オールスター感謝祭

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オールスター感謝祭
ジャンル クイズバラエティ / 特別番組
放送時間 毎年改編期土曜日
18:30 - 23:48(318(5時間18)分)
放送期間 1991年10月5日 - 現在(41回)
放送国 日本の旗 日本
制作局 TBS
演出 岸田大輔(問題演出)
神尾祐輔(総合演出)
プロデューサー 江藤俊久、篠塚純 /
安田淳(CP)
出演者 島崎和歌子(総合司会)
著名人200人
音声 ステレオ放送
字幕 リアルタイム字幕放送
データ放送 実施中
エンディング Risky「My life is...」
1999年春 - )
外部リンク 公式サイト

特記事項:
放送時間、スタッフ等は2011年秋現在。TBSを含む一部地域は18:25からの放送。
正式な番組タイトルについては#放送時間・正式タイトルを参照。
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オールスター感謝祭』(オールスターかんしゃさい、英字表記:ALL STAR THANKSGIVING FESTIVAL)は、TBS系列(JNN)で1991年(平成3年)10月5日から毎年、番組改編期である土曜日に年2回生放送される大型クイズバラエティ番組である。2011年(平成23年)10月1日放送分で20周年を迎えた長寿番組。略称は「感謝祭」。

目次

[編集] 出演者

[編集] 総合司会

[編集] 代理司会者

和歌子が番組テーマ曲作り企画の時に一度だけスタジオを抜け出した。

島崎和歌子の代役
これまでの抜け出し
  • 1999年春・和歌子が「Risky」としてCDデビュー。

[編集] リポーター

※ いずれもTBSアナウンサー。

  • 出水麻衣(初出演は2006年秋で、回によって休憩タイムか野外担当かは異なる。2009年秋は野外競技及び控え室リポート担当)
  • 枡田絵理奈(2008年秋・2009年秋に休憩タイムを担当)
  • 江藤愛(初出演は2009年秋で、出水とともに野外競技を担当)
  • 加藤シルビア(2008年秋と2009年春、2010年春、2011春は募金ATMが設置されているスタジオを担当。)
  • 田中みな実(初出演は2009年秋で、枡田とともに休憩タイムを、また出水とともに控え室リポートを担当)
  • 高野貴裕(2009年春までと2011年春)
  • 青木裕子(2009年春までと2011年春)

[編集] 実況

  • 初田啓介(赤坂マラソン・駅伝の実況を担当。1996年春より担当しており、実況アナとして一番出演期間が長く、感謝祭に出演しているTBSアナウンサーの中では一番古い。)
  • 伊藤隆佑(スタジオで行われる競技の実況を担当)
  • 佐藤文康(スプリントレースの実況を担当)

[編集] 過去の出演者

[編集] 総合司会

  • 島田紳助(初代。第1回・1991年秋から第40回・2011年春まで総合司会。自身の芸能界引退に伴い降板。以下、紳助と表記)

[編集] リポーター・実況

[編集] 放送時間・正式タイトル

期間 放送時間(JST 正式タイトル
1991秋・1992春 21:00 - 23:54(174分) オールスター感謝祭'○○
超豪華!クイズ決定版
この春/秋お待たせ特大号
1992秋 19:00 - 23:54(294分)
1993春 - 1997春 18:30 - 23:48(318分)
1997秋 オールスター感謝祭'97
秋の新装スペシャル!!
祝!クイズ賞金2億円
1998春 - 2000春 オールスター感謝祭'○○
超豪華!クイズ決定版
この春/秋お待たせ特大号
2000秋 オールスター感謝祭'00
20世紀最後の特大号
2001春 - 2008春 オールスター感謝祭'○○
超豪華!クイズ決定版
2008秋 - 2010秋 18:25 - 23:48(323分)
※一部地域は18:30から
2011春 オールスター感謝祭'11
20周年超豪華版SP
2011秋 オールスター感謝祭'11
芸能界No.1決定戦SP
  • 現在の放送日は基本的に春は4月1日に近い土曜日、秋は10月1日に近い土曜日となっている。以前は土曜日が4月1日、秋は10月1日であってもその年によっては放送しないこともあった。初期の頃は春は4月初の土曜日、秋は10月初の土曜日に放送されていた。
  • かつては再放送もされており(一部地域のみ)、このときは、主にコーナーものを中心として3時間から3時間30分に再編集して(マラソン・休憩タイムが全てカットされる)春は6月上旬頃から夏休み期間の8月下旬頃までの間、秋は11月中旬頃から冬休み期間の1月上旬頃までの間に主に土曜日か日曜日の昼14:00 - 17:00または14:00 - 17:30の枠で再放送されていた。現時点では1992年春から2006年春まで毎回、再放送がされていたが、1991年秋と2006年秋以降は再放送はされていない。再放送の際にはほとんどの回で次回の新作の秋または春の宣伝(番宣)をし、一部の回ではクイズの募集・クイズ制作スタッフ(クイズ作家)・アシスタントガール募集も行われていた。
  • 基本的に当番組が放送される日は前番組(現在は『報道特集』と、地方局のローカルニュースなど)の放送時間が30分程度前倒しとなる。
  • 正式タイトルの○○にはその年の西暦下2桁が入る(例:1991年秋→91、2000年→00、2010年→10)。

[編集] 番組概要

1987年(昭和62年)から1991年(平成3年)春まで放送されていた『クイズまるごと大集合』を大幅にリニューアルする形でスタートした。

番組開始からステレオ放送を実施している(開始当初としては珍しかった)。

2006年(平成18年)春からハイビジョン制作双方向対応番組地上デジタル放送の双方向で番組に参加しクイズ成績をTBS側に送る視聴者は、送信に使用するデジタル受信機器(デジタルテレビなど)にLAN回線を接続する必要がある。

2011年(平成23年)秋からは、リアルタイム字幕放送を実施。

毎回200人の有名芸能人が解答者として参加し、制限時間内(問題により5秒・10秒・15秒・30秒)の早押し多者択一クイズを展開する。このルールは『クイズ!当たって25%』を踏襲したものである。不正解の場合はその時点で失格となる他、各問の正解者の中で最も解答が遅かった人も失格となる。

元々『4・10月だヨ!全員集合』『テレビまるごと大集合』『クイズまるごと大集合』から続く、新番組の宣伝を兼ねた期末期首特番であるため、一連の連続ドラマ枠と関連する主な俳優女優も参加する。箱ドラマではパナソニック ドラマシアター(旧:ナショナル劇場)・水曜劇場木9ドラマ木10ドラマ(旧:カネボウ木曜劇場)・金9ドラマ金曜ドラマ(一時期FRIDAY DRAMAと題していた時期があった)・土8ドラマ日曜劇場(旧:東芝日曜劇場)、ほかに帯ドラマでは愛の劇場(旧:花王愛の劇場)・ドラマ30等が該当する。なお、この取り決めは毎年4月クールまたは10月クールに放送される一連の連続ドラマ枠と関連する主な俳優・女優に適用され、逆に毎年1月クールまたは7月クールに放送される一連の連続ドラマ枠と関連する主な俳優・女優には適用されない。しかし、ドラマ出演者が一切出演しない番組もあった。7月クールと10月クールの双方にまたがって放送される「水戸黄門(第40部)」など、一部例外もある。

問題の出題傾向としては、政治経済社会芸能音楽スポーツなど様々な分野におけるタイムリーな出来事をもとにしたものがほとんど(例えばオリンピックなどの大規模なスポーツ大会が最近に行なわれていればそれに関する問題が出る)で、正解を2択から6択から1つを選ぶ形式である(稀に正解が2つ以上ある問題も出題される)。また改編期ゆえ、番宣をかねて新番組をはじめTBS系の番組にちなんだ問題も多数出題される。また、時々芸能人が問題を制作することもあり、その場合制作者には問題制作料として3000円が贈られている。その他、予想問題や、番組イベントに絡んだ「山分けクイズ」(数択から1つ選んで、予想的中者それぞれに元の賞金を頭割りした賞金を与える)というものもある。

また、初期の頃は通常の4択問題が多かったが、解答画面等で映像・音楽を用いる問題が多く、解答者を引っかける形式の問題も多用するなど出題のバリエーションが多岐にわたっている。例えばMr.Childrenの「箒星」を流した後、「さて、ほうきを持っているのは誰でしょう?」と「天才バカボン」のキャラを4択でズームアウトする(この問題の場合、正解は普通に「レレレのおじさん」だったが、画面で別のキャラがほうきを持っていればそちらが正解)、『およげ!たいやきくん』の歌い出しの「まいにち、まいにち」という部分が流れて「さて、毎日新聞はどれでしょう」など、解答する段になってそれまでと直接関係ない引っかけ問題も多数出題されている。また、海外の国家元首の名前を答える出題において、その国の文字(例えば韓国の大統領であればハングル)が用いられることもあった。

[編集] 基本ルール

クイズは数問ごとにPeriod(ピリオド)と呼ばれる区切りに従って出題される。ピリオドの冒頭では解答者は全員、席で立ち上がり、各問題に誤答するか、正答した中でいちばん遅くボタンを押していた場合はその都度着席し脱落となる(予選落ち)。一問出題ごとに必ず一人は予選落ちが出るため、解答までのスピードも求められる。同タイムで2人以上が並んだ場合は全員が失格となる。

解答するには、各参加者の前に置かれている「キーパッド」と呼ばれる1から6までのボタンとタッチパネル式の液晶画面がついた端末を問題毎に操作する。通常は4択で、正解が2つ以上ある問題は全ての正解を選んでいないと失格となる。また、一部の問題はキーパッドの回答ボタンではなくタッチパネル式の液晶画面を操作して回答することもある。このようなキーパッドをもちいた解答形式は、システムは異なるが過去に「ムーブテレビ進学塾」や「ブレインサバイバー」でも使用されていた。

全てのキーパッドはクイズを管理するコンピュータに接続され、参加者全員がどの選択肢をどのタイミングで押したかが100分の1秒単位で把握できるようになっており、司会者席でも見ることができる。

各ピリオドの最終問題(「ラスト問題」と呼ばれる)の正解者のうち一番早く押した人が、そのピリオドのチャンピオンとなり、賞金を獲得する。ただし、どこでラスト問題が出題されるかは解答者には伝えられず、解答時間終了後に鐘が鳴ることで初めてラスト問題であることが分かる。さらに各ピリオドの問題数は一問から十数問と幅が広いため、ラスト問題を把握することは事実上不可能といえる。おおよそ、解答者が10人台前後となるか、ピリオドがあまりに長くなりすぎる場合にラスト問題となることが多いため、ヤマをかけて、問題を見る前からキーパッドをたたく解答者もいる。また、2009年(平成21年)春の放送にて紳助が「ラスト問題のタイミングはあらかじめシステムに組み込まれており、作為的に鐘を鳴らしているわけではない」旨の説明を行っている。

ただし各競技イベントの結果予想などを1つのピリオドとする場合などは予選何組から決勝までわかるため、このような場合はラスト問題を当てることは可能である。選択肢も予めわかっているので正答が予想できなくても0.01秒を狙うのが基本となっている。

なお、ラスト問題でなくても、正解者が1人もしくは2人(「予選落ち」により残りが1人になる)の場合は、その問題でピリオドのチャンピオンが決定し、賞金を獲得する。正解者が0人となった場合、全員復活させて再スタートするか、ピリオドを終了させて賞金を次のピリオドに持ち越す(キャリーオーバー)処置を行う。

チャンピオン決定後、ボーナスクイズとして制限時間15秒(選択肢の数によって20秒の場合もある。最初期では制限時間が通常より倍の30秒の問題もあった。)の並べ替え問題(通常4択、最大6択。キーパッドの1から6のボタンがそれぞれAからFに対応している)がチャンピオンも含めた出場者全員に対して出題される。ここでチャンピオンが正解した場合は、更にボーナスを獲得できる。チャンピオンが不正解の場合は、その他の正解者にボーナス分が均等配分される。

