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飯島 愛(いいじま あい、本名:大久保 松恵(おおくぼ まつえ)[1]、1972年(昭和47年)10月31日[2] - 2008年(平成20年)12月17日)は、日本の元タレント・元AV女優。株式会社Thesis元代表取締役。東京都江東区出身。瀧野川女子学園高等学校中退。元ワタナベエンターテインメント所属。
[編集] 芸能界内での遍歴など
[編集] AVデビューから芸能界での活躍まで
- 1992年、AV女優となる。
- 芸名
- 水商売時代、所属していた店のママが「みんなから愛される子になるように」という願いを込めて「愛」という源氏名を付けてくれたことによる(自著『プラトニック・セックス』より)とあるが、以前テレビ番組で「ラブ」という源氏名を自らつけたことを告白している。「本名が垢抜けないから好きではない」と、思い切った名前をつけた。その後に勤めることになったクラブのママが「ラブ」を転じさせ「愛」にするよう指導し、理由は後付で、客に紹介する際に「みんなから愛され〜」のくだりが確立された。
- 1990年代前半、『とんねるずのみなさんのおかげです』のスタッフととんねるずの木梨憲武が、飯島のビデオのファンであったことから番組にハプニングゲストで出演(これがテレビ番組初出演になる)。
- 1990年代前半、深夜番組『ギルガメッシュないと』(テレビ東京系)で、スカートをめくり、世の男たちに活力をあたえた。「Tバックの女王」と呼ばれる。その後、次第に大人の女性としてトーク番組等でバラエティタレントとして活躍していた。タレント活動時はガラガラした感じの気だるく重い口調が特徴だった。
- 1993年、「ナイショ DE アイ!アイ!」で歌手デビュー。オリコン87位。このCDには飯島が実際に着用したパンティを細かく裁断した生地が同梱されていた。
- 2000年、半自伝的な小説『プラトニック・セックス』でリンチ被害、AV出演や性病感染、中絶手術、整形手術していたこと等をカミングアウトしベストセラーに。映画化やテレビドラマ化もされ、以来作家活動も行っていた。「週刊朝日」にコラム『飯島愛の錦糸町風印税生活』を執筆。また性感染症予防の啓蒙活動でも知られる。
- 『あんたにグラッツェ!・あんグラ☆NOW!』にゲストとして呼ばれた最も多く呼ばれ、また番組中で奢った金額が最も多額であった人物である。放映開始1周年を記念した回では伊倉一恵の「本の印税で益々景気がいいに違いない飯島愛さんに、オヤジ三人がおごってもらう」との冷静なナレーションの中、登場早々に高田純次らに「金おろせよ」と言われ、銀行のATMから100万円を引き出す。途端にオヤジ三人のテンションは高くなり、「よし、100万円全部使い切るぞ!」「俺達いい仕事するからな」と散々。飯島は抵抗・抗議したが、無論受け入れられず(エンディングでは、60万円弱を使った旨、明細が出ていた)。更には、番組最終回の打ち上げパーティーと称して高級ホテルの宴会場を借り切った際、実は招待客にパーティー費用を支払わせようという魂胆を知らされずに会場へ登場。総額100万円をあわや飯島一人で支払わされそうになった。
- ゲスト出演から準レギュラーを経てレギュラーになる事が多かった。例としては『スパスパ人間学!』『決定!これが日本のベスト』『ロンドンハーツ』等がある。
- 胸や顔の整形等についてカミングアウトしていて、自らのスッピンネタ等自虐系の発言も時々する。そのメイク技術はテレビ番組『くりぃむナントカ』でも、「飯島さん、メイクの本を出すべきですよ!」と言われたほどだった。
- 2005年にブログを始める。同年、ネット配信番組に連動した株取引に関するブログも、短期間公開された。
- 2006年11月11日、個人事務所の経理担当の人間から数千万円もの横領被害に遭ったことをブログで告白した。
[編集] 芸能界引退
- 2007年3月3日、芸能界引退の報道が流れる[3]。
- 事務所もこの内容をFAX回答で認めた。生出演した『サンデージャポン』では、この件について、いつかは引退すると言うも3月末とは明言しなかった。その後翌週(3月10日)で3月いっぱいで引退することを本人が発表した。
- 腎臓病(腎盂炎)であることが報道された。それによると「症状が予想以上に重く、仕事を続ける意欲を完全に失っているという。」と理由付けされている[4]。
- 3月末で引退予定のため、その時期にはTBSで引退特番もすでに組まれていた[5]。
