愛敬尚史

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愛敬 尚史
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府高槻市
生年月日 (1976-12-04) 1976年12月4日(47歳)
身長
体重
175 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2000年 ドラフト2位(逆指名)
初出場 2001年3月27日
最終出場 2006年8月5日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

愛敬 尚史(あいきょう ひさし、1976年12月4日 - )は、大阪府高槻市出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。現在は東北楽天ゴールデンイーグルススカウト

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

阿武野小学4年から野球を始め、中学時代はエースとして活躍し大阪府でベスト8に入る[1]金光第一高等学校時代は無名選手で、チームとしても府大会4回戦が最高の記録[1]。このころサイドスローに転向する。

帝京大学時代は里崎智也とバッテリーを組む。1年生春季のリーグで6勝をあげ最優秀投手に選ばれる[1]1997年秋季リーグで首都大学リーグ優勝を経験。大学4年時には日本代表として世界選手権に出場[1]。首都大学リーグ通算53試合登板、27勝19敗、防御率2.45。

1999年松下電器に入社。同期入社には久保康友大久保勝信がいる。同年の第70回都市対抗野球大会で若獅子賞を受賞[1]

2000年日本選手権で優勝に貢献し、MVPに輝く。

2001年ドラフト2位で大阪近鉄バファローズに入団した。

近鉄時代[編集]

2001年から30試合に登板して防御率1.67の好成績を残し、チームの優勝に大きく貢献し、9月24日の西武ライオンズ戦では、1球投げて勝利投手となっている。日本シリーズ第1戦にも中継ぎ登板を果たした。

梨田昌孝監督に右のワンポイントリリーフとして重宝され、2003年まで一軍戦力として活躍した。近鉄時代はショートリリーフ専門で、登板試合数がイニング数より多かったほどである。

楽天時代[編集]

2005年球団合併に伴う分配ドラフト東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍。しかし左打者に極端に打ち込まれ、防御率は7点台だった。

2006年はロングリリーフで意外な成功を収め、先発に転向。一時は後述のように「不敗神話」と度々メディアで取り上げられるも、初黒星を喫してからは4連敗と低迷し、再び中継ぎに降格。8月頃には二軍落ちし、再昇格はならなかった。この年5月11日の横浜ベイスターズ戦で先発し、石井琢朗に通算2000安打を打たれた。

2007年は一軍登板なし。二軍で15試合に登板し、防御率6.10。自身「最悪の1年です」と振り返ったシーズンとなった。2008年は2年連続で一軍登板なしに終わった。

2009年も一軍登板がなく、10月2日に戦力外通告を受けた。

引退後[編集]

2010年から日笠雅人に代わり楽天のジュニアコーチを3シーズン務めた。2013年からは楽天のスカウトに就任[2]。担当した選手は辰己涼介太田光[3]小深田大翔黒川史陽[4]

選手としての特徴・人物[編集]

横手投げから140km/h前後の速球やスライダーカーブシンカーシュートと多彩な変化球を投げ込む。かつては左打者に極端に弱かったが、2006年はむしろ右打者よりも抑えた。

練習に熱心に取り組む姿勢が首脳陣から評価され、2007年の開幕前キャンプでは黄金ルーキーと評された田中将大の教育係に青山浩二と共に任命された。

野村克也監督から「愛嬌(愛敬)あって、運も持っている。素質はあるのだから後は度胸をつけろ」と言われたことがあったと言う。

不敗神話[編集]

2001年3月27日のプロ入り初登板から2006年5月11日まで、107試合に登板しながら1度も敗戦投手にならなかった。そのうち、2006年4月21日の104試合目まではすべて中継ぎでの登板。4月27日に先発として初登板し、勝利。続く5月4日、5月11日も先発登板し、勝利をあげる。

当時、東北楽天ゴールデンイーグルスの勝率は2割台と低く、このチーム状態で先発3連勝をあげたことは快挙と言える。特に、5月11日の横浜戦では、相手にリードを許した状態で代打を出されながら、チームはそのイニングに一挙6点を取って逆転し、愛敬は勝ち投手の権利を得ている。

しかし、108戦目となる5月17日のヤクルトスワローズ戦(フルキャストスタジアム宮城)で先発したものの、6回4失点と打ち込まれ、チームは1-6と惨敗。ついにプロ入り初黒星を喫した。「プロ入り107試合無敗」は当時のプロ野球歴代2位の記録であり、パ・リーグ最多記録である。

  • また、初黒星を喫するまでに8勝(2001年に2勝、2002年に1勝、2003年に2勝、そして2006年の3勝)をあげており、プロ初登板後、無傷の8連勝ということになる。これは2015年リック・バンデンハーク(ソフトバンク)が9連勝で塗り替えるまで[5]稲尾和久(西鉄)と並びこちらもパ・リーグ記録であった。
  • 初黒星を喫した頃のインタビューでは、「(不敗神話が途切れたことについて)それはどうでもいいこと」と述べ、2006年の契約更改時のインタビューでは、負けがついてむしろほっとした、といったニュアンスのコメントを残している。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2001 近鉄 30 0 0 0 0 2 0 0 -- 1.000 130 32.1 27 2 11 0 1 15 0 0 6 6 1.67 1.18
2002 18 0 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 60 12.1 21 1 3 0 0 12 0 0 8 5 3.65 1.95
2003 38 0 0 0 0 2 0 1 -- 1.000 140 34.2 30 5 9 2 2 15 0 0 16 16 4.15 1.13
2004 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 5 1.0 2 0 0 0 0 1 0 0 1 1 9.00 2.00
2005 楽天 16 0 0 0 0 0 0 0 1 ---- 81 16.0 27 2 6 1 2 10 0 0 14 14 7.88 2.06
2006 16 11 0 0 0 4 5 0 0 .444 317 74.0 84 8 16 0 4 35 1 1 33 33 4.01 1.35
通算:6年 119 11 0 0 0 9 5 1 1 .643 733 170.1 191 18 45 3 9 88 1 1 78 75 3.96 1.39

記録[編集]

  • 初登板:2001年3月27日、対福岡ダイエーホークス1回戦(大阪ドーム)、7回表から4番手で救援登板、2回無失点
  • 初奪三振:同上、8回表に鳥越裕介から
  • 初勝利:2001年3月30日、対西武ライオンズ1回戦(西武ドーム)、5回裏2死から2番手で救援登板、2回1/3無失点
  • 初セーブ:2003年9月20日、対西武ライオンズ26回戦(西武ドーム)、11回裏から5番手で救援登板、1回1失点
  • 初ホールド:2005年6月12日、対広島東洋カープ6回戦(フルキャストスタジアム宮城)、5回表2死で2番手で救援登板、2/3回無失点
  • 初先発・初先発勝利:2006年4月27日、対福岡ソフトバンクホークス6回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、5回2/3を2失点
  • 1球勝利投手:2001年9月24日、対西武ライオンズ28回戦(大阪ドーム)、9回表2死2・3塁で8番手で救援登板・完了、垣内哲也を三塁ゴロ ※史上15人目

背番号[編集]

  • 22 (2001年 - 2009年)

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、2ページ
  2. ^ 週刊ベースボール2014年3月24日号 P18
  3. ^ ドラフト指名選手、スカウトが注目したポイントは? 球団コメントを一挙公開<パ・リーグ> - ベースボールチャンネル、2018/10/26
  4. ^ 2019ドラフト指名選手、スカウトが注目したポイントは? 球団コメントを一挙公開<パ・リーグ> - ベースボールチャンネル、2019/10/18
  5. ^ ソフトバンク・バンデンハーク パ新デビュー9連勝 日刊スポーツ 2015年9月17日、同17日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]