これを放送時間の許す限り何回も繰り返し(ただし途中にマラソンなどのイベントがはさまれる)、最終的に正解ポイントと早押しのトータル時間を元に総合順位が決定される。正解ポイントが最優先で、正解ポイントが同じ場合、解答所要時間のトータルが短い人に高い順位が与えられる。なお、解答所要時間は正解した問題のみのトータルである。

[編集] ピリオドごとの賞金

2009年以降の金額は以下の通り。かっこ内は2008年度までのもの。

  • チャンピオン決定:賞金15万円(25万円)
  • ボーナスクイズ正解:賞金15万円(25万円)

休憩明けの遅刻対策として、一時期の休憩直後のピリオドは、チャンピオン決定・ボーナスクイズ正解の賞金が共に50万円に設定されていた。遅刻者は第1問に間に合わないと予選落ちになるため、ボーナスクイズまでは解答できなくなる。現在この制度は消滅している(詳しくは後述)。

機械が故障したり、ラスト問題までに正解者が1人もいなくなったり、ボーナスクイズの正解者が1人もいなかった場合、与えられなかった賞金は「キャリーオーバー」となり次のピリオドに持ち越し、次回のピリオドのチャンピオン決定時・ボーナスクイズの賞金は倍になる。

山分けクイズやギャンブルタイムを除き、単一ピリオドで得られる賞金の最高額は30万円(2008年度までは50万円)であるが、キャリーオーバー後のピリオドでは60万円(2008年度まで100万円)を得る可能性もある。ちなみにキャリーオーバーになった場合や、時間が押している中でのピリオドでは、ほとんど1問で終わることが多く、勘に全てを賭ける解答者も少なくない。

[編集] 補足

マラソンなどのイベントに参加した人は、そのイベントの成績に応じて正解ポイントが加算される。以前はこの制度がなく、イベント参加組はその準備をするにあたり、解答できるチャンスが少なくなっていた。従って正解数も必然的に低くなる不公平が生じていたため、2003年春の回からこの加算制度が導入された。そのため前よりもマラソンやイベントで好成績を残した人が上位入賞、優勝することが多くなった。また、過去にはスタジオ外の会場(大井競馬場等)でイベントを行う際、移動のバス車内へキーパッドを持ち込み、解答した事があった。

地上デジタル放送の双方向で参加している視聴者も、クイズのルールはスタジオのタレントたちと同じである。予選落ちは、その視聴者が予選落ちしたタレントより解答時間が遅かった場合は同じく予選落ちとなる。また常時、前のピリオド終了時点の対タレント200人との順位がデータ放送を通じて個別に表示されている。ピリオド終了からしばらくすると、対タレント200人とのそのピリオド終了時点最新の順位と、参加している視聴者の前後2人のタレントの名前がデータ放送を通じて個別に通知される。

[編集] 総合順位による賞品・賞金

最終総合順位のトップ10に入るとクイズやイベントで獲得した賞金とは別に賞金・賞品が出る。

2009年春現在の金額は以下の通り。かっこ内は2009年春のもの。かっこ書きがないものは金額に変更なし。

  • 優勝賞金200万円→総額300万円相当の豪華賞品(額にして200万円であることを2011年春で明かしている) ※2008年は500万円相当の豪華賞品
  • 2位:賞金100万円➝50万円
  • 3位:賞金50万円➝40万円
  • 4位:賞金30万円
  • 5位:賞金20万円
  • 6位 - 10位:賞金10万円

これまでに総合優勝者に贈られた賞品は、個人戦開始時から1997年までは賞金200万円、1998年・秋は「新潟県湯沢のリゾートマンション1部屋」(1998年春は3000万円、1998年秋は4800万円)、1999年春から2000年春までは豪華海外旅行か高級腕時計など4つから1つ、2000年秋から2003年春までは金貨300万円分、2003年秋、2004年春は総額600万円相当の賞品などと豪華なものが多いが、中にはちょっと変わった物が賞品になる事もあった。

2004年秋の感謝祭では、アテネオリンピックの開催年だったことにちなんで300万円分の純金を使った番組特製金メダルが賞品として出た。2005年春はプラズマテレビなどの家電セット・別荘・焼肉チェーン叙々苑食事券の中から1つ選べた。2006年春では、30回記念にちなみ旅行30泊・高級中華料理30食・高級車とガソリン満タン30回から選べた。2007年春から2008年秋の3回は高級車や大型車が贈られた(2007年春はアルファロメオ・2007年秋はHONDA・2008年の2回はNISSANの車が贈られた)。2008年秋では上位3人に賞金に加え、北京オリンピックの開催年だったことにちなんでメダルも与えた。2009年春では300万円分のビックカメラのポイントが与えられた。

2009年秋以降、ヤマダ電機[1]から300万円分の家電製品が与えられる(但し2011年春は後述のとおり賞金200万円で、後に寄付に廻している)。

個人戦になった当初(1992年秋)~1996年秋までは、50位・100位・150位にメロンやマツタケ、毛ガニといった飛び賞が設けられていた。また最下位の人にもTBSのお楽しみ福袋や「一から勉強しなおせ」ということで地球儀や図鑑などの学習関係の賞品がもらえた。しかし、最下位になる人(正解数の少ない人。途中参加や早退の場合、スタジオで答えていない問題は全て不正解扱いとなる)は大抵が裏番組出演や未成年等で遅刻・早退したケースであり、紳助も「これはやむを得ない」と言ったことがある。例外に1993年の秋で大相撲で優勝したのに成績で最下位だった藤森夕子(当時CCガールズ)に前述のメロンやマツタケといった飛び賞が贈られ、時間の関係上できなかった飛び賞を総合成績で50位・100位・150位にも贈られた。

最初は200位から11位までの発表、2000年春・2010年春は時間の都合でベスト10のみ発表、2001年春・2001年秋・2002年秋は100位から11位まで発表、2002年春・2003年春は50位から11位まで発表、2003年秋は150位から11位まで発表、2007年秋は190位から11位まで発表)する。なお、1997年秋は賞金ランキングのため138位タイ(同額138位の63人は破産者)から4位までで、特別ボーナスをもらえるのは上位3名のみとなった。

[編集] その他

この番組独特のルールにより、学力や一般常識等が問われるクイズ番組ではよい成績を残せない芸能人が総合優勝者やピリオドチャンピオンになることもある(総合優勝者では山田親太朗、ピリオドチャンピオンでは内山信二等)。最近の傾向としてヤマを張って問題が出題されたとたんにボタンを押したほうがチャンピオンになりやすいとも言われ、過去にも2秒台や7秒台でチャンピオンになることもあれば0秒台でも予選落ちすることもあった。過去最多の同時予選落ちは6人(2000年、ピリオド9、1問目)。そのため近年では一発ピリオドチャンピオンを狙う出演者と冒険せずにこつこつ正解数を積み重ねて総合優勝を狙う出演者に二極化しつつある。

キーパッドは非常に水に弱く、一箇所の端末が水に濡れると、その濡れた端末だけではなくシステム全てがダウンしてしまう。実際にリハーサル中にこのトラブルが起き、1時間ほど進行がストップした事がある(後述するハプニングの項目も参照のこと)。その為スタジオ内には、飲み物を含めて液体の持ち込みを禁止している。

18歳未満の出場者は労働者と見なされ労働基準法の制限を受ける可能性があるため、ほとんどの場合22時までに退席する。13歳未満の子役の場合は、21時までには退席する。それ以降は席にその人の写真パネルが置かれていた。なお、1996年秋(11回大会)の新山千春は退出しなかったが、これは深夜の出演が労働基準法に抵触するか否かが問題視される以前のことだったためで、退席するようになったのは1999年に当時15歳だった大森玲子が深夜1時~3時に生放送されるラジオ番組に出演していたことを理由に番組プロデューサーと所属事務所社員が書類送検される事件が起きた以降のことである。なお本番組の場合既に有名であり、個人事業主と認められる18歳未満のタレントが出演しているケースも多いが、そのような場合であっても後々の問題を防ぐためか「自主規制」により原則22時以降に退席する形を取っている。同様のパネルは、他局の裏番組や他の仕事などで途中参加や途中退場となり、参加していない出場者全員に置かれる。なお最近は写真パネルは置かれておらず、参加していない出場者のみランプが一切光っていない仕組みになっている。病気等で急遽参加できなくなった場合、子役等で早めに退出してしまう場合等、極稀に現役TBSアナウンサーが代役で回答者となることがある(予選落ちワースト10のパネルに表示されることがあるので分かる)。

番組の最後では長時間視聴し続けた視聴者に「5時間半の長丁場 ありがとうございました(以前は視聴者の皆様 長い間ご覧いただきありがとうございました)」といったお礼のテロップを出すのが恒例となっている。初期の頃は全体の終了後に、スタジオを退場する出場者の様子をバックに、出場者全員の賞金総額ランキングを順番に表示した後、このテロップが出る形になっていた。

[編集] 特徴

[編集] 出題ストップ

生放送ゆえに、コンピュータのトラブルで問題VTRが出遅れたり、問題が止まる、差し変わる、表示されないということが多々ある。以前はVTR等は通常のサブ送出だったので、VTR取り違えなど人的なエラーも発生していた。現在はコンピュータの処理能力向上により「問題機」と呼ばれる専用サーバーコンピュータから映像を送出している。

前述した通り出演者が解答に用いるキーパッドは水に弱く、もしその1つでも故障するとクイズ全体が止まり、スタジオ内どころか、デジタル放送の双方向による一般視聴者にまでクイズの解答ができなくなるおそれがあるため、飲食は隣のAスタジオですることになっている。紳助と和歌子が休憩時間の前に出場者に対し、「絶対に食べ物・飲み物はスタジオ内に持ち込まないで下さい」と告知する。2004年安田大サーカスHIROが、特例として1リットル入りのペットボトルのジュースを「10秒以内に」すべて飲むこと(自身のお笑いネタ)は許可された。また、2008年でも、髭男爵の2人がワインの入ったグラスを持ち込んでいた。過去には、放送中の1時間ほど問題が出ないというトラブルもあり、この間フリートークで凌いだ。2010春以降、「本物は誰だ」のカレー当てであまりの辛さに水が使用されたがこのあたりはお咎めがなかった。

なお、どうしてもクイズが進行不能に陥った非常事態に対応するため、出演者によるカラオケ大会用のセットが、いつでも使用・放送が可能な状態で放送中スタンバイされているとされていたが(トップバッターは武田鉄矢とよく言っていた)、2007年では用意のないことを番組内で語った。しかし後に2008年春直前の番組プロデューサーの安田淳によれば、カラオケ大会にしてもいいようにスタンバイはしてあるそうである[2]

[編集] カンニング

このクイズ形式の最大の欠点は「カンニングしやすい」ことである。後ろの人が優位になったり(ひな壇のため、前列のキーパッドの回答が見える)、隣のキーパットの回答が見えたり、周囲で答えを教えあうために正解者が1ヶ所に固まったり、逆に不正解を教えた人間の周り全員が座ってしまうことが多発したため、1996年は監視カメラ(通称飯島愛カメラ)が導入された。1997年春~1998年春までの3回はそれに代わり、司会者席背景メインセットのモニターとモニターの間の出入り口上部に4人、計8人の監視員が用意され随時監視を行った。しかし1998年秋にそれらが完全に廃止されたため、以降はある程度のカンニングが容認されており、教えあう声をマイクが拾う場合もある。また、芸人の中に徒党を組む者が多く、上位層は芸人で占められる場合が多い。それと同時に、コンビ芸人が共に早押しワースト10に含まれ、最悪の場合ワースト1・2となるケースも多々見られる。

[編集] 出演チャンス

200人もの出演者がいることから、5時間半の放送中ずっとスタジオにいても殆ど顔が映ることなくエンディングを迎える出演者も少なくない。その為「わざと予選落ちをして(限りなく9.99秒に近いタイムで解答する)カメラに映ろうとする出演者」もおり、布川敏和は1回の放送で7回あえて予選落ちをしたという金字塔を打ち立てたことがある。

また、マラソンなどのミニゲームで出演チャンスを狙う出演者もいる。

[編集] 休憩タイム

番組中には休憩タイムが15分間(10分・12分の回もあった。また、第29回大会は約18分、第32回大会は約25分であった)用意されている。かつては「何分がいいか」というアンケートを取っていたこともあるが、その選択肢には「ずっと」というものもあった。休憩はミニマラソンの後になることが多い。

初期の頃(旧局舎、Gスタジオ時代)にはあるピリオドの後に休憩タイムが入るという告知が事前にあったことがある。この時は、そのピリオドで不正解や予選落ちしてしまったら、即座に(ボーナスクイズに参加せず)スタジオを抜け出してそのまま休憩タイムに入ることもできた。参加した芸能人は、スタジオ外のロビーで食事を取ることが出来た。5時間となってから、放送中に休憩時間にとる軽食を4択キーパッドでアンケートを取り、ロッテリアのエビバーガーやアマンドサンドイッチ叙々苑の焼肉弁当等の出前を取る方式だった。しかし、視聴者による「アマンドいたずら電話事件」が起こった為、TBSが事前に料理を提供するようになり、1995年頃から鮨などの高級料理が並ぶようになった。

その後、周富徳を筆頭に「周三兄弟」が出場している際には彼らが料理を振舞うようになり、後には道場六三郎佐野実などの有名料理人の特製料理が堪能できるスタイルとなった。現在でも、全国に名の知れた名店の料理が並んでいる。東国原英夫宮崎県知事就任後は宮崎県の特産品も出品され、東国原知事もレポーターと並んで紹介している。また第13回大会には、食べると賞金から5万円分を差し引く「キャッチ・キャビア・バー」(この事実は休憩タイム終了まで参加者には隠されており、また言い逃れ出来ない様に隠しカメラも設置)や、キックボクシングのリングを設置して、かつてTBSで放送されていた「YKKアワー キックボクシング中継」さながらに会場内でキックボクシングの試合を実施、出演者は観戦だけでなく任意で結果予想にも挑戦出来る(的中・外れによって、各自の賞金が増減)といった催し物、最近ではプリクラやオールスター感謝祭のゲーム等の娯楽設備も設置していた。

なお、休憩タイム中は番組宣伝が流れる。番組宣伝は、スタート当初はCM明けに放送され、その後、紳助が出演者とやり取りをする方式を採っていたが、1997年秋・1998年春にはピリオド内で「記憶クイズ」として使用し、1998年秋からは休憩タイム中でまとめて放送される様になった。近年は休憩タイム中に、携帯電話参加者への専用問題や番組宣伝中にも賞品が当たるプレゼントクイズが出題される様にもなっている。ただし、休憩タイムが終わっても戻ってくる人が少なく、その為前述の通り、対策として休憩タイム終了ブザーと同時に、すぐさまクイズ開始、数問しか出題されないにもかかわらず賞金が50万円にアップしたピリオドを実施した事もあった。近年ではCMを挿入した後、中国雑技団などのサーカス企画から再開させるという措置を取って、より多くのタレントに着席して貰おうと、前述の頃よりは比較的甘い対応を取っていた。それでも開始後にまだ食事をしていたり、煙草を吸いながら雑談している出場者も見受けられる。演技中はスタジオに入ることが出来ないため、席に着き損ねた出場者はどこかで暇を潰さなければならない。

しかし2010年春は、一転。まずサーカス(シルク・ドゥ・ソレイユ)→休憩タイム→ピリオドという流れになり、休憩タイム終了直後にピリオド開始という措置を復活。更には、休憩タイム前の注意事項を聞かず、食べ物・飲み物をスタジオに持ち込んだ解答者は、その時点での獲得賞金を全て剥奪という罰則が施行され、多くの解答者が処罰を受けた(詳しくは「ハプニング・出来事など」の欄を参照)。2010年秋以降にはサーカス企画は行われなかった。2011年春では休憩時間が過ぎているためか強制的にわずかな人数でをピリオドを開始したがCMが入りほとんどの人が集まった。

地上デジタル放送の双方向で参加している視聴者は、休憩開始時に番組開始時点から休憩開始時点までの成績を送信する。集計が終わり次第、休憩中にピリオド終了時点で通知される内容とともに、全国視聴者ランキングの中間順位がデータ放送を通じて個別に通知される。成績はいずれも休憩開始時点のものが通知される。

[編集] ニュース

番組が5時間半に拡大した1992年秋の回以降、番組中盤、休憩時の番組宣伝後に、JNNニュースが約3分間挿入されるようになった。通常、TBSでのニュースはNスタジオから放送されるが、この番組内でのみ、生放送中のBスタジオにキャスター(TBSアナウンサー)が登場し、そこから放送されていた(開始・終了時にスタジオの出演者たちが拍手をしていた)。但し、2006年以降の回はセットの大道具入れ替え作業を行う必要があるため、報道局Nスタジオから放送されるようになっている(2003年春もイラク戦争が当時の中心的ニュースであったため、同様の措置が採られた)。

1992年秋から1997年秋までは、土曜日の『JNNフラッシュニュース』を担当していた鈴木史朗がBスタジオに来てニュースを伝えていた。無表情な鈴木の登場とともに司会者席のバックの大画面に『JNNニュース』と大きく表示され、クイズで盛り上がっていたスタジオの空気が一変する様子は、番組の名物の一つだった。ただし、1993年秋のみ下村健一が担当し、ニュース終了後、下村が出演する『情報スペースJ』の番組PRをした。テロップはだしたが、フリップはなく、原稿の裏面に手書きで紹介した。出演している芸能人は雑談等でニュースを聞いていないことが多く、それを逆手にとって、ニュース終了直後のピリオド1問目に、ニュースを聞いていないと絶対に分からないクイズが出題されたことがある。

2006年春では、この順番と異なっており、サーカス→ニュース→休憩と逆の順番になっていた。また、2007年以降はニュース→マラソン→休憩の順番となっている。

2006年秋からは、普段放送される『JNNフラッシュニュース』そのものを番組内に内包して放送する形式を取り、TBSやMBSでは提供スポンサーの映像も挿入されたが、地方局によっては通常はスポンサーがついていても、この番組が放送されるときに限り、ノンスポンサーになっていることもある。通常、そのような地方局ではTBS・MBSなどと異なり、提供スポンサーの15秒CMを番組前後に流しているが、本番組内包時は15秒CMすら挿入できないためと推測される。スタジオはNスタジオからの放送となった。

2009年春では番組開始以来初めて中断ニュースの放送が無かった(なお、この年の3月30日~4月5日の「ハイパーバラエティーウィーク」対象番組の全てが途中にニュースの放送がなかった。3月30日の『SASUKE』も同様だった)。これはJNNが結成50周年を記念した事によるものである。

2010年秋ではニュース終了後、ニュースキャスターが「この後も引き続き、オールスター感謝祭をどうぞ」と言っていた。

逆のパターンとして2009年秋の回では、前番組である『報道特集NEXT(現:報道特集)』を見ていないとわからないクイズ(2016年のオリンピックの開催地)が第1問に出題された。

[編集] 野球中継

番組初期には、番組内で野球中継が挿入されていた時期がある。

1992年秋は、セ・リーグでヤクルトスワローズ・阪神タイガース・広島カープ・読売巨人軍が優勝争いを繰り広げており、広島市民球場から広島VS巨人を随時放送。結果が出るたびにスタジオから拍手が沸き起こっていた(再放送の際にはカットされた)。

1993年秋はパ・リーグで西武ライオンズがリーグ優勝するかどうかを含めた3試合の野球中継が挿入されていた。

また、「どっちが勝つか」と言うのを山分けクイズで出題したことがある。

なお、再放送の際にはマラソン・休憩タイム同様、カットされた。

[編集] BGM・タイトルのロゴ

番組放送を開始した1991年第1回当初からの曲が現在でも使用されている。問題出題や早押しワースト10などの時のBGMと手書き風の番組タイトルロゴすべて当初からかわらず使用されている。ロゴデザインは渡邊かおる。ただロゴのうち、前述の通り春放送時の「この春お待たせ特大号」・秋放送時の「この秋お待たせ特大号」のサブタイトルは2001年以降廃止されたままとなっている。その他のBGMの情報は#番組中に使用されているBGMを参照(※ただし、1992年春の第2回のみ、CM入りジングルと提供クレジット時のBGMはまったく異なるものが使用されていた。1992年秋の第3回から第1回のものに戻されている)。

早押しワースト10のものはテレビ朝日系『世界忍者戦ジライヤ劇伴より流用、各種ランキング発表時のものは宍戸留美「恋はマケテラレネーション」のインスト(同曲が主題歌のOVAKO世紀ビースト三獣士』劇伴)を使用している。

[編集] キャラクター

この節は執筆の途中です この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています

番組キャラクター1997年の秋に初登場。主に休憩タイム中の番宣時にナビゲートしていた。声優は何度か交代している。2001年までは毎回異なるCGキャラクターが登場していたが、2001年秋以降は「ピテカンブラザーズ」が使用された(このキャラクター「ピテカン - 」は後に紳助司会の同局レギュラークイズ番組「島田検定SUPER!!」でも使われていた)。また、ピテカンブラザーズを主役にしたCGアニメも作られた。その後2010年春まで毎回「ピテカン - 」を使用しており、キャラクターは2010年秋からしばらく登場しなかったが2011年秋でクイズ解答画面で紳助の引退・降板に伴い、紳助のCGに代わって復活した。

[編集] 各回の放送日・チャンピオン・ピリオド数


放送年
放送月日
チャンピオン
総ピリオド数
全員復活
キャリーオーバー
1 1991年 10月5日 チーム/ニュース・教養チーム 10 なし なし
2 1992年 04月4日 チーム/TBSアナウンサーチーム 10 なし なし
3 1992年秋 10月3日 さいとう/斉藤慶子 10 06ピリオド 1回
4 1993年 04月3日 なかしま/中島啓江 12 09ピリオド 1回
5 1993年秋 10月9日 あさき/麻木久仁子 15 07ピリオド 1回
6 1994年 04月2日 せきね/関根勤 11 なし なし
7 1994年秋 10月1日 そのまんま/そのまんま東 14 なし なし
8 1995年 04月1日 よねすけ/ヨネスケ 16 なし なし
9 1995年秋 09月30日 むかい/向井亜紀 15 なし なし
10 1996年 03月30日 たつみ/辰巳琢郎 15 04ピリオド なし
11 1996年秋 10月5日 のきわ/野際陽子 16 なし なし
12 1997年 03月29日 そのまんま/そのまんま東 13 08ピリオド 1回
13 1997年秋 10月4日 あすま/東幹久 18 02ピリオド なし
14 1998年 03月28日 みむら/三村マサカズバカルディ 18 016ピリオド なし
15 1998年秋 10月3日 やくまる/薬丸裕英 15 08ピリオド なし
16 1999年 03月27日 はら/原千晶 16 なし なし
17 1999年秋 10月2日 あおしま/青島健太 16 第10ピリオド なし
18 2000年 04月1日 しらいし/白石美帆 10 01ピリオド なし
19 2000年秋 10月7日 まつお/松尾貴史 11 08ピリオド 1回
20 2001年 03月31日 へんみ/辺見えみり 15 06ピリオド 1回
21 2001年秋 10月6日 すか/菅広文ロザン 13 05ピリオド 1回
22 2002年 03月30日 いわさき/岩崎ひろみ 16 なし なし
23 2002年秋 09月28日 なかた/中田喜子 18 なし なし
24 2003年 03月29日 いその/磯野貴理子 14 なし なし
25 2003年秋 09月27日 らさある/ラサール石井 13 なし なし
26 2004年 04月3日 はせかわ/長谷川純ジャニーズJr. 14 なし なし
27 2004年秋 10月2日 わたなへ/渡辺正行 13 04ピリオド 1回
28 2005年 04月2日 たにかわ/谷川真理 13 04ピリオド 1回
29 2005年秋 10月1日 おかえ/岡江久美子 10 なし なし
30 2006年 04月1日 やまた/山田雅人 12 なし なし
31 2006年秋 09月30日 みすの/水野裕子 12 なし なし
32 2007年 03月31日 ほとはら/蛍原徹雨上がり決死隊 12 なし なし
33 2007年秋 09月29日 いした/石田純一 10 05ピリオド なし
34 2008年 03月29日 しなかわ/品川祐品川庄司 12 なし なし
35 2008年秋 09月27日 うらた/浦田聖子 11 なし なし
36 2009年 04月4日 たけわか/竹若元博バッファロー吾郎 11 なし なし
37 2009年秋 10月3日 やまた/山田親太朗 8 なし なし
38 2010年 04月3日 まえた/前田健 10 なし なし
39 2010年秋 10月2日 おかえ/岡江久美子 7 (企画内) 2回
40 2011年 04月9日 かつまた/勝俣州和 12 なし なし
41 2011年秋 10月1日 なかやま/中山エミリ 6 05ピリオド(3回) なし
備考
  • 1991年秋・1992年春はチーム対抗戦だった。
  • 2001年秋は全14ピリオドだが、テロップでは13ピリオドまでの表示だった。

