歌。原曲はプラハ生まれの作曲家ルドルフ・フリムルRudolf Friml, 1879年12月2日 - 1972年11月12日)の1925年オペレッタ『放浪の王者』(The Vagabond King / Král tuláků)の中の「放浪者の歌」(Song of the Vagabonds)で、その旋律に堀内敬三が歌詞を付けて映画「親父とその子1929年、監督・五所平之助)」の主題歌として発表された。1929年昭和4年)8月川崎豊曽我直子のデュエットで、日本コロムビアからレコードが発売され流行歌となった。1936年(昭和11年)に藤山一郎西条八十の詩によりビクターからリリースした「希望の船路」でも知られる。1982年(昭和57年)10月21日、映画『蒲田行進曲』に使用された松坂慶子風間杜夫平田満の3人によるカバー盤が日本コロムビアからシングルレコードとして発売された。JR東日本京浜東北線蒲田駅では発車メロディとしてこの曲を使用している。その他、火薬田ドンの登場シーンのラストにおけるBGMにも用いられたりする。
  2. つかこうへい作・演出の劇作品とそれを原作とした小説、映画、テレビドラマ作品。本項で詳述。

あらすじ[編集]

東映京都撮影所は、5年に1度の大作「新撰組」の撮影に沸いていた。何といってもそのウリは、撮影所自慢の高さ数十メートルの樫の木の大階段で撮影するダイナミックなクライマックスである。池田屋に討ち入った新撰組隊士が、スタントを担当する“大部屋”役者を大階段の上から斬りおとし、壮絶に落下して行くその様を大迫力で映し出して映画を締めくくる、いわゆる『階段落ち』である。

もちろん、落とされた役者はただではすまない。軽くて半身不随、重ければ死亡という多大なリスクが付きまとう。しかし、撮影所の大部屋にすし詰めにされて日々を過ごす大部屋役者達が、それと引き換えに1日だけスターになれるのが、この映画だった。

この年、土方歳三役でその主役を張るのは倉岡銀四郎だった。彼には、自分を「銀ちゃん」と呼んで慕うヤスという大部屋役者がついていた。2人は、スターと大部屋という奇妙な組み合わせでありながら、それ以上に奇妙な関係を持っていた。銀四郎の恋人であり、その子を身ごもった女優・水原小夏を、彼は出世のためにヤスに押し付けたのだ。

妻の腹の中にいるのが自らの子ではないと知りながら、夫となったヤスは大部屋として危険な役をこなしてお産の費用を出そうとする。結婚してからも銀ちゃんに惚れ込んでいた小夏の心は、子供の父親として頑張るヤスへと次第に移って行く。が、そこに、小夏が自分にとってもっとも大事な女性だと気づいた銀四郎が戻ってくる。

劇作品[編集]

新選組」の撮影真っ最中の京都の映画撮影所を舞台に、土方歳三役の俳優・倉岡銀四郎(銀ちゃん)を中心に繰り広げられる、人間味溢れる活劇に仕上がっている。クライマックスシーンの10メートルの高さの階段から転がり落ちる「階段落ち」は圧巻。後に続編として『蒲田行進曲完結編〜銀ちゃんが逝く』が製作された。『熱海殺人事件』『ロマンス』等と並ぶつかこうへいの代表作の一つであり、舞台、書籍、映画化されている。なお、直木賞の選評で選考委員の一人五木寛之は、『蒲田行進曲』を天皇制と身分制度についての影絵文学としている。

1980年昭和55年)11月、つか主宰の劇団つかこうへい事務所により紀伊國屋ホールで初演された。同年、第15回紀伊國屋演劇賞を受賞している。つかは1982年(昭和57年)に一旦演劇活動を休止し、劇団を解散するが、解散公演では本作が再演された。その後も1999年平成11年)、2000年(平成12年)、2006年(平成18年)とたびたびキャストを変えて上演されている。

主要キャスト[編集]

1980年(初演)
1982年(つかこうへい事務所解散公演)
  • 銀四郎 - 加藤健一 ※公演前半
  • 銀四郎 - 風間杜夫 ※公演後半
  • 小夏 - 根岸季衣
  • ヤス - 平田満
1999年・2000年
2006年

銀ちゃんの恋[編集]

主なキャスト
  1996年月組 2008年花組 2010年宙組
倉岡銀四郎 久世星佳 大空祐飛
水原小夏 風花舞 野々すみ花
平岡安次(ヤス) 汐風幸 華形ひかる 北翔海莉
ヤスの母 邦なつき
監督 真山葉瑠 悠真倫 寿つかさ
樹里咲穂 真野すがた 春風弥里
朋子 逢原せりか 華耀きらり すみれ乃麗

小説[編集]

劇作品の上演用戯曲をつかこうへい自身が小説化した作品。初出は『野性時代1981年10月号発表の「銀ちゃんのこと」。『蒲田行進曲』と改題、加筆の上、同年11月に単行本化され、1982年1月には第86回直木賞を受賞した。

映画[編集]

蒲田行進曲
監督 深作欣二
脚本 つかこうへい
製作 角川春樹
出演者 松坂慶子
風間杜夫
平田満
音楽 甲斐正人
主題歌 オープニング:
松坂慶子・風間杜夫・平田満
「蒲田行進曲」
エンディング:
中村雅俊恋人も濡れる街角
撮影 北坂清
編集 市田勇
配給 松竹
公開 日本の旗 1982年10月9日
上映時間 109分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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戯曲をつかこうへい自身が映画向けに脚色し、深作欣二が監督した映画作品。1982年(昭和57年)に松竹と角川春樹事務所が共同製作した、いわゆる角川映画として松竹系で公開された。同時上映は『この子の七つのお祝いに』。TBSは製作に名前を連ねていないが、資金不足を補うため、完成前に角川春樹がTBSに放送権を売って、放送権料という形で3億円を出資している[1]

角川春樹が提案した『蒲田行進曲』映画化の企画を、東映社長の岡田茂は「当たらないから」と断ったために[2]、松竹が製作にあたった。当時の日本映画界を席捲していた角川映画とやっと念願の提携を果たした松竹であったが、撮影は松竹の撮影所でなく、あえて東映の京都撮影所で撮影するという異例の試みが取られた[1][3][4]。監督も東映出身の深作欣二であり、こうしたねじれがあったせいで最初は東映側、松竹側の双方で軋轢があったという[4]。もともと『蒲田行進曲』は松竹の蒲田撮影所を舞台としているものの、つかこうへいは東映京都撮影所の大部屋俳優である汐路章の階段落ちの逸話をテレビ『徹子の部屋』で汐路が語ったことで知り、モデルに執筆したものであり[5][6]、実際は時代劇全盛期の東映京都の話と解釈される[7][8]

配役は松竹作品ということで、まずヒロインの小夏に松坂慶子が起用された。銀四郎とヤスについては難航し、プロデューサーの角川の提案で松田優作に銀四郎役の出演依頼がなされたが松田は辞退し、結局スケジュールの余裕がなくなったことから、実力派の風間杜夫と平田満が主役に起用され、結果的に2人の出世作となった[9][10]。風間が深作に指名されたのは撮影直前のことだった[11]。また、映画でキャリアのない平田に対して深作は「舞台のままにやってくれたらいい」と気遣ってくれたという[12]。上述の通り、岡田は角川に「ヒットしない」と語っていたが[1]配給収入は17億6千万円と大ヒットを記録[13]。アンコール上映も行われた[1]。それまで角川映画は大量宣伝によりヒットしていた一方で、話題先行で質が伴わないという風評があったが、本作によってようやく作品的にも評価されるようになり[7][14][15]、第6回日本アカデミー賞をはじめ映画界の各賞を多数受賞した。大量の宣伝スポットによりヒットしてきた角川映画において、口コミ中心で面白さが伝わり大ヒットしたことも角川映画としては異例であった[13]

