森野将彦

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森野 将彦
中日ドラゴンズ #30
CD-Masahiko-Morino-2.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県横浜市保土ケ谷区
生年月日 1978年7月28日(33歳)
身長
体重
180cm
85kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 三塁手一塁手二塁手外野手
プロ入り 1996年 ドラフト2位
初出場 1997年6月24日
年俸 1億9000万円(2012年)
※2009年から5年契約中
経歴(括弧内は在籍年)
国際大会
代表チーム 日本の旗日本
五輪 2008年

森野 将彦(もりの まさひこ、1978年7月28日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手内野手)。

目次

[編集] 経歴

[編集] プロ入り前

小学校時代は川島イーグルスに所属、また横浜大洋ホエールズ友の会にも加入していた。東海大相模高校では1年生時よりレギュラーとして活躍し、1995年の春の選抜大会に出場。3年生時には主砲として、全国高等学校野球選手権神奈川大会準々決勝で横浜高校と対戦したが、松井光介に3四球敬遠と勝負を避けられ、唯一相手が勝負にきた打席では本塁打を打ったもののチームは惜敗した。高校通算38本塁打。1996年のドラフト会議中日ドラゴンズから2位指名を受け入団。

[編集] プロ入り後

ルーキーイヤーの1997年8月29日、ナゴヤドームでの対ヤクルト戦で8番・遊撃手で初先発し、プロ入り初本塁打を放った(高卒新人本塁打は中日では立浪和義以来)。

2002年から先発出場の機会が増える。

2005年井上一樹大西崇之英智らと左翼手の座を争った。立浪に代わって三塁手として出場することで出場機会を増やした。

2006年、背番号を31に変更(31にした理由は掛布雅之に憧れていたため)。三塁手の座を立浪と争っていたが、オープン戦で死球を受け右手小指を骨折。交流戦半ばに復帰し、故障の荒木雅博に代わり二塁を守る。6月25日、プロ入り初の満塁本塁打、サヨナラ安打を放ち活躍。荒木の復帰後、立浪から三塁手の座を奪う。一時打率3割、得点圏打率4割の活躍を見せて、初めて規定打席に到達。9月16日、山本昌ノーヒットノーランを達成した対阪神戦で、赤星憲広の三ゴロを失策。許した走者はこの1人だけだったために、完全試合を逃すプレーとなったが、試合後のインタビューで山本は「あのプレーがあったからこそ(ノーヒットノーランの)記録が達成できた」と発言した。打者は俊足の赤星憲広であったため、仮に上手く捌けていたら内野安打となり、ノーヒットノーランも達成できなかっただろうと山本昌自身が考えたためである。

2007年は三塁手中村紀洋の加入に伴い、主に左翼手として出場。その後は荒木の戦線離脱もあり、前半戦は二塁手としても出場。オールスターゲームに初出場を果たし優秀選手賞に選ばれた。後半戦以降は福留孝介の離脱もあり、中堅手右翼手としての出場も増え、打順は5番や3番を任された。この年バッテリー以外の全ポジションを経験。2年連続で規定打席に到達し、更に自己最高の打率.294、18本塁打を記録。本塁打と打点は前年よりほぼ倍増し、打線の中軸としての役割に応えた。日本シリーズでも4打点を挙げて優秀選手賞に選ばれた。

2008年は左翼手和田一浩の加入により主に中堅手として出場。春季キャンプで左手甲を骨折したが、開幕戦に7番・中堅手として出場。打順は開幕当初は7番だったが、6番を経て3番に戻る。5月に左ふくらはぎ肉離れで戦線を離脱するも7月5日に復帰。8月、北京オリンピック野球日本代表に選出。北京五輪後は故障の井端弘和に代わり1番を、タイロン・ウッズが不調の際には4番を任され、この年は2番・8番・9番以外の打順を経験した。自身初の打率3割を記録。8月、国内移籍が可能なFA権を取得。オフに球団と年俸変動制の5年契約を結んだ。

