野村弘樹
| 基本情報 | |
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| 国籍 | |
| 出身地 | 広島県広島市南区 |
| 生年月日 | 1969年6月30日(42歳) |
| 身長 体重 |
181cm 85kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1987年 ドラフト3位 |
| 初出場 | 1988年10月2日 |
| 最終出場 | 2002年10月13日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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選手歴
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コーチ歴
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この表について
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野村 弘樹(のむら ひろき、1969年6月30日 - )は、広島県広島市出身の元プロ野球選手(投手)。横浜ベイスターズで投手コーチを務めた。
大洋時代の末期から横浜で活躍して、1998年の日本一の際にはエースとして活躍した。本名は野村 弘(のむら ひろし)で、登録名を「弘樹」としたのは、入団3年目以後である。
目次 |
[編集] 来歴・人物
広島の名門リトルである広島中央リトルで野球を始めた広島中央リトルで1つ上に阪神・金本知憲、2つ上に元お笑いタレント・山本圭一がいる。
高校はPL学園に野球留学し1987年、桑田泉(桑田真澄の実弟)、立浪和義、片岡篤史、橋本清、宮本慎也(宮本のみ1学年下)らを揃えた強力チームのエースとして史上4校目の甲子園春夏連覇を達成した(野村は10試合に登板し6勝0敗を記録)。同年秋のドラフト3位で横浜大洋ホエールズに入団。
1988年10月2日の対広島戦で、プロ初登板で無四球完封勝利を挙げる(高卒ルーキーとしては史上5人目の初登板初完封勝利)。翌1989年は開幕からチャンスを貰って33試合に登板し、先発のマウンドにも12回立ったがスタミナ不足から中盤に捕まることが多く、3勝11敗で防御率5.89と期待を裏切った。
1990年、オールスターゲーム初出場。同年、プロ入り初の2桁勝利を挙げる。1991年は2年連続二桁となる15勝を挙げ、1993年は17勝で最多勝に輝く。1995年はシーズン通して腰痛に悩まされ不振に終わるものの、翌1996年は3年ぶりの二桁勝利。
1998年は13勝を挙げチームの38年ぶりリーグ優勝、日本一に貢献。同年の日本シリーズは開幕投手に抜擢される。西武打線を5回まで無失点に抑えて期待に応えると、この大舞台でも4回裏に3連打のきっかけになる二塁打、5回裏には駄目押しのきっかけとなる二塁打を放つなど西武を圧倒した。結局、6・7回と2点ずつを失い、7回途中でマウンドを降りるも、チームとして38年ぶりの日本シリーズ勝利投手に輝いた。
1999年は左肘手術によりシーズンをほぼ棒に振る。2001年8月の対巨人戦で生え抜き投手では斉藤明夫以来の14年ぶりの通算100勝達成(全盛期さながらの好投で1失点完投勝利。完全復活かと思われた。1998年シーズン終了時に94勝を挙げていたが、左肘故障の影響で延び延びになってしまった。本人曰く「到達しても嬉しくないほど、かかってしまった」)。2002年に左肘の故障が再発(実際は完治していなかった)し、現役引退。
現役時代は故障に悩まされて33歳の若さで現役を引退したが、在籍時、典型的な弱小球団であった1990年代前半の大洋→横浜のみに在籍しながら、リーグ最多勝、1998年の日本一時に貢献、通算100勝以上を勝ち越して挙げる、という記録を残している。
2003年、湘南シーレックスの投手コーチに就任。2004年にベイスターズの投手コーチに昇格。2005年オフ、阿波野秀幸の投手コーチ招聘に伴い、横浜投手コーチ退任。
2006年はニッポン放送・テレビ神奈川・JSPORTS野球解説者、サンケイスポーツ野球評論家を務める。
2007年、横浜ベイスターズの投手コーチ(2009年までブルペン担当、2010年はベンチ担当)に復帰。真田裕貴、高崎健太郎の飛躍に一役買うなど指導面でも実績を上げているが2008年、2009年と2年連続してセ・リーグ唯一のチーム防御率4点台と低迷した。2010年も12球団ワーストの防御率を記録するなど投手陣が低迷し同年限りでの退団となった[1]。 2011年からは再びニッポン放送、tvk、JSPORTSの解説者、及びフジテレビ『すぽると!』のレギュラー野球解説者を務める。
- 巨人キラー
1990年6月5日の対巨人戦(福島県営あづま球場)。巨人先発の斎藤雅樹は1985年から対大洋戦14連勝という大記録を更新中であった。対する大洋からは対巨人戦3戦3完投勝利の野村がマウンドに上がった。試合は、野村が巨人打線を2失点に抑えるも、巨人1点リードのまま最終回を迎える展開で、斎藤の15連勝は目前に迫っていた。だが、大洋は9回表に1死二塁のチャンスを作ると、高木豊が斎藤のストレートをライトスタンドに逆転2ラン本塁打を放ち、斎藤の記録をストップさせた。野村は同年、この勝利を含む5勝を巨人から挙げた。
- 大記録ならず
1997年7月1日の対中日戦では5回までパーフェクトピッチング。6回1死から鳥越裕介に初ヒットを打たれたが、続く門倉健を併殺打に打ち取って無失点。野村はその後も好投を続けて8回を1安打無四球という完璧なピッチングを見せた。9回は佐々木主浩が3人で片付けて、野村-佐々木で打者27人を準完全試合を達成した。
- 3年連続二桁
1998年8月1日の対ヤクルト戦、初回にこそ2点失うが、その後はゼロ更新で7回2失点。打っても3安打2打点と活躍し、3年連続6度目の二桁勝利を達成した。ちなみに、2位中日と9月24日に行われた直接対決でも、投げては5安打2四球で1失点完投勝利、打っても2安打を放つという投打にわたる活躍でマジック9を点灯させている。
[編集] プレースタイル
元々右利きだったが、父親が購入してきたグラブが左投げ用だったので、そのまま左投げになった(現役時代、右投げでも遠投50mだった)。
球速は最高で135km/hに届かないこともあり、全盛期でも145km/h弱で、特に優れた変化球を持っていたわけでもないにもかかわらず、通算奪三振記録が998をあげている。野村の武器は制球力と投球術であり、ストレート、スライダー、スローカーブ、シュート、スクリューボール、フォークボール、SFFなどの多彩な球種を左右に投げ分けることで打者を抑えていた。また、投球テンポが早く、まさに「ちぎっては投げ、ちぎっては投げ」という投球スタイルであった。
PLでも5番を打っていただけあって、投手でありながら現役時代には6本もの本塁打を放つなど、野手顔負けの打棒の持ち主でもあった。その実績は数字にも表れ、投手でありながらシーズン中盤まで3割近くをキープしていたということもあり、1996年4月の対阪神戦では2失点完投、打っては3ラン本塁打(結果3-2)と一人舞台の試合もあった。
高木豊は特に高い評価を与え、1998年の日本シリーズ第1戦前の試合予想において、「(日本シリーズのような大舞台で)野村が負けるということは考えられない」と発言した。また、上述のように「打撃は野手並み」とも言わしめている。また、権藤博監督からの信頼も絶大であり、1998年の日本シリーズでは、野村-斎藤隆-三浦-野村-斎藤隆-川村-野村と異例の予告先発を掲げた。また、当時右のエースだった斎藤隆に野村の投球術があれば、年間20勝は軽いとも述べている。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1988 | 大洋 横浜 |
2 | 2 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 0 | -- | .500 | 55 | 15.0 | 14 | 1 | 3 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0.60 | 1.13 |
| 1989 | 33 | 13 | 1 | 0 | 1 | 3 | 11 | 0 | -- | .214 | 411 | 94.2 | 111 | 14 | 35 | 2 | 1 | 62 | 1 | 1 | 65 | 62 | 5.89 | 1.54 | |
| 1990 | 24 | 22 | 8 | 0 | 3 | 11 | 6 | 0 | -- | .647 | 650 | 162.0 | 140 | 23 | 35 | 1 | 1 | 114 | 6 | 0 | 67 | 63 | 3.50 | 1.08 | |
| 1991 | 26 | 26 | 6 | 2 | 2 | 15 | 8 | 0 | -- | .652 | 743 | 182.1 | 163 | 25 | 43 | 0 | 3 | 113 | 6 | 0 | 72 | 64 | 3.16 | 1.13 | |
| 1992 | 21 | 15 | 1 | 1 | 0 | 5 | 4 | 0 | -- | .556 | 408 | 93.2 | 118 | 15 | 23 | 0 | 1 | 75 | 1 | 0 | 57 | 57 | 5.48 | 1.51 | |
| 1993 | 28 | 25 | 9 | 3 | 0 | 17 | 6 | 0 | -- | .739 | 712 | 179.1 | 148 | 16 | 41 | 1 | 2 | 137 | 2 | 0 | 59 | 50 | 2.51 | 1.05 | |
| 1994 | 14 | 12 | 1 | 0 | 0 | 5 | 5 | 0 | -- | .500 | 332 | 70.2 | 100 | 16 | 28 | 2 | 0 | 61 | 1 | 0 | 53 | 50 | 6.37 | 1.81 | |
| 1995 | 22 | 6 | 1 | 0 | 1 | 4 | 7 | 0 | -- | .364 | 242 | 56.2 | 58 | 8 | 18 | 1 | 2 | 48 | 2 | 0 | 30 | 28 | 4.45 | 1.34 | |
| 1996 | 25 | 25 | 4 | 0 | 1 | 10 | 8 | 0 | -- | .556 | 626 | 146.1 | 172 | 25 | 36 | 4 | 0 | 85 | 2 | 0 | 76 | 67 | 4.12 | 1.42 | |
| 1997 | 25 | 25 | 1 | 1 | 0 | 10 | 8 | 0 | -- | .556 | 620 | 143.1 | 153 | 20 | 43 | 6 | 4 | 94 | 0 | 3 | 71 | 62 | 3.89 | 1.37 | |
| 1998 | 28 | 27 | 3 | 0 | 1 | 13 | 8 | 0 | -- | .619 | 728 | 177.2 | 183 | 20 | 29 | 0 | 2 | 100 | 2 | 2 | 70 | 66 | 3.34 | 1.19 | |
| 1999 | 7 | 7 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | -- | .500 | 144 | 31.1 | 49 | 4 | 8 | 0 | 1 | 13 | 1 | 1 | 25 | 19 | 5.46 | 1.82 | |
| 2000 | 29 | 14 | 0 | 0 | 0 | 2 | 8 | 0 | -- | .200 | 426 | 100.2 | 116 | 15 | 20 | 2 | 2 | 57 | 1 | 0 | 51 | 49 | 4.38 | 1.35 | |
| 2001 | 14 | 14 | 2 | 1 | 0 | 4 | 5 | 0 | -- | .444 | 318 | 75.0 | 86 | 8 | 15 | 0 | 4 | 32 | 0 | 0 | 37 | 37 | 4.44 | 1.35 | |
| 2002 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | -- | .000 | 31 | 5.1 | 12 | 1 | 3 | 1 | 1 | 3 | 0 | 0 | 8 | 8 | 13.50 | 2.81 | |
| 通算:15年 | 301 | 233 | 38 | 9 | 10 | 101 | 88 | 0 | -- | .534 | 6446 | 1534.0 | 1623 | 211 | 380 | 20 | 24 | 998 | 25 | 7 | 743 | 683 | 4.01 | 1.31 | |
- 各年度の太字はリーグ最高
- 大洋(横浜大洋ホエールズ)は、1993年に横浜(横浜ベイスターズ)に球団名を変更
[編集] 通算打撃成績
打率.196 92安打6本塁打1盗塁
[編集] タイトル
- 最多勝:1回 (1993年)
[編集] 表彰
- 優秀JCB・MEP賞:1回 (1991年)
[編集] 記録
- オールスターゲーム出場:3回 (1990年、1991年、1993年)
[編集] 背番号
- 21 (1988年 - 2002年)
- 79 (2003年)
- 71 (2004年 - 2005年)
- 75 (2007年 - 2010年)
[編集] 登録名
- 野村 弘(のむら ひろし) (1988年 - 1989年)
- 野村 弘樹(のむら ひろき)(1990年 - )
[編集] 関連情報
[編集] 出演番組
- ニッポン放送ショウアップナイター
- Tvkプロ野球中継 熱烈ベイスターズLIVE!!
- J SPORTS STADIUM(広島、及び中日主催試合を担当。)
- すぽると!
[編集] 書籍
- 『PL学園OBはなぜプロ野球で成功するのか?』(橋本清(著)、ぴあ、2009/3、橋本清が第9章で野村を取材、ISBN 978-4835617282)
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
- 広島県出身の人物一覧
- 横浜ベイスターズの選手一覧
- 中村順司 - PL学園高校野球部の恩師
[編集] 外部リンク
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