新井良太
| 阪神タイガース #32 | |
|---|---|
中日時代
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 広島県広島市佐伯区 |
| 生年月日 | 1983年8月16日(28歳) |
| 身長 体重 |
187cm 89kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 一塁手、三塁手、外野手 |
| プロ入り | 2005年 大学生・社会人ドラフト4巡目 |
| 初出場 | 2006年7月25日 |
| 年俸 | 1,200万円(2012年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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新井 良太(あらい りょうた、1983年8月16日 - )は、阪神タイガースに所属するプロ野球選手(内野手)。
実兄は同じ阪神に所属する新井貴浩。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] プロ入り前
小学5年時からソフトボールを始め、五月が丘中学2年時には軟式野球で中国大会3位に入る。
広陵高校に進み、主に一塁手を務めた。3年の時、4番・主将で春の選抜大会出場。当時2年の吉村裕基が4番を打っていた東福岡高校と初戦で当たり、自ら投手として3イニングを無失点に抑えたものの、試合は4-8で敗れた。広陵の2年後輩に西村健太朗・白濱裕太がいる。
卒業後は東都大学野球連盟所属の駒澤大学へ進学し、入学してまもなく4番に座る。東都大学1部リーグ通算79試合出場、273打数65安打、打率.238、14本塁打(歴代7位タイ)、49打点。ベストナイン2度受賞。このほか1シーズンのみ2部リーグでプレーし3本塁打している。駒大の1年後輩に野本圭がおり、大学時代は野本が3番、新井が4番とクリーンナップを担っていた。
2005年のドラフトで中日ドラゴンズから4位指名を受け入団。
[編集] 中日時代
プロ入り後は兄を上回る素質があると評価され、プロ初年度の2006年は、新人ながら二軍のウエスタン・リーグでほぼ毎試合4番で出場した。しかし、打率.254、3本塁打と、パワーはあるものの粗い打撃と拙守のためシーズン前半は二軍生活を送る。7月17日にプロ初の一軍昇格。同日の対横浜ベイスターズ戦で代打として待機していたものの、降雨コールドとなり初打席はお預けとなってしまった。しかしその後一軍再昇格し、同年9月10日の対広島東洋カープ戦7回表、二度目の代打機会でプロ初安打を記録。この試合には兄の貴浩も広島の三塁手として出場しており、1998年7月16日の山田勉(広島)・山田洋(中日)以来8年ぶりに、別球団同士の兄弟選手が同時に顔を合わせたケースとなった。この時、敵地である広島市民球場のスコアボードには「中日ドラゴンズ25新井良太選手 広島市民球場 初登場!」と表示する演出が行なわれた。
その後4度の代打機会にて全てヒットを放ち、右の代打として存在をアピール。10月12日の対阪神戦では6番・一塁手でプロ初スタメン出場を果たした。10月16日の広島・中日最終戦(広島市民球場)ではヒットを打って一塁に出塁した兄・貴浩と一塁守備に就く弟・良太の初ツーショットが実現した。それまでは良太は代打ばかりで守備に就くことがあまりなく、レギュラーのタイロン・ウッズが足を痛めていたこともあっての出場であった。逆に三塁・貴浩と三塁走者・良太のツーショットは2006年中には実現しなかった。
同年の秋季キャンプでは強化選手に選ばれ、連日ハードな練習メニューをこなした。初日は通常の2倍のテンポで投げ出され、しかも見逃せば罰金を取られるマシン打撃を行った。両足がつり、グロッキー状態になりながらも1時間のメニューをこなした。しかし強化選手に選ばれているため、更に1時間このメニューを続け、スイング数は1500回にもなった。終わった後は立つこともできず、バットから指も離せなくなった。練習後、記者の質問に対して「ヘタクソは練習あるのみです!」と語っている。
2日目は落合博満監督から直々にノックを受けた。ただのノックではなく、チームメイトの森野将彦と共に50球連続で捕球できたら終了という内容で、エラーをするとファンから野次られたり、励まされたりされていた。意識が朦朧としてくるとバケツに入った水を頭から被った。結局、終わったのは1時間40分後であった。練習後に新井自身は「強化選手に選ばれるのは光栄なこと。人より多く練習できるので、その期待に応えたい」と語った。