2009年は中村紀洋の移籍により主に三塁手として出場。開幕から3番を任されるが、開幕後の2ヶ月間は打率.250にも届かない不調に陥る。6月、一軍登録日数が9年に達し、海外移籍も可能なFA権を取得。6月からは打撃も復調。8月7日の対横浜戦で自身初となる1試合2本塁打・5安打と活躍。8月27日の対巨人戦でプロ入り13年目にして初の20本塁打を達成した。シーズン終盤は同僚のトニ・ブランコと打点王争いを繰り広げるも、最終的には1点差で2位に終わる。本塁打・打点は自身最多の成績を挙げた一方で、守備面では両リーグ最多の25失策と乱れた。

11月5日、この年で現役引退した立浪の背番号3の引継ぎを打診されたが、5年契約を結んだ契約更改の席上では前述の失策の多さ、ファンの多くが永久欠番になる事を期待した事などを理由として、時期尚早であると自ら保留。31は既に中川裕貴が着けることを発表していたため、野本圭が井上が着けていた9に変更するため、空いていた30を着けることとなった。

2010年は選手会長に就任。前年同様に開幕から3番に座り、春先は4割近い打率を残す絶好調ぶりを見せ、夏場のブランコの不振時には4番を任される試合もあった。一時調子を落とすことはあったもののシーズンを通して大きな好不調の波はなく、前年に次いでの全試合出場を達成。本塁打・打点は前年に及ばなかったものの、打率は自己最高の.327、2年連続・両リーグ通じて最多二塁打、球団新記録となる21回猛打賞を残し、チームリーダーとして和田一浩と共に4年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献。自身初となるベストナイン(三塁手部門)に選出された。

2011年は統一球の導入などの影響で打撃が不調に陥り、シーズン前半には6番や7番を打つ試合もあった。7月には自身初の月間MVPを獲得して復調の兆しを見せたものの、その後も調子が上がらず、規定打席に到達した2006~2010年に比べると成績が下がり、ランナーがいる場面では送りバントをする場面が多々見受けられた。全試合出場も途切れた。チーム最多の142試合に出場するなど選手会長としてチームを先導し、球団史上初となる連覇に貢献した。オフには体重が増えすぎて走塁面などに影響が出たという事で、2012年春季キャンプまでに5キロの減量をすることになった(中日スポーツより)。

[編集] プレースタイル

2008年から2010年までの通算の得点圏打率.384とチャンスに強く[1]、クリーンアップでの出場が多い。一塁到達4.25秒程度の走力を備えている[2]

外角球を苦手とする一方で[3]、内角球を得意とする[4][5]。左投手の変化球を苦手とし[6]、対左打率が3割を越えたシーズンがない。2008年から2010年までの通算の対右打率.332に対し、対左では.267しか残せていなく、特に2010年は右投手に打率.373と高打率を残したのに対し、左投手には打率.255と低迷した。3点本塁打が多いことから「ミスター3ラン」の異名を持つ(特に2007年はレギュラーシーズンで18本中8本。ポストシーズンで2本中1本が3ランだった)[7]。2007年までの通算55本中19本が3ランであった。

守備では内外野の複数のポジションを守っている。入団当初は遊撃手だったが、近年は主に三塁手外野手一塁手二塁手として起用されている。内・外野用のグラブを遠征でも持参しているため、三塁手専任となった2009年シーズンで初めて一塁手を守った6月10日の楽天戦でも自分のファーストミットで守備に就いた。2005年頃から三塁手としての出場機会が増えたが、2007年以降は中村紀洋の加入もあり外野守備に就く事も多くなり、2010年途中からは三塁でスタメン、終盤は守備固めで一塁に回るといった形となった。中村の退団により本格的に三塁手専任となった2009年以降はそれまでの外野でのプレーが内野守備の妨げになり(本人いわく外野と内野のスローイングの違いによるものだという[8])、失策が増えつつある。2010年には三塁手最多の失策こそ記録したものの、両リーグトップのUZR17を記録した他[9]RFや得点換算でも高い数値を残した[10][11]

バット、グラブはZETT製のものを使用している[12]

[編集] 人物

入団時から背番号の変遷が激しい。[13]

打席に入る際の登場曲に神奈川県出身のアーティストの曲を使用している。2009年はいきものがかりブルーバードを、2010年はゆず逢いたいを使用した。

中日のマスコットキャラクターであるドアラに似ている事をよくネタにされる。試合やヒーローインタビューなどでちょっかいを出したりと、仲は良いようである。

選手名鑑マニアである。これを示すエピソードとして、2009年シーズン前にCBCテレビで放送された「ドラゴンズクイズ2009」で、当時選手だった立浪和義の通算安打数を答えるクイズで、見事にぴったり2459本(2008年シーズン終了時)と言い当てた荒木雅博落合英二ブルブルの輪で証言している。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績

















































O
P
S
1997 中日 13 22 22 2 3 1 0 1 7 1 0 0 0 0 0 0 0 8 2 .136 .136 .318 .455
2000 28 46 45 3 7 0 1 2 15 6 0 0 0 1 0 0 0 9 0 .156 .152 .333 .486
2001 40 59 58 4 11 3 0 0 14 2 0 0 0 0 1 0 0 13 1 .190 .203 .241 .445
2002 84 211 191 20 43 12 0 5 70 14 0 1 4 0 15 3 1 42 4 .225 .285 .366 .652
2003 89 239 225 30 61 11 0 6 90 33 1 0 2 0 12 0 0 36 4 .271 .308 .400 .708
2004 80 180 162 14 44 8 1 4 66 21 0 1 2 2 14 3 0 34 2 .272 .326 .407 .733
2005 118 388 358 42 96 26 1 9 151 46 2 1 1 2 25 3 2 70 11 .268 .318 .422 .740
2006 110 469 428 58 120 19 0 10 169 52 0 1 8 5 26 2 2 53 8 .280 .321 .395 .716
2007 142 607 530 75 156 29 2 18 243 97 1 3 8 6 59 8 4 93 14 .294 .366 .458 .824
2008 96 412 358 63 115 25 1 19 199 59 1 0 3 5 46 0 0 60 4 .321 .394 .556 .950
2009 144 632 546 83 158 42 3 23 275 109 4 1 1 5 72 2 8 95 12 .289 .377 .504 .881
2010 144 626 547 85 179 45 2 22 294 84 2 3 2 7 64 4 6 77 16 .327 .399 .537 .936
2011 142 595 508 46 118 19 0 10 167 45 0 0 13 5 64 1 5 89 9 .232 .321 .329 .650
通算:13年 1230 4486 3978 525 1111 240 11 129 1760 569 11 11 44 38 398 26 28 679 87 .279 .346 .442 .788
  • 2011年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

[編集] 年度別守備成績


一塁 二塁 三塁 遊撃 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1997 - - - 9 10 15 4 2 .862 -
2000 - - - 11 10 20 2 3 .938 -
2001 - 10 10 17 0 2 1.000 3 0 0 0 0 ---- - -
2002 - 44 84 79 2 14 .988 14 5 11 1 0 .941 17 14 32 4 3 .920 -
2003 12 66 8 0 8 1.000 27 35 57 1 12 .989 13 2 6 0 0 1.000 41 59 81 5 15 .966 -
2004 35 184 10 3 26 .985 - 3 3 3 0 1 1.000 1 0 2 0 0 1.000 19 18 0 0 0 1.000
2005 7 14 0 0 0 1.000 - 69 33 120 4 11 .975 - 47 45 3 2 0 .960
2006 7 15 2 0 0 1.000 35 72 104 1 23 .994 87 64 137 6 7 .971 - 7 3 0 0 0 1.000
2007 11 26 1 0 3 1.000 33 86 86 3 21 .983 40 16 31 2 2 .959 2 0 0 0 0 ---- 99 156 4 1 0 .994
2008 3 2 0 0 1 1.000 2 8 2 0 0 1.000 60 23 42 2 5 .970 - 81 134 2 2 0 .986
2009 6 23 3 0 1 1.000 - 141 100 254 25 17 .934 - -
2010 29 54 3 0 11 1.000 - 143 97 283 19 31 .952 - -
2011 41 66 7 0 5 1.000 - 140 110 252 12 17 .968 - -
通算 151 450 34 3 55 .994 151 295 345 7 72 .989 713 453 1139 71 91 .957 81 93 150 15 23 .942 253 356 9 5 0 .986
  • 2011年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