- 彼女のブログには「引退しないでほしい」「芸能界にまた復帰してほしい」など、引退を惜しむコメントが多数書き込まれた。飯島も「みんなのコメント読んでるよ」と返事を書き、ファンサービスをした[6]。
- 『サンデージャポン』最後の出演は2007年3月25日だが、ちょうど番組放送直前の午前9時42分頃、能登沖でマグニチュード6.9の能登半島地震が発生。TBSは地震の状況を報道。飯島最後の『サンデージャポン』の放送時間はわずか15分となってしまい、飯島本人が出演した場面は3分(予告編だけ)しかなかった。飯島はこのことをブログで「大変な事態です。人命と私の引退は比べるに値しない。今はそっと、被害が最小限に収まるように見守りましょう」と綴っている。なお、翌日のニッポン放送の生放送ラジオ番組『テリー伊藤のってけラジオ』において、飯島と『サンデージャポン』で共演しているテリー伊藤が「飯島愛ちゃんの分は収録しました」と話し、翌週の『サンデージャポン』で放送すると明言した。
- その後、テリー伊藤の言うとおり、4月1日の『サンデージャポン』のラスト10分で、事前に収録された「飯島愛 引退ファイナルカウントダウン」と題されたVTRが放送され、飯島は週刊誌で報じられている「藤田晋とITビジネスを行うという説」や「ニューヨークへ移住するという説」を否定し、「(今後は)医療関係の仕事に就きたいが、今から勉強しても間に合わない。でも、(医療と性質の似ている)カウンセリング関係の仕事をしたい」「歌や(お笑いの)ライブなど、板の上(舞台)に立つ仕事ができないと、芸能人としては限界がある。あと、病気で休んでいる時に、私の代わりになる若手はいっぱいいると思った」と語った(また、「精子バンクでシングルマザー説」については「試みようとしたことはある」と述べた)。そして、VTRの最後では、高橋ジョージが飯島愛のために「ロード」を熱唱し、飯島本人はみんなへの感謝のメッセージを贈った。
- 2007年3月31日に、「目標や夢が見い出せず、芸能界で生き残っていくことは不可能」として、所属事務所から正式に引退が発表された。
- 2007年4月6日の『中居正広の金曜日のスマたちへ』で、霊能師の木村藤子が「自分に嘘をついている。あなたは病気くらいで仕事をやめるような無責任な人じゃない。芸能界を引退しては駄目。今まで築き上げたものを全部捨ててしまうことになる。(引退を撤回して苦難を)乗り越えるべき。あなたは無言のうちに人に影響を与えられる人。今が人生最高の時期。(芸能活動を続行すれば)2、3年後に大きな出来事が起こりすべてが変わる。(引退すれば)数年後に後悔する姿が見える。誰か、(飯島の芸能界引退を)止めてあげて下さい。あなたはこんなに愛されている」とアドバイスした。このとき、もっと飯島にアドバイスをすべきかどうかを迷う木村に対し、無声のまま口の動きだけで「だめ…だめ…」と訴える飯島の表情がテレビに映った。
- 木村がその発言をしたその次回の収録が奇しくも最後の芸能活動となるため、本人も再度引退を再考したが、結局飯島が出した結論は、「芸能界引退」。芸能活動最終日となる2007年3月31日が、その『金スマ』最終収録日となった。
- 2007年4月24日放送の『ロンドンハーツ』の『格付けしあう女』たちでは、(エミー賞ノミネートで、海外で引き合いが出ている)格付けの著作権が誰にあるのか尋ねたり、(変装は)スッピンが一番……等、普段と変わらない発言の後に無事格付けを卒業。いつものように明るい笑顔でスタジオから去った。その後、「番組が続く限り応援していく」とコメントを残した。ちなみに、このときの収録でドイツのプロデューサが見学していた。これが飯島愛の最後のテレビ出演と思われていたが、5月22日放送の同番組内の記憶の壁(解答者は石田純一)にも出演した。
- 芸能界を引退しても、飯島愛としてブログ『飯島愛のポルノ・ホスピタル』を続け、連日ファンのコメントで賑わった。
[編集] 死去
[編集] 逸話
- マヨネーズが好きなマヨラーである。また、牛丼やラーメンなどの料理も好み、そうした食生活に対してフジテレビ『恐怖の食卓』では8人の出演医師から警告を受けていた。
- 週刊誌が本人に許可をとらずに勝手にヌード写真を載せたとして争った事がある。
- 「元アダルトビデオ出演女優」の肩書き(も同然)でデビューしたにもかかわらず、バラエティー番組・コメンテーター・ドラマ女優・作家・ボランティア活動等をこなすマルチタレントとして老若男女から広く支持を得るという成功をおさめた稀有な例であり、巷間のAV女優の憧れの的となっている。
