堤幸彦

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つつみ ゆきひこ
堤 幸彦
本名 堤 幸彦
生年月日 1955年11月3日(58歳)
出生地 日本の旗 日本三重県四日市市
民族 日本人
職業 演出家
映画監督
ジャンル 実写
活動期間 1988年 -
事務所 オフィスクレッシェンド
公式サイト 堤幸彦のページ
主な作品
金田一少年の事件簿』(第1・2シリーズ)
TRICK』シリーズ
20世紀少年』3部作
ケイゾク』『SPEC』シリーズ
備考
オフィスクレッシェンド取締役

堤 幸彦(つつみ ゆきひこ、1955年11月3日 - )は、日本演出家映画監督オフィスクレッシェンドの取締役。三重県四日市市生まれ[1]愛知県名古屋市千種区出身[2]。活動初期は、堤ユキヒコ名義を使用した。

経歴[編集]

高校時代からロックに傾倒し、はっぴいえんどに憧れて上京を希望し、法政大学社会学部社会学科へ進学する。大学在学中は当時の学生運動にも参加したが、3年の頃にそれが終わり、拠りどころを失くした堤は大きな挫折感を味わい、大学を中退する。そのころ、偶然見つけた東放学園専門学校の新聞記事をきっかけに同校放送芸術科に入学し、放送業界に入る。[3]

アシスタントディレクター時代は、当時の業界の常で先輩スタッフに怒られ、理不尽な暴力を振るわれることが日常茶飯事で[4]、仕事ができず立っているだけだったので「電信柱」というあだ名をつけられる日々だった[5]

TBSEXPOスクランブル』(1985年)および日本テレビコラーッ!とんねるず』(1985年 - 1989年)のテレビディレクターから出発(コラとんでは、TBSには無断で行っていたため、「ハロルドKITAGAWA」「ローゼンKITAGAWA」「ローゼン堤」などの変名を使用)。数々のCMやプロモーションビデオの演出を手掛けながら、1986年、秋元康と会社「SOLD OUT」を立ち上げる[3][4]。のちにこの会社からは離れ、株式会社オフィスクレッシェンド所属となる。

1988年オムニバス作品『バカヤロー! 私、怒ってます』の第4話「英語がなんだ」で劇場映画デビュー。1989年に、アメリカ合衆国ニューヨークに渡り、1年半滞在する間にオノ・ヨーコの映画(『Homeless』)を撮っている[4]

堤幸彦の名を一躍世間に知らしめたのは、『金田一少年の事件簿』(堂本剛版)。その後、『ケイゾク』、『池袋ウエストゲートパーク』、『TRICK』、『SPEC〜警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿〜』シリーズ等のヒット作を通し、“堤色”というべき世界を確立し、若者たちの支持を得た。

一方、近年では『明日の記憶』や『まぼろしの邪馬台国』など、年輩層にむけたシリアスな作品や、『Kesennuma,Voices.東日本大震災復興特別企画〜堤幸彦の記録〜』『MY HOUSE』などの社会派作品も手掛けている。

2010年に愛知工業大学客員教授に就任する一方、自らも母校・法政大学の大学通信教育を利用し、文学部地理学科で学ぶ大学生でもある(2012年現在)[6][7]

作風・制作姿勢[編集]

映画とテレビドラマの世界の双方に新しいシステムを取り入れたとされている。映画の撮影においては、監督はカメラの横で指示を出すのが常であるが、堤は別の場所にテントを設置し、その中でモニターを通して撮影の指示を出し、その場で映像を編集して俳優にも見せる。こういったやり方は旧来の映画の現場からは「伝統」に反し失礼にあたる行為ととらえられることもあるが、撮影が合理的に進み、プロデューサーや俳優とイメージを伝えあいやすくコミュニケーションが取りやすくなるという[3][8]

他方、テレビドラマの現場では、それまでのテレビ局のスタジオ収録を中心とした撮影からオールロケの撮影にこだわり、それにより予算が増大するためカメラを手持ち1台に抑え、カメラ数が少ないことによる画面の単調さをカバーするためアングルに変化をつけた斬新な演出を生みだした。また、ドラマの演出にバラエティ番組のような効果音を取り入れた。この変化は以後の日本のテレビドラマ全体に大きな影響を与え、「堤以前・堤以後」と言われている。[8]

撮影の2時間前には現場に入り、イメージの確認作業をすることを常としている[5]。その際、当日の雰囲気などを反映してカット割りをその場で変更することもあり、堤のチームではこれに即座に対応できる体制を持っている[8]

また、助監督時代の経験から、黒板製のカチンコを使用すると画面にチョークの粉が飛び、カチンコ係が責められて取り直しになるという不合理でありながら伝統として続いていた習慣を排し、「ピカンコ」というボタンを押すと光るカチンコ様の道具を作り使用するというシステムを作り、助監督の負担を合理的に軽減している[4][9]

作品[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

連続ドラマ[編集]

単発[編集]

テレビCM[編集]

  • コメ兵(2010年8月、東名阪にて放映)

舞台[編集]

ビデオ[編集]

ミュージック・ビデオ[編集]

携帯ドラマ[編集]

  • 革命ステーション5+25(2009年、LISMO Video)企画・脚本

webドラマ[編集]

著作[編集]

その他[編集]

  • 20世紀少年 〜もう一つの第1章〜(2009年1月、日本テレビ)総監督
  • 20世紀少年 〜もう一つの第2章〜(2009年8月、日本テレビ)総監督

出演作品[編集]

映画
テレビドラマ
その他テレビ番組

脚注[編集]

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  1. ^ 堤幸彦 (2011年7月11日). “夜光”. 堤幸彦の2013日記(公式ブログ). 2013年3月27日閲覧。
  2. ^ 堤幸彦; 三浦展 (2012年5月29日). “なぜ、この映画を名古屋で撮ったのか--堤 幸彦監督、直球ど真ん中の異色作「MY HOUSE」を語る vol.2”. PRESIDENT online. プレジデント社. 2013年3月31日閲覧。
  3. ^ a b c この段落の出典。(チーム20S5・編 2010)
  4. ^ a b c d 「たった1つのことがものすごいマイナスの時に身を助ける」、映画「はやぶさ/HAYABUSA」堤幸彦監督インタビュー”. GIGAZINE (2011年10月6日). 2013年4月15日閲覧。
  5. ^ a b (NHK「プロフェッショナル」制作班・編 2010)
  6. ^ 瀧晴巳 (2012年5月7日). “インタビュー あの人と本の話 and more... 僕自身、まだ抗いたい、まだ逆らいたいという気持ちがあるから(堤幸彦)”. ダ・ヴィンチ電子ナビ. メディアファクトリー. 2012年6月2日閲覧。
  7. ^ 橋本奈実 (2012年5月19日). ““人間の味”する大阪・西成に見た「MY HOUSE」堤幸彦監督語る”. msn産経ニュースwest. 産経新聞社. p. 7. 2012年8月26日閲覧。
  8. ^ a b c (NHK「プロフェッショナル」制作班・編 2009)
  9. ^ 2010年代においては、映画撮影におけるフィルム撮影の衰退とデジタル化に伴い、カチンコをはじめこういった用具そのものも廃れてゆく傾向にある。
  10. ^ :堤幸彦の2010日記(現ブログ)・2010年6月14日

参考文献[編集]

外部リンク[編集]