久保康友
| 阪神タイガース #34 | |
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 奈良県橿原市 |
| 生年月日 | 1980年8月6日(31歳) |
| 身長 体重 |
181cm 76kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 2004年 自由獲得枠 |
| 初出場 | 2005年4月2日 |
| 年俸 | 1億4,000万円(2012年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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久保 康友(くぼ やすとも、1980年8月6日 - )は、阪神タイガースに所属するプロ野球選手(投手)。奈良県橿原市出身。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] プロ入り前
橿原市立鴨公小学校時代は藤原京跡グラウンドをホームグラウンドとする少年野球チーム「ホワイトベアーズ」に所属し、橿原市立八木中学校時代は軟式野球部でプレー。
関西大学第一高校に進学後は合宿所が無い事もあり、橿原市の自宅から大阪府吹田市の学校まで電車を乗り継ぎ、1時間半かけて通学した。3年次にはエースとして同校の69年ぶりとなる第70回選抜高等学校野球大会に出場し、決勝戦で松坂大輔・小池正晃・後藤武敏・小山良男らを擁する横浜高校に敗れ準優勝。夏の第80回全国高等学校野球選手権大会は同校初の選手権大会となる春夏連続出場に貢献し、寺本四郎・高橋一正らを擁する明徳義塾高校に2-11で敗れたが8強入りした。第3回AAAアジア野球選手権大会日本代表にも選出され同チームの指揮官たる中村順司前PL学園高校監督の期待に応え優勝に貢献。
高校卒業後は社会人野球の松下電器へ入社したが、当初は故障が相次いで登板機会は少なかった。2003年後半から好成績を残すようになり、同年の社会人野球日本選手権大会では圧倒的優位が予想されていた対伏木海陸運送戦でリリーフ登板し、最速148km/hの速球を投げて4イニングで7奪三振を記録したが、9回裏の先頭打者に四球を与えたのをきっかけにサヨナラ負けを喫した。2004年にはエースとしてフル回転し、後にプロでチームメイトとなる手嶌智、能見篤史、渡辺亮らと共に第22回ハーレムベースボールウィーク日本代表に選出された。同年秋のドラフト会議において自由獲得枠で千葉ロッテマリーンズに入団。入団時は「松坂世代最後の大物」と話題になった(同い年でロッテ同期入団し後にオリックス移籍した竹原直隆とは現在も親友)[1]。
[編集] ロッテ時代
2005年4月2日の対福岡ソフトバンクホークス戦にリリーフでプロ初登板。4月24日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦でプロ初先発・初勝利・初完封を記録。5月4日にチームが45年ぶりの12連勝を記録した試合で勝利投手になり、また、5月19日から7連勝していたが、8月10日の対北海道日本ハムファイターズ戦で連勝は止まり、1950年の荒巻淳、榎原好以来となる球団新人記録の8連勝はならなかった。9月17日の対西武ライオンズ戦で3度目の完封勝利となる10勝目を挙げ、前述の荒巻(26勝8敗)と榎原(16勝7敗)以来球団史上55年ぶり、右投手では球団初となる新人での2桁勝利を記録した。オフの11月4日には球団史上6人目、投手としてはチームが前回日本一になった1974年の三井雅晴以来となる新人王を獲得。同日に婚約を発表した。
2006年は清水直行、渡辺俊介らがWBCからの帰国直後で休養をとる必要があり、小林宏之が右太腿筋痛を訴え、小野晋吾は発熱するなどのチーム事情から、3月25日の対ソフトバンク戦で開幕投手を務めたが5失点で敗戦投手となった。同年は前半だけで6勝を挙げたが、セ・パ交流戦以降は防御率6点台で、8月以降は6連敗を喫するなど最終的には7勝にとどまった。シーズン防御率は4点台でリーグ2位の13敗を記録した。
2007年3月20日に高校時代の監督だった尾崎光宏が胃がんの為67歳で逝去し、訃報の報道に「人に一切弱みを見せない監督でした」と故人を偲んだ。前半戦は勝利投手となっても防御率がよくない状態が続き、6月25日の対横浜ベイスターズ戦で左手甲に打球を受け左第5中手骨骨折で全治6週間と診断され6月29日に登録抹消された。8月7日に一軍復帰して以降は防御率3点台前半と好調を維持した。10月3日、10月5日には同年初の中継ぎ登板をしたが、これは10月8日から始まるクライマックスシリーズを見据えての調整登板と言われた。同年は9イニング平均で与四球が0.77個と非常に少なかった。
2008年は開幕から大量失点を繰り返し、中継ぎへの配置転換や二軍降格も経験した。シーズン後半は巻き返しも見せたが、共に自己ワーストの4勝、防御率4.95に終わり、投球回数も初めて100に届かなかった。
2009年3月4日、橋本健太郎との交換トレードで阪神タイガースへ移籍。社会人時代の同僚でバッテリーを組んでいた岡崎太一と再びチームメイトとなった。背番号は橋本が付けていた34に決定。
[編集] 阪神時代
3月5日に入団発表を行い、3月6日に合流した。4月7日の対広島東洋カープ戦で移籍後初登板。チームは勝ったものの勝敗がつかず、その後も好投しながら勝ち星が付かなかったが、5月25日の対ロッテ戦で古巣相手に移籍後初勝利を挙げた。7月14日の対中日ドラゴンズ戦において史上7人目、最年少での全球団勝利を達成し、7月30日の対横浜戦では4年ぶりの完封勝利を記録するなどシーズンを通して先発ローテーションとして投げ、防御率3.75、9勝8敗の成績を記録した。その一方でリーグ最多の16死球、同2位の9暴投など制球面での不安定さも見せた。
2010年は3月31日の対広島戦で先発としてシーズン初登板・初勝利を挙げた。故障や不調で手薄だった先発陣の中で唯一、先発ローテーションを最初から最後まで守りきり、打線の援護にも恵まれて勝利を重ねた。8月12日の対広島戦で10勝目を挙げて5年ぶりの2桁勝利を達成。8月29日の対東京ヤクルトスワローズ戦では、自己新記録となる11勝目を挙げる。最終的には14勝してリーグ最高勝率となる勝率.737を記録し、自身初のシーズン200投球回に到達した。
2011年は契約更改が遅れたことにより、春季キャンプには当初は自費で参加し、そのキャンプ中に契約更改を行った。昨年の実績もあり開幕投手候補にもなったが、開幕2カード目の対中日ドラゴンズ1戦目がこのシーズンの初登板となった。当初は先発投手陣の一角を担っていたが、シーズン中盤に左脇腹の故障で一時離脱したことが響き、成績は8勝止まりだった。
[編集] プレースタイル
僅かに変化する最速151km/hのムービング・ファストボールにスライダー、カット・ファスト・ボール、フォークボール、シュート、チェンジアップなどの多彩な球種を投げ分けて、球速に頼らない投球を行う。
クイックモーションは通常は1.2秒台で及第点と言われているが[2]、社会人時代には1秒を切って0.99秒を記録している。岡崎太一の二塁送球は1.8秒台(1.8~1.9秒台が「強肩」の基準[2])だったため、塁上の走者が盗塁を行うのは不可能に近かった[2]という。渡辺俊介は自身の著書「アンダースロー論」の中で、「久保のクイックも速いけど、あれは全ての動作が速い。真似出来ません」と述べている。
[編集] 人物
ロッテ在籍時の愛称は、一般公募で決まった「ソニック」、松下電器出身である事から「パナ」。
大久保勝信は社会人時代の同期で大久保は1年目の2001年に25歳で新人王を獲得し、年齢差と同じ4年後に久保も1年目の2005年に25歳で新人王を獲得した共通点がある[3]。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2005 | ロッテ | 19 | 18 | 5 | 3 | 0 | 10 | 3 | 0 | 0 | .769 | 506 | 121.2 | 120 | 13 | 26 | 0 | 6 | 84 | 5 | 0 | 52 | 46 | 3.40 | 1.20 |
| 2006 | 23 | 22 | 1 | 0 | 0 | 7 | 13 | 0 | 0 | .350 | 605 | 140.1 | 153 | 11 | 32 | 3 | 11 | 119 | 1 | 1 | 73 | 71 | 4.55 | 1.32 | |
| 2007 | 21 | 19 | 2 | 0 | 0 | 9 | 8 | 0 | 2 | .529 | 532 | 128.1 | 139 | 11 | 11 | 0 | 8 | 82 | 6 | 0 | 62 | 57 | 4.00 | 1.17 | |
| 2008 | 33 | 12 | 1 | 0 | 0 | 4 | 7 | 0 | 7 | .364 | 412 | 91.0 | 104 | 10 | 33 | 1 | 6 | 70 | 5 | 0 | 52 | 50 | 4.95 | 1.51 | |
| 2009 | 阪神 | 26 | 24 | 1 | 1 | 0 | 9 | 8 | 0 | 0 | .529 | 646 | 151.1 | 140 | 14 | 50 | 0 | 16 | 113 | 9 | 0 | 66 | 63 | 3.75 | 1.26 |
| 2010 | 29 | 29 | 4 | 1 | 0 | 14 | 5 | 0 | 0 | .737 | 819 | 202.1 | 183 | 22 | 45 | 5 | 12 | 158 | 4 | 0 | 75 | 73 | 3.25 | 1.13 | |
| 2011 | 20 | 20 | 0 | 0 | 0 | 8 | 8 | 0 | 0 | .500 | 471 | 109.2 | 108 | 10 | 36 | 2 | 4 | 73 | 0 | 0 | 53 | 46 | 3.78 | 1.31 | |
| 通算:7年 | 171 | 147 | 14 | 5 | 0 | 61 | 52 | 0 | 9 | .540 | 3991 | 944.2 | 947 | 91 | 233 | 11 | 63 | 699 | 30 | 1 | 433 | 406 | 3.87 | 1.25 | |
- 2011年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
[編集] タイトル
- 最高勝率(当時連盟表彰なし):1回(2010年) ※セントラル・リーグでは、1972年まで表彰
[編集] 表彰
[編集] 記録
- 投手成績
- 初登板:2005年4月2日、対福岡ソフトバンクホークス2回戦(千葉マリンスタジアム)、7回表2死から救援登板、1/3回無失点
- 初先発・初勝利・初完投・初完封:2005年4月24日、対東北楽天ゴールデンイーグルス5回戦(フルキャストスタジアム宮城)
- 初奪三振:同上、2回裏に山崎武司から
- 初ホールド:2007年10月3日、対福岡ソフトバンクホークス24回戦(千葉マリンスタジアム)
- 全球団勝利:2009年7月14日、対中日ドラゴンズ9回戦(阪神甲子園球場)で達成。プロ野球史上7人目。プロ5年目・28歳11ヶ月・通算34勝目での達成はいずれも最速。
| # | 日付 | 対戦球団 | 球場 | 通算勝利数 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 2005年4月24日 | 東北楽天ゴールデンイーグルス | フルキャストスタジアム宮城 | 1 |
| 2 | 5月19日 | 広島東洋カープ | 広島市民球場 | 3 |
| 3 | 5月26日 | 読売ジャイアンツ | 東京ドーム | 4 |
| 4 | 6月26日 | オリックス・バファローズ | スカイマークスタジアム | 7 |
| 5 | 7月20日 | 北海道日本ハムファイターズ | 札幌ドーム | 8 |
| 6 | 9月17日 | 西武ライオンズ | 千葉マリンスタジアム | 10 |
| 7 | 2006年5月18日 | 横浜ベイスターズ | 横浜スタジアム | 13 |
| 8 | 5月25日 | 阪神タイガース | 千葉マリンスタジアム | 14 |
| 9 | 6月1日 | 東京ヤクルトスワローズ | 千葉マリンスタジアム | 15 |
| 10 | 2007年5月11日 | 福岡ソフトバンクホークス | 千葉マリンスタジアム | 20 |
| 11 | 2009年5月25日 | 千葉ロッテマリーンズ | 阪神甲子園球場 | 31 |
| 12 | 7月14日 | 中日ドラゴンズ | 阪神甲子園球場 | 34 |
- 打撃成績
- その他記録
- オールスターゲーム出場:1回 (2010年)
[編集] 背番号
- 16 (2005年 - 2008年)
- 34 (2009年 - )
[編集] 登場曲
Everybody(BACKSTREET'S BACK) - BACKSTREET BOYS
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
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