- 岡本太郎とバラエティ番組『鶴太郎のテレもんじゃ』で共演した際、岡本が飯島の胸元を覗き込んだが、このとき『きゃあ、助平ジジイ』と叫んだ。
- かつて光GENJIの大沢樹生の熱狂的なファンで、「どうしても大沢君に会いたいから一緒について来て!」と母親に泣いて頼み、2人で実際に江東区の大沢の自宅を訪ねた事実を『ココリコミラクルタイプ』(フジテレビ)のスペシャルにゲスト出演した際に自ら発表した。
- 2002年、サッカーW杯日韓大会の韓国-イタリア戦などでの、「韓国チーム寄りの意図的な誤審では?」との疑惑(当時、ほぼ全てのマスメディアが意図的に無視していたも同然の状況であった)について、テレビ番組の『サンデージャポン』内で疑惑について言及しない番組進行に激怒し、「もうキムチは食べない」などと発言をした。以下は番組内での発言の一部である。
- 「ねぇみんな、どうしたの?おかしいと思わない?言いなよ」
- 「私が守ってあげるから奥寺さん、ホントのこと言って!」
- 「どこのテレビも、トッティの退場の時プレー、よくわかる背後からの映像をどんどん短くカットして放送してるんだよー(ずるいよー)」
- 「(マルディーニへの)蹴りが何でカットされてるの?!」
- 「これじゃ抗議してるイタリアが悪いみたいじゃない!」
- 「どこもかしこも韓国おめでとうしか言わない!」
- 「私的(わたしてき)には」というフレーズで流行語大賞をとったことがある。
- TVの前のキャラと違い、共演者・スタッフ達にはプレゼントを欠かさず贈り、営業に余念が無いと(あくまで)自ら告白している。
- TVでは自由奔放で辛口発言や暴言が多いと思われがちだが、実際は非常に繊細で、辛口や暴言を吐いた相手に対し、気遣いとフォローを忘れない。
- 知識を要するクイズ番組は苦手だが、頭の回転は速く、運や駆け引きを要するゲーム番組には極めて強く優勝回数も多い。そのため、出演者がチームを組みリーダーが挑戦者を選抜する形式の番組ではリーダーが「使いどころ」の見極めを要求されることが多い。
- かなりのガンダム好きであり、富野由悠季と何度か対談を行っている[9]。また、押井守とも対談を行った事があり、押井の愛犬を気にしていた。
- 父親は自民党後援会員を務めている。その縁で、都知事選で柿澤弘治を応援したことがある。
- 2006年、『ウチくる!?スペシャル』に江原啓之が出演した際に、「“とにかくかわいそうなくらい繊細過ぎる。外見の印象と全く違う人。オーラの色はきれいな紫の色を持っているが微弱。他人を信じ過ぎて、疑う事を知らな過ぎたために、さんざん、裏切られた事がいっぱいある。他人からの愛を信じられない所がある。他人への施しは程々にして、自分の幸せを考えなさい。去年まで人間関係、ゴタゴタ、色々とあったが、全部、切り捨て、今年から気持ちを切り替えて、新しい方向へ行きなさい。今まで一度も甘えた事が無い。自分自身が甘えられる環境を作る事がこれからの課題。幸せはある”と守護霊からのメッセージがあった」と指摘された。
- 芸能人の昔を再現フィルムなどで見せるという特番では中学の写真一枚で終わった。
- 引退後は自身の事をセレブニートと称している[10]。
- ブログでデザイン事務所へアルバイトに出かけると言い、その頼りなさに多数の助言がコメント欄でなされた。真偽の程は彼女のそれへの回答が生前になかった為明らかではない[11]。
- コンビニでチロルチョコやガムなどを大人買いするのが大好きで、バラエティ番組で購入する場面を公開していた。
[編集] 主な出演番組
[編集] テレビ
[編集] CM
[編集] ラジオ
- 飯島愛のラブマゲドン(TBSラジオ)1994年10月〜1995年3月
- 飯島愛の@llnightnippon Sunday.com(ニッポン放送)2001年10月〜2003年3月、24:30〜25:30
[編集] インターネットテレビ
[編集] 連載
[編集] 書籍
[編集] 音楽作品
- シングル
- ナイショ DE アイ!アイ!(1993年7月21日発売)
- “愛”のクリスマス・メモリー(1993年11月21日発売)
- あの娘はハデ好き(1994年2月2日発売)
- まんがらりん(1994年5月1日発売)
- Dear 女子高生(1994年10月21日発売)作詞・飯島愛、水野有平 作曲・水野有平
- アルバム
[編集] 飯島愛(に相当する役)を演じた女優
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
[編集] 外部リンク