2007年は、二軍で打率.286、チームトップの6本塁打と打撃が向上し、一軍でも打率.280を記録、プロ初打点も挙げた。7月31日の対広島戦(広島市民球場)では延長10回表に初の決勝打を放った。このシーズンの終盤より外野守備へ挑戦。本職の内野守備(一塁手・三塁手)になかなか向上が見られないことに加え、地肩の強さ、大学時代の4年春に7盗塁を決めた脚力などを考えた上で首脳陣からもコンバートの打診があった。新井本人も「試合に出られるなら」と積極的に外野守備練習に励み、シーズン終盤からは試合前のノックでも、内野守備練習に加え左翼など外野でも練習する姿が多く見られた。10月7日の対横浜戦では3番・左翼手でスタメン出場したが、死球を受けて打席で悶絶、途中交代となった。これに関しては立浪和義から、せっかく与えてもらったチャンスをふいにしてしまったことへの戒めとして「痛がるなら一塁へ行ってからじゃないのか」と叱咤された。この言葉に新井は「今度は顔に当たっても塁へ出ます」と教訓を得て、スタメン出場したアジアシリーズ第1戦では試合中の一塁守備時に手の指を負傷したものの、それを痛がるそぶりもなく引き続きプレーした。後に骨折と判明し、第2戦以降は欠場している。このシーズンから中日の私設応援団による選手別応援歌が作られたが、新井のみ1番・2番の構成になっている。
2008年、春季キャンプは一軍スタートだったものの、中盤に二軍に降格。そのまま二軍で開幕を迎えたが、そこで好成績を収め、5月14日に一軍に合流。負傷した森野に代わって5月15日に一軍に昇格した。その後わずか3日で再び二軍に降格したが、二軍で打率3割の活躍をみせて、6月7日に二度目の一軍昇格となった。また、この年はウエスタン・リーグで規定打席に4打席達しないながらも、認定ルールにより、打率.332でチームとしては1970年の坪井新三郎以来となる例外規定での2人目の首位打者、出塁率.418で最高出塁率のタイトルを獲得した。
オフにはドミニカ・ウィンターリーグに派遣され、レオネス・デル・エスコヒード (Leones del Escogido) に所属した。結局、選手登録はされず、アリゾナ・ダイヤモンドバックスのアカデミーでの練習試合に出場して通算8打数3安打4四死球と、選手登録されて出場した藤井淳志や前田章宏に比べて低いものであった。しかし、派遣されている間にタイロン・ウッズが退団、更に、翌年の一塁手最有力候補であった中村紀洋もFAで東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍し、定位置である一塁が空いたため、開幕スタメンのチャンスができた。
2009年、春季キャンプは一軍スタートでそのまま完走。3月1日の対北海道日本ハムファイターズのオープン戦で6回表無死、日本ハムの3番手江尻慎太郎から中越えに本塁打を放った。その後は不調となり二軍に降格したが、開幕は初めて一軍で迎えた。しかし代打で結果が出せず、4月20日に降格した。ウエスタン・リーグでは4番・一塁のレギュラーとして打率.299、9本塁打、リーグ3位の55打点。出塁率.426、最多四死球(60個)で二年連続となる最高出塁率のタイトルを獲得した。4月の練習で一軍控え組で測定された10メートル走でトップになり、宮前岳巳トレーニングコーチに「今年からすごく速くなった。チームの5本の指に入るかもしれない」と言われた[1]。
2010年は6月9日の対楽天戦で一軍での初本塁打を放つも、一軍に定着することができずに終わった。オフに背番号を32に変更することになったが、その直後の12月24日、水田圭介との交換トレードで阪神に移籍[2]。兄・貴浩、慕っている金本知憲と同じチームでプレイすることになった。
[編集] 阪神時代
2010年12月27日に阪神入団発表記者会見を行い、背番号は32、登録名・スコアボード表記名はフルネームの「新井良太」と発表された[3](ただし、甲子園などの球場ではスペースの都合上「新井良」と表示、兄・貴浩は「新井」のままである)。水田が着けていた背番号をそのまま引き継ぐ形になったが、これは中日で翌年に着けるはずだった番号とも同じであった。
2011年は開幕一軍に帯同し、4月19日の対巨人戦で、移籍後初安打をプロ入り初のサヨナラ安打で決めた(4月22日に兄・貴浩もサヨナラ安打を放ち、史上初の同年に同一チーム所属の実兄弟揃ってのサヨナラ安打が実現した)[4]。その後は調子を落とし、8月5日に一軍登録を抹消[5]。8月はファームでも32打数4安打、打率.125と不振を極めた[5]。9月になり復調し、俊介交代で9月15日に再昇格した。
[編集] 人物
体格やプレー中のしぐさなどが兄の貴浩とそっくりと言われている。2006年7月25日の阪神戦にて代打として初登場し、空振り三振に倒れた際、左翼手を務めていた金本知憲は兄・貴浩に対し「似すぎやろ」と言った(中日スポーツのドラ番記者に掲載)。良太もまた兄の貴浩と同様に金本を慕っている。
特技の一つは書道。その腕前は、一説には元チームメートで同じく書道が得意な井上一樹(現中日二軍監督)より上とも言われている。[要出典]
2006年オフに広島の実家に帰った際、兄・貴浩がかつて本塁打王獲得時に乗っていた(後に父の会社に預けていたという)自家用車に「出世カーだ!」と目をつけ、兄に無断で名古屋まで乗って帰ってきた。実際は自分で車を買おうとしたところ両親に「一軍半のやつが車を買うな、これを持っていけ」と言われたからだという。[要出典]
