飯島愛

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いいじま あい
飯島 愛
プロフィール
別名 大久保 松恵(本名)
愛称 愛珍(あいちん)
生年月日 1972年10月31日
没年月日 2008年12月
出身地 日本東京都江東区
血液型 A型
公称サイズ(時期不明)
身長 / 体重 163 cm / 43 kg
BMI 16.2(低体重)
スリーサイズ 86 - 56 - 85 cm
活動
デビュー 1992年
ジャンル タレントAV女優
モデル内容 ヌード
備考 1992年 - 2007年
モデル: テンプレート - カテゴリ

飯島 愛(いいじま あい、本名:大久保 松恵(おおくぼ まつえ)[1]1972年10月31日[2] - 2008年12月)は、日本の元タレント・元AV女優東京都江東区出身。瀧野川女子学園高等学校中退。

ワタナベエンターテインメント所属。身長163cm。血液型はA型。

目次

[編集] 芸能界内での遍歴など

[編集] AVデビューから芸能界での活躍まで

  • 1992年、AV女優となる。
  • 芸名
    • 水商売時代、所属していた店のママが「みんなから愛される子になるように」という願いを込めて「愛」という源氏名を付けてくれたことによる(自著「プラトニック・セックス」より)とあるが、以前テレビ番組で「ラブ」という源氏名を自らつけたことを告白している。「本名が垢抜けないから好きではない」と、思い切った名前をつけた。その後に勤めることになったクラブのママが「ラブ」を転じさせ「愛」にするよう指導し、理由は後付で、客に紹介する際に「みんなから愛され~」のくだりが確立された。
  • 1990年代前半、とんねるずのみなさんのおかげですのスタッフととんねるず木梨憲武が、飯島のビデオのファンであったことから番組にハプニングゲストで出演(これがテレビ番組初出演になる)。
  • 1990年代前半、深夜番組「ギルガメッシュないと」(テレビ東京系)で、スカートをめくり、世の男たちに活力をあたえた。『Tバックの女王』と呼ばれる。その後、次第に大人の女性としてトーク番組等でバラエティタレントとして活躍していた。タレント活動時は気だるく重い口調が特徴だった。
  • 1993年、「ナイショ DE アイ!アイ!」で歌手デビュー。オリコン87位。このCDには飯島が実際に着用したパンティを細かく裁断した生地が同梱されていた。
  • 2000年、半自伝的な小説「プラトニック・セックス」でAV出演や性病感染、整形手術していたこと等をカミングアウトしベストセラーに。映画化やテレビドラマ化もされ、以来作家活動も行っていた。週刊朝日コラム「飯島愛の錦糸町印税生活」を執筆。また性感染症予防の啓蒙活動でも知られる。
  • あんたにグラッツェ!・あんグラ☆NOW!にゲストとして呼ばれた回数No.1。奢った金額トータルもNo.1。放映開始1周年を記念した回では伊倉一恵の「の印税で益々景気がいいに違いない飯島愛さんに、オヤジ三人がおごってもらう」との冷静なナレーションの中、登場早々に高田純次らに「金おろせよ」と言われ、銀行のATMから100万円を引き出す。途端にオヤジ三人のテンションは高くなり、「よし、100万円全部使い切るぞ!」「俺達いい仕事するからな」と散々。飯島は抵抗・抗議したが、無論受け入れられず。(エンディングでは、60万円弱を使った旨、明細が出ていた)
    更には、番組最終回の打ち上げパーティーと称して高級ホテルの宴会場を借り切った際、実は招待客にパーティー費用を支払わせようという魂胆を知らされずに会場へ登場。総額100万円をあわや飯島一人で支払わされそうになった。
  • ゲスト出演から準レギュラーを経てレギュラーになる事が多かった。例としては「スパスパ人間学!」、「決定!これが日本のベスト」、「ロンドンハーツ」等がある。
  • 整形等についてカミングアウトしていて、自らのスッピンネタ等自虐系の発言も時々する。そのメイク技術はテレビ番組『くりぃむナントカ』でも、「飯島さん、メイクの本を出すべきですよ!」と言われたほどだった。
  • 2005年ブログを始める。同年、ネット配信番組に連動した取引に関するブログも、短期間公開された。
  • 2006年11月11日、個人事務所の経理担当の人間から数千万円もの横領被害に遭ったことをブログで告白した。

