スーパージョッキー

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スーパーJOCKEY
ジャンル お笑いバラエティ番組
放送時間 日曜日13時00分 - 14時00分(60分)
放送期間 1983年1月9日 - 1999年3月28日(721回)
放送国 日本の旗 日本
制作局 日本テレビ
プロデューサー 渡辺弘ほか
出演者 ビートたけし
たけし軍団
蓮舫
ダチョウ倶楽部
松村邦洋
蛭子能収
細川ふみえ
飯島直子
辺見えみり
佐藤藍子
山田まりや
パイレーツ
他多数
音声 ステレオ放送

特記事項:
1996年10月から1999年3月の番組終了まではCS★日テレでもサイマル放送された。
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スーパーJOCKEY (SUPER JOCKEY) 』(スーパージョッキー)は、日本テレビ系列で1983年1月9日から1999年3月28日にかけて放送されたビートたけしが総合司会のお笑いバラエティ番組である。放送時間は毎週日曜日13時00分 - 14時00分(JST)。

目次

[編集] 番組概要

12年に渡って放送した『TVジョッキー』に代わって登場し、放送期間は16年3ヶ月に及んだ。

番組スタート当初は『TVジョッキー』と同じく、一般参加者が登場する番組だったが、後に『THEガンバルマン』が看板のお笑い番組となり、『熱湯コマーシャル』開始以降はお色気番組路線となった。

放送当初は生放送という触れこみだったが、途中から「2本撮り」による隔週生放送となった(生放送終了後に翌週放送分をほぼ「撮って出し」に近い状態で収録するスタイル)。また、『THEガンバルマン』のコーナーは予め収録したものを生本番中にビデオ再生して、観客に見せていた。収録放送ではそのときの状況を説明するテロップスーパーを画面の隅に表示するなど、テロップの表示方法でその日の放送が生放送か収録かが一応見分けられるが、収録放送においても『THEガンバルマン』を除いた、演出上「生放送」とされている部分については「なぞりテロップ」は事前に台本で発言されることが決められているギャグや決め台詞を除いて使用されていなかった。

ゲストの歌についても、当初は生放送で流していたが、のちにあらかじめ収録したものを放送するスタイルに変更された。

歴代最高視聴率は1987年8月2日放送分の20.5%(関東地区、ビデオリサーチ社調べ)。たけしがフライデー襲撃事件後、当時の3本のレギュラー番組の中で最も早く復帰を果たした回の放送で記録したものである。

[編集] 番組コーナー

[編集] THEガンバルマン

たけし軍団を始め、芸人達が体を張っていろんな事に挑む企画。『熱湯コマーシャル』開始前はこのコーナーが番組の看板コーナーで、主に下記のようなチャレンジ企画があった。ジャズ空手師範・澤村宗など名物講師も話題となった。末期のナレーションは武居“M”征吾。このコーナーではたけしが手の形を模した坐禅に使う警策のような棒を使ってツッコミをしていた。

[編集] JOCKEY-1

「どうですか〜?お客さん」の前身(後述)。最後に「お問い合わせはスーパーJockeyまで」と出ていた。

[編集] JOCKEY-2

番組初期から中期まで放映。たけしが座って小ネタを発表するコーナー。有名人のそっくりさんの写真を募集する「よく見りゃ似てるこの2人」や、昔の特撮モノの変なところを重箱の隅をつつくようにツッこむ企画、マイナーで妙な歌ばかりを集めて流す企画「困ってしまうレコード」などを週変わりで発表していた。

[編集] 書きゃいいってもんじゃないんだよコーナー

番組初期から中期まで、ザ・ガンバルマンの次のコーナーとして、CMとゲストの歌を挟んだ後に7〜8分放映されていた。たけしが読む視聴者からのハガキによる質問に、当日のゲストが答えるコーナー。次週のゲスト名は毎回テロップで紹介されるため、視聴者はそれをもとにハガキを送ることができたため、ほとんどの質問は特定ゲスト名指しだった。このコーナーで採用され、たけしの独断と偏見で運がよかった視聴者には日本エアシステム(当初は東亜国内航空 現日本航空)から毎週ペア1組に国内線往復航空券(東京〜福岡間、のちに東京〜札幌間)がプレゼントされた。

[編集] 軍団クイズ・体は資本だ!

1980年代末期から1991年秋までのクイズコーナー。前述の「書きゃいいってもんじゃないんだよコーナー」に代わってスタートした。軍団がロケで体を張った対決やゲームに挑戦、スタジオにいるたけしやゲストがその結果を予想するという内容。中でも、浅草キッドが人間が入れるぐらいの発泡スチロールで作られたサイコロの中に入り、それを転がして丁半博打をやる企画はシリーズ化され、様々な所でその巨大サイコロを転がした。しかしスキー場で転がした回では、水道橋博士が入ったサイコロは途中で水道橋が投げ出されたものの無事に雪が積もっている所に着地、玉袋筋太郎に至っては入ったサイコロがスキー場の谷底に落ち、中の玉袋はしばらくの間気絶、周囲に緊張が走るシーンがあった。この映像は、後に「日本テレビの21世紀に残しておきたい映像」に選ばれた程インパクトのあった映像[1]だったが、この一件で椎間板ヘルニアを患った水道橋は「ガンバルマン」のコーナーの辞退を余儀なくされ、たけし軍団の力仕事からは一線を退かざるを得ない状況となってしまう。

[編集] プライスクイズこれなんぼ?

1991年11月にスタート。上述の『軍団クイズ-』の後を受けて登場した。体を張る企画ではなく、軍団が紹介したものの値段を当てる。一般的なものの値段当てクイズ。

[編集] 言わんのバカ!

1990年代前半のコーナー。形式は一般的な「10回クイズ」の応用形で、浅草キッドが言うフレーズを通行人に何度か繰り返させた後、似たようなフレーズや全く違う言葉を言って噛ませる、というもの。もともとはラジオ番組『浅草キッドの土曜メキ突撃!ちんちん電車!』からの企画。

[編集] 熱湯コマーシャル

『THEガンバルマン』の名物コーナー『熱湯風呂』から派生して1989年頃に始まったコーナー。「熱湯CM 」と略される。進行役はガダルカナル・タカと歴代女性アシスタントが担当。テレビコマーシャルをしたい人達が集まり、熱湯ルーレットと呼ばれるルーレットスイッチスタートとストップの2種類がある)で熱湯に入る人を決め、熱湯に入れた秒数(最大30秒)で宣伝をする企画。熱湯の温度は摂氏51度前後。この温度は人体には非常に熱く感じるが、やけどなどの後遺症が残らない程度の温度である。当初は湯船の底に着けられたセンサーに挑戦者の体が触れるとタイマーが作動してアナウンサーが実況風にCMを読み上げ、湯が熱くてセンサーから離れるとCMが中断する方式だったが、その後出場者が専用のブースに入って自ら時間内にCMを読み上げる方式に変更された。

ルーレットの結果により急遽入湯することになった場合、その場で天井から電気で吊られたカーテン囲みされた「簡易脱衣室」が設置され、水着に着替えることになる。当初、着替え時間は無制限だったが、途中から時間が経つとカーテンが自動的に下に落ちる形(ハプニングを起こすことを意図した仕組み)に変更された。制限時間については私服の女性は原則50秒(開始当初は60秒)、男性は服装・人数に拘らず30秒であり、人数が多い場合は、女性はスケスケ生着替えとノーマル生着替えを併用し、男性は女性用(スケスケ生着替えを借用することもある)を借用することもある。女性の場合30秒経過するとBGM(男性の場合は着替えスタートと同時に同BGMが流れる)が流れ始めてそれに合わせて出演者や観客が手拍子をし、終了間際になるとスタッフや進行者からタオルを投げつけられる。時間が経った際のBGMは悪魔の笑い声のようなBGMが使われており、時間内に着替え終えると別のBGMになる。