[編集] 各種記録

  • 最多出場:41回渡辺正行唯一の皆勤
  • 最多優勝回数:3回東国原英夫(当時:そのまんま東)1994年1997年・1997年年末特番
  • 最年少優勝:18歳長谷川純2004年春当時)
  • 通算獲得賞金1位:およそ720万円以上薬丸裕英
  • 予選落ち最速タイム:0.31秒香田晋2005年春 Period13 第7問)
  • 1問での予選落ち最多人数:6人2000年春 Period9 第1問)
  • 1回の放送での予選落ち最多記録:7回※…布川敏和1996年)※放送で紳助は「6回予選落ち」と言っていたが、実際は最初の予選落ちは複数の解答者が予選落ちして、しかも布川以外の予選落ちした解答者にスポットが当たっていたためにカウントし忘れていた。
  • 1Period内での最多全員復活回数:3回2011年秋 Period5) ※詳しくは後述
  • リポーターまたは実況・解答者両方の立場で出演した出演者:
  • 小林麻耶(2004年秋から2007年秋まではTBSアナウンサーとして各種競技のリポーターを務めていたが、2009年春はTBSを退社しフリーになったこともあり、解答者として出演。総合2位の成績を残した)
  • 小林豊(1994年春から2001年春まではTBSアナウンサーとして各種競技の実況を務めていたが、意外な事にTBSアナウンサーにもかかわらず、1991年秋の第1回には「アッコにおまかせ!」出演者として、2001年秋の第20回には「エクスプレス」出演者として出演していた。)
  • ボーナスクイズ連続不正解(賞金倍増にならなかった):19ピリオド2009年春~2010年春までのトータル[3])…1994年春、1995年春、2000年秋、2004年春もボーナスクイズ正解倍増は不在だった。
  • チャンピオンになったがボーナスクイズで時間内に答えられず、タイムオーバーになった出演者:東山紀之(1996年秋)、有賀さつき(1998年春)、辰巳琢郎(2000年春 )

[編集] 視聴率

開始当初は20%以上の高視聴率を叩き出し、1994年春から1995年秋まで4回連続で視聴率25%以上を記録した(東海・関西地区では30%以上を記録)。1996年春以降は、マンネリ化もあり25%を割ったものの、1997年秋のクイズシステム更新以降、徐々に持ち直してゆき、現在でもTBSの春・秋の恒例名物特番として15% - 18%程度の視聴率を毎回記録し時間帯トップとなることが多い。そのため、他局もこの特番が放送される日にはより強力な番組編成をしている。

1994年秋の放送は歴代最高の30.6%を記録。同回の瞬間最高視聴率は「赤坂5丁目ミニマラソン」でみのもんたが赤坂の町を走っていた瞬間で41.1%。他の特番も高視聴率だったため、当時低視聴率に喘いでいたTBSがこの週のみ視聴率3冠を獲得している。

東日本大震災に伴う大幅な自粛を余儀なくされた2011年春の放送では歴代最低の14.9%を記録した。なお、同日同時間帯には『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)の特番が初めて裏番組として放送されている。

2011年秋の放送は17.8%を記録。他の特番も高視聴率だったため1994年秋以来の週間世帯平均視聴率3冠を獲得した。[4][5]

視聴率はいずれも、関東地区、ビデオリサーチ調べ。

[編集] 歴史・変遷

この番組は、「金曜テレビの星!」での特番後レギュラー化、わずか半年で終了した視聴者参加クイズ番組『クイズ!当たって25%』(1991年10月17日 - 1992年3月26日放送)が原点になっている。『クイズ100人に聞きました」等と同様、番組フォーマットを海外から購入しており、この番組フォーマットはイギリスのCelador Productionsが開発したものである。なお、感謝祭で用いられている「Ready Go!」や「Answer Check!」などのコールは、日本オリジナルのものである。

出題および解答のコンピュータシステム自体はTBS側が国内企業(テクノネット)に依頼し、日本仕様に独自開発したものである。選択ボタンの増加やタッチパネルの導入、複数解答・移動体通信での解答への対応など、随時バージョンアップされている。このクイズのシステムは、後の地上デジタル放送BSデジタル放送双方向サービスの基礎ともいえる。当番組も2006年に双方向サービスが現実のものとなって、一般視聴者もクイズ参加が楽しめるようになった。

[編集] 1991年秋-1999年秋

  • 1991年6月28日、『金曜テレビの星!』にて前身番組『クイズ!当たって25%』が放送された。司会は紳助と草野仁
  • 1991年、初回が生放送された(1994年までは旧社屋Gスタジオで行われた)。
  • 1992年、地方局のアナウンサーが「JNNアナウンサーチーム」として参加した。好評で要望が高かったため、この回より本放送数ヵ月後に3時間または3時間半の再編集版の再放送がされるようになる。
  • 1992年秋、成績が個人戦に変わった。
  • 1993年、赤坂5丁目ミニマラソンがスタート。
  • 1994年秋、オープニングの司会者による挨拶がなくなり、いきなり冒頭から第1ピリオドが始まるようになる。(現在に至る)
  • 1995年春、放送スタジオが現社屋Bスタジオに変更。(上記同様)
  • 1995年秋、司会者席テーブルの中に初めて電光掲示板(LED表示機)が設置され、コーナー名や番組名がスクロールされていた。この電光掲示板(LED表示機)はセットが入れ替わった後でも2007年秋まで同じものが12年間使用されていた。
  • 1996年秋、カンニング対策として監視カメラ(飯島愛カメラ)が導入された。
  • 1997年秋、これまで4択までしか対応出来なかったキーパッドが、現行の2択から6択までに対応、液晶画面のタッチパネルで数字等も入力可能な仕様に変更される(それまでは4択固定だったため、2択の問題やイベントの参加のアンケートも4択表示で、3,4は選択肢がなかった。そのボタンを押した人が2,3人いた)。これに伴い、スタジオのボタンの色が「赤・緑・紫・」から「赤・青・黄・緑・オレンジ・ピンク」の順に変更された。これを記念して、特殊なシステム(100万円からの減額方式)での大会が行われた。この大会ではピリオドで不正解・予選落ち及びミニマラソンなどのイベントスタンバイ中でクイズに参加できない解答者の所持金が1問につき2万円減額され、所持金が0円になると以降のクイズに参加できないルールだった。またボーナスクイズがなかった(並べ替え問題は、通常の問題と併せてピリオド内で出題された)。ミニマラソンなどの賞金もイベントスタンバイ中の1問につき2万円減額が適用されているため、せっかく上位入賞しても実際もらえる賞金が相殺されるケースもあった。この回のみ総合成績も、正解数や解答速度ではなく、獲得賞金額によって順位付けされ、総合上位への賞金・賞品も、上位3名にボーナス賞金という名目で今回獲得した賞金に上乗せされる形を取った。「早押しワースト10」発表画面や紳助の絵などのCGがリニューアル。出演者のグループ名の文字がすべて表示できなかったものが表示できるようになる。それまでCM明けに放送された番宣スポットが、この回では「記憶力クイズ」として使われた。
  • 1997年、1度だけ大晦日に年末特番が放送された。通常とは異なり、150名参加・1チーム25名の6チーム対抗戦、イベントを殆ど行わない代わりにチーム同士で副賞争奪クイズを行う等、『クイズ!当たって25%』に近いフォーマットで行われた。第1問は、当日直前まで生放送で放送していた『嗚呼!バラ色の珍生!!』(日本テレビ系)の収録スタジオからオールスター感謝祭の収録スタジオまでの紳助の移動が午後9時2分(放送開始は午後9時)までに間に合うか否かを予想した。シンキングタイムのイラストCGはこの回のみ、この年の干支のウシと翌1998年の干支のトラが使われた。ラストは除夜の鐘が鳴り響いて締め括った。
  • 1998年秋、この回より番宣スポットは「休憩タイム」の中でまとめて放送される様になった。司会者席背景セットがこの回以降使いまわしになる(このセットは2007年秋まで使用、事実上の経費削減)。
  • 1999年春、和歌子が「Riskyデビュープロジェクト」参加のため(ドッキリ)、エイベックスに移動し司会から離れた。そのため、紳助が「一応、局アナの用意はしているが、生放送のハプニングということで」と安岡力也を代理司会に指名した。力也は約2ピリオド分を代行したが、司会をしている間は解答できないので、彼の指名でチャック・ウィルソンに交代。しかし、問題文をきちんと読めず、一部参加者と揉めそうになったため1ピリオドで交代、番組終了まで当時TBSアナウンサーの進藤晶子が務めた。

[編集] 2000年春-2009年秋

  • 2000年、オープニングからコンピュータトラブル(後述)が発生。
  • 2001年、1997年春から登場したこれまで毎回異なるCGキャラクターだった番組イメージキャラクターはこの回以降、ピテカンブラザーズに固定される。またこの回より、視聴者サービスの一環として携帯電話を通じ、一般視聴者もリアルタイムでクイズに参加できるようになった。
  • 2002年秋、「早押しワースト10」発表画面や紳助の絵などのCGが再リニューアル。番組エンディングの個人成績ランキングでこれまで200位→11位までを10名おきに名前が表示されてゆくのに2分かかっていたものが、1分に短縮された。その代わりにランキングが早くなったことから10名おきに1人の芸能人の顔を映していたのをやめている。
  • 2003年春、紳助がF1レース出走のため西川きよしが代理司会を担当した。またこの回は第2回(1992年春)以来、地方局アナウンサー(佐々木瞳TUYアナウンサーと中野知美TUFアナウンサー)が出場。一部の解答者がマラソンなどのイベント参加で順位が下がるデメリットを解消する為、参加および上位入賞すれば正解ポイントが加算するルールが追加された。
  • 2004年秋、TBS放送センター前が赤坂5丁目再開発計画(赤坂サカスプロジェクト)により空いていたことから紳助の要望で「モトクロス選手権(イベント)」が行われた。紳助は決勝戦にて参加をしたため、その間の代理司会を武田鉄矢が務めた。そのイベントで紳助は1位となり、司会者ながらも賞金20万円を獲得。この時の総合優勝者は渡辺正行。第1回から参加していた皆勤賞の渡辺は27回目の出場にして初めて総合優勝の栄冠を掴んだ。
  • 2005年春、前年11月に紳助が不祥事により謹慎し本大会の司会がどうなるかが注目されたが本年1月に復帰し、事なきを得る。解答者にアテネ五輪日本代表などスポーツ選手が多く参加。また、TBSテレビ開局50周年を記念し、TBSテレビのかつての看板番組「風雲!たけし城」が復活した。2003年春からミニゲームポイント加算ルールを新設して初めてマラソン・駅伝に参加し、そこで獲得したポイントを利用した谷川真理が優勝した。
  • 2005年秋、オールスター感謝祭視聴者のすべてが携帯クイズに参加できる形式への変更に伴い、実質上の規模縮小(クイズ解答からイベント予想へ)。
  • 2006年春、地上デジタル放送のデータ放送およびワンセグ放送の双方向機能を利用して、より簡単に視聴者がクイズに参加できるようになった(この回で双方向を実施した放送局はTBS、テレビユー山形東北放送新潟放送静岡放送中部日本放送毎日放送の各局。なお、新聞のテレビ欄の記号では双方向の「双」ではなくデータ放送の「デ」の表記となっている。これは2006年秋以降も同様)。これに伴いスタジオの1/Aから4/Dのボタンの色が従来の「赤・青・黄・」からデジタル放送受信機のリモコンと同じ「青・赤・緑・」の順に変更された(6択問題はスタジオでは上記4つのボタンにさらにオレンジ・ピンクの5/Eと6/Fのボタンを、視聴者はリモコンの「1」から「6」の数字キーを使って解答する)。問題数と正解数、さらには解答秒数がカウントされるシステムになっている(一部機能はBS-iで放送されていた「TIME OVER」に準拠している)。どのボタンで解答するかは和歌子からの口頭ではなく、データ放送の字幕で伝えている。しかし、ボタンを連打しても早いタイムが出にくいのと、ピリオドの間にチャンネルを変えると正解数がリセットされるなどの不備もあった(これは他局の双方向番組の一部でも同様のケースがあった)。2006年秋以降もこの双方向サービスは行われている。なお、今回のマラソンと駅伝はTBSのカメラマンの他、JNN各局(HBCなど12局)の技術協力を元に各局スタッフも撮影に協力した。
  • 2006年秋、地上デジタル放送のデータ放送双方向機能にあわせ、クイズ画面上の1から6のアイコン色が青・赤・緑・黄・オレンジ・ピンク(の順)に変更(以前は、全アイコン色が青→水色→ピンク)。なお、双方向サービスは今回が初実施となった系列局は北海道放送、青森テレビテレビユー福島テレビ山梨北陸放送RKB毎日放送の各局である(IBC岩手放送チューリップテレビ信越放送山陰放送中国放送テレビ山口あいテレビテレビ高知は試験放送の段階だった〈本放送開始前日〉)。また、今回もTBS系列・JNN各局がオールスター感謝祭に協力する形となっている。この回から1992年春より毎回恒例の、本放送数ヵ月後にされていた3時間または3時間半の再編集版の再放送をしなくなった。
  • 2007年春、ネット局全ての地上デジタル放送で視聴者の双方向参加が可能となり、今回もJNN系局の協力があった。「世界陸上2007大阪」に出場する選手がこの番組の為に来日した。なお、前回まで出場していた当時宮崎県知事東国原英夫(そのまんま東)も出場する予定だったが、インフルエンザを発症したため、放送当日の朝にキャンセルし、宮崎からの携帯電話での中継出演となった。
  • 2008年春、赤坂再開発「赤坂サカス」の完成により、同関連企画が行われる。また、司会者席背景・司会者席テーブルは1998年春以来10年ぶりに変更された。なお司会者席テーブルに1995年秋から2007年秋まで12年にわたって変わらずに置かれていた従来3色のLED表示機もフルカラーLED表示機に変更された。解答者席テーブルも各枠ごとに色分けされていたものが、各枠各段ばらばらになり、ALLSTARなどと文字も書かれた。
  • 2008年秋、北京オリンピックの影響を受け、番組内で北京オリンピックを意識したイベントが行われた。前回大会の反省から、ローション企画が抑えめなものとなり、ぬるぬる相撲がこの回では姿を消した。
  • 2009年春、世界的な不況の煽りを受け、この番組でも賞金がややダウンし、ピリオドチャンピオン・ボーナスクイズは各15万円、総合成績では2位賞金が100万円から50万円に、3位賞金が50万円から40万円に、それぞれ減額された。ぬるぬる相撲が1年ぶりに復活した。2008年秋までは総合成績発表の際にテロップで上に「総合成績」、下に「発表」と表示されていたものが、「総合成績」の表示のみになる。この回からオープニングCGがCGアニメからスタジオ映像をバックに流れるようになる。

[編集] 2010年春 -

  • 2010年春、休憩明けの問題途中に,サイレンがなり、食べ物や飲み物を持ち込んでいる事件があった(後述)。またこの大会ではぬるぬる大相撲でかなり時間を使ってしまったため、総合成績は10位からの発表だった。
  • 2010年秋、ピリオドクイズよりもギャンブルクイズに趣をおく結果となり、ピリオド数は、過去最小の7ピリオドだった。東国原英夫宮崎県知事は宮崎県内で発生した口蹄疫問題(2010年日本における口蹄疫の流行も参照)で練習する時間がなく、「赤坂5丁目ミニマラソン」には参加しなかった。またこの回の新企画、「プライベートナンバーズ」で3問中後の2問が全員不正解でキャリーオーバーとなり、その企画後の次のピリオドでチャンピオンになった者がチャンピオンの獲得賞金に加えてキャリーオーバーとなった賞金を加算するという珍しい試みが行われた。ぬるぬる相撲には特別ゲストに朝青龍(元横綱で後日断髪式を控えていた)を招き、解説者として番組に出演した。なお、完全ハイビジョン化の影響を受け、同番組のテロップも16:9のすべての領域にテロップが表示されるようなった。それに従い、この回から地上アナログ放送ではレターボックス放送になった。ただし、スタジオの出題モニタが4:3アスペクト比モニタのため、クイズ出題画面に変更はなかった。モニターの番組ロゴの背景がピンクから水色を基調としたチェック柄に変更された。
  • 2011年春は放送開始20年、放送回数40回という節目の回を迎えた。放送1か月前の3月11日に東日本大震災が発生し、震災の影響により放送中止も懸念されたが、通常通り放送された。ただ、イベントの自粛など企画変更があり、賞金額もできる限り伏せて行った(「○○万円山分けクイズ」を「賞金山分けクイズ」に変更。ピリオドチャンピオンへの「賞金○○万円獲得」を「賞金獲得」など)。また、休憩会場には出演者が獲得した賞金を募金できるよう特殊なATMが設置された。優勝した勝俣州和は事前の取り決めにより優勝賞金200万円のうち半分の100万円とピリオドチャンピオンなどで獲得した賞金25万円全額を寄付。また、翌日の『アッコにおまかせ!』にて残りの100万円を個人名義で寄付することを発表した。地上デジタル放送で毎回行われる「データ放送」による視聴者クイズは、行われるもののチャリティの観点から賞金やプレゼントを取りやめた。サブタイトルは「祝!20周年超豪華版SP」になった。企画においても20周年記念ということで、かつて行われた「綱引き選手権」や「ボクシング対決」といった企画が復活している。なお、この放送回から2002年秋大会以来8年半ぶりに、クイズ出題画面や紳助の絵などのCG画面が大幅にリニューアルされ、16:9のすべての領域に拡大された。また、シンキング音も、3秒前から終了までに新たな音が追加された。
  • 2011年秋は紳助の芸能界引退に伴い番組の放送が危ぶまれていたが、複数の司会者によるリレー形式で放送された。代理司会は本番までシークレットとされ、今田耕司田村淳[6]東野幸治が担当した他、ビートたけしの「乱入」(後述)もあった。MC席には、今回の司会者交代を告げるランプが設置された。「芸能界ディズニー王決定戦」や「カートグランプリ」・「3M超短距離走」そして名物の「ミニマラソン」などピリオド制をとらない企画が多く行われ、ピリオド数は過去最少の6ピリオドだった。今回から、一部スマートフォンからのイベント予想クイズへの参加が可能となり、前回伏せ・控えた賞金額や視聴者プレゼントも復活した。中継を告げるアタック音に新たな音が加えられた。

[編集] 番組で誕生した大会(企画)

[編集] 赤坂5丁目ミニマラソン

[編集] 赤坂5丁目ミニ駅伝

マラソンコースを使って行うこの駅伝大会。1995年にスタート。1周走って襷を繋ぐ。この駅伝とマラソンの両大会は、実況に初田啓介アナが担当している(過去には松下賢次アナ、林正浩アナ、鈴木史朗が実況を担当)。

開始当初は番組対抗だったが、1996年秋に2人1組の4番組の対抗戦となり、1998年秋には5人1組の2チームの対抗戦。一旦は消滅したが、2000年秋から復活した。復活当初は3人1組のAからDチームの対抗戦(各チームのキャプテンをマラソンの上位4名が務めた)、2003年秋から年齢別駅伝となり、年齢構成は毎回異なる。(10代20代が混合チームになる。30代がA・Bの2チーム制になるなど。)2007年春は出身地別駅伝となり、「東日本A」・「東日本B」・「西日本」・「九州・沖縄」の4チームとなった。

2006年までは番組終盤に行われており、大体のメンバーがマラソンに続いて参加している。ただし、マラソンで1位になった人は参加資格を得られない。2007年以降は番組の序盤に行われていたが、2011年秋は開催されなかった。

[編集] 短距離走→スプリンターズステークス

マラソンが苦手な芸能人を対象に行われた大会。1994年の第1回は、出場者への事前告知なしに、傾斜のきつい坂道「ハートブレイクヒル」を登る短距離走だったため、出場者からブーイングが起こった。1995年からはTBS旧社屋跡地にコースを造って行われた。その第1回に出場した相楽晴子は「後ろにお巡りさんがいないと走れない」と言ったため、春の大会では、警官の扮装をしたエキストラに追いかけられながら走ったが、結局レベルの高さに屈してしまい敗れる。1999年春からは舞台を大井競馬場に移し、ゲートの中からダートコース100mを疾走した。さらにタイム上位の選手8人は、サラブレッド的場文男騎手騎乗)と対決するレース、「人馬対決マイルチャンピオンシップ」に出場できた。なお2000年春はスプリンターズステークスを行わず、事前に選抜された選手8名で人馬対決マイルチャンピオンシップが行われている。

2010年からはスプリンターリレーとして3人で短距離リレー(アンカーはハートブレイクヒルを登る)を行った。

[編集] 赤坂5丁目水泳大会

1994年から2000年春に、TBS放送センターの隣にある赤坂パークビルヂングにあるスポーツクラブのプールを貸切り開催された、いわゆるアイドル水泳大会井上晴美梶原真弓等の女性が得意としていた。1995年には、当時54歳の川谷拓三も出場したが、その直後に死去した為、以後高齢者は余程の事が無い限り参加させないようになった。実況は小林豊アナ。

[編集] 赤坂5丁目大サーカス・超人クイズ

休憩の次のピリオド前に行われるパフォーマンスショウ。1999年頃から開始。毎回有名サーカス団や雑技団を呼び、参加者の目の前で開催する「超人達のテクニック」に拍手喝采は必至。テクニックに圧巻され忘れられがちだが、このパフォーマンス自体もクイズの一つとなっており、パフォーマンス中の様々な部分がクイズとして出題される。

[編集] ぬるぬる大相撲

2006年春に初登場、ローションが塗られた土俵の上で相撲を行う。行司は西川きよしが行う。初回はトーナメント方式で行い、元力士のHIROを倒した河本準一が「ぬるぬる王子」として君臨した。以後は小川直也率いる格闘家軍VS河本率いる芸人軍との対決。非力な芸人が格闘家に劇的な勝利を収めるなど、幾多の名・珍勝負を生み出した。また、大島美幸VS北斗晶の試合では北斗が大島の水着を脱がし、尻を見せようとするためタオルが投げ込まれる「お約束」が存在する。最後は河本の音頭で「ひ~、ふ~、み~、ぬるっとぬるっと!」の掛け声で締める。(小川の「ハッスル、ハッスル!」のアレンジ)

ミニ駅伝に代わる番組ラスト企画となり、マラソンと並ぶ名物企画となっている。ただし、2008年春の大会で河本が右肋骨を骨折、2008年秋から「人間ハンマー投げ」に切り替えたが、2009年春には、ローション相撲が復活した。だがその後も河本が何らかの怪我をしたことが判明した。

2011年秋では、河本準一と小川直也を含む6人(残りの4人は河本の要望のより、直前による参加のアンケートで選ばれた人)によるトーナメント戦で行われた。河本と小川は勝ち残っても決勝で対戦するようにマッチングされている。トーナメント戦での優勝は河本で、総合成績で2位になった。

また、土俵を残したまま最終成績発表・優勝者発表を行うため、優勝者が若手の芸人や男性だった場合のみ強制的に土俵に上がらされて滑りながら表彰されることとなる。

[編集] その他

非常に多いため、一部のみ記載。

大相撲 赤坂(Bスタ)場所
全盛期にはマラソン、水泳と並ぶ人気コーナー。1993年にスタート。当初は4人のトーナメント戦だったが、1994年秋からは事実上(横綱といわれる)チャック・ウィルソン藤原喜明のガチンコマッチになっていた(当時のコーナー名は「大相撲Gスタ場所」で、1995年からは「大相撲Bスタ場所」)。行司は、1994年秋までは蔵間龍也、蔵間の没後1995年春から1997年桂邦彦プロデューサーに交代。1998年頃からは一旦休止していたがのちに発展形の「ぬるぬる大相撲」が行われることとなる。
赤坂5丁目綱引き選手権
初登場は2001年春。当初は綱引きの女子世界チャンピオンである大分コスモレディースTCが登場し、芸能人やプロレスラーと戦ったが、「(プロレスラーを大勢入れても毎回タレントチームが負けているため)コスモレディースの勝ちがみえみえ」なことから、2004年秋はお笑い芸人「東」・「西」に分け戦った。
赤坂5丁目やけくそマラソン
1997年の大会及び1998年春の大会で実施。どちらとも番組最後のコーナーであり、番組終了10分前前後から番組終了にかけて行われた。コースは1997年秋・1998年春共に心臓破りの坂の頂上からスタートし坂を下り、スモールハットを折り返して坂を上がり、Bスタに戻るという形式。優勝賞金は50万円。男女別に3位まで賞金があり、4位以下の選手も番組終了までに帰ってくれば1万円がもらえた。出場資格で1997年秋は賞金がゼロになってしまった解答者、1998年春は賞金が1万円以下の解答者。
赤坂5丁目本物は誰だ!
初期は登場した5~6人のうち本当に超人技ができる人を当てる。
現在はその回で放送される俳優・女優5人のうち、1人だけが超激辛カレー、残る4人は普通のカレーを食べ、あたかも全員超激辛カレーを食べているように演技する。参加者以外の200人(実際は最大195人)はその演技を見て誰が超激辛カレーなのかを予想、一番解答が多かった人を「200人の答え」とし、予想が当たれば200人で、外れれば演じた5人で賞金を山分けする。
赤坂5丁目F1グランプリ
2003年春秋・2004年春に行われた。女性限定のカートレース。コースはミニマラソンコースの一部を使用して行われ、各予選レース1位の選手が特別招待選手の出場する決勝戦に進出できた。特別招待選手は2003年春が司会の紳助、2003年秋が土屋圭市、2004年春が片山右京
2011年秋には赤坂5丁目カートグランプリとして復活。男女混合(体重ハンデ無し)で特設コースを1台ずつ走り、そのタイムを競うタイムアタック形式で行われた。この中で、女性として唯一出場した南明奈が脅威の走りを見せ圧勝し、その走りっぷりがネット上で話題となり、youtubeでは放送後わずか3日で再生回数が120万回をこえ、海外版のyoutubeにも紹介されるなど、大きな話題となった。
赤坂5丁目モトクロス選手権
再開発工事に伴い土砂となっていた旧社屋跡地にて2004年秋、2005年春ともに開催。特製のモトクロスバイクに乗り特設コースを2周する形で行われた。このイベントは男女関係なく参加できたが、体重の軽い女性が有利で、特に岩佐真悠子は2回とも上位入賞を果たしている。なお、優勝は司会の紳助(2004年秋・シード)、保阪尚希(2005年春)。

[編集] コール

200人もの人間を相手にクイズを進行させるため、時には一斉に物事を行ったり連絡したりするために、独特の言い回しが多数用いられる。なお、このコールは版権元であるCelador Productionsの番組フォーマットとは関係ない。

全員Stand Up!(-スタンダップ)
ピリオドを開始するときに宣言される。それと同時に、解答者のランプが一斉に点灯する。最近では別の仕事で未着となっている人物の座席は解答権を付与しないため、ランプが点灯しない。これは一時期、未着の人物のボタンを遅く押して予選落ちを逃れるという反則が見られるようになったためと推測される。
Ready Go!(レディ・ゴー)
問題やアンケートの解答を開始するときに宣言される。初期は「Ready」と「Go!」の間に一拍間が入ったが、現在は繋げて言っている。"Ready"部は和歌子(最近は紳助または2人で行うこともある)が、"Go"部は2人でアナウンス。ドラマ「ビッグウイング」の中でも和歌子演じる丸岡玉子はこのコールを連発していた。このコールから個人が回答を確定するまでの時間が解答所要時間となる。
Answer Check!(アンサー・チェック)、正解はこちら。
回答時間が終了し、実際の回答分布を確認する際のもの。"Ready Go!!"と同じく、"Answer"部は和歌子が、"Check"部は2人でアナウンス(こちらも2人で行うこともある)。
まずはこちらをご覧(お聞き)ください。
絵(動画)の問題、音楽の問題をはじめるときの定例句。しかし、見聞きした内容が問題と直接関係ないオチがあることもしばしば。
この問題は、○秒でお答え下さい。
制限時間は通常10秒、ボーナスクイズは15秒だが、問題によっては5秒や20秒の場合があり、そのときに出題効果音の直後に何秒か宣言される。2007年以降は、ひとつのピリオドにまとめる傾向があり、「このピリオドは」とアナウンスしている。
この問題には、答えが○つあります。
4者2選択や5者3選択などの複数正解問題において宣言される。
正解者○○名、お手元のランプが付いている方、○○円お持ち帰り下さい。
ボーナスクイズをチャンピオンが失敗したときに山分けの獲得賞金額が宣言される。
鐘が鳴りました!
ピリオド最終問題を知らせる鐘が鳴った直後に宣言される。和歌子はよく「この問題がラスト問題となります。」と解説する。

[編集] 歴代のセット・ボタンの色などの変遷

1991年秋から1994年秋までは赤坂旧社屋Gスタジオ、1995年春以降赤坂現社屋Bスタジオである。全セットともに、司会者席の手前側に200名の解答者席がある。

2008年春のセットのリニューアル時に、今まで解答者席の絵に書かれていた番組タイトルの英字表記「ALL STAR THANKSGIVING FESTIVAL」が解答者席テーブルなどにちりばめられたデザインとなっている。

前述・後述のとおり、1991年秋から1998年春までは毎回司会者席背景セットを変えていたが、1998年秋以降は側面のデザインなど、マイナーチェンジを何度か行ってはいるものの、2008年春に10年ぶりに変えるまで基本セットは変更されなかった。2008年春からは、モニターのハイビジョン化を2011年春に実施した程度で変更されていない。

[編集] 司会者席背景

司会者席背景の上部にはワイドのモニターがあり、その左右にも一部コーナーで出演者・セット出入りに使用する出入口をはさんで、ワイドのモニターがある。このワイドモニターには、回答者の200人が見るシンキングタイムクイズ出題画面・ワースト10・早押しベスト10・配当金・賞金ランキング・総合ランキングなどの映像が第1回より、現在も変わらず表示されている。2006年春のハイビジョン制作へ移行後も長年4:3画比サイズのままだったが、番組の完全ハイビジョン放送化・地上デジタル放送完全対応・および番組20周年記念に伴い、2011年春より16:9画比サイズに変更された。

  • 1991年秋(初代) - 1998年春(14代目)
背景デザインが毎回違う。春・秋で毎回違うデザインへ変更して組み立てなおしていた。後述のとおり1995年秋から司会者席にLED表示機が設置されたことに伴い、左右の上部ワイドモニターの下にも司会者席同様、LED表示機が設置されていた(2002年春まで)。
  • 1998年秋 - 2007年秋(15代目)
マイナーチェンジは何度か行われているものの、原型はほぼ同じデザインのセット。司会者席背景上部ワイドモニターの下に小型モニターが数台設置される。後にその小型モニター数台と司会者席背景上部ワイドモニターの間に横向きの7色に光っているランプが設置される。
  • 2008年春 - 現在(16代目)
現行デザイン。司会者席背景上部ワイドスクリーンのモニターの下の全モニターが一新し8台設置され、横向きの7色に光っているランプは撤去された。2011年春にモニター16:9画比サイズに変更された。

[編集] 司会者席テーブル

  • 1991年秋 第1回だけ使用の初代。
  • 1992年春 - 1997年春 背景セットと違い、同じものを使用。1992年春・秋の2回だけはテーブルに司会者用のマイクが設置されていた。1995年秋よりLED表示機を設置。
  • 1997年秋 - 2007年秋 コンピューターシステム更新に伴いデザインを大幅に変更。以降同じものだが、春と秋で毎回小物の飾りを取り換えている。
  • 2008年春 - 現行 同じものを使用。LED表示機がフルカラーになる。先代同様、春と秋で毎回小物の飾りを取り換えている。

[編集] 解答者席テーブル

以前は横8列に並んでいて各1枠は25名ずつだったが、現在は横何列かは1枠ごとにばらつきがあり、1枠ごとの人数は何名か決まっていない。また以前は8枠だったが1997年秋からクイズシステムの改変によるキーパッドのサイズが大きくなった為か10枠まである。2007年秋までは1枠ごとに色が分かれていた。

テーブルのデザインはいままで計6回変更されている。

  • 初代:1991年秋
  • 2代目:1992年春
  • 3代目:1992年秋
  • 4代目:1993年春 - 1994年春
  • 5代目:1994年秋 - 1997年春
1995年春の本社屋移転後も使用。
  • 6代目:1997年秋 - 2007年秋
この回より8枠から10枠に変更、1枠ごとに色が分かれていたのはこの5代目が最後。(左から青紫、藍、青、空色、緑、黄緑、黄、橙、赤、赤紫の順に色が分かれていた)
  • 7代目:2008年春 - 現在
1枠ごとに色が分かれなくなり、オールスター感謝祭の英語表記である「ALLSTAR THANKSGIVING FESTIVAL」の文字が枠と段が関係なく赤、黄、青、緑、白の5種類の色で散りばめられている。

座る場所は職業・所属・出演番組などでほぼ固定化されている。上ほど司会者席から見て左側に位置する。

  • スポーツマン席、ウルトラマンシリーズが放送中の際は上段に隊員服を着て参加していた。(青紫)
  • 報道・アナウンサー席(青)
  • アイドル・若手俳優席(青~水色)
  • 情報番組席、「感謝祭キラー」の薬丸・岡江ははなまるマーケットとして座る。(はなまる出演陣も感謝祭キラー集団である)(水色~緑)
  • 水戸黄門渡る世間は鬼ばかりといった名物ドラマ席。特に渡る世間は1列まるごと占拠することも。(緑~黄緑)
  • 新ドラマ・スペシャルドラマ席(黄緑)
  • バラエティー番組席、最前列は唯一皆勤賞の渡辺正行が座る。(黄色)
  • 吉本興業以外に所属する芸人席(オレンジ)
  • 吉本興業に所属する若手・中堅芸人席(レギュラーありの場合はそちらに移る)(赤)
  • 吉本興業に属するベテラン・大御所芸人席。西川きよし桂三枝などはここに座る。引退前は上岡龍太郎が1992年秋初登場以降、1999年秋の最後の出演まで毎回、最前列で紳助を見守っていた。(赤紫)

