里崎智也

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里崎 智也
千葉ロッテマリーンズ #22
Satozaki tomoya.jpg
2011年8月6日、QVCマリンフィールドにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 徳島県鳴門市
生年月日 1976年5月20日(35歳)
身長
体重
175cm
88kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1998年 ドラフト2位
初出場 2000年4月6日
年俸 1億4,500万円 (2011年)
経歴(括弧内は在籍年)
国際大会
代表チーム 日本の旗日本
五輪 2008年
WBC 2006年

里崎 智也(さとざき ともや、1976年5月20日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手捕手)。

目次

[編集] 経歴

1998年首都大学野球連盟所属の帝京大学からドラフト2位で千葉ロッテに指名され、入団。

ルーキーイヤーの1999年8月、左尺骨茎状突起(左手首)を骨折。2度の手術後、約2年間のリハビリを経験するなど入団直後から苦労した。

2001年フレッシュオールスターゲームにて1本塁打3打点をあげるなどの活躍をし、MVPに選出される。

2002年清水将海に代わる正捕手の座を巡って橋本将などと争い、開幕から暫くマスクを任されるなど期待はされていたものの、この年も結果を残せなかった。

2003年5月4日、対ダイエー戦の延長11回表、3対3の同点の場面でロッテ監督の山本功児清水将海の代打井上純を送る。しかし直後、ダイエー監督の王貞治が左投手の渡辺正和を出したので、山本は里崎を代打に送る。ここで里崎は見事期待に応え、決勝タイムリー三塁打を放った。実は前日に祖母を亡くし、告別式を欠席してまでの出場だった(本来は忌引が認められる)里崎はヒーローインタビューで涙を流した。ウイニングボールは祖母の墓前に手向けられた。(このエピソードは2004年3月20日に放送された『徳光&所のスポーツえらい人グランプリPart19』(日本テレビ)でドキュメンタリー形式にて取り上げられた)。それ以後、規定打席未到達ながら打率.319、本塁打8本の成績を残すなど活躍し一軍定着を果たした。この出来事がきっかけで2005年以降リーグを代表する正捕手へと飛躍していくことになる。

監督にボビー・バレンタインが就任した2004年は正捕手の座を確実視されたが、4月に左ひざの半月板を損傷し手術したため、出場は61試合にとどまる。

2005年橋本将との併用で活躍。基本的に相手先発投手が左投げなら里崎、右投げなら橋本という形だったが、右投げ投手が先発の場合でも出場することもあった。4月27日の対西武戦ではプロ入り初の4番打者に抜擢される。10月17日プレーオフ2ndステージ・対福岡ソフトバンクホークス第5戦(ヤフードーム)で8回表、1対2の1点ビハインドの場面から逆転タイムリー二塁打を放ちチームを31年ぶりの優勝へ導く。その後の日本シリーズでも阪神タイガースを相手に活躍し、日本一に貢献した。

この年は試合後に行うライブが話題になった。5月29日の対横浜ベイスターズ戦(千葉マリンスタジアム)で自身初の満塁本塁打を放ち、この試合好投した渡辺俊介と共にヒーローインタビューで「今日は球場正面入り口で俊介と歌いまーす!」と宣言。千葉ロッテマリーンズの公式応援歌『We Love Marines』を歌う。8月8日の渡辺俊介と今江敏晃がヒーローの試合後、渡辺に指名され三人で歌う。野球選手の次に歌手になりたかったと言い、人前で歌うのは小さい頃からの夢であったという。8月28日の対オリックス・バファローズ戦で黒木知宏が復帰登板勝利を果たしたその日、ステージに来たのは本塁打を打った里崎であり(黒木がステージに出演しない事は、場内アナウンスで説明があった)、黒木がヒーローインタビューでかけていた「本日の主役」タスキをかけて歌いに来る。

2006年WBC代表に選出され出場。正捕手として世界一に貢献し、22打数9安打で打率.409、1本塁打に5打点をマークしラッキーボーイとして知名度を上げる。ベストナイン(捕手部門)にも選出される活躍をみせた。4月26日にはWBCでの活躍が評価され、出身地の徳島県から特別功労賞が贈られた。5月2日の対ソフトバンク戦では前年にチームメイトの渡辺俊介が記録した日本記録タイの5打席連続三振を喫した。6打席目はヒットを放ち不名誉記録更新は免れた。また、オールスターゲームに初のファン投票(捕手)での選出(2005年にも監督推薦で出場)。高校時代1本もヒットを打てなかった同郷の川上憲伸から初ヒットとなるソロホームランを放っている。この年、橋本将の故障と不調もあり正捕手に座った。球団としては1985年の袴田英利以来、21年ぶりの規定打席に到達(球団名がマリーンズに変更されてからは初)、ゴールデングラブ賞ベストナインにも選出された。

2007年より、監督のバレンタインにより主将に任命される(ユニフォームにも四芒星の中に「C」入りのキャプテンマークが付いた。位置は左腕のペットマークパッチ直上)。この年も規定打席に到達し、自己最多となる75打点を記録。クライマックスシリーズでも活躍した。また、2年連続でゴールデングラブ賞ベストナインを受賞。北京五輪アジア予選日本代表メンバーに選出され、台湾で行われた最終予選の第3戦・台湾代表との試合に先発フル出場した。

2008年は前半戦で早くも故障してチームを離脱してしまい、更にちょうど同じ時期に他の捕手も故障してしまったため、里崎がいない間にチームは大きく低迷した。復帰後もけがの影響で本調子ではなく、打撃で完全復活を果たした橋本将とは対照的に打率も下げてしまい、規定打席にも届かなかった。

2009年は打率を更に下げてしまったものの橋本の不調もあり正捕手に復帰し、再び規定打席到達。リーグトップの盗塁阻止率.382も記録した。

2010年は自らの故障や的場直樹の高評価もあり、出場機会が前年より減ってしまうが、クライマックスシリーズの対西武戦では打率10割を記録した。守備では盗塁阻止率が前年の38パーセントから17パーセントへ急落した。

[編集] プレースタイル

里崎のスイング(2010年)

内角を執拗に突く強気なリードを持ち味とする[1]。遠投120メートルと地肩は強く、送球はシュート回転することが多いものの[2]谷繁元信の下半身の動きを手本として上達したという[3]捕球してから送球するまでの動作が非常に素早く[4]、盗塁阻止率が高い。

打撃では確実性には欠けるものの、極端なアッパースイングから狙い球をしぼって広角に長打を放つ[5]

[編集] 人物

  • 性格は常に前向き、また目立つのが好きである。
  • ニックネームは「さと」「ともちん」など。
  • 鼻の真下にある大きなほくろがトレードマーク。本人もお気に入りで、緊張した時にそれを触ると落ち着くらしい。ファンも触りに来るほど。
  • 犬好き。球団のベースボールドッグであるエルフにもなつかれている。
  • 料理が得意。ラジオ番組に出演した際「何でも作れる」と話していた。
  • 歯を1日5回磨く
  • 『(自宅)所蔵数約1,000冊』と語るほどの、漫画愛好家としても知られる。遠征で移動する時も、漫画雑誌を携帯している。鋼の錬金術師が好きで全巻所有している。
  • 東北楽天ゴールデンイーグルス愛敬尚史とは帝京大学の同級生(背番号も同じであった。)。バッテリーを組み活躍した。現在でも親交は厚く、また対戦の時には互いを意識するコメントが両者のブログで見受けられた。
  • 2006年シーズン開幕より毎日更新していたブログを10月3日の記事で更新終了。
    • ブログにて好きな言葉を「YES,I CAN'T」と書いたことがある(このような用法は存在しない。複数回書いているためタイプミスではないようである。なお、すぐに「YES,I CAN」に全て修正された)。
    • ブログにて7月8日に七夕と絡めて「彦星と乙姫が~」と書いたことがある。(後に「織姫」に修正された)
WBC2006日本代表での里崎
  • 2007年1月2日に放送された番組「徳光&所の世界記録工場Part3」(日本テレビ)に出演。前回のPart2で、元チームメイトの初芝清が260m上空からのフライキャッチに挑戦するも失敗し、里崎はリベンジすべく更に5m高い265m上空からのフライキャッチに挑戦し、フライキャッチに向いている外野手用グラブを使うなどするもまたもや失敗。リベンジは果たせなかった。
  • 交流戦では2005年より3年連続で満塁ホームランを放っている。それも2006年2007年はともに雨中の神宮球場での2死からの満塁逆転弾だった。ヒーローインタビューでもこの点について触れられ、「特に雨が降る満塁の神宮は縁起が良いみたいです」とコメントした。2008年は交流戦では満塁弾はなかったものの、レギュラーシーズンでは満塁弾を放った試合があり、4年連続で満塁弾を放った。2008年シーズン終了現在、マリーンズで4年連続で満塁弾を放った選手は里崎のみである。
  • キャプテンを任されるなど責任感は強く、またそれが原因で不甲斐ない投球をした投手に辛辣なコメントを出すこともある。ただ、これはチームの勝利を何よりも重く考えるが故であり、その姿勢などから先発投手陣からの信頼は厚い。
  • 2008年に放映されたテレビ朝日系連続ドラマ『打撃天使ルリ』第3話に間接的にだが出演している。作中でサヨナラホームランを放った。
  • 2009年8月2日に行われた東北楽天戦で相手選手のトッド・リンデンと一触即発の状態となる。
    • 発端は3回表の胸元への投球にリンデンが挑発行為を行い、6回表の次打席でリンデンがバントの構えから引いたバットが、里崎のマスクを掠め、それをリンデンが謝罪しなかったことにより報復行為とみなされたことである。
    • 両選手の争いはベンチより選手・コーチらが飛び出し両チームを巻き込むものへと発展したが、幸い乱闘騒ぎが起こるようなことはなかった。しかし延長11回裏に今度は里崎の頭部付近への投球があり、次打者福浦和也の頭部への死球により有銘兼久が危険球退場になるなど、遺恨を残した。
  • 2010年10月、クライマックスシリーズ進出に際し「最高の下克上を見せる!」と発言。日本シリーズ制覇でメディアにおいても“史上最大の下克上”と用いられるようになった。日本シリーズでは左肩にガングリオンができたことを隠しながらプレーした。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績

















































