畠山和洋

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畠山 和洋
東京ヤクルトスワローズ #33
YS-Kazuhiro-Hatayama.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 岩手県花巻市
生年月日 1982年9月13日(31歳)
身長
体重
180 cm
96 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手左翼手三塁手
プロ入り 2000年 ドラフト5位
初出場 2004年8月6日
年俸 6,400万円(2014年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

畠山 和洋(はたけやま かずひろ、1982年9月13日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手内野手外野手)。愛称は「Boo(ブー)」。

来歴[編集]

プロ入り前[編集]

小学校から野球を始め、4年時には地元の少年団チームに加入した。当時は野球だけでなくバスケットボールなど他のスポーツも楽しんでいた。進学した花巻市立湯口中学校にはバスケ部が無かったため、野球に集中する。抜きん出た飛距離のバッティングで活躍したが、フォームは我流であった。中学3年の時に県大会で優勝している。その後、実兄がエースを務めており、1972年に実父も投手として所属し選抜出場を果たしている、専修大学北上高等学校に進学した。1年から三塁のレギュラーに定着し、打撃フォーム矯正にも成功した[1]

1998年第80回全国高等学校野球選手権大会では、如水館高校との1回戦で、引き分け再試合を含む2試合に5番三塁で先発出場。計7打数6安打3打点と早くも頭角を現すが、チームは惜しくも再試合で敗退した。2000年第82回全国高等学校野球選手権大会は一回戦で森岡良介がいた明徳義塾高校と対戦し敗退。自身も4打数無安打であった。

1年後にヤクルトから2巡目で指名を受ける梶本勇介は、高校の1年後輩である。当時は2年生の梶本がエースで4番をつとめており、畠山は3番三塁での出場であった。

2000年のドラフト5位で、ヤクルトスワローズから指名を受け、入団にいたる。高校通算62本塁打と長打力はあったものの、待って取る守備や、走塁能力の低さなどから評価を下げ、下位指名となっている。

プロ入り後[編集]

新人ながら2軍のレギュラーに定着し、2002年に19本塁打・56打点でイースタン・リーグの本塁打王・打点王の二冠に輝いた。ただし打率.259、72三振という数字が示す通り、この頃の打撃は確実性に欠けていた。また19失策は中島裕之に次いでイースタン・リーグ2位だった。

2004年8月にアレックス・ラミレスと入れ代わって一軍に初昇格し、8月6日の対横浜ベイスターズ戦で初出場を果たした。この時は代打で2試合に出場するも結果を出せず、すぐに降格した。10月に再昇格して10月7日の対読売ジャイアンツ戦で、高橋尚成からプロ初安打を放った。

2005年8月19日に古田敦也と入れ代わって昇格し、その日の阪神タイガース戦(明治神宮野球場)に代打出場すると、藤田太陽からプロ初本塁打を放った。その後、9月まで代打を中心に出場するも11打数2安打2打点に終わる。打席での消極性が指摘されるなど評価は芳しくなく、一軍定着の機会を逃した。

2006年はキャンプから不調が続き、2軍スタートとなる。6月に昇格するも7打数無安打と結果を残せなかったが、2軍では好調を維持して打率.313・7本塁打・101安打で最多安打を獲得している。さらに外野手としても45試合に出場。当時2軍監督だった小川淳司は畠山について「確実性を意識すると長打が減ってしまう」と指摘し、目標を高く置くよう求めていた。

2008年からはスピードを重視する高田繁の方針もあって、キャンプ・オープン戦は2軍でスタート。開幕後も2軍で過ごしていたが、川島慶三の故障やアダム・リグスの不振もあって4月8日に昇格すると、4月15日の対横浜ベイスターズ戦で本塁打を放つなど幸先の良いスタートを切った。5月18日の対阪神タイガース戦ではアーロン・ガイエルに代わって初めて4番・三塁手で出場し、シーズン終盤まで4番として出場。4番に定着して以降はプレッシャーからか長く本塁打が出ず、7月22日に4番打者として初めて本塁打を放った際には話題となった。また推定年俸900万円の、12球団で最安値の四番打者としても注目を集めた(ちなみに当時4番打者で最高額年俸の選手は中日ドラゴンズタイロン・ウッズの約6億5800万円)。最終的に121試合に出場し、自己最多の9本塁打・58打点をマークしている。打率も9月に低下したものの.279を記録し、プロ入り初の規定打席到達を果たした。好球を待って右方向に流す安打が多く、53四球はチーム最多(セ・リーグ7位)であった反面、三塁手として6失策、一塁手として5失策と守備に安定感を欠き、4番打者ながら試合終盤には代走や守備固めによって交代したケースも多かった。

2009年ジェイミー・デントナの加入により、開幕直後は主に代打での出場となったが、代打で打率3割を上回るなど好調を維持し続けた。しかし交流戦頃から徐々に調子を落とし、8月にはデントナと宮本慎也の離脱によってスタメン出場の機会が巡ってきたものの調子は上がらず、低調なままシーズンを終えた。打率.236・4本塁打・19打点、得点圏打率は.172と、前年よりも成績を落とす。

2010年も当初は代打起用が大半だったが、デントナの不振によって6月下旬からスタメン起用が増え、オールスターゲーム以降はレギュラーに定着。途中加入で左打ちのジョシュ・ホワイトセルと共に後半戦のチームの快進撃の立役者となる。93試合出場ながら自己最多の14本塁打を記録し、出塁率.380・長打率.551と結果を残した。三塁手の他に左翼手を任されるが、経験の浅さから打球の目測を誤ったり、送球難を露呈してしまうなど、守備面での課題を残した。

2011年は開幕スタメンこそ逃したが、ジョシュ・ホワイトセルの怪我で4番で初スタメンとなった試合で2本塁打の活躍。その後は4番として一塁手とホワイトセル出場時は左翼として出場し、オールスターゲームにファン投票で選出。自身初の選出となった。7月22日、第1戦の5回に武田勝から勝ち越しの3点本塁打を打ちMVPを獲得した[2]。後半戦は終盤に調子を落としたが、それでもシーズンを通してチームの4番として恥じない活躍を見せ、リーグ2位の23本塁打、リーグ3位となる85打点、リーグ2位のOPS.834、さらにリーグトップの78四球を記録した。自身初の1年間登録抹消されずにシーズンを送った。

2012年は開幕から調子が上がらず、4番を外され下位打線で起用されることもあったが、オールスターゲームには監督推薦で選出され、2年連続の出場を果たす。地元・岩手県営野球場で初の球宴開催となった7月23日の第3戦では、全セ・4番でスタメン出場。4回に塩見貴洋からソロ本塁打を放つなど、4打数2安打1打点をマークし、敢闘選手賞を獲得した[3]

2013年はオープン戦で首位打者を獲得するなど、好調なスタートを切ったとに思われたがシーズンが開幕すると調子を下げ6月17日に登録を抹消される。7月5日に再登録され、復帰戦でHRを放つなど復調の兆しを見せるも結局打率は2割前半からなかなかあがらなかった。8月末には好調だった松元ユウイチにファーストのポジションを譲るような形で二軍落ち。9月には戸田球場での守備練習中に左脇腹を痛めて戦線を離脱することになり残りのシーズンを棒に振った。

プレースタイル[編集]

チームトップクラスの長打力を持ち味とする[4]。2008年から2011年までにかけての通算の対右打率.260に対し対左打率.301と左投手に強く、2011年には本塁打の8割以上を左方向に運んだが[5]、外角球を右方向に飛ばす打撃も持ち味とし[6][5]、2011年には2ストライクに追い込まれてからは右方向に運ぶなどカウントに応じた打撃も上達させた[5]。8打席に1つ近い割合で四球を選べる選球眼も持ち、2010年には打率.313を残すなどボールゾーンの球にも対応できる[7]

クラウチングスタイルのような身体を深く沈めるフォームで[8]、安定感に欠けるため緩急や変化球に弱く[8][9]、内角球の対応にも弱点を抱えていた[10]。リーグ2位のOPS.834を記録した2011年にはホームベース方向に身体をかがめてバットを構えてゆっくりと左ひざを上げ、そこからつま先をピンと伸ばしてタイミングを計りバットを振り出す独特なフォームに取り組み[11]、2010年までは速球に合わせて緩い球に対応するためのシンプルな待ち方をしていたが、2011年からは早めにトップを作ると同時に左足を上げてゆっくりステップする待ち方に変えたため、ボールを長く見ることができるようになったという[12]