[編集] 解答者名札

開始当初は出演している番組がある出演者は右に出演番組、左に名前と表記、出演番組がないものは名前のみ表記した。出演番組が多い(特に3番組以上)出演者は出演番組のない出演者より横長になっていて、場合によっては出演番組のない出演者の倍近くの札を掲げた出演者もいた。近年はコンビやグループで組んでる場合は一番左にグループ名を表記している。

1992年秋の回より、名札の枠の色がすべて金色に変更された。1997年秋の回より、名札の枠の色が金色から青に変更され、若干名札が長くなり名前表記の下のスペースが広くなった。2007年秋の回は名札たてが加わり、名札が取り外し出来るようになった。かつて「知名度調査」を行う際は名札をひっくり返すことが出来るようになった。名札の裏面は番組ロゴが表記された。

[編集] ボタンの色

  • 1991年 - 1997年赤・緑・紫・
  • 1997年秋 - 2005年秋:赤・青・黄・緑・オレンジ・ピンク - コンピューターシステムの更新に伴う変更。
  • 2006年春 - :青・赤・緑・黄・オレンジ・ピンク - 地上デジタル放送に伴う変更。
    ※地上デジタル放送の双方向参加の視聴者は、4択はカラーボタンの「、6択は数字キーの「1・2・3・4・5・6」(4択、6択問わず、リモコンの十字キーと決定キーで操作も可能)

[編集] クイズ出題時、早押しワースト10、紳助を模した絵のCGなどの映像

  • 1991年秋 - 1997年春:(初代)
  • 1997年秋 - 2002年春:(2代目)

上記2つ共に出題時のカウントダウンの数字は斜体の黒字で、画像・映像問題でのバック部分は偶数の数字の時はオレンジ、奇数は水色という風に交互に変わる演出だった。また、文章問題で表示される「Q」と「A」はインパクトフォントで「Q」のバックカラーは水色、「A」はピンク色の表示で、カウントダウンの部分は画像・映像問題と異なっており、奇数の数字の時は黄色だった。基本的に表示位置は画面右下(初代の画像・映像問題では画面中央)。早押しワースト10などのランキング映像は初代はランク番号も解答者の名前と時間部分は水色をバックに白文字(###○○○○ ○○.○○)、2代目は水色をバックに白文字のランク番号で、解答者名は青をバックに黄色の文字、時間部分は白文字であり(###○○○○○○.○○)、解答者の名前が左から右へとタイピング風に表示された。なお、紳助の絵は初代の回答画面の後期(1996秋)に2代目に変更され、その際カウントダウンと紳助の絵にズレがあったが、2代目になって修正された。なお、この時のボーナスクイズは紳助の絵にメガネがかけられていた。

  • 2002年秋 - 2010年秋:(3代目)

出題時のカウントダウン部分は赤い板の様なものの窓に表示され、白い数字をバックに黒というものだった。但し、数字のフォントはデジタル風に変わっており、カウント中の数字がダイヤル風の演出に変更された。「Q」は白文字に水色の縁取り、「A」は白文字にピンクの縁取りという表示で、フォントも一新。早押しワースト10などのランキング映像は2代目と模しているが、時間部分も黄色の文字だった(###○○○○ ○○.○○)。解答者名の部分は青いパネルになっており、パネルが表返しする演出になった。これにより、表示が早くなった。

  • 2011年春 - 現在:(4代目)

シンキング時のデザイン等を大幅にリニューアル。星が描かれた青色の背景に、問題文はアナログ放送レターボックス化により、右サイドに縦文字で表示される(左サイドは下に出演者のワイプを表示)。カウント部分は赤い球体部分の数字がダイヤル風に減少していくものとなり、選択肢が画像、文章に関係なく統一された。またシンキング終了3秒前に「ピコン」と音が鳴るようにもなった。なお、2011年秋より紳助のCGはピテカンブラザーズのものに変更された。「Q」は水色に、「A」のデザインは無くなった。ワースト10、早押しベスト発表時のデザインも一新され、大きさがばらばらの円が描かれた青色の背景に、パネルがボールの下投げのように放り出されるような演出になった。

[編集] 問題選択肢の色

以下の色は背景色で、数字・英字はすべて白。ただし、初期は数字に○に囲まれていなかった。

  • 1991年秋 - 1997年春:
  • 1997年秋 - 2002年春:水色
  • 2002年秋 - 2006年春:ピンク
  • 2006年秋 - 現在:青・赤・緑・黄色・オレンジ・ピンク(123456の順、ボーナスクイズのABCDEFも同様)

[編集] ハプニング・出来事など

[編集] 「アマンド」いたずら電話事件

第3回(1992年)には放送時間が5時間に拡大して長丁場となり、初めて休憩タイムに食事が提供されることになった。スタジオ200人からキーパッドで4択の希望を募り(選択肢は(ロッテリアの)ハンバーガー、サンドイッチ、(叙々苑の)焼肉弁当、食べたくない)、それぞれの数を集計し、出前を発注。サンドイッチについては当時のTBSの近所にあった洋菓子店・アマンドに全部で62個発注した。

しかしそのアンケート後の注文電話後に、心ない一部の視聴者が番組関係者を名乗ってアマンド赤坂店に「すいません。100個追加」という悪質ないたずら電話をしたため、配達が大幅に遅れ、合計162個発注してしまった。結局放送終了後の打ち上げはサンドイッチだらけになってしまったという。

この事件が起きたため、この回のみで出前発注は取りやめ、第4回からは局側で食事を提供するビュッフェスタイルに変更した。

[編集] ジミー大西狙撃事件

第6回(1994年)に行われたミニマラソンで、ジミー大西は「皮膚呼吸をするんです」と言って海パン1丁で、また顔の前に1万円札を吊るすという格好で走ったが、この時沿道の観客の中から何者かがジミーをエアガンで射撃するという事件が起こった。折り返しでジミーがスタジオに戻ってきた際、ジミーの訴えで発覚し、紳助は「エアガンでジミーを撃つのはやめてください!」と観客に注意した。

これがリアルタイムでテレビで放送されたため、地元の警視庁赤坂警察署が捜査に乗り出すという一大事になり(結局犯人は捕まらず)、次の回では沿道警備が強化(コース上に100人以上の警備員・TBSスタッフを配置した)され、そしてその後警備上の理由等により、TBSの敷地内からなるべく出ないコースに変更された。現在も沿道には沢山の観客が詰め掛け、旗を振って応援しているが、毎回、警察や警備スタッフなどによる厳重警戒が行われている。

また2005年春の大会でアテネオリンピックマラソン銅メダリストのバンデルレイ・デ・リマがミニマラソンにゲスト出場した際に、紳助は「唯一起きた事件はジミー大西がエアガンで撃たれたことです」と発言した。

[編集] 飯島愛カンニング退場

第11回(1996年)の大会で、飯島愛はピリオド問題でチャンピオンに輝き、紳助と和歌子を驚かせた。ところがその直後のボーナスクイズで彼女は解答中に「何番? 何番? 誰かこの答えは?」と大声で答えを聞いており、ガンマイクはその一部始終をきっちりとらえていたため、紳助は「レッドカード! 15分間退場!」と退場を宣告。飯島愛は退場ボックスに一時間投獄された。春の大会でもカンニングをし、それが監視カメラ(通称・飯島愛カメラ)に映っていたため、紳助曰く、向こう1年間TBSからの出演料を30%カットされたという。

現在は「出場芸能人は小汚いやつばかりなので、ある程度のカンニングは認める」とされており、答えをマイクが拾う場合がある。むしろ出場芸能人に関する問題が出題され、その出演者のみ正解し周りの人間が不正解となると、紳助からチームワークの悪さを指摘されることがある。

[編集] コンピュータトラブル

前述したように、生放送ゆえにコンピュータトラブルも多くあった。以下は代表的な出来事を記述する。

第18回(2000年4月1日放送)は、TBSがTBSエンタテインメント(現TBSテレビ)など分社化後初めての回の放送だった。放送開始から1時間ほど問題が出ないというトラブルが起こった。非常時のカラオケ大会の準備に入ったほどの緊急事態だったらしい。システムが回復するまでの間、スポーツ企画の中継や出場者へのアンケート、紳助と出演者のフリートークで凌いだ。また、この回は通し企画として「ボウリングでパーフェクトゲームを達成できるか!?」という、柳葉敏郎川上麻衣子村田雄浩ガダルカナル・タカの4人が順番に投げてパーフェクトゲームを目指す企画が行われており、その中継をつないだ。その後コンピュータは復活しクイズを再開。その後もう1度調子が悪くなり、直った直後に行った5問程度の正解記録が消去されてしまった。1時間のブランクがあったためにスタッフロールが流れる番組終了間近まで延々クイズとなり、ランキングも上位10人の表彰が巻きで行われたのみに留まった。この回の優勝賞品はラスベガス旅行・高級時計などで、通常は「優勝したら何がほしいか」のアンケートをキーパッドで押すことになっているが、機械の故障により何番が欲しいかを指で示し、紳助がそれをポラロイド写真で撮ることで確認をとった。この回の優勝者白石美帆はラスベガス旅行と100万円を手にした。

第30回大会(2006年)では、コンピュータトラブルでクイズが開始されなくなったというハプニングが発生した時、紳助がこの事件を話題にし「今、慌ててはいかんのです」と会場を盛り上がらせた。また、第31回(2006年)でもこのことを語っていた。

第33回大会(2007年)では、クイズ解答中に異様な音が響いた。最初の5秒はその異様な音がしたが、すぐに全く音がしなくなった。この異常事態にはスタジオが少し騒然となり紳助が「皆さん方、ひょっとしたらやってしまいましたよ。トラブルですよ!この番組15年やってますけど過去に2時間位みんなでトークしたこともあったんですよ」と言い、前列の回答者にインタビューする光景が見られた。なおその後もコンピュータートラブルが起きるたびにこのネタ(第18回大会)を紳助は話題にする。

[編集] 逸見政孝の死と松本竜助の死

第4回(1993年春)にて、春先に手術(この時は病名を偽っていた)を受けていた逸見政孝に紳助が「実はなんです」「もうすぐ死にますよ」など冗談で言った。皮肉にも逸見が患っていた病気は本当に癌であり(同年9月6日に公表)、闘病生活の末同年12月25日に逝去した。紳助は自らの冗談が本当だった事に相当ショックを受けたという。そして逸見の亡くなった日の夜に紳助はインタビューで「癌という重病を抱えているのに何で仕事してたんですか。ドアホですよ、逸見さんは」と泣きながらコメントを述べていた。

2006年4月1日、紳助の紳助・竜介時代の元相方・松本竜助脳内出血で逝去。奇しくもこの日はメモリアル・第30回記念大会の放送日・生放送で、紳助は本番前にインタビューを受け、涙ながらに竜助との思い出を語った。涙に暮れる紳助に、オール巨人西川のりおらが紳助に「紳ちゃん、出来るよな?あんたプロやもんな?」との激励の言葉をかけ、紳助は悲しみを押し殺して5時間半の長丁場の放送を乗り切った[7]。ちなみに竜助は第3回(1992年秋)の感謝祭に参加しており、紳助が「お会いするの久しぶりですね。」と聞くと竜助が「こんな形で会えるとは思えませんでした。」と返し、その後紳助が「元気でした?」と聞き、竜助が「元気でした。」と答える軽いやりとりがあった。

[編集] ローション相撲関連

負傷
第30回大会(2006年春)では、第一試合で山崎邦正の右肋骨付近に安田大サーカスHIROのひじが入ったため、会場が一瞬硬直したが山崎本人は無事だった。
第31回大会(2006年秋)では、佐々木健介北斗晶の夫婦対決で勝った北斗が西川きよしに抱きつき、きよしは頭を強く打った。
第34回大会(2008年春)では放送後、河本が取り直し前の同体となった際に、肋骨を骨折するという全治4週間の怪我を負っていたことが発覚し問題となった。この影響で第35回大会(2008年秋)では一旦姿を消すが、第36回大会(2009年春)で復活した。
司会者も餌食に
第30回大会(2006年春)では表彰時、アシスタントが紳助に賞金を渡そうとする際、フロアに付いたローションによって転倒(その後、土俵に強制的に上がらされた際に再度転倒)。
第31回大会(2006年秋)では、頭を強く打って怒ったきよしが、企画を提案した紳助やスタッフにクレーム。紳助を無理やり土俵へ引っ張り出した(この時、和歌子は紳助を土俵に押していた)。紳助は派手に何度も転倒して脇腹のあたりを強打し、スーツもローションまみれになってしまった。後に、カメラマンもローションで滑ってコケてしまった。休憩明け、紳助は「衣装が無くなっていた」との理由で、私服(上半身黒ジャージ、ジーパン)に着替えて司会を行っていた。。
第32回大会(2007年春)では、ラストの表彰式で、紳助だけではなく和歌子までもが土俵へ引っ張り出されてしまいローションまみれになった。今回も休憩明けでは紳助は私服のジャージ、和歌子はスタッフ用ジャンパーに着替えるという羽目になった。
第33回大会(2007年秋)では前述の「着替え」を考慮してか、番組終盤に執り行われるようになった。また、再び紳助が西川きよしによって土俵に巻き込まれ、3度目のローションまみれとなってしまったが、紳助はそのまま司会・きよしも行司の格好のまま解答席にもどった。
第34回大会(2008年春)も例年のように紳助や西川きよし、もローション相撲の土俵に引きずり込まれている(最終ピリオドは和歌子一人で担当)。
優勝者も餌食に
最近では優勝者が男性の場合、表彰式としてぬるぬるの土俵に上がらされて滑りながら勝者の弁を述べる。
第32回大会(2007年春)では、優勝した雨上がり決死隊の蛍原徹と2位の原口あきまさが、第33回大会(2007年秋)の優勝者・石田純一、第34回大会(2008年春)の優勝者・品川祐、第36回大会(2009年春)優勝者のバッファロー吾郎竹若元博が、第37回大会(2009年秋)では優勝者・山田親太朗、第38回大会(2010年春)の優勝者・前田健が犠牲になった。
が、さすがに女性には行わず、第35回大会(2008年秋)の優勝者・浦田聖子、第39回大会(2010年秋)優勝者・岡江久美子、第41回大会(2011年秋)の優勝者・中山エミリには行っていない。また、第40回大会(2011年春)の優勝者・勝俣州和はぬるぬる大相撲のセットではなく、ボクシングのセットを組まれた為、巻き添えはなかった。

[編集] 紳助と東京03のトラブル騒動

第37回(2009年秋)でシルク・ドゥ・ソレイユの演技中、紳助が突如東京03の解答席に詰め寄る場面が映った[8]。この後、東京03はうつむき加減で座ったままで、番組終了までクイズに参加することはなかった。このことを視聴者が出演していたオール巨人の公式ブログのコメント欄に書き込み、巨人はそれに答える形で翌日付けのブログで実際にトラブルがあったことを認めている。「その後の若手との打ち上げでは、少し怒った後紳助は握手をした」とあるため、一応の収拾はついたとされるが、この書き込みが一部から「紳助を擁護している」などの批判を受け、ブログは炎上。後日コメント欄が閉鎖される事態となった[8]。その後、トラブルの内容については様々な憶測が飛び交い、後日東京03は日本テレビ系『踊る!さんま御殿!!』出演時に「(出演者の人数が多いので挨拶に行くのは逆に失礼だと思い)本番前に挨拶に行かなかったため」と明かした。しかし、同司会者の明石家さんまは、東京03の気遣いを紳助が誤解していた部分もあったとして、「互いに誤解して起きたことだから、仕方ない」とフォローした[9]

これに関して、ビートたけしは同年10月27日付けの東京スポーツに「紳助が『あいさつがない』とかって若手の東京03ってのを怒ったものだから、出番前にタレントがいちいちオレんとこにあいさつに来て、うるさくってしょうがないよ」とこの件についてコメントした。また、たけしは感謝祭と同局で放送された『ビートたけしのもう1回だけ見ちゃいけないTV』で、「島田紳助様」と手書きで書かれた紙が貼ってある楽屋(当然、紳助本人はいない)の前で、たけしが東京03と一緒に写真撮影してネタにしていた。

また、とんねるず石橋貴明も、失態を犯したゲストに対し鉄拳を食らわせるフリをした後「でも素敵やん」と発し、紳助をネタしている。

[編集] 規則破りの代償

解答席への水や食べ物の持ち込み禁止は前々から言われてきたが、あまり守られていなかった。出演者が持ち込みで摘発されたのは近年からである

第35回(2008年秋)に出演した髭男爵山田ルイ53世が小道具である飲み物の入ったワイングラスを持ち込んでいた事から紳助に注意を受け、その場で飲み干した。またクイズで正解となったものの、それが誤りだった事が判明。紳助は「50万円でしたが、25万円(に減額)。さらに飲み物の持ち込みで20万円罰金で奴は5万円となりました」と報告した。

第38回(2010年春)の感謝祭では賞金没収と言われていたが、休憩後のピリオドの2問目に正解した成宮寛貴が予選落ちになった後に取り締りが行われ、飴を持っていた吉田敬ブラックマヨネーズ)、ケーキを持っていた森永卓郎、煎餅を持っていた東貴博Take2)、ペットボトルの水を持っていたノッチデンジャラス)が取り締まられ、賞金没収となった。特にノッチは赤坂5丁目ミニマラソンで8位になり賞金5万円を獲得していたが没収、吉田は前のピリオドでチャンピオンになり賞金15万円を獲得していたが没収、首に掛けられていた黄色いレイも取り上げられた。この事について吉田は「(飴は休憩中に)紳助さんから貰った」と弁明するが、紳助は「マネージャーに渡せばよかったのに」と取り合ってもらえなかった。また、西川きよしもぬるぬる大相撲で行司に扮して登場した際にペットボトルの水の持ち込みが発覚、賞金没収となった。これは紳助の吉田に対する騙しであったが、吉田以外の本気の規則破りが露呈する事となった。

続く第39回(2010年秋)でも休憩明けのピリオド終了後に取り締りが行われ、山田邦子上島竜兵ダチョウ倶楽部)、ギャル曽根黒沢かずこ森三中)、椿鬼奴近藤春菜ハリセンボン)、松澤一之がお菓子(そのほとんどがフリスク)を持っており獲得賞金を没収された。特に松澤は原西孝幸FUJIWARA)から渡されるという形でペナルティを喰らってしまった。(松澤はそれまでの獲得賞金は無かった)出演者の発言から休憩からスタジオに入る前にお菓子を設置して罠を張っていた模様。この没収された7万7000円以上は休憩時間中に一番早く戻った野村真美に与えられた。しかし、山田は直後のピリオドでチャンピオンになり15万円を取り返し、さらには総合5位(20万円)にも入り、総額35万円獲得した。また椿鬼奴もボーナスクイズを正解し9375円獲得で、没収を帳消しにした。

[編集] ビートたけしの登場

第41回目(2011年秋)の午後10時前に、ビートたけしが白の特攻服姿で登場し、「ゆるい問題が多すぎる」と自分で作った問題を出題した。その問題は「芸能人の選挙出馬者で一番得票数が少なかったのは誰か」や、「最も背が低いのは誰」という問題の選択肢に知られていない子役タレントの名前を入れる、エキストラのタレント4人を選択肢とする、「かくさん」を選ぶ問題で歴代「助さん」3人と賀来千香子の目のアップから異常に遅い速度でズームアウトする、選択肢の中で答えが無い、「こちらをお聞きください」と曲を流してから全く関係ない数式を当てる問題などと意地悪な無理難題を連発し、解答者達を混乱に陥れた。結局、このピリオドでは3回の全員復活が行われた。たけしはこのピリオド終了後に退出した。ちなみに、答えのない問題もデータ放送上では不正解扱いとなるため、全問正解することは不可能。 たけしが退場した後、東野は「偉い人に怒られた」という名目で『あらびき団』の衣装からスーツに着替えた後、「たけしさんが(もう一度、スタジオに)来ないことを祈るばかりですね…」と発したが結局、最後まで再登場しなかった。

たけしは同時間帯で通常時に放送されている『情報7days ニュースキャスター』で総合司会(“フリージャーナリスト”名義)を務めている。尚、たけしは第1回の感謝祭に解答者として出演している。

[編集] 主題歌

『My life is...』(作詞: 秋元康 作曲: 織田哲郎 発売: avex trax 歌手: Risky

開始当初から1998年までは番組の主題歌が無く全てBGMだったため、1999年の放送で番組開始早々に主題歌のCDを完成させようという企画が行われた。紳助から「お前です!」と指名された歌い手は一緒に司会を行っている和歌子だった。事前に和歌子本人には織田無道だと知らせており番組進行のリハーサルも全て通しで行われていたが、番組開始後にドッキリを敢行。この事は紳助とスタッフ含め知らなかったのは和歌子本人と出演者だけだった。キーパッドによる200人アンケートで即時芸名を決めた。(候補にあったもう一つの芸名はThanksgiving Day(感謝祭))そのままエイベックスへ向かい、ジャケット撮影やレコーディングなどを行って番組終了前に完成、エンディングで『My life is...』を生披露した。この曲は、現在もエンディングテーマとして使用されている。

尚、この回の和歌子の代理司会については前述

[編集] ゲーム

プレイステーション2用のゲームとして、TBSテレビとハドソンの共同制作によりハドソンから発売されている。体感アトラクションゲームとして、エポック社から発売されている(2004年9月18日に発売)。この他、携帯電話でもアプリを使ったゲームが存在する。

[編集] スタッフ

過去のスタッフ
  • フロアディレクター:
    • 富田瑞穂(1994年春)
    • 帯純也(1996年秋、1999年春)
    • 中鉢コウ(1998年春)
    • 加藤新(1998年秋) 他
  • 総合演出(旧:総合ディレクター):
    • 小玉滋彦(1994年春 - 1997年春、※1991年秋・1992年秋 - 1993年秋は総合ディレクター)
    • 鈴木康正(1992年春 総合ディレクター)
    • 遠藤宗一(2003年春 - 2004年春)
  • プロデューサー:
  • チーフプロデューサー:
    • 園田憲(2003年秋)
    • 荒井昌也(2004年春 - 2007年春)
    • 利根川展(2007年秋・2008年春)
  • 技術協力:TBSビジョンサンライズアート
  • 制作協力:創映企画、HANGOVER

[編集] 脚注

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  1. ^ 現在は「情報7days ニュースキャスター」のスポンサーである。
  2. ^ 制作者と視聴者の架け橋テレビコ
  3. ^ 2010年春にハライチの澤部佑が第1ピリオドで正解し、ようやく記録が止まった。
  4. ^ “TBSが17年ぶりに3冠を達成!”. webザテレビジョン. (2011年10月4日). http://news.thetv.jp/article/25041/ 2011年10月16日閲覧。 
  5. ^ 全日GP帯すべての時間帯でトップ!17年ぶりに3冠達成|TBSホット情報
  6. ^ 相方の田村亮は、解答者として参加していた。
  7. ^ 2006年に放送されたフジテレビ系『メントレスーパーG』にて、ゲスト出演した紳助の発言より。[出典無効]
  8. ^ a b “島田紳助のブチギレ騒動は事実だった!オール巨人が暴露「少し怒って堪忍した」”. ガジェット通信. (2009年10月5日). http://getnews.jp/archives/32275 
  9. ^ 2009年11月17日放送回『踊る!さんま御殿!! 話題の芸能人大集合全員初登場スペシャル』冒頭の東京03紹介の際に発言。
    “「東京03」が初めて語る 紳助激怒騒動の真相”. J-CASTニュース. (2009年11月18日). http://www.j-cast.com/2009/11/18054161.html 

[編集] 関連項目・番組

[編集] 外部リンク

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