O
P
S
2000 ロッテ 4 7 7 2 3 2 0 0 5 1 0 0 0 0 0 0 0 2 1 .429 .429 .714 1.143
2001 9 19 18 0 5 0 1 0 7 5 0 0 0 0 1 0 0 6 0 .278 .316 .389 .705
2002 12 25 23 1 1 0 0 1 4 1 0 0 0 0 2 0 0 9 0 .043 .120 .174 .294
2003 78 253 213 28 68 13 2 8 109 39 0 1 6 5 22 2 7 45 4 .319 .393 .512 .904
2004 61 195 174 20 37 7 0 6 62 19 0 0 3 1 17 1 0 41 3 .213 .281 .356 .638
2005 94 333 297 40 90 19 2 10 143 52 1 0 6 2 25 0 3 74 7 .303 .361 .481 .842
2006 116 449 382 50 101 23 1 17 177 56 2 1 8 5 45 3 9 95 7 .264 .351 .463 .815
2007 127 528 477 56 129 27 3 14 204 75 1 0 4 6 36 1 5 109 4 .270 .324 .428 .752
2008 92 381 330 54 86 8 0 15 139 45 1 1 2 2 44 2 3 92 8 .261 .351 .421 .772
2009 124 479 414 39 97 22 1 10 151 49 0 2 5 5 49 2 6 121 7 .234 .321 .365 .686
2010 78 295 247 40 65 10 0 10 105 29 1 0 2 1 40 1 5 91 8 .263 .375 .425 .800
2011 109 397 338 28 75 8 1 5 100 25 0 1 12 4 40 0 3 91 7 .222 .306 .296 .606
通算:12年 904 3361 2920 358 757 139 11 96 1206 396 6 6 48 31 321 12 41 776 56 .259 .338 .413 .754
  • 2011年度シーズン終了時

[編集] 表彰

[編集] 記録

[編集] 背番号

  • 22 (1999年 - )

[編集] 登場曲

BoABe the one

[編集] 関連情報

[編集] CM

[編集] 脚注

  1. ^ 小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰 『プロ野球スカウティングレポート2011』 廣済堂出版、2011年、120頁。ISBN 978-4-331-51519-8
  2. ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2010』 アスペクトムック、2010年、424頁。ISBN 978-4-7572-1744-7
  3. ^ナンだ!?』に出演した際の本人の談
  4. ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2008』 アスペクトムック、2008年、304-305頁。ISBN 978-4-7572-1439-2
  5. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2008』 白夜書房、2008年、94頁。ISBN 978-4-86191-374-7

[編集] 関連項目

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