元木大介

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元木 大介
別名 モックン
生年月日 1971年12月30日(37歳)
出生地 日本
活動期間 1990年(プロ野球選手として) -
活動内容 プロ野球選手野球解説者
元木 大介
基本情報
国籍 日本
出身地 大阪府豊中市
生年月日 1971年12月30日(37歳)
身長
体重
180cm
93kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 内野手遊撃手三塁手
プロ入り 1990年 ドラフト1位
初出場 1992年4月8日対阪神戦
最終出場 2005年10月5日対広島戦
経歴(括弧内は在籍年)

元木 大介(もとき だいすけ、1971年12月30日 - )は、読売ジャイアンツに所属した元プロ野球選手。ポジションは内野手外野手大阪府豊中市出身。愛称は「モックン」「ダイスケ」「モッキーナ」(アッキーナユッキーナを捩ったニックネーム)など。現在は野球解説者、タレントとして活動中。所属事務所はアワーソングスクリエイティブ(ケイダッシュ系)

目次

[編集] 来歴・人物

上宮高校甲子園に3回出場。1989年夏の甲子園では1試合2本塁打を放つなど注目された。同校では種田仁小野寺在二郎ほっしゃん。(お笑い芸人)とチームメイトである。高校通算24本塁打。甲子園通算6本塁打は清原和博に次いで歴代2位タイ(桑田真澄と同数)の記録である。

同年のドラフト会議では読売ジャイアンツの指名を希望するが、巨人は大森剛を1位指名。福岡ダイエーホークスから野茂英雄の外れ1位で指名されるがこれを断り、1年間ハワイ野球留学する。実際にはハワイの環境では本格的な野球練習は出来ず、大学・社会人に進むと次回ドラフト指名まで年数がかかるためそれを避ける行動だったといわれる。

1990年のドラフト会議で巨人より1位指名を受けて入団する。1992年から1軍で活躍。レギュラーを確保したシーズンは1998年の1シーズンしかないが、バッテリーを除く全てのポジションを守れるユーティリティープレイヤーとして活躍する。マスコミに取り上げられる機会が多く、チャンスに強い打撃、隠し球・併殺崩しなどおよそ巨人選手らしくないプレースタイル、また進塁打や味方の盗塁を助けるためにわざと空振りをするなどの自分を犠牲にしたプレーを出来ることから長嶋茂雄監督にクセ者と言われ、マスコミに好んで使われる愛称となった。このプレースタイルは、高校時代はホームランバッターとして活躍したものの、プロではこれでは生き残っていけないと悟った元木が、プロで生き残っていくために選んだものだった。

2004年以降は度重なる故障に悩まされ、2005年堀内恒夫監督のチーム若返りの方針により後半戦は戦力構想から外れて2軍生活を送ることとなり、活躍の場を失った。その年の9月に戦力外通告を受ける。オリックス・バファローズ東北楽天ゴールデンイーグルスなどから入団の誘いがあったものの、浪人してまで巨人入団を1年待った経緯もあり、「ジャイアンツが好きだから、入団したときからこのチームでいらないと言われたら辞めようと決めていた」と33歳の若さで現役を引退。最終戦で引退試合に出場。

2005年シーズンオフから日本テレビ系列のTHE・サンデーのスポーツキャスターを務めている。2006年よりTBSラジオ野球解説者スポーツ報知評論家となった。まだ30代半ばと若いこともあり、中継の際は必ず年上・年下問わず「XX選手」と言うようにしている。

2007年から、マスターズリーグ・東京ドリームスに参加している。内野手登録で、背番号は2となっている。

[編集] エピソード

[編集] 野球関係

  • 幼少時代は南海ホークスファンで、たびたび大阪球場に足を運び、ホークス友の会に入会していた他、南海OBによって運営されていた少年野球チーム・ジュニアホークスにも入っていた。
  • 小学6年生の頃、当時巨人の監督だった王貞治と対面し、一緒に記念撮影をした際、「プロ野球に入るなら巨人に来いよ」と激励された事に感激して以来巨人ファンに転向したという。この事について本人は『THE・サンデー』最終回でも語っていた他、以前『プロ野球ai』に母親が寄稿した際にその時の写真が掲載されていた。前述の経緯から引退して解説者となってからも、王からはよく声をかけてもらったと語っていた。
  • 豊中市立第十二中学校時代、バッティング練習中にあまりに打球を飛ばすので学校が近所への迷惑も考え高いネットを張った。「元木ネット」と言われている。その後この中学では元木ネットが必要になるような選手は出ていない。
  • 高校時代、高校野球では全力疾走・全力プレーが当たり前にも関わらず、一塁まで走らなかったことがあり、当時の上宮高校・山上監督に殴られたことがあったという。実際、1989年の夏の甲子園3回戦の対八幡商で内野フライを放ち、1塁へ走るのをやめたことがあった。ところが、そのフライを相手内野手が落球。走るのをやめてしまっていた元木は1塁でアウト。ベンチに戻ってきたところを山上監督に怒鳴られるシーンが全国に中継された。
  • 同じく高校時代は、殺到するファンを避けるどころか、気さくな笑顔で手を振って応じるなど、それまでの人気選手の立ち振る舞いとは一線を画していた。別の高校に進学した先輩にもきちんと挨拶に行く等、礼儀正しい選手だった。
  • 1989年10月15日に電車に乗っていたときに、近鉄の仰木監督(当時)と乗り合わせ、握手をしてもらっていた。その様子は近鉄がその日優勝を決めるかということで仰木監督の出勤シーンを撮りにカメラマンがついてきており、テレビのニュースで放映されていた。
  • 上宮高校野球部ではその端正なマスク、スターと言われた外見とは裏腹に、あまりに「痛い」発言の連発でチームの人気者となり、キャプテンに選ばれた。
  • プロ入り前の野球留学中、ベニー・アグバヤニ(現千葉ロッテマリーンズ)とチームメイトになり、知り合いになったという。
  • 気のない空振りから一転してフルスイングするようなプレーは相手に嫌われたが、全力でプレーしているように見えないのも「クセ者」としての一種の戦術であり、自ら「練習嫌い=天才肌」のイメージを広めたという。入団時の監督の藤田元司は「センスも素質も凄いから何でもできちゃう」と元木の能力を認めた上で、「ぼくは元木にああなってほしい」と、当時のチームリーダーだった川相昌弘のあとを背負うことを期待していた(2002年の糸井重里との対談より)。高校時代の監督も、たびたび元木以外のチームメイト(種田仁など)を擁護した発言をしている。
  • は元日本テレビアナウンサー大神いずみ。日本テレビの番組で知り合い、大神の日本テレビ退社後、1998年に結婚。2006年1月、第1子となる長男が誕生。
    • 元木は、結婚式の仲人を長嶋茂雄監督(当時)に依頼。その後、式前のシーズン中、何度か長嶋に妻を紹介しようとしたが、長嶋は「まだまってくれ」、「今はシーズン中だ」と断ってしまい、結局紹介できたのは式の二週間前になったという。
  • 妻の大神いずみによると、大変に腹を壊しやすい。料理の内容に気をつけないとすぐトイレに入ってしまうようである。また家では非常に几帳面な性格で綺麗好き(妻、清原和博談)。遠征で清原と相部屋になった時、清原が散らかしっぱなしでどこかに出かけた間に、清原が散らかしたものを綺麗に整理整頓したこともある。
  • カレーが嫌い。大神はメニューに悩んだ際、つい作ってしまうことがあるが、慌てて肉じゃがに変更したりすることがあるという。カレー好きの槙原寛己がカレーを食べている時に「人間の食いモンやないですよ」と言ってしまい、激怒した槙原に食べていたカレーを顔に付けられた上、1週間カレーの匂いをかがされた。槙原に「ジャイアンツには、変な人間が2人いた。元木と水野です。あの2人はカレーが嫌いだなんて、僕には理解できない」とビストロスマップで述べられた(槙原について元木は、自伝「クセ者」の中で「兄弟盃を交わした仲」と述べている)。
  • 阿部慎之助へのドッキリとして、番組の企画でメジャー移籍記者会見をした。
  • 1996年オフに西武ライオンズからフリーエージェント宣言し読売ジャイアンツへ移籍した清原和博とは親交が深く、清原は「広沢さんと元木がいなかったら自分はどうなっていたか」と語り、元木は親分と慕う仲である。プライペートの付き合いは少なく、巨人時代は年に2回ほど食事をする程度だったとのこと。
  • 晩年は、控え生活が続き、首脳陣への当てつけか、自軍ダグアウトのベンチ・椅子ではなく、階段に体育座りしていたようなところもあったが、2005年に戦力外通告を受け、現役続行・トレードなども打診されたが、後藤孝志とともに自ら身を引いている。世代交代する巨人に迷惑をかけたくなかったという。
  • キャンプの際は真っ先にリタイアし、別メニューになる常連だった。足が遅い事が『珍プレー・好プレー大賞』でよく取り上げられ、カメラを担いで後ろ向きに走る取材陣に追いつけないシーンがしばしば放送された。長嶋茂雄監督が、巨人担当記者に「大介は何が得意なんだ?」と聞く始末であった。ただし、1シーズン三塁打3本を2回記録しているように、走塁センス自体は高かった。
