早川大輔
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| 千葉ロッテマリーンズ #44 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 千葉県浦安市 |
| 生年月日 | 1975年6月3日(34歳) |
| 身長 体重 |
177cm 77kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投両打 |
| 守備位置 | 外野手 |
| プロ入り | 2001年 ドラフト5巡目 |
| 初出場 | 2002年4月4日 |
| 年俸 | 4,950万円(2009年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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早川 大輔(はやかわ だいすけ、1975年6月3日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(外野手)である。
目次 |
経歴
プロ入り前
兵庫県伊丹市に生まれるも、ほどなく千葉県浦安市に転居。千葉県立船橋高等学校から立教大学へ進学。東京六大学リーグ通算62試合出場、206打数48安打、打率.233、1本塁打、9打点、44盗塁。
卒業後、本田技研に入社。在籍した4年間で都市対抗野球に3度出場し、2000年には新日鐵君津、2001年には日本通運の補強選手としてそれぞれチームのベスト4進出に貢献した。
同年オフに5巡目でオリックス・ブルーウェーブに入団。
オリックス時代
- 2002年
- 外野のレギュラーが決まらないチャンスを生かし、ルーキーながら55試合に出場。打率1割台と打撃はまったく振るわなかったが、6盗塁を記録し、強肩も披露するなど守備・走塁では十分戦力になることをアピールした。
- 2003年
- 育成期間としてシーズンのほとんどを2軍で過ごすも、課題の打撃を徐々に向上させた。一軍では守備固めとしての出場が多かった。
- 2004年
- 左打ちに専念して一軍に定着。アテネオリンピック代表の村松有人不在時は1番中堅手として活躍し、規定打席未満ながらも打率3割、2桁盗塁、プロ初本塁打を記録した。
- 2005年
- 球団合併でライバルが増えたが、前年に続き打撃好調で、前半は3割を超える高打率を維持し、一気にレギュラーを獲得するかに思えた。しかし5月から絶不調に陥り、後半は守備固め要員に戻ってしまった。
- 2006年
- 自身の故障や平野恵一の外野コンバート、村松の好調などに押され代走・守備要員としての出場に留まった。2割に満たない打率で二軍暮らしのほうが長くなってしまったが、二軍では打率.271、14盗塁(チームトップ)と活躍した。
- 秋季キャンプからテリー・コリンズ監督の助言で再びスイッチヒッターに挑戦したが、その矢先の11月、辻俊哉との交換トレードで千葉ロッテマリーンズに移籍した。
ロッテ時代
- 2007年
- 外野の層の薄いロッテへの移籍が早川にとって大きなチャンスとなり、打撃も好調で移籍してからは2番センターに定着。前半は3割を維持し、1番・TSUYOSHIとの両打ち俊足1・2番コンビで高い出塁率を誇った。オールスターゲームにも監督推薦で出場する事が決まったが、前半戦最終戦で指を負傷して直前で登録抹消されたこともあり、ベンチ入りしたものの出場する機会は無かった。
- この年の三塁打数はリーグトップ。自身初の規定打席にも到達した。さらにオフの契約更改では高評価を受け、旧年俸の倍以上の提示(218%)に一発サインをした。その後の会見で来期の目標は3割・30盗塁と公言した。
- 2008年
- 打率を落とし、規定打席にはあと一歩及ばなかったが、この年も133試合に出場し前年を上回る18盗塁をマークするなど存在感を示した。
- また、8月14日のソフトバンク戦(千葉マリン)では、新垣渚からプロ入り初の満塁本塁打を放った。
プレースタイル
- 走者をおいた打席でランナーが走った際、明らかに故意的にバットを放り投げて捕手に当てて妨害するプレイが数回ある。
- 2008年5月5日のオリックス戦、6回表ノーアウトランナー1塁、カウント1-0の場面で1塁ランナー西岡が盗塁した際に捕手日高へ向けてバットを投げる。試合は一時中断したが球審柿園の判定はファウルチップで試合再開、西岡の盗塁も認められた。スローで見ても捕球後のタイミングでバットを投げている行為である。
- 2008年7月3日の楽天戦の9回の打席で、エンドランの際に投球はピッチドアウトで大きく外れていたにも関わらず、嶋基宏捕手が二塁へ送球するタイミングでバットを放り投げ(捕手がうまくかわし、二塁へ送球した為結果は盗塁死となったが)、解説者からは守備妨害になってもおかしくないとの指摘を受けている。
- 2009年4月5日の西武戦において、捕手の細川亨に対して上記のような状況でバットを放り投げ、捕手に当たった。細川は右手首を痛がる様子を見せ二塁に送球することができなかった。このプレーに対し守備妨害が宣告されアウトとなった。
- 2007年5月11日のソフトバンク戦、早川が遊内野安打を放ち1塁を駆け抜けた際に松中信彦内野手の足に接触、接触した松中は7回守備で途中退場した。退場後のインタビューで松中は早川との接触について「早川にベース上で蹴られた感じで、最初より痛みがひどくなってきた。」と述べた[3]。
エピソード
- 闘志あふれるプレーが持ち味。自分より身体の大きい捕手に対しても平気で体当たり、外国人選手にも臆せず向かって行く。甘いマスクと闘志溢れるその姿勢で、ファンやチームメイトからは「昭和の男前」「宴会部長」「早川部長」と呼ばれるが、激しいプレーが加熱する余り、物議を醸すこともしばしばである。
- ヒットの相当数が内野安打であり、俊足を生かした打撃が持ち味。厳しいコースの球でもとにかく転がしてヒットにすることが多い。
- 県立船橋高・立教大学へは一般入試で進学している(早稲田大学第一文学部・教育学部を受験するも失敗、高校受験では早稲田実業にも落ちている)。
- 理想の野球選手は、ナムコの野球ゲーム「プロ野球ファミリースタジアム」シリーズに登場するピノ(ナムコスターズ)。(東京スポーツ・2007年7月5日付。ただし冗談の可能性もある)
- 2007年のクライマックスシリーズでは日本でも1, 2を争うほど広い札幌ドームで本塁打を放つなど、パンチ力も見せた。
- 新天地でのあまりの活躍ぶりに、放出したオリックスの宮内義彦オーナーは、「早川は私が(トレード責任者から)聞いていた情報とは全然違った」と嘆いていたほどだった。
詳細情報
年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2002 | オリックス | 55 | 124 | 113 | 8 | 20 | 4 | 0 | 0 | 24 | 1 | 6 | 4 | 3 | 0 | 2 | 0 | 6 | 34 | 2 | .177 | .231 | .212 | .443 |
| 2003 | 19 | 13 | 12 | 5 | 4 | 2 | 0 | 0 | 6 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | .333 | .385 | .500 | .885 | |
| 2004 | 68 | 250 | 215 | 35 | 66 | 8 | 3 | 4 | 92 | 21 | 14 | 4 | 13 | 1 | 12 | 0 | 9 | 32 | 1 | .307 | .367 | .428 | .795 | |
| 2005 | 87 | 199 | 177 | 24 | 50 | 5 | 2 | 1 | 62 | 18 | 6 | 2 | 3 | 0 | 14 | 0 | 5 | 41 | 1 | .282 | .352 | .350 | .702 | |
| 2006 | 21 | 55 | 46 | 10 | 9 | 2 | 0 | 1 | 14 | 3 | 5 | 1 | 5 | 0 | 1 | 0 | 3 | 11 | 0 | .196 | .260 | .304 | .564 | |
| 2007 | ロッテ | 133 | 536 | 459 | 72 | 130 | 17 | 8 | 5 | 178 | 44 | 16 | 8 | 23 | 4 | 34 | 2 | 16 | 74 | 3 | .283 | .351 | .388 | .739 |
| 2008 | 133 | 416 | 369 | 53 | 92 | 14 | 4 | 5 | 129 | 32 | 18 | 8 | 13 | 3 | 18 | 0 | 13 | 60 | 7 | .249 | .305 | .350 | .655 | |
| 通算:7年 | 516 | 1593 | 1391 | 207 | 371 | 52 | 17 | 16 | 505 | 120 | 65 | 28 | 60 | 8 | 82 | 2 | 52 | 256 | 14 | .267 | .329 | .363 | .692 | |
- 2008年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
記録
- 初出場:2002年4月4日、対日本ハムファイターズ3回戦(東京ドーム)、8回表に代走として出場
- 初安打:2002年5月11日、対西武ライオンズ7回戦(西武ドーム)、2回表に西口文也から
- 初盗塁:同上、5回表に二盗
- 初打点:2002年5月15日、対福岡ダイエーホークス7回戦(台北市立天母棒球場)、2回表に山田秋親から
- 初本塁打:2004年8月6日、対福岡ダイエーホークス21回戦(Yahoo!BBスタジアム)、6回裏に斉藤和巳から
- 3試合連続三塁打(2007年8月3日 - 5日) - パ・リーグ記録。
背番号
- 23(2002年)
- 37(2003年 - 2006年)
- 44(2007年 - )
脚注
- ^ スコアボード:埼玉西武vs千葉ロッテ(2009/04/05) 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト
- ^ ロッテ早川、バットで“殺人未遂”も「悪くないでしょ」 ZAKZAK 2009年4月8日閲覧
- ^ 松中選手、左足首を負傷し途中交代 福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルサイト 2007年5月12日閲覧
関連項目
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