[編集] 芸能界引退

  • 2007年3月3日、芸能界引退の報道が流れる[3]
    • 事務所もこの内容をFAX回答で認めた。生出演した『サンデージャポン』では、この件について、いつかは引退すると言うも3月末とは明言しなかった。その後翌週(3月10日)で3月いっぱいで引退することを本人が発表した。
    • 腎臓病(腎盂炎)であることが報道された。それによると「症状が予想以上に重く、仕事を続ける意欲を完全に失っているという。」と理由付けされている[4]
    • 3月末で引退予定のため、その時期にはTBSで引退特番もすでに組まれていた[5]
    • 彼女のブログには「引退しないでほしい」「芸能界にまた復帰してほしい」など、引退を惜しむコメントが多数書き込まれた。飯島も「みんなのコメント読んでるよ」と返事を書き、ファンサービスをした[6]
  • 『サンデージャポン』最後の出演は2007年3月25日だが、ちょうど番組放送直前の午前9時42分頃、能登沖でマグニチュード6.9の能登半島地震が発生。TBSは地震の状況を報道。飯島最後の『サンデージャポン』の放送時間はわずか15分となってしまい、飯島本人が出演した場面は、たった3分(予告編だけ)しかなかった。飯島はこのことをブログで「大変な事態です。人命と私の引退は比べるに値しない。今はそっと、被害が最小限に収まるように見守りましょう。」と綴っている。なお、翌日のニッポン放送の生放送ラジオ番組『テリー伊藤のってけラジオ』において、飯島と『サンデージャポン』で共演しているテリー伊藤が「飯島愛ちゃんの分は収録しました」と話し、翌週の『サンデージャポン』で放送すると明言した。
    • その後、テリー伊藤の言うとおり、4月1日の『サンデージャポン』のラスト10分で、事前に収録された「飯島愛 引退ファイナルカウントダウン」と題されたVTRが放送され、飯島は週刊誌で報じられている「藤田晋とITビジネスを行うという説」や「ニューヨークへ移住するという説」を否定し、「(今後は)医療関係の仕事に就きたいが、今から勉強しても間に合わない。でも、(医療と性質の似ている)カウンセリング関係の仕事をしたい」「歌や(お笑いの)ライブなど、板の上(舞台)に立つ仕事ができないと、芸能人としては限界がある。あと、病気で休んでいる時に、私の代わりになる若手はいっぱいいると思った」と語った(また、「精子バンクでシングルマザー説」については「試みようとしたことはある」と述べた)。そして、VTRの最後では、高橋ジョージが飯島愛のために「ロード」を熱唱し、飯島本人はみんなへの感謝のメッセージを贈った。
  • 2007年3月31日に、「目標や夢が見い出せず、芸能界で生き残っていくことは不可能」として、所属事務所から正式に引退が発表された。
  • 2007年4月6日の『金スマ』で、霊能師の木村藤子が「自分に嘘をついてる。あなたは病気くらいで仕事をやめるような無責任な人じゃない。芸能界を引退しては駄目。今まで築き上げたものを全部捨ててしまうことになる。(引退を撤回して苦難を)乗り越えるべき。あなたは無言のうちに人に影響を与えられる人。今が人生最高の時期。(芸能活動を続行すれば)2、3年後に大きな出来事が起こりすべてが変わる。(引退すれば)数年後に後悔する姿が見える。誰か、(飯島の芸能界引退を)止めてあげて下さい。あなたはこんなに愛されている」とアドバイスした。このとき、もっと飯島にアドバイスをすべきかどうかを迷う木村氏に対し、無声のまま口の動きだけで「だめ…だめ…」と訴える飯島の表情がテレビに映った。
    • 木村がその発言をしたその次回の収録が奇しくも最後の芸能活動となるため、本人も再度引退を再考したが、結局飯島が出した結論は、「芸能界引退」。芸能活動最終日となる2007年3月31日が、その「金スマ」最終収録日となった。
  • 2007年4月24日放送の『ロンドンハーツ』の『格付けしあう女』たちでは、(エミー賞ノミネートで、海外で引き合いが出ている)格付けの著作権が誰にあるのか尋ねたり、(変装は)スッピンが一番……等、普段と変わらない発言の後に無事格付けを卒業。いつものように明るい笑顔でスタジオから去った。その後、「番組が続く限り応援していく」とコメントを残した。ちなみに、このときの収録でドイツのプロデューサが見学していた。これが飯島愛の最後のテレビ出演と思われていたが、5月22日放送の同番組内の記憶の壁(解答者は石田純一)にも出演した。
  • 芸能界を引退しても、飯島愛としてブログ「飯島愛のポルノ・ホスピタル」を続け、連日ファンのコメントで賑わった。