  • 広島市民球場での広島東洋カープ戦で、球審だった谷博にストライクカウントを間違えられ、2ストライクなのにストライクアウトとコールされたことがある。このことは『珍プレー・好プレー大賞』でも取り上げられた。
  • ここぞという大事な場面できっちり結果を出すことの多かった選手であり、ファンの信頼も大きかった。やる気がない(と見受けられる)ときにはあっさり凡退するという声もあった。
  • 送りバントのサインを無視して本塁打を打ったことがある。ダイヤモンドを一周してベンチに戻って来た元木に当時ヘッドコーチであった須藤豊が何やら諭す場面がテレビで中継された。
  • 選手時代後半にはファンサービスの一環で試合後に東京ドームベンチ裏で勝利インタビューを受ける監督の背後をわざとカメラ目線で通過することがお約束となっていた。その姿はよくマスコミに使われ、さらには他の選手(工藤公康清水隆行など)も同様の行動をとったことがある。
  • 投手、捕手以外ならどこでも守れるユーティリティープレイヤー(主に内野)。そのためオールスターでは、初出場の98年は三塁手、翌99年は遊撃手のファン投票で出場するも、98年は二塁手、99年は三塁手で試合に出場した。この事について元木は「オールスターくらい選ばれた所で出たいよ」とトークショーなどで笑いながら語っている。
  • 隠し球を画策することが多い。このせいで桑田真澄ボークをとられてしまった事がある。
  • 愛車はトヨタ・ハイエース。車内は「走る応接室」と化しており、改造費に600万円かかったという。雑誌「カスタムCAR」にも載った事がある。
  • ジャイアンツ時代の打席テーマソングはウィル・スミスの「Party Starter
  • 2000年シーズンも佳境を迎えた頃の出来事で、ある日試合前トイレに行った際、「個室」のドアが閉まりっぱなしでなかなか開かず、中にいるのが二岡智宏だと思っていたためドアの前で「ウンコちゃん待ちぃー!」などと散々悪態をついたところ、中に入っていたのは首位争いにピリピリしていた長嶋茂雄監督(当時)だった。長嶋は用を済ませドアを開けるなり顔をグッと元木に近づけ「ガタガタうるさいんだ、バカ!!!」と一喝。元木はこれを「肝を冷やした出来事」の一つとして挙げている。この事でこの日は試合に出してもらえないと思ったという。この日の試合は巨人が勝ったものの、元木のテンションは低かった。なお、勘違いしたのは二岡ではなく江藤智、または松井秀喜だったと本人が語っている(2009年6月28日ジャンクスポーツ出演時)。
  • 同年9月24日東京ドームでの中日ドラゴンズ戦で「2番・左翼手」として先発出場し、8回まで被安打5・無四球無失点と生涯最高のピッチングをしていた前田幸長からライト前ヒットで出塁、2番手エディ・ギャラードから江藤智が同点満塁弾、二岡智宏がサヨナラホームランを放ち、巨人4年ぶりリーグ優勝決定する口火を切った。
  • 1998年の得点圏打率.398はセ・リーグ1位。「巨人キラー」と言われていた中日の山本昌との対戦成績は5割を誇っていた。
  • 高校時代にスラッガーとして活躍したため、入団当初はそのような期待を受けていたが、本塁打を9本打ったシーズンが4度あるものの、結局10本に届くことはなかった。
  • いわゆる併殺崩しを積極的に行った。なかには相手野手にしがみつくなどの行為もあり、守備妨害と判定されることも度々あった。
    • 1999年阪神タイガース戦で一塁ランナーの元木が内野ゴロで二塁ベースへ滑り込んだ際、二塁手の和田豊をなぎ倒す形で併殺崩しを行い、和田が元木に覆いかぶさるように倒れ込んだ。この時、普段温厚な和田にボールでヘルメットを叩かれた
    • 2000年中日ドラゴンズ戦で1アウト1、3塁の場面でバッターがショートゴロを打ち、併殺打かと思われたが、一塁ランナーの元木が二塁に滑り込んだ時、二塁ベースにいて一塁に送球しようとしていた二塁手立浪和義を蹴ったため、立浪は一塁へ投げることが出来ず、三塁ランナーのドミンゴ・マルティネスがホームインした。
    • 同年6月9日阪神タイガース戦で三塁ベース付近で走者の平尾博嗣に後ろから抱きついたために走塁妨害と判定された。この時、阪神の三塁コーチだった伊原春樹に突き飛ばされている。
    • 2001年広島東洋カープ戦で1アウト1、3塁の場面でバッターがサードゴロを打ち、三塁手新井貴浩が二塁へ送球し、二塁ベースにいたセカンドのエディ・ディアスが一塁へ投げようとした所に、一塁ランナーの元木が体当たりするように二塁ベースに滑り込んできたため、ディアスは一塁へ送球できず、これを不服とした広島の山本浩二監督が抗議しようとしたが、山本監督が抗議する前に審判は守備妨害と判断し、併殺が成立した。
  • チームの中心選手ではない元木がトレードされる憶測はしばしば流されたが、2004年シーズン途中にも、当時大阪近鉄バファローズ高村祐とのトレードという誤報を東京中日スポーツに出された。
  • 最後のシーズンとなった2005年、ある打席でバスターを狙うもツーナッシングまで追い込まれた時、外角のボールめがけて投げたバットにボールが当たり、その打球がフェアゾーンに飛んでタイムリーになるという、ヒットを放った。後のインタビューではボールがフェアゾーンに飛んだ際、元木自身も驚いている表情をしていたが「狙ってました」とコメントしていた。

[編集] タレント活動関係

  • 一攫千金!日本ルー列島』にゲスト出演した際、珍解答を連発したり、簡単に答えられそうな問題になかなか答えられない姿を見た司会の島田紳助から「ヘキサゴン出れますやん!探してるんですよ、知名度の高いバカ」と言われて同じく司会を務める番組『クイズ!ヘキサゴンII』への出演を勧められる。

[編集] クイズ!ヘキサゴンII

  • 上記の出来事がきっかけで2008年12月より『クイズ!ヘキサゴンII』に不定期出演。初出演したのは、2008年12月10日で17点だった。「楽屋の錦野旦」、「モッキーナ[1]」などと呼ばれ、2009年2月11日放送分では予選ペーパーテストで西岡剛に勝った際「野球で勝ったんで」と言われコケにされた。2009年4月8日放送分では木下優樹菜と同点だったが初の最下位を記録し、クイズ本編でも解答が酷くチーム内からクレームを受けた。出題者側、解答者側を問わず『ちゃんと出題できるかな!? アナウンスクイズ』が苦手で、2009年1月21日では珍解答を連発、2009年4月8日放送分では初の出題者となり、コーナー最低記録タイの10点を記録した。2009年5月27日放送分では初挑戦の山田親太朗に対し、声を小さくして読めと言った。
  • 2009年5月16日の収録で、長縄跳びから脱出する際に転倒してアキレス腱を断裂する重傷を負った[2]。該当のシーンは6月10日の同番組でそのまま放送された。詳細がテレフォンショッキングで明かされ、それによるとアキレス腱の切れた音が後ろの出演者にも聞こえ、最初は縄に当たったから痛いと思っていたが、足がプランプランの状態になり、更にそれを目の当たりにした出演者が突然ストレッチを始めたそうである。因みに翌週の6月17日放送分はケガをする前の収録のため、縄跳びクイズには普通に参加していた。

[編集] その他

  • なお、元木の知識の薄さについてはこれら以前にも言及されており、プロ入り後、遠征時にスポーツ新聞を読みながら大久保博元に「デーブさん、苦手が伸び悩んでるってどういう意味ですか」と聞き、聞かれた大久保がその新聞に目をやったところ、「若手が伸び悩んでいる」と書いてあったという(大久保が引退後1995年にテレビのバラエティ番組に出演した際に、「名前は言えないが、関西出身の某M内野手」としてこのエピソードを話していた)。また、中畑清に「漢字が読めないんだからスポーツ新聞じゃなくて普通の新聞を読め」と言われて読んだ翌日、智恵熱を出して休んだという[3]。また、妻の大神いずみの話では、「TV番組で日本一大きな湖は?」という問いに、「日本海」と答えたとのこと(正解は琵琶湖)。これらのエピソードに対して、明石家さんまは「野球で外にいるから炎天下の暑さで頭脳が壊れている」と述べている。