[編集] 表彰

  • ベストナイン:1回(2010年)
  • 日本シリーズ優秀選手賞:1回 (2007年
  • 月間MVP:1回(2011年7月)
  • オールスターゲーム優秀選手賞:1回 (2007年第1戦)
  • オールスターゲームベストバッター賞:1回 (2010年第1戦)

[編集] 記録

初記録
節目の記録
  • 100本塁打:2010年4月13日、対横浜ベイスターズ4回戦(ナゴヤドーム)、8回裏に牛田成樹から右越2ラン ※史上260人目
  • 1000試合出場:2010年6月5日、対千葉ロッテマリーンズ4回戦(ナゴヤドーム)、3番・三塁手として先発出場 ※史上436人目
  • 1000本安打:2011年4月16日、対阪神タイガース2回戦(ナゴヤドーム)、6回裏に榎田大樹から左前安打 ※史上263人目
その他の記録

[編集] 背番号

  • 7 (1997年 - 1999年途中)
  • 8 (1999年途中 - 2001年途中、2004年 - 2005年)
  • 16 (2001年途中 - 2003年)
  • 31 (2006年 - 2009年)
  • 30 (2010年 - )

[編集] 登場曲

[編集] 脚注

  1. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2010』 白夜書房、2010年、34頁。ISBN 978-4-86191-595-6
  2. ^ 小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰 『プロ野球スカウティングレポート2011』 廣済堂出版、2011年、264-265頁。ISBN 978-4-331-51519-8
  3. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2008』 白夜書房、2008年、35頁。ISBN 978-4-86191-374-7
  4. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2007』 白夜書房、2007年、84頁。ISBN 978-4-86191-246-7
  5. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2009』 白夜書房、2009年、111頁。ISBN 978-4-86191-508-6
  6. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2011』 白夜書房、2011年、89頁。ISBN 978-4-86191-710-3
  7. ^ 森野「ミスター3ラン」本領発揮日刊スポーツ、2007年9月22日。
  8. ^ 森野「失策王」返上だ中日スポーツ、2009年6月25日。
  9. ^ Baseball Lab守備評価~Third BasemanSMR Baseball Lab
  10. ^ 守備「選手別」三塁手データSMR Baseball Lab
  11. ^ 守備を得点換算で評価するSMR Baseball Lab
  12. ^ 野球を科学する。ゼット株式会社|プロ スタッフ|Central LEAGUE|森野 将彦
  13. ^ 当初は高卒ながら一桁の7が用意されるが、1998年に入団した李鍾範の希望により1999年に8に、2001年は波留敏夫の移籍入団に伴い空き番の16に、それぞれシーズン途中で変更。2004年、落合博満監督の「主力にふさわしい番号を与える」という方針により再び8に変更となるが、2006年の平田良介の入団で31に変更された。2010年より立浪和義がつけていた3の承継を打診されていたが、本人の要望により、3は承継しなかった(3は2011年から立浪の高校の後輩でもある新人の吉川大幾がつける)。既に中川裕貴31に変更されることが発表されていた為、2010年からは野本圭が着けていた30を背負うこととなった。 経歴に書いてあることと重複

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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