[編集] 悲報

  • 2009年2月6日、「中居正広の金曜日のスマたちへ」300回記念スペシャルにて追悼特集を放送。中居やベッキー、大竹しのぶら出演者がお別れ会という形で最後のメッセージを贈り、涙ながらに飯島の死を追悼した。
  • 飯島愛の本葬(お別れの会)が、2009年3月1日東京プリンスホテルにて執り行われ、親交のあった芸能人ほか約1500人が多数参列した[8]。弔辞は中山秀征島田紳助がそれぞれ読んだ。
  • 現在でも、最後のブログ更新となった2008年12月5日の記事のコメント欄には、ファンから多数のメッセージが投稿されており、そのコメント投稿数は2009年6月21日22:55現在で60643件を数える。

[編集] 逸話

  • マヨネーズが好きなマヨラーである。
  • 週刊誌が本人に許可をとらずに勝手にヌード写真を載せたとして争った事がある。
  • 『元アダルトビデオ出演女優』の肩書き(も同然)でデビューしたにもかかわらず、バラエティー番組・コメンテーター・ドラマ女優・作家・ボランティア活動等をこなすマルチタレントとして老若男女から広く支持を得るという成功をおさめた稀有な例であり、巷間のAV女優の憧れの的となっている。
  • 岡本太郎バラエティ番組「鶴太郎のテレもんじゃ」で共演した際、岡本が飯島の胸元を覗き込んだが、このとき『きゃあ、助平ジジイ』と叫んだ。
  • かつて光GENJI大沢樹生の熱狂的なファンで、「どうしても大沢君に会いたいから一緒について来て!」と母親に泣いて頼み、2人で実際に江東区の大沢の自宅を訪ねた事実を『ココリコミラクルタイプ』(フジテレビ)のスペシャルにゲスト出演した際に自ら発表した。
  • 2002年サッカーW杯日韓大会韓国-イタリア戦などでの、「韓国チーム寄りの意図的な誤審では?」との疑惑(当時、ほぼ全てのマスメディアが意図的に無視していたも同然の状況であった)について、テレビ番組の『サンデージャポン』内で疑惑について言及しない番組進行に激怒し、「もうキムチは食べない」などと発言をした。以下は番組内での発言の一部である。
    • 「ねぇみんな、どうしたの?おかしいと思わない?言いなよ」
    • 「私が守ってあげるから奥寺さん、ホントのこと言って!」
    • 「どこのテレビも、トッティの退場の時プレー、よくわかる背後からの映像をどんどん短くカットして放送してるんだよー(ずるいよー)」
    • 「(マルディーニへの)蹴りが何でカットされてるの?!」
    • 「これじゃ抗議してるイタリアが悪いみたいじゃない!」
    • 「どこもかしこも韓国おめでとうしか言わない!」
  • 「私的(わたしてき)には」というフレーズで流行語大賞をとったことがある。
  • TVの前のキャラと違い、共演者・スタッフ達にはプレゼントを欠かさず贈り、営業に余念が無いと(あくまで)自ら告白している。
  • TVでは自由奔放で辛口発言や暴言が多いと思われがちだが、実際は非常に繊細で、辛口や暴言を吐いた相手に対し、気遣いとフォローを忘れない。
  • 知識を要するクイズ番組は苦手だが、頭の回転は速く、運や駆け引きを要するゲーム番組には極めて強く優勝回数も多い。そのため、出演者がチームを組みリーダーが挑戦者を選抜する形式の番組ではリーダーが「使いどころ」の見極めを要求されることが多い。
  • かなりのガンダム好きであり、富野由悠季と何度か対談を行っている[9]。また、押井守とも対談を行った事があり、押井の愛犬を気にしていた。
  • 父親は自民党後援会員を務めている。その縁で、都知事選で柿澤弘治を応援したことがある。
  • 2006年、『ウチくる!?スペシャル』に江原啓之が出演した際に、「“とにかくかわいそうなくらい繊細過ぎる。外見の印象と全く違う人。オーラの色はきれいな紫の色を持ってるが微弱。他人を信じ過ぎて、疑う事を知らな過ぎたために、さんざん、裏切られた事がいっぱいある。他人からの愛を信じられない所がある。他人への施しは程々にして、自分の幸せを考えなさい。去年まで人間関係、ゴタゴタ、色々とあったが、全部、切り捨て、今年から気持ちを切り替えて、新しい方向へ行きなさい。今まで一度も甘えた事が無い。自分自身が甘えられる環境を作る事がこれからの課題。幸せはある”と守護霊からのメッセージがあった」と指摘された。
  • 芸能人の昔を再現フィルムなどで見せるという特番では中学の写真一枚で終わった。
  • 引退後は自身の事をセレブニートと称している[10]
  • ブログでデザイン事務所へアルバイトに出かけると言い、その頼りなさに多数の助言がコメント欄でなされた。真偽の程は彼女のそれへの回答が生前になかった為明らかではない[11]

