早川大輔
2010年4月3日、神宮球場にて
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| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | 千葉県浦安市 |
| 生年月日 | 1975年6月3日(36歳) |
| 身長 体重 |
178cm 80kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投両打 |
| ポジション | 外野手 |
| プロ入り | 2001年 ドラフト5巡目 |
| 初出場 | 2002年4月4日 |
| 最終出場 | 2011年10月18日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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早川 大輔(はやかわ だいすけ、1975年6月3日 - )は、元プロ野球選手(外野手)。
目次 |
プレースタイル
闘志あふれるプレーが持ち味。自分より身体の大きい捕手に対しても平気で体当たり、外国人選手にも臆せず向かって行く。甘いマスクと闘志溢れるその姿勢で、ファンやチームメイトからは「昭和の男前」「宴会部長」「早川部長」と呼ばれるが、激しいプレーが加熱する余り、物議を醸すこともしばしばである。
ヒットの相当数が内野安打であり、俊足を生かした打撃が持ち味。厳しいコースの球でもとにかく転がしてヒットにすることが多い。また、2007年のクライマックスシリーズでは日本でも一・二を争うほど広い札幌ドームで本塁打を放つなど、パンチ力も見せた。
スイッチヒッターではあるが、2004年は左打席に専念しており、2005年のスイッチヒッター再転向後も右打席ではあまりいい成績を残せていない。
経歴
プロ入り前
兵庫県伊丹市に生まれるも、ほどなく千葉県浦安市に転居。千葉県立船橋高等学校から立教大学へ進学。東京六大学リーグ通算62試合出場、206打数48安打、打率.233、1本塁打、9打点、44盗塁。なお、船橋高校および立教大学へは一般入試で進学している(早稲田大学第一文学部・教育学部を受験するも失敗。高校受験では早稲田実業にも落ちている)。
卒業後、本田技研工業に入社。狭山野球部に在籍した4年間で都市対抗野球に3度出場し、2000年には新日鐵君津、2001年には日本通運の補強選手としてそれぞれチームのベスト4進出に貢献した。
同年オフのドラフト5巡目でオリックス・ブルーウェーブに入団。
オリックス時代
2002年は外野のレギュラーが決まらないチャンスを生かし、ルーキーながら55試合に出場。打率1割台と打撃はまったく振るわなかったが、6盗塁を記録し、強肩も披露するなど守備・走塁では十分戦力になることをアピールした。2003年は育成期間としてシーズンのほとんどを二軍で過ごすも、課題の打撃を徐々に向上させた。一軍では守備固めとしての出場が多かった。2004年は左打ちに専念して一軍に定着。アテネオリンピック代表の村松有人不在時は1番・中堅手として活躍し、規定打席未満ながらも打率3割、2桁盗塁、プロ初本塁打を記録した。ブルーウェーブ最終戦となった9月27日の対近鉄戦では、6回裏に安打を放ったが、これがブルーウェーブ最後の安打となった。同年秋の分配ドラフトにより、2005年はオリックス・バファローズと契約。
2005年は開幕戦で8回表に代打で出場し、松坂大輔から安打を放って出塁すると、オリックス・バファローズとしての初盗塁・初得点を記録した。近鉄との球団合併でライバルが増えたが、前年に続き打撃好調で、前半は3割を超える高打率を維持し、一気にレギュラーを獲得するかに思えた。しかし、5月からは一転して絶不調に陥り、後半は守備固め要員に戻ってしまった。2006年は自身の故障や平野恵一の外野コンバート、村松の好調などに押され代走・守備要員としての出場に留まり、2割に満たない打率に終わり、二軍暮らしのほうが長くなってしまった。同年の秋季キャンプからテリー・コリンズ監督の助言で再びスイッチヒッターに挑戦したが、その矢先の11月、辻俊哉との交換トレードで千葉ロッテマリーンズに移籍した。
ロッテ時代
2007年は外野の層の薄いロッテへの移籍が早川にとって大きなチャンスとなり、打撃も好調で移籍してからは2番・中堅手に定着。前半は3割を維持し、1番・TSUYOSHIとの両打ち俊足1・2番コンビで高い出塁率を誇った。オールスターゲームにも監督推薦で出場する事が決まったが、前半戦最終戦で指を負傷して直前で登録抹消されたこともあり、ベンチ入りしたものの出場する機会は無かった。同年の三塁打数はリーグトップ。自身初の規定打席にも到達した。さらにオフの契約更改では高評価を受け、旧年俸の倍以上の提示(218%)に一発サインをした。その後の会見で「来季の目標は3割・30盗塁」と公言した。新天地でのあまりの活躍ぶりに、放出したオリックスの宮内義彦オーナーは、「早川は私が(トレード責任者から)聞いていた情報とは全然違った」と嘆いたほどだった。[要出典]
2007年5月11日の対ソフトバンク戦、早川が遊撃内野安打を放ち一塁を駆け抜けた際に松中信彦内野手の足に接触、接触した松中は7回守備で途中退場した。退場後のインタビューで松中は早川との接触について「早川にベース上で蹴られた感じで、最初より痛みがひどくなってきた」と述べた[1]。
2008年は前年に比べて打率を落とし、規定打席にはあと一歩及ばなかったが、133試合に出場し前年を上回る18盗塁をマークするなど存在感を示した。また、8月14日の対ソフトバンク戦(千葉マリンスタジアム)では、新垣渚からプロ入り初の満塁本塁打を放った。9月10日の対オリックス戦(京セラドーム大阪)でも、本柳和也から満塁本塁打を放っている。
2008年5月5日の対オリックス戦、6回表ノーアウト一塁、カウント1ストライク0ボールの場面で、一塁ランナー西岡剛が盗塁した際に捕手日高剛へ向けてバットを投げる。試合は一時中断したが球審柿木園悟の判定はファウルチップで試合再開、西岡の盗塁も認められた。スローで見ても捕球後のタイミングでバットを投げている行為である。同年7月3日の対楽天戦の9回の打席で、ヒットエンドランの際に投球はピッチドアウトで大きく外れていたにも関わらず、嶋基宏捕手が二塁へ送球するタイミングでバットを放り投げた(捕手がうまくかわし、二塁へ送球した為結果は盗塁死となった)。
2009年は1番・中堅手として開幕スタメンを迎え、開幕直後は打撃好調だったが、ほどなく打撃不振に陥る。
同年4月5日の対西武戦において、捕手の細川亨に対して上記のような状況でバットを放り投げ、捕手に当たった。細川は右手首を痛がる様子を見せ二塁に送球することができなかった。このプレーに対し守備妨害が宣告されアウトとなった。上記のとおり以前から類似のプレーが問題となっていた。
バットを故意に投げつけてるように見える危険なプレーがYouTubeなどにアップロードされ批判が集中、ロッテファンが運営している応援ブログでも批判コメントが殺到し、日本野球機構にも問い合わせが来ていた。ロッテは公式ホームページで「外角外れたボールに何とかバットを当てようとした結果、バットが捕手に当たってしまった」と主張した[2]。なお、早川は夕刊フジのインタビューで「今後は気をつけます。バットを投げること自体は悪くないでしょ。でも当てちゃまずいですよね。退場になってもおかしくないプレー。(西武)細川君には平謝りしました」と答えた[3]。
結局は84試合の出場に終わり、シーズンオフに横浜ベイスターズへのトレード移籍(金銭トレード)が発表された[4]。
横浜時代
2010年、阪神タイガースとの開幕戦では2番・中堅手として先発出場。しかし、打撃不振や守備のミスで出場機会を下園辰哉に奪われ、5月30日の古巣の対ロッテ戦の出場を最後に二軍降格。それ以降は一軍から声が掛かることなく、31試合の出場に終わった。
2011年はチームが最下位に沈むという状況の中でも終盤まで一軍出場が無く、10月6日に現役引退を発表した[5]。引退試合は10月18日の中日ドラゴンズ戦で、代打で出場して空振り三振に倒れた。試合終了後にはチームメイトから胴上げが行われ、ライト・レフトスタンドのファンからの早川コールに応えた。12月2日、自由契約公示された。
引退後
12月29日にオリックスより、2012年1月1日付で球団本部編成部国内グループにスカウトとして復帰することが発表された[6]。
詳細情報
年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2002 | オリックス | 55 | 124 | 113 | 8 | 20 | 4 | 0 | 0 | 24 | 1 | 6 | 4 | 3 | 0 | 2 | 0 | 6 | 34 | 2 | .177 | .231 | .212 | .444 |
| 2003 | 19 | 13 | 12 | 5 | 4 | 2 | 0 | 0 | 6 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | .333 | .385 | .500 | .885 | |
