赤井英和

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赤井 英和
基本情報
本名 赤井 英和(あかい ひでかず)
通称 浪速ロッキー
階級 スーパーライト級
国籍 日本
誕生日 1959年8月17日(49歳)
出身地 大阪府大阪市西成区
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 21
勝ち 19
KO勝ち 16
敗け 2
  

赤井 英和(あかい ひでかず、1959年8月17日 - )は、日本俳優タレント。元プロボクサー大阪府大阪市西成区出身。プランニングメイ所属。血液型はA型。身長176cm、体重82kg。私立浪速高等学校近畿大学商経学部卒。

ボクサーとして「浪速のロッキー」の異名を取る活躍を見せた後、俳優としてデビュー。バラエティタレントとして関東・関西で活躍した。現在は東京では俳優としての活動が主体である。大阪ではバラエティ活動を継続している。

目次

[編集] 来歴・人物

[編集] プロボクサーデビュー

浪速高等学校入学と同時にボクシング部で活躍し、3年生にライトウェルター級インターハイ、アジアジュニアアマチュアボクシング選手権を優勝した実績を引っさげて、近畿大学進学。浪高の2学年下のインターハイチャンピオン釘田修吉(現在タレントの和泉修)とは今も交友がある。同期で大阪のライバル高、浪商のボクシング部には名城信男の恩師である高見公明もいた。高見は赤井と同じインターハイで優勝している。モスクワオリンピックでも日本代表は確実視された。しかしいわゆる東西冷戦のあおりを受け日本代表の出場辞退(ボイコット)によりオリンピックへの道を断念。学生プロボクサーに転向することが決まり、1980年9月愛寿ボクシングジム(現グリーンツダボクシングジム)に入門。アマチュア時代は、新日本先進ボクシングジム(現新日本大阪ボクシングジム)に、在籍していた。

[編集] 高校時代

中学・高校時代、かなりの『ヤンチャ』で喧嘩に負けた事がなく、大阪一帯にその名は響き渡っており、自分より弱い者には全く手は出さず、常に「ここで一番強いの誰や! 勝負せい!」といった道場破り的な喧嘩を繰り返していたとされている。しかし、自伝などによれば両手の指に数えられるくらいしかしたことないと主張をしている。
その一方で友人も多く、テレビ番組内で中学卒業時の文集が公表された際、その内容は37名の友人のおかげで充実した3年間を送れた事に対する感謝の気持ちを著したものだった。

大学生のとき、当時の恋人の影響で茶道部に在籍した(2007年10月24日放映の『森田一義アワー 笑っていいとも!』より)。

[編集] トミーズ雅との関係

公立高校の併願では住吉高校を受験しており、同学年であったトミーズ雅にその姿を目撃されていた。優等生が集まる名門校の受験会場の中、ただ一人不良丸出しの学ラン姿で受験に来ており、しかも机の上に足を投げ出して弁当を食べていたので相当目立っていたらしい。その時お互いが誰であるかは知らなかったものの、血気盛んな双方はメンチを斬り合って一触即発の危機となる。受験会場ということもあって喧嘩は回避されたが後日、雅はそれが赤井であったことを知り「喧嘩せんで良かったー」と安心したと同時に赤井の不合格を祈ったと語っている。合格発表の際、自分の受験番号よりも先に赤井の受験番号を探し、赤井の不合格を見つけ、ホッとをなで下ろしたという。奇しくもこのとき出会った二人は、後に同じボクサーから芸能界への道を歩むことになる。

トミーズ雅はスーパーウェルター級のランカーであり、赤井が所持していたスーパーライト級より重い階級である。尚一度だけ赤井と雅はスパーリングを行なった事がある。先輩でなおかつ階級が下の赤井に教えてやろうと思ったが、赤井の左ジャブ一発で「こいつには勝てない」と悟ったという。

[編集] 浪速のロッキー

プロになってからの赤井は、攻撃型ボクサーとして当時の日本記録であるデビュー以来12試合連続ノックアウト勝ちという快挙を成し遂げ、その試合スタイルから「浪速のロッキー」という愛称が付いた。強打を武器に世界タイトル獲得も時間の問題とまでいわれ、試合後のユニークなインタビューのコメントも人気を呼び、ノンタイトル戦ながら全国中継(朝日放送発)で取り上げられるまでに注目を集めた。

しかし、相手選手の選択について無名または格下の選手が多かったこと、所属ジムであるグリーンツダジムでは赤井以降も同じようなマッチメイクをしていたことなどから、当時から現在に至るまでその実力には疑問符もついている。後にインタビューでこの点を指摘された赤井は周囲の人間の事も考慮して比較的冷静に答えている。

[編集] 世界タイトル挑戦

1983年7月7日、近畿大学記念会館で行われたWBC世界スーパーライト級タイトルマッチでアメリカのブルース・カリーに挑戦。試合前日の記者会見で「7月7日やから7回に倒してパチンコのフィーバーにしたる」と宣言していたが、皮肉にも第7ラウンドでテクニカル・ノックアウト負けを喫してしまい、世界タイトルは逃してしまった。まもなく敗戦のショックで引退をほのめかすような一筆を残し失踪。しかし、数日後現役続行を決意する。