ちなみに、松竹映画の名監督の野村芳太郎は、自分たち松竹映画の過去を象徴する「蒲田行進曲」というタイトルの映画を東映出身の深作欣二に撮られたことに憤り、4年後の1986年に自らプロデューサーとして映画『キネマの天地』を企画した[要出典]。なお、蒲田撮影所時代を経験している松竹のカメラマンだった厚田雄春は、インタビュー本『小津安二郎物語』において、『蒲田行進曲』『キネマの天地』のどちらの映画も蒲田時代の雰囲気が出ていなかったと評している[16]。オープニング曲は、後にプロ野球で加藤博一横浜大洋ホエールズ)の応援歌となったほか、JR東日本京浜東北線蒲田駅発車メロディとしても使われている。

キャスト[編集]

スタッフ[編集]

受賞[編集]

  • キネマ旬報ベスト・テン
    • キネマ旬報ベスト・テン1位
    • 読者選出ベスト・テン1位
    • 日本映画監督賞
    • 脚本賞
    • 主演女優賞
    • 助演男優賞
    • 読者選出日本映画監督賞
  • 毎日映画コンクール
    • 日本映画大賞
    • 監督賞
    • 女優演技賞
    • 美術賞
    • 日本映画ファン賞
  • ブルーリボン賞
  • 日本アカデミー賞
    • 最優秀作品賞
    • 最優秀監督賞
    • 最優秀脚本賞
    • 最優秀主演男優賞
    • 最優秀主演女優賞
    • 最優秀助演男優賞
    • 最優秀音楽賞

テレビドラマ[編集]

蒲田行進曲(1983年)[編集]

TBSにて、1983年6月22日に前編、6月29日に後編と、2回に分けて放送されたテレビドラマ。主役の沖雅也が6月28日に飛び降り自殺したことから、翌日の後編の放送分は特に話題を呼ぶこととなった。

スタッフ[編集]

キャスト[編集]

続・蒲田行進曲 銀ちゃんが行く(1991年)[編集]

TBS1991年年末ドラマスペシャル。

キャスト[編集]

参考文献[編集]

  • 深作欣二、山根貞男『映画監督深作欣二』ワイズ出版、2003年、pp.396-404

出典[編集]

  1. ^ a b c d キネマ旬報』2000年10月下旬号。角川春樹インタビュー。
  2. ^ 『映画監督深作欣二』p.397。
  3. ^ 山根貞男『日本映画の現場へ』筑摩書房、1989年、pp.9-10。
  4. ^ a b 金田信一郎『テレビはなぜ、つまらなくなったのか スターで綴るメディア興亡』日経BP社、2006年、pp.116-118。
  5. ^ 山根貞男、米原尚志『仁義なき戦いをつくった男たち 深作欣二と笠原和夫』NHK出版、2005年、p.46。
  6. ^ 『キネマ旬報』2006年12月下旬号。黒柳徹子インタビュー。
  7. ^ a b 『キネマ旬報ベスト・テン全史1946-1996』キネマ旬報社、1984年初版、1997年4版、p.212。
  8. ^ 『映画監督深作欣二』p.398。
  9. ^ 聞き手西村明「インタビュー 松田優作―二度すれ違って、初めて会った役者 深作欣二」『松田優作クロニクル』キネマ旬報社、1998年、pp.70-71。
  10. ^ 角川春樹『試写室の椅子』角川書店、1985年、p.172。
  11. ^ 深作欣二「蒲田行進曲」風間は撮影直前に指名
  12. ^ 深作欣二「蒲田行進曲」素人、平田満への気遣い
  13. ^ a b 大高宏雄『興行価値』鹿砦社、1996年、p.86。
  14. ^ 野村正昭『天と地と創造』角川書店、1990年、p.17。
  15. ^ 重政隆文『勝手に映画書・考』松本工房、1997年、p.20。
  16. ^ 『勝手に映画書・考』p.162。

外部リンク[編集]