| 2004 | 68 | 250 | 215 | 35 | 66 | 8 | 3 | 4 | 92 | 21 | 14 | 4 | 13 | 1 | 12 | 0 | 9 | 32 | 1 | .307 | .367 | .428 | .795 | |
| 2005 | 87 | 199 | 177 | 24 | 50 | 5 | 2 | 1 | 62 | 18 | 6 | 2 | 3 | 0 | 14 | 0 | 5 | 41 | 1 | .282 | .352 | .350 | .702 | |
| 2006 | 21 | 55 | 46 | 10 | 9 | 2 | 0 | 1 | 14 | 3 | 5 | 1 | 5 | 0 | 1 | 0 | 3 | 11 | 0 | .196 | .260 | .304 | .564 | |
| 2007 | ロッテ | 133 | 536 | 459 | 72 | 130 | 17 | 8 | 5 | 178 | 44 | 16 | 8 | 23 | 4 | 34 | 2 | 16 | 74 | 3 | .283 | .351 | .388 | .739 |
| 2008 | 133 | 416 | 369 | 53 | 92 | 14 | 4 | 5 | 129 | 32 | 18 | 8 | 13 | 3 | 18 | 0 | 13 | 60 | 7 | .249 | .305 | .350 | .655 | |
| 2009 | 84 | 189 | 175 | 30 | 39 | 6 | 1 | 1 | 50 | 12 | 5 | 4 | 6 | 1 | 6 | 0 | 1 | 34 | 0 | .223 | .251 | .286 | .537 | |
| 2010 | 横浜 | 31 | 100 | 79 | 14 | 15 | 1 | 0 | 1 | 19 | 6 | 6 | 2 | 9 | 0 | 11 | 0 | 1 | 14 | 0 | .190 | .297 | .241 | .538 |
| 2011 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
| 通算:10年 | 632 | 1883 | 1646 | 251 | 425 | 59 | 18 | 18 | 574 | 138 | 76 | 35 | 75 | 9 | 99 | 2 | 54 | 305 | 14 | .258 | .320 | .349 | .669 | |
- 2011年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
背番号
- 23 (2002年)
- 37 (2003年 - 2006年、2010年 - 2011年)
- 44 (2007年 - 2009年)
個人記録
- 初出場:2002年4月4日、対日本ハムファイターズ3回戦(東京ドーム)、8回表に藤井康雄の代走として出場
- 初先発出場:2002年5月6日、対千葉ロッテマリーンズ7回戦(グリーンスタジアム神戸)、8番・左翼手として先発出場
- 初安打:2002年5月11日、対西武ライオンズ7回戦(西武ドーム)、2回表に西口文也から一塁内野安打
- 初盗塁:同上、5回表に二盗(投手:西口文也、捕手:伊東勤)
- 初打点:2002年5月15日、対福岡ダイエーホークス7回戦(台北市立天母棒球場)、2回表に山田秋親から右前適時打
- 初本塁打:2004年8月6日、対福岡ダイエーホークス21回戦(Yahoo! BBスタジアム)、6回裏に斉藤和巳から右越ソロ
- 3試合連続三塁打(2007年8月3日 - 5日) ※パ・リーグ記録
脚注
- ^ 松中選手、左足首を負傷し途中交代 福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルサイト 2007年5月12日閲覧
- ^ スコアボード:埼玉西武vs千葉ロッテ(2009/04/05) 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト
- ^ ロッテ早川、バットで“殺人未遂”も「悪くないでしょ」 ZAKZAK 2009年4月8日閲覧
- ^ 早川大輔選手のトレードについて千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト
- ^ 横浜ベイスターズ - 選手/チームに関するニュース 横浜ベイスターズ・オフィシャルサイト
- ^ 【オリックス】年末年始の“大”人事異動nikkansports.com 2011年12月29日閲覧
関連項目
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