この世界挑戦敗退後、正式に赤井の専属トレーナーとなるエディ・タウンゼントは誰とは明言していないが、そのボクサーは優れた才能は持っているがボクサーとしては(「女性」などの)誘惑に弱すぎた、誘惑の味を知ってからの世界へのスタートは遅すぎる、という趣旨の発言を後にしているが(「赤井とはもう少し早く一緒にやりたかった」等)、この発言は赤井のことを示しているとされている。

[編集] KO負け・怪我・引退

その後再び赤井は世界を目指すべく再起をかけることになり、2度目の世界タイトルを目指そうとした前哨戦として1985年2月5日に開かれた大和田正春との試合に臨むが、またも第7ラウンドでのノックアウト負けの後、意識不明に陥る。急性硬膜下血腫脳挫傷と診断され、大阪市内の富永病院で開頭手術が行われた。搬送時生存率20%、手術後生存率50%と極めて重篤な状態であったが、無事に回復(本人曰く、開頭中に意識が回復し、タオルで包まれた自分の脳を触ったという。触ると強烈な吐き気を催したが、その理由が解らず何度も触っては吐き気を催したと証言していた)。回復後はボクサー復帰も視野に入れていたが、医師からボクサーを引退するように勧告を受け現役を引退する。

この生死をさまよっていた時、浪速高等学校ボクシング部の先輩であった藤本義一は、気の早いあるスポーツ紙に追悼文を書くように依頼されたという。しかし、「(まだ死んでもいないのに)冗談じゃない!」と一蹴した。その後、赤井は、藤本と出会った際に「ありがとうございました」と、お礼を言ったという。

赤井は試合前のレフェリーチェックの際、相手のアゴを睨んでいるが、カリー戦、大和田戦では何故か「メンチ」をきっていた。

[編集] 俳優・タレントとしての経歴

赤井は引退後母校・近畿大学のボクシング部コーチなど後継者育成を行っていたが、1988年に映画『またまたあぶない刑事』にゲスト出演し俳優デビューを飾る。エンドロールには、名前の隣に「(浪花のロッキー)」のテロップがある。そして1989年に上映された阪本順治監督の『どついたるねん』で主役デビュー。この映画は赤井自身のボクサーとしての半生を絡ませた自伝的作品で、現役最終戦の対戦相手となった大和田も特別友情出演として登場し、その壮絶なファイトを再現した。

主な出演映画は、『どついたるねん』の他、『幻の光』 (1995年)、『十五才 学校IV』(2000年)など。主にキャラクターを生かした熱血タイプの関西人役が多い。『高校教師』では、生活指導に厳しい体育教師を演じる。また、『人間・失格』では、死に追い込まれた息子の復讐に奔走する父親役を演じて一躍有名になる。

1993年には、裕木奈江らと共に、24時間テレビのパーソナリティーを勤めた。

バラエティ番組にも多数出演しており、タレントしても活躍中である。また、スクーバダイビング関連会社のイメージキャラクターとしてプロフェッショナルモデルダイバーを勤めたこともある。

なお、前妻との間に生まれた次女の沙希はモデル・女優・タレントとして活動している。

[編集] 「だるま」の赤井さん

大阪新世界に、赤井はじめ彼の先輩後輩たちが立ち寄っていた串カツ店「だるま」がある。赤井は学生時代以来、ボクシングの練習の帰りや、引退してからは大阪に来る度に立ち寄る常連客であった。しかし、2000年頃、店主の病気の関係上から廃業を検討していた。赤井は「このままではいけない、何とか存続させたい」と奔走し、高校時代のボクシング部の後輩を引き抜き、店主の元で修業させた。こうして「だるま」は再び暖簾を上げ、以降も2号店、3号店をオープンさせる盛況となった。


[編集] ドラマでの共演

色々なドラマで共演している人がいるが、なかでも多いのが堂本剛。 『人間・失格~たとえばぼくが死んだら』や『セカンドチャンス』、『to Heart ~恋して死にたい~』など堂本剛と赤井英和はドラマでの縁が深い。

[編集] 戦績

  • アマチュアボクシング: 56戦 44勝 22KO・RSC 12敗
  • プロボクシング: 21戦 19勝 16KO 2敗

[編集] 獲得タイトル

  • アマチュアボクシング
    • インターハイ・ライトウェルター級優勝
    • アジアジュニア選手権ライトウェルター級優勝

[編集] 出演

[編集] 映画

[編集] テレビドラマ

[編集] バラエティ (過去に出演した番組も含む)

[編集] CM (過去に出演したCMも含む)

[編集] 舞台

  • 幻の街(1993年)
  • 石川五右衛門(1998年)
  • 浪花人情おもろい町(1999年)
  • 浪花人情パラダイス(2000年)
  • 川中美幸特別公演 おもろい女(2002年)
  • 音楽劇イシマツ~踊る東海道(2002年)
  • 人情喜劇おもろい町(2003年)
  • 大阪純情物語(2003年)
  • あかね空(2005年、2007年)
  • 神野美伽特別公演 女将さん奮闘記(2007年)
  • プリティー・ガール(2007年)
  • ファミリー大戦争~オヤジの嫁さん~(2008年)
  • 玉つき屋の千代さん~女ハスラー繁盛記~(2008年)

[編集] ゲーム

[編集] 書籍

名前の「英和」と英和辞典をかけた書名。

[編集] 音楽

[編集] シングル

[編集] 受賞歴

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク