吉田照美

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よしだ てるみ
吉田 照美
プロフィール
出身地 日本 東京都葛飾区
生年月日 1951年1月23日(58歳)
血液型 O型
最終学歴 早稲田大学政治経済学部経済学科
所属事務所 アワーソングスクリエイティブ
職歴 文化放送アナウンサー
活動期間 1974年
出演番組・活動
現在 吉田照美 ソコダイジナトコ』など
過去 夕やけニャンニャン
ラジかるッ
セイ!ヤング
吉田照美のやる気MANMAN!』など
  

吉田 照美(よしだ てるみ、1951年1月23日 - )はフリーアナウンサータレント。 元文化放送アナウンサーアミューズに14年所属していたが、2009年5月よりケイダッシュグループのアワーソングスクリエイティブに移籍。

目次

[編集] 来歴

東京都葛飾区出身。血液型はO型。江戸川区立小岩第三中学校東京都立小岩高等学校を経て、早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。学生時代はアナウンス研究会に所属していた。

[編集] 文化放送入社

1974年に、アナウンサーとして、文化放送に入社。大相撲が好きな事から、当時の人気番組『大相撲熱戦十番』の支度部屋リポート(インタビュアー)を担当。

その後、1976年1980年頃、平日夕方の帯ワイド番組『桂竜也の夕焼けワイド』の外中継コーナー「夕焼けトピッカー」のリポーターを担当。オペラを唄いながら商店街を歩き、女性とデートする、目隠しをしながらパンツ一丁で、銭湯の女湯に潜入する等、誰もやらない・恥ずかしい・それでいて、ラジオを聴いているリスナーが笑い転げる企画を多数展開していた。

[編集] セイ!ヤング

その成果あって、深夜放送セイ!ヤング』のパーソナリティに抜擢された。当時の深夜放送は、既にブームは過ぎ去り廃れた感があったが、ここでも『夕焼けワイド』同様、誰もやらない・バカバカしい企画を敢行。ある日の夕方、国鉄(現・JR総武線の車内に現れ、空のビールジョッキを手に持ちながら、放送で呼びかけたリスナー数十名と一緒に乾杯の音頭を叫び、乗客の反応を窺う「乾杯おじさん」や、当時の東京大学一次試験合格発表日当日、受験生を装いながら学生服姿で登場し、友人の受験生数名(実は番組スタッフ)と一緒に胴上げした姿が、NHK7時のニュースで放送された「東大ニセ胴上げ事件」など、印象に残る名企画も多かった。この一件に対して賛否両論が飛び交い、当時の横綱北の湖からは怒りを買い、『大相撲熱戦十番』のレポーターを降板した。

当初は水曜担当で、裏番組に『タモリのオールナイトニッポン』が放送されて人気を博していた事から「どうせ誰も聴いてないから、自分のやりたい事をやろう」と開き直った結果、口コミで徐々に人気となり、最終的に2年半続いた(1978年4月1980年3月は水曜、1980年4月~9月は金曜担当)。

[編集] てるてるワイド

『セイ!ヤング』で注目されたのち、1980年10月6日開始の番組『吉田照美の夜はこれから てるてるワイド』のメインパーソナリティに抜擢される(後に「吉田照美のてるてるワイド」→「新てるてるワイド 吉田照美のふッかいあな」と番組タイトルが変更)。当時、文化放送の夜の若者向け時間帯(ヤングタイム)の番組は、ライバル局のニッポン放送TBSラジオ聴取率で負け続け、低迷していた。『てるてるワイド』はこの時間帯を立て直すべく企画された。それまでの夜ワイドの常識・既成概念を打破した内容と、1980年代前半のアイドルブームの波に上手く乗った事(番組内では、近藤真彦野村義男松田聖子が担当する箱番組が内包されていた)が要因となり、首都圏の中高生に絶大な人気を博し、東京キー局の夜ワイドのイニシアティブを数年に渡り、ニッポン放送(『大入りダイヤルまだ宵の口』)から奪う。同時に照美の人気も上がっていった。

[編集] テレビへ進出

1985年3月、文化放送を退社。退職理由は「この春にアナウンス部が廃止され、将来に不安を感じて…」だった(1985年春頃「週刊TVガイド」のインタビュー)。てるてるワイド内では、吉田のフリー転向を勝手に見込んだ「フリーの金曜日」企画があり、その通りの展開に驚くファンも多かった。

また、TBSラジオの番組伊集院光 日曜日の秘密基地にゲスト出演した際には、「番組聴取率が上がらないことの責任の大部分をかぶせられそうになったので、先に辞めると告げた」とコメントしている。

フリーになるとテレビにも進出。

当時大人気だった若者向けのバラエティ番組『夕やけニャンニャン』司会(週五日あるうちの二日分担当)を番組終了まで務めた。個性的な出演者が(演出上において)好き勝手にやっているなかで一人だけ番組進行を保つ学級委員的なキャラで、番組内ではその特異な人相から「ロバ」と出演者や観覧客に揶揄されて呼ばれていたが、番組の良心的存在であり親しまれていた。ちなみに、番組では違う担当の曜日にニッポン放送から上柳昌彦アナウンサーも出向するかたちで番組司会を担当していたが、吉田のキャリアと近似してラジオでそれまで若者向け番組を担当してきたにも拘わらず、テレビのノリについていけず(本人も番組内で自嘲して吐露していた)、短期間で降板した。

フリーへの転身に際し、文化放送と摩擦があったとされる。文化放送からフリーへ転身直後に、フジテレビで『吉田照美のてるてる東京』という平日午前の帯番組を担当する予定だったが、番組は文化放送からの圧力で実現しなかった。結局、荒川強啓司会でよく似たタイトルの『荒川強啓のらくらくTOKIO』が開始している。フジの平日午前帯番組司会は、その14年後に『どうーなってるの?!』で実現する。

[編集] やる気MANMAN!

その後、文化放送で、1987年4月から平日昼帯ワイド『吉田照美のやる気MANMAN!』を、2007年3月まで20年に渡って担当。『セイ!ヤング』、『てるてるワイド』で培ったノウハウを生かし、その基盤を磐石なものとする。しかし、テレビでは、フジテレビ噂のどーなってるの?!』(『どうーなってるの?!』より改題)やTBSぴったし カン・カン日本テレビ11PM』など、テレビで司会を引き継いだ人気番組を終了させてしまうジンクスがあり、“番組クラッシャー”の異名を持つ。

1988年に、7歳年下の女性と9年間の交際を経て、結婚。翌年には長男が誕生しているが、ラジオやテレビ番組の中で、家族の話をすることは少ない(2007年6月24日放送分の日本テレビいつみても波瀾万丈』では福留功男ら出演者にツッコミを入れられながら、夫人との馴れ初めなど、珍しく家族について語っていた)。

1990年代、日本テレビの番組『進め!電波少年』で、「渋谷のチーマーを更生させよう」のコーナーに出演、松村邦洋とともに渋谷ロケを敢行。チーマーの標的となった松村を擁護、チーマーらとの対話を実現する。

2001年4月17日発売の週刊誌「女性自身」にて、『やるMAN』のアシスタントだった小俣雅子との不倫疑惑が報じられる。同誌の取材において、小俣との不倫交際を認めた上で、「軽率な行動を取ってしまった」と前置きし、夫人には正直に告白し、心から謝罪したと述べた。ラジオパーソナリティの伊集院光はこの報道に対し、「番組(『やる気MANMAN』)の話題作りのために撮らせたのではないか」と指摘している。和田アキ子もその週のレギュラー番組でこのことを「聴取率稼ぎ」と言及しており、この意見に同調するファンもいる。

[編集] 新キャラクター

テレビ番組『ラジかるッ』では2006年10月から番組の終了まで、「DJ TERU(ディージェイ・テルー)」と称して、新しいキャラクターを演じていたが、かつて「夕やけニャンニャン」で共演していたこともある司会の中山秀征にはその番組内のあだ名の「ロバ!」とつっこまれることが度々であった。

