今成亮太

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今成 亮太
北海道日本ハムファイターズ #62
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 埼玉県富士見市
生年月日 1987年10月6日(24歳)
身長
体重
177cm
70kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 捕手
プロ入り 2005年 高校生ドラフト4巡目
初出場 2008年3月25日
年俸 590万円(2011年)
経歴(括弧内は在籍年)

今成 亮太(いまなり りょうた、1987年10月6日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手捕手)。

父・今成泰章はその手腕から「マムシの今成」の異名を持つ北海道日本ハムのスカウト[1]2003年には須永英輝2004年にはダルビッシュ有を担当した。

目次

[編集] 経歴

小学校入学前から野球を始めていたが、中学時代は富士見シニアで野球をし学校ではサッカー部に所属し、埼玉県大会に出場したこともある。

その後、野球の名門・浦和学院高に進学。1年時からベンチ入りし、秋に正捕手となった。この頃は2学年先輩の須永英輝の専属捕手も務めていた。その後主将としてチームを率い、2度(2年夏の第86回選手権大会[2]・3年春の第77回選抜大会)の甲子園に導いた。 3年夏の埼玉県予選では埼玉栄高に敗れ、甲子園出場はならなかった。この時の埼玉栄のエースは木村文紀だった。

捕手としてはやや細身な印象を受けるが、打撃センス・スローイングの速さなどは高卒捕手の中でもトップクラスと高く評価され、2006年はルーキーながらシーズン後半やフェニックスリーグなど、二軍戦では何度かスタメンマスクを勝ち取った。

2007年度の春季キャンプでは紅白戦で盗塁を企てた俊足の紺田敏正を刺し、オープン戦では本塁打も放って正捕手争いに名乗りを上げた。当時まだ高卒2年目で実績不足のため、選手登録枠のこともあり開幕は二軍で迎えることになったが、トレイ・ヒルマン監督(当時)をして「このキャンプでの最大の発見」と言わしめた。結局2007年シーズンは一軍出場なしに終わったが、二軍では正捕手の座を掴み64試合に起用された。打率は.200と振るわなかった。

2008年、プロ3年目で初めて開幕一軍に登録された。3月26日の埼玉西武ライオンズ戦でプロ初安打を記録した。同年7月9日にプロ初先発に起用され4打数3安打と活躍した。

[編集] 人物

2006年9月16日に行われたイースタン・リーグ公式戦の開始前に『マツケンサンバII』に合わせて踊るというパフォーマンスを見せた(後に本人が「人生の汚点」と冗談交じりに発言した)ほか[3]、同年11月19日札幌ドーム・ファンフェスティバルにて『GOGOファイターズ』、11月26日の鎌ヶ谷ファンフェスティバルでは『TAKIO ソーラン節[4]2007年11月25日の札幌ドーム・ファンフェスティバルでは『YMCA』の曲に合わせてダンスを披露している。

2009年まで球団サイトで公式ブログ「Imanarysm」が置かれていた。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績

















































O
P
S
2008 日本ハム 9 12 11 1 5 1 0 0 6 1 1 1 0 0 1 0 0 1 0 .455 .500 .545 1.045
2010 1 1 1 1 1 1 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1.000 1.000 2.000 3.000
2011 22 28 26 0 3 0 0 0 3 1 0 0 1 1 0 0 0 9 0 .115 .111 .115 .226
通算:3年 32 41 38 2 9 2 0 0 11 2 1 1 1 1 1 0 0 10 0 .237 .250 .289 .539
  • 2011年度シーズン終了時

[編集] 記録

[編集] 背番号

  • 62 (2006年 - )

[編集] 脚注

  1. ^ ハム番日記 - nikkansports.com: 忍者・スッポン・マムシ?
  2. ^ この大会に出場した際にバッテリーを組んだ投手は、同姓で当時3年の今成純太郎(その後、市民球団かずさマジックに入団。2009年限りで引退)だった。このため当時、「この2人は兄弟ではないか」という噂が立った(実際は兄弟ではない)。
  3. ^ YouTube『06/09/16kamagaya-ダンシング今成亮太』
  4. ^ YouTube『06/11/26kamagaya-ダンシング今成亮太01』

[編集] 関連項目

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