さらに、女性には不定期で水着から水着へ着替える「泡風呂生着替え」もあった。着替えが間に合わなかった場合は先述の投げ込まれたタオルで隠して入湯する(また、女性アシスタントが救済を意味した「済」と書かれたモザイク代わりの札を持っており、局部を隠していた)。

初期では生放送という事もあり、時間内に着替え終わらない、胸や股間が露出しそうになる、数人で一気に着替えている途中でお尻がはみ出す、女性が着替えが間に合わずバスタオル1枚の姿で熱湯風呂に入ったときに熱さのあまりバスタオルを外してしまい胸が露出するなどのハプニングが多発した。その際には瞬間視聴率は跳ね上がったが、その分苦情も多数寄せられた。

このシステムを逆手に取り、たけし軍団やダチョウ倶楽部が生放送にも関わらず、タイムオーバーを狙い観客やゲストの前で海水パンツを履かずにワザと全裸状態になって、このままスタジオ中を走り回るなどの行為(井手らっきょに関しては、自分に当たった直後、脱衣場外ですぐ全裸になったり、ワザと脱衣場の出入り口(真裏なのでテレビカメラには映らない)から転がり落ちてゲストや観客に全裸を見せる事もあった。)を行なったり、前期に関してはたけし軍団のグレート義太夫のバンド関係者が熱湯CMに出演した際は、一部のメンバーが入ることとなったものの、何時の間にか「THEガンバルマン」中期で見られた軍団同士による熱湯風呂の落とし合いとなり、軍団メンバーが服を着たまま落とされたり、畳位の大きさの板を持ち出し軍団メンバーが入っている状態で風呂に蓋をしようとしたり、遂には井手らっきょが全裸(前は看板で隠していた)で乱入して熱湯風呂に落とされたりとやりたい放題でスタジオ中が一時パニック状態となった。

後に、ガラス張りの箱の「スケスケボックス」の中で着替える「スケスケ生着替え」にまで発展。スケスケボックスの下部分は透けていないため、しゃがんだだけでお尻が見えてしまうハプニングが続出した。

また、着替え中に脱衣室を上のアングルから撮ったカメラもスタジオの天井にあり、現在の放送規定から見ると、日曜昼間の番組(まして全国ネット)とは思えない位かなりのお色気を醸し出しており、現在では(最低限、当該時間帯としては)実現不能な企画である。着替え終わった人は前の方にある回転床に乗り、タカ(タカが入湯する際は女性アシスタントが)の「レッツ!しだるまタイム!」という掛け声とともにその姿をお披露目した。「しだるま」とは「まるだし(丸出し)」の逆読み。ルーレットは後に、宣伝内容に関係する出演者や番組として熱湯に入れたい出場者の名前を書いたマグネット製のシールを貼って、的を上書きし当たり易くされるようになった。また、ルーレットの赤い電気の部分は初期は電球が露出していたが、後に黒い枠に電気が埋め込むタイプにマイナーチェンジされた。ルーレットの回るときや止まるときのSEも何度かマイナーチェンジされている。

番組末期は上島竜兵ダチョウ倶楽部)と辺見えみりが「熱湯兄弟」を結成し、後に「アッチッチサンバ」という楽曲でCDデビューも果たした(後にこの曲はコーナーのオープニングや底のセンサーが作動している際のBGMとして使われるようになった(『24時間テレビ』での復活放送の際もこの手法が踏襲されている))。このCDのカップリングは、当時出場者にHなクイズや質問を出題するミニコーナー「熱湯クエスチョン」の質問集が収録されている、ナレーションを日本テレビアナウンサーの菅谷大介が担当しており、「熱湯アナウンサー」として出題者を務め、毎回出場者にいじられるのがお約束であった。なお、質問に答えられないとやかんや鍋に入った熱湯が追加された。