フリーアナウンサー、タレント以外にも、2006年7月19日小島嵩弘とのユニット「YK型」(ワイ・ケーけい。吉田・小島の頭文字)のファーストシングル『卍固めでTurn The Night』をリリースした。小島は以前から『吉田照美のやる気MANMAN!』で、ピンチヒッターを務めていた。

2006年10月20日、公式ウェブサイト開設[1]。YK型としての活動や、ラジオアナウンサーとしての活動、Tim Yoshidaとしての直筆絵画の作品紹介などが公開されている。

2007年12月17日、文化放送とニッポン放送が共同で「ストップ!飲酒運転キャンペーン」を実施するにあたり、8:00から5分間『吉田照美 ソコダイジナトコ』とニッポン放送の『上柳昌彦のお早うGoodDay!』と相互乗り入れを行った。ニッポン放送の電波に登場したのは1991年の『ゆく年くる年』以来。

[編集] 人物

  • メガネに横わけの髪型が特徴。文化放送在局中はメガネをかけておらず、『てるてるワイド』担当時は髪にパーマをかけていた。
  • 典型的なモンゴル人の顔で、モンゴルの新聞において、スパイがとある事件の犯人の中国人を捕まえたという報道の中で、そのスパイの代わりに、照美の写真が使われた事もある(『謎を解け!まさかのミステリー』より)。
  • 近藤真彦が付けたあだ名は「ロバ」。
  • やる気MANMAN!内で、一時期「ヒゲ吉田」と呼ばれていた。
  • 学生時代までは、人前で喋る事ができない、赤面恐怖症対人恐怖症だった。最近では、2007年3月12日の『やるMAN』や同年6月24日放送分の『いつみても波瀾万丈』で、本人が明かした。学生時代には「照美」という名前から、連呼の際に、女性の番で名前を呼ばれたり、『女みたいな名前だな』といじめられていた時期もあったという(『やるMAN』など、様々な番組内で、照美自身が語っている)。
  • 文化放送入社試験(二次)では、試験官の一人であったみのもんたから「ラ行が弱いね」と指摘された。
  • コアなファンが多い。照美の出演する番組が、深夜枠→夜枠→昼枠→朝枠と移り変わっても、変わらずに、リスナーとなっている人が多い。
  • テレビではラジオとは違い、オドオドとした、あるいは遠慮した態度が目立つ。『やるMAN』でのリスナーからの投稿によるツッコミに、本人は「ラジオとテレビで態度が違うのは、当然」と開き直っている。
  • 放送作家小山薫堂は、照美の元付き人。小山に関するエピソードを、『やるMAN』で度々、ネタにしていた。しかし、小山は付き人だった事を公表しておらず、照美は「かなり気に入っていない」と言及している。
  • その小山とは、2007年8月から首都高速道路と民放ラジオ5社(TBSラジオニッポン放送・文化放送・TOKYO FMJ-WAVE)が共同で展開している「東京スマートドライバーキャンペーン」の文化放送版ラジオCMで共演している。内容は、キャンペーンの発起人である小山が、照美に、スマートドライバーとしての心構えをレクチャーするものであり、このラジオCMは各局によって出演者が異なっている(各局の代表出演者については、「東京スマートドライバーキャンペーン」の公式サイトを参照の事)。
  • かつて文化放送の深夜枠時代、ニッポン放送でライバル番組のパーソナリティだった三宅裕司とは、長年同じ事務所(アミューズ)所属であった。
  • 極度な音痴である事で知られ、アナウンサー対抗歌合戦では毎回、調子外れな歌を披露するのが恒例だった。

[編集] 現在出演中の番組

[編集] 出演していた番組

[編集] ラジオ

 

[編集] テレビ

[編集] その他

(少年時代に愛読したつげ義春ねじ式」のオマージュ作品…乙葉なべやかん、文化放送の太田英明寺島尚正両アナ、伊東四朗らのほか、照美本人も「総務の男」役で出演。エンディングテーマは井上陽水のアカペラによる「エリーゼのために」)

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク