上本博紀

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上本 博紀
阪神タイガース #4
HT-Hiroki-Uemoto.jpg
2009年3月28日、阪神鳴尾浜球場にて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 広島県福山市
生年月日 1986年7月4日(26歳)
身長
体重
173 cm
70 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手遊撃手
プロ入り 2008年 ドラフト3位
初出場 2010年7月8日
年俸 2,100万円(2013年)
経歴(括弧内は在籍年)

上本 博紀(うえもと ひろき、1986年7月4日 - )は、阪神タイガースに所属するプロ野球選手内野手)。広島東洋カープに所属する上本崇司は実弟。

目次

経歴 [編集]

プロ入り前 [編集]

広島県福山市立松永小学校4年生の時に「松永ソフトボールクラブ」にてソフトボールを始める。中学時代には地域の軟式野球のクラブチーム「松永ヤンキース」に所属し、1年生の秋から1番・セカンドに定着。3年生のときには年間約60試合のリーグ戦のなかで122個の盗塁を記録した。

広陵高等学校時代には1年夏から甲子園に4季連続で出場し、2003年春の甲子園では1番打者として西村健太朗白濱裕太らと共に優勝に貢献。21打数で選抜大会の個人最多安打記録タイまであと1安打に迫る12安打、3打点と活躍。同年の夏の甲子園ではチームは2回戦で敗退するものの、先頭打者本塁打を含む10打席連続出塁(6打数6安打4四球1本塁打)を記録した。その年に行われたアジアAAA選手権に2年生ながら日本代表として選ばれ、最優秀守備選手賞を獲得。主将を務めた2004年春の甲子園には、チームの捕手不足のためコンバートされ[1]、3番・捕手として出場した。この大会で、過去の甲子園大会で記録してきた10打席連続出塁を東邦高校のエース岩田慎司に止められた。 夏の広島大会では1番・二塁に戻ったが、準々決勝で岩本貴裕を主戦に擁する広島商に敗れ、5季連続甲子園の夢を絶たれた。なお、この試合では上本が最後の打者となった。4回出場した甲子園では、1度も三振を喫していない。高校時代の1年後輩に、後にプロでもチームメイトになる藤川俊介がおり、2004年春の甲子園ではバッテリーを組んでいる。

その後早稲田大学スポーツ科学部)に進学し、鳥谷敬田中浩康が抜けた内野で1年からレギュラー出場し、4年まで全104試合にフルイニング出場を果たした。4年次には主将も務めた。通算411打数109安打、打率.265、4本塁打、46打点。通算109安打は歴代13位の記録、また全試合フルイニング出場は慶大高橋由伸以来であった。東京六大学野球ベストナインを5回受賞。日米大学野球選手権大会世界大学野球選手権大会日本代表でもレギュラーとして活躍した。4年春の早慶戦一回戦では、ホームスチールを成功させ、決勝点を導いた。

2008年ドラフトで阪神から3位指名を受け、12月2日に契約金7,000万円、年俸1,000万円(金額は推定)で仮契約。ドラフト前には広島東洋カープが地元・広島出身の野手ということで上位指名することも考えていたが、広島は結局広島商から亜細亜大学に進んでいた岩本を指名したため、上本は阪神入団の運びとなった。

プロ入り後 [編集]

プロ初年度の2009年、二軍のウエスタン・リーグでチーム1位の88試合に出場。打率.241、 0本塁打、25打点、16盗塁、OPS .618の成績を記録した。しかし、平野恵一新井貴浩ら内野陣の層が厚く一軍出場はなかった。

2010年、新井やチームメイトで高校の先輩でもある金本知憲らと共に元日から広島市内のジム「アスリート」で始動。7月8日の東京ヤクルトスワローズ戦でプロ初出場を果たした。7月9日の横浜ベイスターズ戦で8回から代走で出場し、二塁への盗塁を決めた際、相手捕手橋本将の送球が上本の身体に当たり外野に転がる間に一気に本塁へ生還。プロ初盗塁が初得点、さらにこの試合の決勝点となり、プロ2試合目で甲子園のヒーローインタビューに立った。さらに8月25日の広島戦では、梅津智弘からプロ初安打を放つとともに初打点も記録。続く9月5日に地元広島で行われた広島戦において、前日死球を受け欠場した平野に代わり8番・二塁でプロ初スタメン出場、プロ初猛打賞を記録した。

2011年5月15日中日戦で鳥谷が負傷交代した際の代打に送られ、そのまま遊撃の守備に就いた。その試合では5回に決勝点を挙げ、8回にも追加点の得点ランナーになるなどの活躍をした。その後も鳥谷復帰まで遊撃手としてスタメン出場を続けた。7月1日倉敷マスカットスタジアムでの横浜戦で、大原慎司からプロ入り初の本塁打を放ち、7月27日の甲子園での中日ドラゴンズ戦でチェン・ウェインから自身本拠地初・プロ入り2号となる満塁本塁打を打った(この満塁本塁打は阪神選手ではこのシーズン初(結果的には唯一)の本拠地での満塁本塁打)[2]

2012年には、オープン戦の守備中に左肘内側の副靱帯を痛めたため、開幕一軍を逃した。7月1日に出場選手登録。8月の長期ロードから不振の平野に代わって「1番・二塁手」としてスタメン起用されると、同じ頃に「2番・中堅手」に定着した大和と共に、不動の俊足1・2番コンビとして活躍した。

2013年は、オープン戦から好調を維持していた。2月26日京セラドームで開かれたWBC日本代表との強化試合にも、阪神の1番・遊撃手として先発出場。しかし、6回表の守備で坂本勇人(日本代表・讀賣ジャイアンツ内野手)の左飛を追って後退した際に、左翼を守っていた伊藤隼太と交錯した。坂本の打球は伊藤が捕球したが、上本は交錯の衝撃で転倒。そのまま起き上がれなくなったため、グラウンド上から担架で運び出された。その後に病院で診察を受けたところ、右目の周辺に裂傷を負ったほか、左足首の前距腓靱帯を損傷していることが判明[3]。2年続けて、シーズンインの直前に戦線離脱を余儀なくされている。

詳細情報 [編集]

年度別打撃成績 [編集]

















































O
P
S
2010 阪神 28 16 15 11 5 1 0 0 6 2 2 1 0 0 1 1 0 1 1 .333 .375 .400 .775
2011 67 131 108 20 27 7 0 3 43 13 8 3 7 2 14 0 0 27 0 .250 .331 .398 .729
2012 62 224 197 22 50 13 1 1 68 7 13 4 2 1 19 0 5 46 3 .254 .333 .345 .678
通算:3年 157 371 320 53 82 21 1 4 117 22 23 8 9 3 34 1 5 74 4 .256 .334 .366 .710
  • 2012年度シーズン終了時

年度別守備成績 [編集]


二塁 遊撃
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2010 8 8 8 0 0 1.000 -
2011 33 37 51 4 11 .957 9 9 25 0 2 1.000
2012 52 135 135 5 27 .982 -
通算 93 180 194 9 38 .977 9 9 25 0 2 1.000
  • 2012年度シーズン終了時

表彰 [編集]

記録 [編集]

背番号 [編集]

  • 4 (2009年 - )

登場曲 [編集]

脚注 [編集]

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  1. ^ 第76回センバツ 頑張れ中国勢”. 中国新聞. 2011年2月9日閲覧。
  2. ^ この年から始まった阪神の選手が満塁ホームランを打った際、その時点で甲子園の外野2階エリアのココナッツガーデンで、アルコール商品をのぞく全商品が10%割引されるサービスが適用された初の事例でもある。
  3. ^ “上本、左足首の靱帯損傷…和田監督は「時間がかかりそう」”. スポーツニッポン. (2013年2月28日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/02/28/kiji/K20130228005293470.html 2013年3月5日閲覧。 

関連項目 [編集]