理由なき反抗

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理由なき反抗
Rebel Without a Cause
監督 ニコラス・レイ
脚本 スチュワート・スターン
アーヴィング・シュルマン
原案 ニコラス・レイ
製作 デヴィッド・ワイスバート
出演者 ジェームズ・ディーン
音楽 レナード・ローゼンマン
撮影 アーネスト・ホーラー
編集 ウィリアム・H・ジーグラー
配給 ワーナー・ブラザーズ
公開 1955年10月27日 アメリカ合衆国の旗
1956年4月18日 日本の旗
上映時間 111分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
製作費 $1,500,000
allcinema
キネマ旬報
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理由なき反抗』(原題:英語: Rebel Without a Cause)は、1955年(昭和30年)製作・公開のアメリカ合衆国の映画である。主演を務めたジェームズ・ディーンの代表的作品。

ニコラス・レイの原作を、自らが監督を務め映画化した作品。若者達のチキンゲームが話題となり、題名が当時の若者たちを表す言葉として流行語になった。

目次

[編集] あらすじ


注意:以降の記述で物語・作品・登場人物に関する核心部分が明かされています。免責事項もお読みください。


17歳の少年ジム(ジェームズ・ディーン)は泥酔のため、集団暴行事件の容疑者として警察に連行された。彼は、そこで夜間外出で保護を受けた少女ジュディ(ナタリー・ウッド)や、仔犬を射って注意されたプレイトウ少年(サル・ミネオ)と知り合った。3人は説諭の末帰宅を許された。ジムの一家は転居続きで、つい最近この街へ来たばかりだった。彼の父親(ジム・バッカス)は意志薄弱で、家庭は男まさりの母親(アン・ドーラン)が、きりまわしていた。

翌朝、新しい学校であるドウスン・ハイ・スクールへ登校の途中、ジムはジュディに会ったが、彼女は不良学生のバズ(コリー・アレン)、ムーズ(ニック・アダムス)、クランチ(F・マゾーラ)等と一緒であった。その日の午後、学生たちはプラネタリウム館へ星の勉強に出掛けたが、不良仲間の反感を買ったジムは彼等のボスのバズに喧嘩を売られた。2人はプラネタリウム館の外でナイフを手に決闘したが守衛の仲裁を受け、その夜“チキン・ラン"と称する度胸試しをやることになった。

吹き曝しの高台でジムとバズは、それぞれボロ自動車を崖の端にフル・スピードで走らせた。ジュディやバズの不良仲間が見守る中で、ジムは巧く崖際で車から脱出したが、飛び出しそこねたバズは、そのまま谷底へ落ち込んだ。呆然としたジムはプレイトウとジュディに助けられて帰宅し、警察へ届けようとしたが、事なかれ主義の両親は許可しなかった。

強いて警察に出向いたジムは少年保護係レイ(エドワード・プラット)の不在を知り、釈然とせぬまま警察を出て、秘かに空家でジュディと会った。ムーズとクランチはジムが警察に届けるのを恐れ、プレイトウを脅してジムの住居を知った。プレイトウは怒りのあまり、父親の拳銃を持ち出すと闇の中に駈け出していった。空邸のジムとジュディは、跡を追ってきたプレイトウを1室に残し、激しい抱擁を重ねた。数刻後、ジムを追い求めるムーズたちが空家をみつけ、プレイトウは発見された。

彼は家から持ち出した拳銃を追手に放ち、クランチを倒した。間もなく附近には大掛りな警備網が張られジムやプレイトウの家族や、少年保護係のレイも駈けつけた。ジムは近くのプラネタリウム館に駈け込んだプレイトウを制止しようとした。

半狂乱のプレイトウはジムに拳銃を向け、警官に射殺された。ジムの両親は死体に寄りすがって泣き叫ぶ我が子を心から慰め、この悲劇にもお互いの理解によって、ついに終止符が打たれた。


以上で物語・作品・登場人物に関する核心部分の記述は終わりです。


[編集] スタッフ

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