2007年の日本シリーズ祝勝会ではお笑いコンビ・藤崎マーケットが着用する白いタンクトップを身につけてビールかけに参加した。
月刊ドラゴンズ2月号のインタビューで清水昭信、高橋聡文、佐藤亮太、前田章宏、2007年まで中日に育成選手として所属した竹下哲史の6人で集まる「昭和58年会」を行っていると語っている。
ベンチ内では声を出すなど、ムードメーカー的な存在となっている。 阪神でチームメイトになった桧山進次郎や関本賢太郎からは「声を出しているのはすごくいいこと。でも、敵チームに対する野次が中学生レベル」と言われている。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2006 | 中日 | 18 | 24 | 23 | 2 | 6 | 2 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 9 | 0 | .261 | .292 | .348 | .639 |
| 2007 | 29 | 28 | 25 | 5 | 7 | 3 | 0 | 0 | 10 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 5 | 0 | .280 | .357 | .400 | .757 | |
| 2008 | 24 | 19 | 18 | 2 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 5 | 0 | .167 | .211 | .167 | .377 | |
| 2009 | 8 | 6 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
| 2010 | 45 | 60 | 59 | 6 | 9 | 0 | 0 | 1 | 12 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 14 | 2 | .153 | .167 | .203 | .370 | |
| 2011 | 阪神 | 43 | 27 | 26 | 3 | 5 | 0 | 0 | 0 | 5 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 8 | 1 | .192 | .222 | .192 | .414 |
| 通算:6年 | 167 | 164 | 157 | 18 | 30 | 5 | 0 | 1 | 38 | 7 | 1 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 3 | 44 | 3 | .191 | .226 | .242 | .468 | |
- 2011年度シーズン終了時
[編集] 記録
- 初出場・初打席:2006年7月25日、対阪神タイガース8回戦(ナゴヤドーム)、7回裏に中田賢一の代打として出場、能見篤史の前に三振
- 初安打:2006年9月10日、対広島東洋カープ17回戦(広島市民球場)、7回表にデニー友利の代打として出場、林昌樹から右前安打
- 初先発出場:2006年10月12日、対阪神タイガース22回戦(阪神甲子園球場)、6番・一塁手として先発出場
- 初打点:2007年4月21日、対東京ヤクルトスワローズ5回戦(明治神宮野球場)、7回表に立浪和義の代走として出場、遠藤政隆から適時二塁打
- 初盗塁:2010年6月5日、対千葉ロッテマリーンズ4回戦(ナゴヤドーム)、8回裏に二盗(投手:秋親、捕手:里崎智也)
- 初本塁打:2010年6月9日、対東北楽天ゴールデンイーグルス3回戦(クリネックススタジアム宮城)、7回表に永井怜から中越ソロ
[編集] 背番号
- 25 (2006年 - 2010年)
- 32 (2011年 - )
[編集] 登場曲
- 睡蓮歌 - 湘南乃風(? - 2009年)
- Garden feat. DJ KAORI, Diggy-MO', クレンチ&ブリスタ - May J.(2010年)
- You Give Love A Bad Name - BON JOVI(2011年)
[編集] 脚注
- ^ 中日スポーツweb版 ドラ番記者 2009年4月14日分[リンク切れ]
- ^ トレード決定のお知らせ 中日ドラゴンズプレスリリース、2010年12月24日。
- ^ 【プロ野球】阪神加入の新井弟が入団会見、登録名は「新井良太」 産経新聞、2010年12月27日。
- ^ 同年同一球団は史上初!今度は新井兄がサヨナラ劇打 - スポニチ(2011年4月23日)
- ^ a b 阪神タイガース公式サイト:ファームコラム「兄と同じく苦しむ弟」より
[編集] 関連項目
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