[編集] 年度別打撃成績

年度 球団

























1991年 読売 37 一軍出場なし
1992年 34 72 59 7 11 2 0 0 13 2 2 2 2 0 10 1 15 2 .186
1993年 80 222 186 25 44 7 1 4 65 15 1 3 3 0 32 1 25 7 .237
1994年 2 90 248 218 26 61 6 0 4 79 25 1 2 6 1 21 2 23 3 .280
1995年 67 219 197 13 48 11 1 3 70 25 5 3 5 1 15 1 23 5 .244
1996年 91 326 288 34 66 14 1 9 109 35 3 2 6 4 25 3 51 5 .229
1997年 101 337 312 33 88 10 1 9 127 32 1 1 7 2 14 2 46 6 .282
1998年 114 456 397 49 118 18 3 9 169 55 3 2 6 3 45 5 56 18 .297
1999年 114 372 327 28 75 12 0 6 105 34 0 1 8 1 36 0 49 11 .229
2000年 114 353 310 40 85 17 0 5 117 29 0 2 7 1 34 1 47 7 .274
2001年 123 441 391 51 114 16 3 9 163 39 3 0 9 2 37 2 51 13 .292
2002年 121 381 343 39 88 12 1 6 120 52 1 0 8 5 23 0 58 19 .257
2003年 60 153 143 11 32 9 0 0 41 14 0 0 3 0 5 2 19 6 .224
2004年 55 128 121 11 29 5 0 2 40 13 0 1 0 1 6 0 24 3 .240
2005年 41 120 105 9 32 4 0 0 36 8 1 1 4 1 9 1 21 2 .305
通算成績 1205 3828 3397 376 891 143 11 66 1254 378 21 20 74 22 312 21 508 107 .262

[編集] 年度別守備成績

年度 二塁 三塁 遊撃
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1992 13 19 21 0 2 1.000 14 10 24 6 0 .850
1993 51 74 114 2 21 .989 6 2 12 1 3 .933 15 6 6 1 3 .923
1994 57 97 141 2 29 .992 21 6 16 2 0 .917 9 10 16 0 3 1.000
1995 47 68 87 4 18 .975 6 1 2 1 0 .750 19 30 56 1 8 .989
1996 77 188 222 2 57 .995 8 3 5 1 0 .889 16 14 22 1 6 .973
1997 35 72 90 1 22 .994 42 23 64 4 6 .956 28 33 50 0 13 1.000
1998 15 26 35 0 5 1.000 60 45 64 5 8 .956 51 74 115 2 27 .990
1999 11 20 25 1 5 .978 88 55 117 4 10 .977 4 6 10 0 2 1.000
2000 7 14 11 0 2 1.000 34 15 25 1 1 .976 54 67 98 7 22 .959
2001 3 2 2 0 1 1.000 19 4 13 0 1 1.000 83 92 194 4 42 .986
2002 27 35 62 0 11 1.000 60 28 67 6 5 .941 30 41 63 0 13 1.000
2003 16 25 49 0 8 1.000 42 18 41 1 3 .983 1 0 0 0 0 -
2004 1 2 5 0 1 1.000 5 1 0 1 0 .500 23 32 63 1 13 .990
2005 13 22 29 2 7 .962 8 4 6 0 2 1.000 1 0 0 0 0 -
通算 373 664 893 14 189 .991 399 205 432 27 39 .959 348 415 717 23 152 .980
年度 一塁 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1999 1 2 0 0 0 1.000
2000 6 15 1 0 1 1.000 28 15 0 0 0 1.000
2001 1 1 0 0 0 1.000 35 39 3 0 1 1.000
2002 19 93 3 0 3 1.000
2003 11 27 2 0 1 1.000
2005 11 66 0 0 7 1.000
通算 48 202 6 0 12 1.000 64 56 3 0 1 1.000

[編集] 記録

[編集] 著書

[編集] 出演番組

<レギュラー>

<過去レギュラー>

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

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  1. ^ 「アッキーナ」の愛称を持つ南明奈も共演していた事から、2009年2月28日配信の番組メールマガジンや番組携帯サイトでも言われている。呼び始めたのは波田陽区
  2. ^ 元巨人の元木なわとびで左アキレス腱断裂、2009年5月28日、日刊スポーツ
  3. ^ 2009年4月6日、1分間の深イイ話超伝説3時間SP(日本テレビ系)にて、清原和博談。

[編集] 外部リンク

読売ジャイアンツ
1990年ドラフト指名選手
1位:元木大介 / 2位:吉原孝介 / 3位:藤崎靖彦 / 4位:阿部茂樹 / 5位:原正俊 / 6位:内田大孝