1993年、当時日本テレビアナウンサーだった薮本雅子が熱湯ルーレットに当たってしまうという出来事があった。薮本は困惑する態度を示したが、タカに説得され、渋りながらも「お給料上げてもらえるのかしら?」と水着への着替えを受け入れた[2]。その後、本番組をネットしていた系列局のアナウンス部がこの件について、「一社員にこんないかがわしいことをさせるとはどういうことだ!」と番組制作班に猛抗議したため、これ以降は同局女性アナが入湯するのは禁止された。

ところが、それから4年後の1997年に当時番組アシスタントで同局アナウンサーだった大神いずみが熱湯ルーレットで「スケスケ生着替え」のマスに当たるという事態が起きた[3]。大神はその際入湯を拒否し、代わりに同席した当時アナウンス部長だった松永二三男が藪本の一件以降のアナウンス部の方針について謝罪したのち、松永二三男をはじめ、居合わせた藤井恒久金子茂がかわるがわる熱湯に浸かった。しかしながら、この時大神が取った職場放棄とも取られる態度に、全国から抗議の声が殺到した。この放送後、本人不在のまま大神を番組から降板させることが決定。ただ、この入浴拒否に対する抗議の中には「これは仕事だろ」といった内容のものが多かったものの、「これは仕事ではない、セクハラだ」と言った反論抗議も少なからずあった。

日本テレビアナウンサー以外では、当時メンバー全員が未成年であったSPEEDを入湯させようとした場面が見られた。実現には至らなかったが、直後にファンを中心に視聴者からの抗議が多く寄せられた(ただし、一般人・芸能人含めて未成年女性が入湯した事例はある)。

ルーレットには、金色に塗られた「殿」=たけしのスペースもあったが、ルーレット1コマ分しかスペースがないので、滅多に当たらなかった。しかし、放送500回記念だった1994年7月31日の放送で、非常に大きな的だったとはいえ初めて「殿」に命中。たけしがついに熱湯に入ることとなった。

[編集] 復活放送

『スーパージョッキー』終了後、過去の経緯もあり事実上封印状態であったが、2005年8月28日早朝、『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』内にて、長年の沈黙を破り「スーパーJOCKEY同窓会」という形で一夜限りの復活を果たした。その後2009年まで毎年『24時間テレビ』内の深夜枠で行われた。番組内容に配慮し、女性タレントが水着に生着替えする際、あらかじめ服の下に水着を着込んでいることで放送事故を未然に防ぐという措置が取られている。またCMの内容は番組内のコーナーを紹介するものや、募金を呼び掛けるものが主流である。

しかし、毎年のように視聴者からこのコーナーによる苦情が相次いだことと一部スタッフの変更により、2010年の『24時間テレビ』深夜企画は前年の内容からの一部変更により中止し、そのまま終了となった。

[編集] その他

2006年のNHK第57回NHK紅白歌合戦』に出場したDJ OZMAが歌唱時に「熱湯コマーシャル」で使用される簡易脱衣室を用いて生着替えを行っていた。

2008年4月26日フジテレビ系『めちゃ×2イケてるッ!』では「熱湯コマーシャル」をパロディ化した企画「突然熱湯コマーシャル」が放送され、その2週間後の5月10日からは1コーナー化された。『AKBINGO!』(2011年7月20日放送回)の「ムチャぶりドッジボール」では「熱湯風呂」の罰があり、熱湯風呂やカウント時計も用意した。『DON!』(2010年3月までは『おもいッきりDON!』)では、益若つばさが選んだ服ににしおかすみこが「熱湯コマーシャル」で使用された簡易脱衣室を使って生着替えをする企画が水曜コーナーとして行われていた。

[編集] びっくりしたなぁーMOW!

1990年代初期〜中期にあったコーナー。ロケ企画(クイズやドッキリ企画)以外に、生活に役立つ情報(「痴漢撃退法」「スケベ体操」などの過激な内容もあった)を紹介するコーナーも含まれていた。 ちなみにこのコーナーには、レギュラー以外に浅草キッドも出演していた。


[編集] どうですか〜?お客さん

まだ知られていないマイナーな製品を紹介するコーナー。誰も欲しがらないような、あまり意味の無い製品を紹介することも多かった。軍団メンバーによる実演もあった。

番組初期〜中期時代は「JOCKEY-1〜週変わりのサブタイトル」で称され、ビートきよし石倉三郎が週交代でマイナー製品コーナーの司会進行をしていた。

なお「どうですか〜?お客さん」というタイトルは、たけしプロレス軍団新日本プロレスに登場した際、アントニオ猪木が発した言葉に由来している。

[編集] ゾロ目でドーン!

番組最末期にあったコーナー。ゲスト・一部の観覧客を含めた出演者が1人ずつサイコロを投げて、予めたけしが出したサイコロの目と同じ目を出す事を目指す。たけしの出した目に応じて賞品を決定。制限時間内でたけしが出したサイコロの目を出した人は、賞品獲得を賭けたサイコロを振る(後に、顔面ラップ破り等のゲームに変更)。賞品は、サイコロに書かれた「本人」の目を出せば本人に、「視聴者」が出ると視聴者にプレゼントされた。大抵サイコロに細工がしてあったりラップが厚かったりと、視聴者プレゼントになるようないかさまが施されていたが、それでも数回程、出演者が賞品を獲得するケースもあった。ただ生放送時は、制限時間を設定せず時間になったら終了となった。


[編集] 番組の休止について

毎年2月の「横浜国際女子駅伝」と8月の「24時間テレビ」放送時は休止。また、偶数年2月の「東京国際マラソン」(建国記念の日が日曜日の際は回避)と1990年代まで12時に号砲した時期の「札幌国際ハーフマラソン」(札幌テレビ制作)、かつてあった「都道府県対抗マスターズ駅伝」(読売テレビ制作)の際も休止した。1998年の「横浜国際女子駅伝」は長野オリンピックの大会日程の関係で2時から生中継だった為、「スーパーJOCKEY」は通常放送。その番組内の「熱湯コマーシャル」でも予告した。番組初期は後楽園球場からのプロ野球中継のためたびたび放送休止され、稀に日本シリーズを放送する場合も休止していた。系列局では編成の関係で同時間内で放送せず、移動から休止する場合もあった。

[編集] エンディングテーマ

1995年10月〜1997年9月まで辺見えみりの「流れ星」、1997年10月から半年間は山田まりやの「daijo-bu!! 」、1998年4月から4ヶ月間はパイレーツのデビュー曲「INCATATION」、同年8月から最終回までは上島竜兵と辺見えみりの「アッチッチサンバ」が使用された。

[編集] ネット状況

  • テレビ朝日系列がない地域の日本テレビ系列局のYBSKNBJRTおよびテレビ朝日系列とのクロスネット局FBC[4]の放送エリアでは、『東京国際女子マラソン』や『福岡国際マラソン』の中継時、またそうでもない日本テレビ系列局でも高校サッカー地区大会決勝の放送やローカルのプロ野球中継があった場合は、それらを生放送し、本番組を同日深夜に回すことがあった。
  • 高知放送(RKC)は番組開始当初は同時ネットだったが、番組がお色気路線となった影響で、翌日月曜の深夜に枠移行、代わって『笑撃的電影箱』の遅れネットを開始した。また番組のローカルスポンサーは同じ曜日で遅れネットしていた『とんねるずのみなさんのおかげです』(フジテレビ)に移行した。
  • 福島中央テレビ(FCT)と広島テレビ放送(HTV)では、番組の内容が一部カットされ、CMの時間等に当てられた。
  • テレビ岩手(TVI)では、90年代前半は毎週同時ネットではなく、1~2ケ月に1回当番組の放送を休止するという不定期ネットだった。
  • 山口放送(KRY)では、『防府読売マラソン』のテレビ放送を初めて行った際、本番組の放送を取り止めたが、2度目以降は、同日深夜に遅れネットされている。ただ、通常時に関しては、番組がお色気路線に移行したにもかかわらず、FCT、HTV、RKCのような措置を全くとらず、NTVと同時ネット・完全放送を行っていた。
  • 青森放送(RAB)と山口放送(KRY)では日本テレビ系列局が本番組を放送している裏で、TBS系列局[5]が同時刻に『たけし・逸見の平成教育委員会[6]を放送する珍事が起きてしまい、その結果、司会のたけしだけではなく、たけし軍団の一部のメンバー(タカやダンカンなど)が重複する事態になっていた。RABは、同時刻での生放送が特番などでできない場合、同日深夜に時差放送されていた。
  • 現在は日本テレビ系列となっているテレビ信州(TSB)だが、初回からの8年3ヶ月間、当番組はネットしなかった。理由など詳細はこちらを参照の事。
  • 南海放送(RNB)は1994年ごろまで日曜の13時台は特番枠であったためにそれまで未ネットであったが、1995年4月からネットを開始した。
  • 長崎県では、テレビ長崎(KTN)(フジテレビ系列、番組放送当時は日本テレビ系列とのクロスネット局)が、前身番組『TVジョッキー日曜大行進』開始当初から放送していたが、同局の日本テレビ系列脱退に伴い、1990年9月30日に打ち切られた。1990年10月7日~1991年3月31日の放送休止後、日本テレビ系列の長崎国際テレビ(NIB)開局により、1991年4月7日から長崎県での放送が再開された[7]
  • 鹿児島県でも、鹿児島テレビ(KTS)(フジテレビ系列、番組放送当時は日本テレビ系列とのクロスネット局)が、前身番組『TVジョッキー日曜大行進』開始当初から放送していたが、日本テレビ系日曜13時台の同時ネット枠廃止に伴い、1992年3月29日に打ち切られた。1992年4月5日~1994年3月27日の放送休止後、日本テレビ系列の鹿児島読売テレビ(KYT)開局により、1994年4月3日から鹿児島県での放送が再開された[8]
  • なお、テレビ長崎・鹿児島テレビ両局とも、フジテレビ系『FNSの日』に該当する日曜日のみ、この番組の放送を休止していた[9]
  • 因みに、当時の九州地区日テレ・フジクロスネット局の中で、この番組を同時ネットしていたのは、上記の2局だけである(テレビ大分(TOS)、テレビ宮崎(UMK)は未放送[10])。
  • また、鹿児島テレビの放送打ち切りに伴い、1992年4月5日以降、この番組の九州地区日テレ・フジクロスの同時ネット局は消滅した。
  • 沖縄県では日本テレビ系列局がなく、また他系列局でも放送された事は一度もない。

[編集] 出演者

[編集] 総合司会

1986年12月から1987年8月まではフライデー襲撃事件に伴う謹慎で、及び1994年8月から1995年3月まではバイク事故による療養のため出演せず。前者に関しては代役の総合司会を当時たけしが所属していた太田プロの後輩・山田邦子(回によってはたけしの親友である所ジョージも参加)が担当、後者に関しては特別な代役は立てなかったが、ガダルカナル・タカが実質的な総合司会代理を務め、時折細川ふみえが総合司会を代行していた。


[編集] レギュラー

[編集] 全期

[編集] 前期(1983年1月〜1990年12月)

[編集] 後期(1991年1月〜1999年3月)

