デニス・ホッパー

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デニス・ホッパー
Dennis Hopper
デニス・ホッパーDennis Hopper
ホッパー(2008年6月
本名 Dennis Lee Hopper
生年月日 1936年5月17日
没年月日 2010年5月29日(満74歳没)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カンザス州ドッジシティ
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
職業 俳優映画プロデューサー映画監督芸術家写真家
配偶者 ブルック・ヘイワード(1961-1969)
ミシェル・フィリップス(1970)
ダリア・ハルプリン(1972-1976)
キャサリン・ラ・ナサ(1989-1992)
ヴィクトリア・ダフィ(1996-2010)
家族 1男3女

デニス・ホッパーDennis Hopper1936年5月17日 - 2010年5月29日)はアメリカ俳優映画プロデューサー芸術家

来歴[編集]

カンザス州ドッジシティ出身。13歳の頃、ウィリアム・シェイクスピアの演劇で複数の配役をこなしシェークスピア奨学金を得ていた。17歳でプロの劇団「ラ・ジョラ・プレイハウス」に入団し俳優としてデビューを果たした。1955年、テレビドラマ『メディック』のてんかん患者役を演じて評価されワーナー・ブラザースと契約を結んだ。[1]

その後、ジェームス・ディーン主演の『理由なき反抗』及び『ジャイアンツ』に出演。ディーンとは生き方や演劇に対する概念が共鳴していた為に1955年の自動車事故死は若いホッパーに深い衝撃を与えた。ディーンの死後、彼同様に問題児扱いされていたホッパーは『向こう見ずの男[要出典]で意見の喰い違いからヘンリー・ハサウェイ[要出典]監督と喧嘩し、ハリウッドを追われニューヨークへと活動の拠点を移した。趣味の絵画や写真撮影を嗜みながら「四人の恐迫者」等のインディペンデント映画に出演した。[1] [2]

1967年『白昼の幻想』でジャック・ニコルソンを脚本、ピーター・フォンダを俳優として迎え、1969年にはその2人を起用して監督・脚本・主演した『イージー・ライダー』はアメリカン・ニューシネマの代表作となり、ホッパーの名前も知られるようになった。1970年代には飲酒や麻薬の問題、また映画会社との確執などで役に恵まれなかったが、1986年のデヴィッド・リンチブルーベルベット』で復帰した。1990年『パリス・トラウト/静かなる狂気』で、実在した犯罪王パリス・トラウトを演じ、以降は性格俳優としても活躍する。[1]

一方で、絵画や写真に関しても造詣が深く、画家としてはアブストラクト・インプレッションニズム(小さなアプローチで大きな絵を構造化する抽象画)からフォトリアリズム(写真のようにリアルに絵画を描く描写法)を描くまでに及び、写真家彫刻家としても多彩な才能をもち、自ら世界的に個展を開くなど精力的に活動。日本において「デニス・ホッパー写真展」が催された。[1]

1991年に東京で行われたコム・デ・ギャルソンのファッションショー[1]や、1995年に審査員を務めたゆうばり国際ファンタスティック映画祭などで度々来日している。[1][3] また、トヨタ・セリカ(ST200系)、ツムラバスクリンなど、日本企業のCMへの出演歴もある。[1] 2005年にはゴリラズのアルバム『Demon Days』に参加した 。[4]

2008年にフランス最高の勲章、レジオン・ド・ヌール勲章を受賞。[5] 2010年3月にはハリウッドの殿堂入りを果たした。[6]

2009年10月に前立腺癌であることが報じられ、さらに2010年1月には癌が骨にまで転移し末期状態であると報じられた。 2010年5月29日、カリフォルニア州の自宅にて死去[6]

その他[編集]

5度の結婚をし、4人の子供がおり[7]、4番目の妻との間に息子で俳優のヘンリー・ホッパーがいる。1996年に結婚した最後で5番目のヴィクトリアとの間には娘(ゲイレン)をもうけている。生前は共和党の党員であったが[8]2008年アメリカ大統領選挙では民主党バラク・オバマを支持した[9]

デニス・ホッパーが2発の銃弾を撃ち込んで穴の開いた毛沢東の肖像画が、2011年1月11日、クリスティーズにて競売にかけられ、30万2500ドルで落札された。深夜に帰宅したデニス・ホッパーが、壁に掛かっていた毛沢東の肖像画(アンディ・ウォーホル作)と目が合い、驚いて銃で撃ったと言われている。後日、デニス・ホッパーが作者のウォーホルにこの絵を見せ、2人の共同制作の作品としたことで知られる[10]

出演作品[編集]

映画[編集]

テレビ[編集]

ゲーム[編集]

著作[編集]

監督作品[編集]

自身の監督作『ハートに火をつけて』を無断で編集した製作会社と対立し、監督名のクレジットを拒否したため、作品はアラン・スミシーの監督名義で完成している。その後、同作品のオリジナル・バージョンはデニス・ホッパーの監督名義に改め、『バックトラック』として日本公開された。[11]

関連書籍[編集]

参考文献[編集]

  • 「デニス・ホッパー ― 生き残った男の伝説」 (シネアルバム:芳賀書店、1996年)ISBN 4826101317

出典・脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 「デニス・ホッパー 生き残った男の伝説」芳賀書店、1996年 ISBN 4826101317
  2. ^ だが、7年後ハサウェイは『エルダー兄弟』でホッパーを重要な脇役(街の顔役の息子=事件の鍵を握る青年)に抜擢しハリウッド復帰を果たす、『暴力脱獄』についでまたもハサウェイ監督の『勇気ある追跡』にも助演し、長男の名前がヘンリーなのはハサウェイ監督への恩と尊敬に由来している。
  3. ^ [1]ゆうばり国際ファンタスティック映画祭サイト
  4. ^ [2]Discogs Gorillaz - Demon Days
  5. ^ [3] シネマトゥデイ 2008年10月20日
  6. ^ a b 米俳優のデニス・ホッパー氏が死去 スポーツニッポン 2010年5月30日閲覧
  7. ^ [4] 毎日新聞 2010年5月31日
  8. ^ 「アレックス・コックス」スティーヴン・ポール デイヴィーズ著
  9. ^ デニス・ホッパーはオバマに1票 MovieCollection 2008年10月17日閲覧
  10. ^ asahi.com(朝日新聞社):D・ホッパーが撃った毛沢東の肖像画、2500万円で落札 - ロイター芸能ニュース - 映画・音楽・芸能
  11. ^ [5]「ハートに火をつけて」all cinema データベース

外部リンク[編集]