[編集] 主な出演番組

[編集] テレビ

[編集] 映画・Vシネマ

  • ゆけゆけAV新撰組 天使たちのHな大戦争-1992年
  • 冒険してもいい頃-1992年
  • 校内写生 女子高生はやめられない-1992年
  • AV女学院2 パンツの奥は大騒動!-1992年
  • コスチューム・グルメ Tバックの花嫁-1993年
  • 飯島愛のギルガメッシュな関係-1993年
  • さのばびっち 第壱巻・プル2篇-1993年
  • さのばびっち 第弐巻・クチュ2篇-1993年
  • AVナース物語-1993年
  • ファンキー・モンキー ティーチャー 3 康平の微笑-1993年
  • ファンキー・モンキー ティーチャー 4 高校教師-1993年
  • ぷるぷる 天使的休日-1993年
  • ファンキー・モンキー・ティチャー フォーエヴァー ワクワク秘密の花園の巻-1995年
  • ヅラ刑事 - 2006年9月16日公開(ホステス役で友情出演)
  • バブルへGO!! タイムマシンはドラム式 - 2007年2月10日公開(本人役カメオ出演)

[編集] CM

[編集] ラジオ

  • 飯島愛のラブマゲドン(TBSラジオ)1994年10月~1995年3月
  • 飯島愛の@llnightnippon Sunday.com(ニッポン放送)2001年10月~2003年3月、24:30~25:30

[編集] インターネットテレビ

  • 渋谷ではたらく社長の会食

[編集] 連載

[編集] 書籍

[編集] ビデオ

[編集] 音楽作品

  • シングル
    • ナイショ DE アイ!アイ!(1993年7月21日発売)
    • “愛”のクリスマス・メモリー(1993年11月21日発売)
    • あの娘はハデ好き(1994年2月2日発売)
    • まんがらりん(1994年5月1日発売)
    • Dear女子高生(1994年10月21日発売)作詞・飯島愛、水野有平 作曲・水野有平
  • アルバム
    • なんてったって飯島愛(1993年12月1日発売)

[編集] 飯島愛(に相当する役)を演じた女優

[編集] 関連項目(人物)

  • 加賀まりこ(歳の離れた親友)
  • 中山秀征(ウチくる仲間。親友)
  • 飯島恋(飯島愛似のAV女優)
  • 飯島愛子(飯島愛似のAV女優)
  • 飯島夢(飯島恋にやや遅れてデビューした飯島愛似のAV女優)

[編集] 参考文献

  1. ^ 本名が「大久保松恵」であることは、2007年4月8日放送分の『ウチくる!?』にて、中山秀征により公表された。その後、2007年5月2日に自身のブログでもさりげなく公表していた。
  2. ^ 生年月日は、当初は1973年8月25日と公表していた。本人の弁によれば、デビューしたのが夏で、すぐに芸能界からいなくなるからその前に誕生日が来ればプレゼントがもらえると思って8月生まれと言った、とのこと。その後も、1973年8月25日生とする資料がある。
  3. ^ 飯島愛の引退に関して業界内では「3月末では」説 2007年3月5日 アメーバニュース
  4. ^ 日刊ゲンダイ (2007年3月4日). "「引退」飯島愛を悩ます腎盂炎の深刻度". 2008年7月27日 閲覧。
  5. ^ narinari.com (2007年3月3日). "飯島愛が体調不良で3月末に芸能界引退へ、“引退特番”も。". 2008年7月27日 閲覧。
  6. ^ 飯島愛のポルノ・ホスピタル (2007年3月9日). "マイケルジャクソン". 2008年7月27日 閲覧。
  7. ^ 飯島愛さんの死因は肺炎 サンケイスポーツ 2009年2月4日閲覧
  8. ^ 飯島愛さんお別れの会 サンケイスポーツ 2009年2月3日閲覧
  9. ^ 2006年3月号、12月号「日経エンタテインメント!」内の自身の連載『お友だちになりたい!』など
  10. ^ アメーバニュース (2007年7月20日). "飯島愛さん「ブログを引用してください」". 2008年7月27日 閲覧。
  11. ^ 飯島愛のポルノ・ホスピタル (2007年5月12日). "バイトしようっと。". 2008年7月27日 閲覧。

[編集] 外部リンク