1991年12月まで
  • 水野晴郎(映画解説)
  • 稲川淳二
  • 石倉三郎
  • ビートきよし(ツービート)
1992年1月から

フライデー襲撃事件のため、たけしのほか軍団主要メンバーが総じて謹慎することになった1986年12月〜1987年8月までの8ヶ月間に関しては、襲撃事件に参加しなかったつまみ枝豆井手らっきょラッシャー板前の3名を「留守番隊」と称して「ガンバルマン」コーナーの中心に据え、不在だったたけし軍団の代役としてダチョウ倶楽部と当時太田プロ所属であった大川興業らが「ガンバルマン」などのコーナーに参加していた。その後、ダチョウ倶楽部は1987年4月、不起訴が決定して一足先に復帰したたけし軍団と交代で番組から一時離れるが、1991年、きよし・石倉・稲川など初期の主要レギュラーが全て降板したことに伴い、今度は正式のレギュラーとして番組に復帰、同時に松村・蛭子も新たにレギュラーとなった。

[編集] 準レギュラー

[編集] その他

開始当初のナレーター。『タイムボカンシリーズ』の悪党風の声でナレーションをやっていた。

[編集] スタッフ

沢口は上島竜兵辺見えみりの番組内でのユニット「熱湯兄弟」が歌う『アッチッチサンバ』の作詞を手がけた。
  • 渡辺弘が初回(当時ディレクター)から1996年6月(当時チーフプロデューサー)まで携わり、以後も最終回まで彼が築いた路線を引き継いだため、スーパージョッキーは渡辺弘の番組だったと言う声もある。その後7月から1999年3月の最終回までCPは増田一穂が担当した。

[編集] 備考

  • この番組終了後、日本テレビの日曜13時台はローカル枠となっている。これにより、この時間帯に全国ネット番組を放送しているのはテレビ朝日系列のみとなり、当時の裏番組だった『新婚さんいらっしゃい!』と『パネルクイズ アタック25』(両方ともABC制作)が現在も放送されている。なお、1992年10月から裏番組となった『噂の!東京マガジン』も現在継続中だが、TBS系列はこの時からローカル枠となっている。

[編集] 脚注

  1. ^ スタジオパークからこんにちは(2010年6月3日放送)に浅草キッドがゲスト出演した時にも流された
  2. ^ ただし、着替えはスタジオ外で行った。
  3. ^ この回では、日テレアナウンス室が関係している宣伝のために大神の名前が書かれたネームプレートが用意された。ちなみに大神の名前は通常の状態のルーレットにも記載されていたのだが、大神はその部分を隠さずにネームプレートを貼ったので、当たる確率は余計に上がることに。
  4. ^ 放送期間中の1989年4月にテレビ朝日系列とのクロスネット局。ただしクロスネット局変更後も日本テレビ系列に引き続き参加。
  5. ^ 青森県は青森テレビ(ATV)、山口県はテレビ山口(TYS)
  6. ^ 恐らくはTBS系列日曜13時台の全国ネット廃止後の1992年10月以降と言われる。ちなみに「平成教育委員会」はTYSで1996年9月まで放送され、1996年10月からはKRYで放送された。
  7. ^ 打ち切り後の半年間・1990年10月7日~1991年3月31日のテレビ長崎日曜13時台は、視聴者保護を目的に、かつての日本テレビ系同時ネット番組の時差ネット枠へと差し替えられた。
  8. ^ 打ち切り後の2年間・1992年4月5日~1994年3月27日の鹿児島テレビ日曜13時台は、フジテレビ主体のネット改編に伴い、『ダウンタウンのごっつええ感じ』の時差ネット枠へと差し替えられた。
  9. ^ テレビ長崎は1987年7月19日・1988年7月17日・1989年7月23日・1990年7月22日、鹿児島テレビはテレビ長崎と同じ休止日の他、1991年7月21日の放送をそれぞれ休止。
  10. ^ TOSは1993年9月26日まで『新婚さんいらっしゃい!』の同時ネットを放送。UMKと1993年10月3日以降のTOSは時差ネット枠。
日本テレビ 日曜午後1時枠
前番組 番組名 次番組
スーパージョッキー
13:00=とりあえずイイ感じ。
関東ローカル枠)
13:30=単発・再放送枠
個人用ツール
名前空間
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