ベニー・アグバヤニ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| ベニー・アグバヤニ Benny Agbayani 千葉ロッテマリーンズ No.50 |
|
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | ハワイ州 |
| 生年月日 | 1971年12月28日(36歳) |
| 身長 体重 |
183cm 100kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| 守備位置 | 外野手 |
| 初出場 | 1998年6月17日(MLB)、 2004年3月27日(NPB) |
| 年俸 | 1億3,000万円(推定) |
| 経歴 | |
| ■Template ■ウィキプロジェクト 野球選手 | |
“ベニー”ベンジャミン・ピーター・アグバヤニ(Benjamin Peter "Benny" Agbayani , 1971年12月28日 - )はアメリカ合衆国・ハワイ州出身のプロ野球選手(外野手)。千葉ロッテマリーンズ所属。背番号は50。
「ハワイアン・パンチ」の愛称で親しまれている。メジャーリーグ時代の登録名は「アグバヤニ」、現在は「ベニー」。ハワイ出身という事もあり、応援歌はハワイ民謡の『アロハ・オエ』が原曲。
パワーを生かした打撃が持ち味だが、決して粗いバッティングというわけではない。選球眼も良く、出塁率が高い。2004年にはリーグ最多四球を記録。また体は大きいが元アメリカンフットボール選手ということもあり足は速い。2004年には8盗塁を記録し、西岡剛と並んでチーム最多盗塁だった。 西岡らと共に、2005年前半の千葉ロッテマリーンズの快進撃の立役者。
目次 |
[編集] 来歴
- ニューヨーク・メッツ時代にボビー・バレンタイン監督の下でプレー。2000年に東京ドームで行われたシカゴ・カブスとの試合にも出場し、サヨナラ満塁本塁打を放っている。
- 2004年 :千葉ロッテに入団。開幕前の注目は韓国の主砲李承燁に集まっており、ベニーの期待は低かった。しかし3割を上回る好調な打撃を見せ、5月には不調の李から4番の座を奪う。日替わり打線の中でベニーだけはシーズン終了まで不動の4番として定着、最終的にチーム3冠となる35本塁打、打率.315に100打点の成績を残した。また守備・走塁の面でも外国人としては期待以上の動きを見せ、8月からは中堅手のレギュラーとして活躍し、チームトップの8盗塁を記録した。右投手にはあまり強くないという前評判があったが、この年は左右関係なく打ち、三振が少なく勝負強い面も見せた。
- 2005年 :前年と同じように4番中堅手で開幕スタメンを果たし、一時は打点王も狙える勢いだったが、故障が目立ち夏場に離脱。ベニーと同じく外国人で外野を守れる選手がマット・フランコ、ヴァル・パスクチ、李承燁と3人もいたこともあり、シーズン終盤はレギュラーを再獲得するまでには至らなかった。しかしプレーオフ・日本シリーズ・アジアシリーズではほとんどの試合に6番でスタメン出場し、アジアシリーズでは9打点と活躍しMVPを獲得した。
- 2006年 :7月まで4番の座を守ったが、またこの年も夏場に離脱。里崎智也に4番を譲る形となった。足の故障から半分以上が指名打者としての出場だった。それでも打撃は衰えず、チームトップタイの17本塁打、65打点をマークした。
- 2007年 :怪我の影響で前年よりさらに打撃成績を落とし、チャンスで打てない場面が目立った(しかし交流戦では最優秀打率を獲得している)。守備面では打球の目測を誤るなど目に見えない失策が多かった。不調のため右投手の登板時にはしばしばスタメン落ちも経験した(ただしこの年は右投手相手の方がよく打っていた)。11月17日、契約が更新され、2008年も千葉ロッテでプレーすることが決まった。
[編集] 略歴
- 身長・体重:183cm・106kg
- 投打:右投右打
- 血液型:B型
- 出身地:アメリカ合衆国ハワイ州 ハワイ先住民、フィリピン、サモアの混血
- 球歴・入団経緯:ハワイ・パシフィック大学 - ニューヨーク・メッツ - ボストン・レッドソックス - コロラド・ロッキーズ - シンシナティ・レッズ3Aルイビル・バッツ - カンザスシティ・ロイヤルズ3Aオマハ・ロイヤルズ - メキシコ・ホチ - 千葉ロッテマリーンズ(2004年 - )
- 2007年推定年俸:1億3000万円
[編集] 年度別打撃成績
| 年度 | チーム | 背 番 号 |
試 合 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1998年 | NYM | 39 | 11 | 15 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 5 | 1 | .133 | .188 | .133 | .321 |
| 1999年 | 50 | 101 | 276 | 42 | 79 | 18 | 3 | 14 | 145 | 42 | 6 | 4 | 0 | 3 | 32 | 3 | 60 | 8 | .286 | .363 | .525 | .888 | |
| 2000年 | 119 | 350 | 59 | 101 | 20 | 1 | 15 | 168 | 60 | 5 | 5 | 0 | 3 | 54 | 7 | 68 | 6 | .289 | .391 | .480 | .871 | ||
| 2001年 | 91 | 296 | 28 | 82 | 14 | 2 | 6 | 118 | 27 | 4 | 5 | 1 | 1 | 36 | 5 | 73 | 11 | .277 | .364 | .399 | .763 | ||
| 2002年 | BOS | 13 | 37 | 5 | 11 | 1 | 0 | 0 | 12 | 8 | 1 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | 5 | 1 | .297 | .395 | .324 | .720 | |
| COL | 48 | 117 | 10 | 24 | 5 | 0 | 4 | 41 | 19 | 0 | 0 | 0 | 1 | 10 | 0 | 35 | 4 | .205 | .266 | .350 | .616 | ||
| 2004年 | ロッテ | 130 | 457 | 89 | 144 | 31 | 1 | 35 | 282 | 100 | 8 | 1 | 0 | 4 | 86 | 5 | 77 | 10 | .315 | .426 | .617 | 1.043 | |
| 2005年 | 98 | 351 | 49 | 95 | 22 | 0 | 13 | 156 | 71 | 1 | 1 | 0 | 3 | 34 | 1 | 51 | 15 | .271 | .334 | .444 | .779 | ||
| 2006年 | 118 | 417 | 59 | 117 | 18 | 1 | 17 | 188 | 65 | 4 | 3 | 0 | 4 | 49 | 3 | 72 | 17 | .281 | .357 | .451 | .808 | ||
| 2007年 | 122 | 390 | 45 | 106 | 21 | 0 | 13 | 166 | 51 | 7 | 4 | 0 | 3 | 53 | 8 | 86 | 12 | .272 | .368 | .426 | .793 | ||
| MLB通算 | 383 | 1091 | 145 | 299 | 58 | 6 | 39 | 486 | 156 | 16 | 16 | 1 | 8 | 139 | 15 | 246 | 31 | .274 | .362 | .445 | .807 | ||
| NPB通算 | 468 | 1615 | 242 | 462 | 92 | 2 | 78 | 792 | 287 | 20 | 9 | 0 | 14 | 222 | 17 | 286 | 54 | .286 | .375 | .490 | .866 | ||
| 日米通算 | 851 | 2706 | 387 | 761 | 150 | 8 | 117 | 1278 | 443 | 36 | 25 | 1 | 22 | 361 | 32 | 532 | 85 | .281 | .370 | .472 | .842 | ||
- 2007年シーズン終了時
[編集] 日本での記録
- 初出場:2004年3月27日対西武ライオンズ1回戦(西武ドーム)、5番・左翼手として先発出場
- 初安打・初打点:同上、1回表に松坂大輔から(初打席)
- 初本塁打:2004年3月30日対大阪近鉄バファローズ2回戦(大阪ドーム)、9回表にへクター・カラスコから
- 初盗塁:2004年4月6日対北海道日本ハムファイターズ2回戦(千葉マリンスタジアム)、2回裏に二盗
[編集] その他
- その丸っこい体型と愛らしい顔から、ファンの間ではかわいいと言われ、人気選手である。
- 2003年、ケビン・ミラーの入団を巡って中日ドラゴンズとボストン・レッドソックスの間で騒動が起きていたとき、レッドソックス側がミラーの代替選手として中日に譲渡しようとしていた。
- 背番号50は、出身地であるハワイがアメリカ合衆国50番目の州になったことに由来する。本人の希望もあり、入団当時背番号が50番だった浅間敬太から譲ってもらう。
- 2004年、大阪近鉄バファローズの存続をかけオーナー達と闘っていた礒部公一に励ましの手紙を渡していた。
- 2004年、来日1年目にして3割30本塁打100打点を達成。なお、この年放った35本塁打は千葉移転後ではチーム史上最多であった。
- 日本の生活環境をかなり気に入っているらしく、「“要らない”と言われるまでマリーンズに居たい。引退した後もコーチとして居たい」と発言している。助っ人には珍しいそのマリーンズを愛する性格にはファンから大きな支持を受けている(2004年に大活躍した後、メジャーから好条件でのオファーがあったが断ったという逸話もある)。
- メジャーリーグのストライキの際、マイナーリーグの試合かどうか不明瞭なままメジャーリーグの試合に出場。スト破りとしてメジャーリーグ選手会からは追放されている。制裁としてベースボールカードにはブライアン・ヒラー名義にされている(先述のケビン・ミラーもベニー同様の扱いを受けている)。
- 2005年のプレーオフ第2ステージ(対福岡ソフトバンクホークス)第5戦前に、家族で神社に行き、チームの優勝と同年限りで引退する初芝清が日本シリーズに進出することで野球を続けられるようにと祈ったというエピソードもある。
- 外野守備は無難で守備範囲も悪くなく、問題なく守備に就かせることができる。しかし2006年は怪我の影響も多少あったのか指名打者としての出場が多かった。
- 性格は温厚で、頭部付近に危険球が来ても何事もなかったかのようにやり過ごす。しかし2005年7月31日のソフトバンク戦、初回のチャンスにカウント0-3から明らかにボールとわかる低めの球を球審がストライク判定、納得がいかないベニーは猛抗議、これが仇となって退場処分に。しかしその後、橋本将のタイムリー、大塚明の3ランホームランなどで初回6点の猛攻。先制打を放った橋本は「ベニーがあんな形で退場になったのでどうしても打ちたかった」と語っており、ベニーのチームメイトからの人望の厚さが伺えた。
- 2006年7月10日のオリックス・バファローズ戦で、本柳和也がベニーにデッドボールをぶつけてしまい、あわや乱闘寸前までになった。しかしその後ベニーが一塁ベンチの裏側まで行き本柳に謝罪し握手を交わした、というエピソードがある。その試合後本柳は「ベニーはめちゃくちゃイイ選手ですね」と語っている。
- 2006年最後の千葉マリンスタジアムでの試合で、4-4の7回裏に北海道日本ハムファイターズ・岡島秀樹から試合を決める勝ち越し満塁本塁打を放った。ちなみにこの日は諸積兼司の引退試合でもあり、諸積の引退に花を添える形となった。また、5年連続2桁勝利のかかる清水直行に貴重な9勝目をつけた。また、清水の10勝目となった10月1日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦では、決勝点にはならなかったものの先制本塁打を放った。
- コナミ制作のプロ野球スピリッツ2004では、登録名は「ベニー」となっているが、実況での選手コールが名字の「アグバヤニ」になっている。
- チームメイトのフリオ・ズレータとは、ズレータがダイエー・ソフトバンクの選手であった時代から仲が良く、ダン・セラフィニの危険球にズレータが激怒して詰め寄った際にもベニーが2人の間に入って仲介したというエピソードもある。
- 弁当の呪いを受けた一人。2005年、千葉マリンスタジアムで「ベニーちゃんのロコモコランチボックス」が発売された際にチームの成績不振と自身の故障が重なった。また、翌2006年にリニューアル販売された直後にも故障で登録抹消となっている。
- 文化放送ライオンズナイターではロッテファンで有名なかわのをとやがスタンドレポートをしている間にベニーが打つというジンクスがある。最近ではかわのがベニーの打席になるとわざとレポートを早める傾向がある。
- 元木大介とは元木のハワイ留学時代のチームメイトである。
- 家族愛が強く、地方遠征時にはしばしば妻と子供を帯同させ、一緒の時間を作ろうと心がけている。
- 先述の応援歌には「Benny would go!(ベニーなら行くぜ)」というコールがあるが、これはハワイ出身のサーファーエディ・アイカウの「Eddie would go(エディなら行くぜ)」が元ネタである。しかしこのエピソードの認知度が低い事もあり、「ベニーレッツゴー」や「ベニー打つぞー」など間違えて歌われることも多い。
[編集] 関連項目
- 千葉ロッテマリーンズの選手一覧
- ボビー・バレンタイン - ニューヨーク・メッツ及び千葉ロッテマリーンズでの指揮官
千葉ロッテマリーンズ - 2008
| 監督 |
|---|
| 2ボビー・バレンタイン |
| コーチ |
| 78西村徳文(ヘッド兼外野守備走塁兼3塁ベースコーチ)|79井上祐二(投手)|87高橋慶彦(打撃)|85袴田英利(バッテリー)|77吉鶴憲治(バッテリー)|81成本年秀(ブルペン)|83ランペン(打撃兼内野守備兼ベンチコーチ)|73諸積兼司(バント兼1塁ベースコーチ)|90立花龍司(ヘッドコンディショニング)|86佐野嘉幸(巡回) |
| 二軍監督・コーチ |
| 80レン・サカタ(監督)|71古賀英彦(ヘッド)|88荘勝雄(投手)|75高沢秀昭(打撃兼外野守備走塁)|94定詰雅彦(バッテリー)|72上川誠二(内野守備走塁)|82イエーツ(投手兼コンディショニング担当) |
| 投手 |
| 0荻野忠寛|1大嶺祐太|11神田義英|12川崎雄介|13浅間敬太|14小宮山悟|15柳田将利|16久保康友|17成瀬善久|18清水直行|19唐川侑己|20服部泰卓|21内竜也|24下敷領悠太|27古谷拓哉|28根本朋久|29小野晋吾|30伊藤義弘|31渡辺俊介|35三島輝史|36黒滝将人|37林啓介|38中郷大樹|41小林宏之|43ウィンストン・アブレイユ|45松本幸大|46呉偲佑|47手嶌智|48高木晃次|49ブライアン・シコースキー|51植松優友|53相原勝幸|56木興拓哉|60阿部和成|66末永仁志|69江口亮輔|99田中良平 |
| 捕手 |
| 22里崎智也|33橋本将|39田中雅彦|62金澤岳|63青松敬鎔|67新里賢 |
| 内野手 |
| 4ホセ・オーティズ|5堀幸一|7西岡剛|8今江敏晃|9福浦和也|32根元俊一|40渡辺正人|42フリオ・ズレータ|52塀内久雄|58青野毅|59細谷圭|68早坂圭介|70定岡卓摩 |
| 外野手 |
| 00代田建紀|3サブロー|10大松尚逸|23大塚明|25竹原直隆|44早川大輔|50ベニー・アグバヤニ|55神戸拓光|57佐藤賢治|61角中勝也|65 南竜介 |
| 育成選手 |
| 121池田健|122宮本裕司|123小林憲幸|124白川大輔|125大谷龍次|126田村領平 |

