デニス・ホッパー

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デニス・ホッパー
Dennis Hopper
1990年のアカデミー賞で、ジャック・ニコルソンと共に
1990年のアカデミー賞で、ジャック・ニコルソンと共に
本名 Dennis Lee Hopper
生年月日 1936年5月17日(73歳)
出生地 カンザス州ドッジシティ
国籍 アメリカ合衆国
配偶者 ブルック・ヘイワード (1961-1969)
ミシェル・フィリップス (1970)
ダリア・ハルプリン (1972-1976)
キャサリン・ラ・ナサ (1989-1992)
ヴィクトリア・ダフィ (1996-)

デニス・ホッパーDennis Hopper, 1936年5月17日 - )はアメリカ俳優映画プロデューサー

目次

[編集] 来歴

カンザス州ドッジシティ出身。高校時代彼は最も成功しそうな人物として投票された。演劇への興味を持ち、ウィリアム・シェイクスピアの演劇を特に好んだ。彼は1955年のテレビドラマ『メディック』での若いてんかん患者役でデビューした。その後、ジェームス・ディーン主演の『理由なき反抗』(1955)および『ジャイアンツ』(1956)に出演した。ディーンの1955年の自動車事故死は若いホッパーに深い影響を与えた。

1969年に監督・脚本・主演した『イージー・ライダー』はアメリカン・ニューシネマの代表作となり、ホッパーの名前も知られるようになった。この作品で共演したジャック・ニコルソンピーター・フォンダを1967年の『白昼の幻想』という作品でそれぞれ前者を脚本、後者を俳優として起用している。1970年代には飲酒や麻薬の問題、また映画会社との確執などで役に恵まれなかったが、1986年のデヴィッド・リンチブルーベルベット』で復帰した。1990年『パリス・トラウト/静かなる狂気』で、実在した犯罪王パリス・トラウトをサディスティックに演じ、この熱演が評判となり以降は性格俳優としても活躍する。一方で、絵画や写真に関しても造詣が深く、自ら個展を開くなど精力的に活動。多彩な才能をもつ。

1991年に東京で行われたコム・デ・ギャルソンのファッションショーや、審査員を務めた1995年のゆうばり国際ファンタスティック映画祭などで度々来日している。また、トヨタ・セリカ(ST200系)、ホンダ・アヴァンシアツムラバスクリンなど、日本企業のCMへの出演歴もある。2005年にはUKのバーチャルバンド『ゴリラズ』にも参加した。日本でも彼の個展が催されたことがある。

[編集] 出演作品

[編集] 映画

[編集] TV

[編集] ゲーム

[編集] 監督作品

『ハートに火をつけて』は、製作会社の無断編集に対して憤慨したデニス・ホッパーがクレジットを拒否したため、アラン・スミシーの監督名義で完成している。同作は、デニス・ホッパーの監督名義に改め、『バックトラック』の題名で日本公開された。

[編集] 外部リンク

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