走塁面では一塁到達4.4秒台と走力は平均を下回る[13]。守備では主に一塁手三塁手で起用される他、左翼手で起用されたこともあるが、2010年には左翼守備では平均を下まわる守備得点を記録した[14]

ドーム球場での成績が悪く、2011年は明治神宮野球場で打率.299、阪神甲子園球場で打率.286、横浜スタジアムで打率.268、マツダスタジアムで打率.286に対し、東京ドームで打率.150、ナゴヤドームで打率.167という成績だった。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2004 ヤクルト 4 9 8 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 .125 .222 .125 .347
2005 11 13 11 1 2 0 0 1 5 2 0 0 0 0 2 0 0 5 0 .182 .308 .455 .762
2006 7 7 6 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 3 0 .000 .143 .000 .143
2007 37 88 75 4 17 2 0 1 22 7 0 1 2 0 10 0 1 20 2 .227 .326 .293 .619
2008 121 479 416 43 116 22 2 9 169 58 2 1 1 4 53 2 5 84 11 .279 .364 .406 .770
2009 85 214 182 14 43 8 1 4 65 19 0 1 1 4 27 0 0 31 7 .236 .329 .357 .686
2010 93 280 243 38 73 17 1 14 134 57 0 0 1 3 28 1 5 38 7 .300 .380 .551 .931
2011 142 583 494 66 133 24 1 23 228 85 1 0 1 4 78 5 6 94 10 .269 .373 .462 .834
2012 121 497 455 49 121 21 1 13 183 55 2 1 1 2 37 0 2 64 13 .266 .323 .402 .725
2013 99 393 360 28 79 18 0 12 133 51 0 0 2 1 30 1 0 69 10 .219 .279 .369 .648
通算:10年 720 2563 2250 243 585 112 6 77 940 334 5 4 9 18 267 9 19 408 60 .260 .341 .418 .759
  • 2013年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績[編集]

年度 一塁 三塁 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2004 2 13 0 0 1 1.000 - -
2005 2 7 0 0 0 1.000 2 0 0 0 0 - -
2007 15 101 9 0 2 1.000 11 5 17 2 0 .917 -
2008 88 666 46 5 42 .993 24 12 34 6 6 .885 -
2009 35 175 15 2 11 .990 30 15 40 3 3 .948 -
2010 15 54 6 1 2 .984 16 6 15 2 0 .913 48 51 2 0 0 1.000
2011 111 635 50 4 54 .994 3 7 5 0 1 1.000 62 84 3 2 0 .978
2012 121 1006 77 7 94 .994 - -
2013 97 781 55 4 57 .995 - -
通算 486 3438 258 23 263 .994 86 45 111 13 10 .923 110 135 5 2 0 .986

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
その他記録

背番号[編集]

  • 33 (2001年 - )

脚注[編集]

  1. ^ 雑誌「週刊ベースボール」(ベースボールマガジン社刊)2008年6月16日号35-39ページ『白球入魂「ノーチャンス - 畠山和洋~畠山,正直なバッティングで流れを掴む」』
  2. ^ 畠山、勝ち越し3ランでMVP/球宴 - 2011年7月23日
  3. ^ 熱い盛岡 畠山凱旋弾 フルスイングで恩返し - 2012年7月24日
  4. ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2008』 アスペクト、2008年、239頁。ISBN 978-4-7572-1439-2
  5. ^ a b c 『週刊プロ野球データファイル』2011年29号、ベースボール・マガジン社、雑誌27742-11/2、9-10頁。
  6. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2003』 白夜書房、2003年、29頁。ISBN 4-89367-854-X
  7. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2011』 白夜書房、2011年、128頁。ISBN 978-4-86191-710-3
  8. ^ a b 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2009』 アスペクト、2009年、270頁。ISBN 978-4-7572-1628-0
  9. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2008』 白夜書房、2008年、75頁。ISBN 978-4-86191-374-7
  10. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2009』 白夜書房、2009年、130頁。ISBN 978-4-86191-508-6
  11. ^ ヤクルト・畠山和洋、二人三脚でつかみ取った4番の座Web Sportiva、2011年5月11日。
  12. ^ 煌めく旬な選手インタビュー Vol.15 畠山和洋『週刊ベースボール』2011年35号、ベースボール・マガジン社、雑誌20442-8/8、112-115頁。
  13. ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2010』 アスペクト、2010年、122頁。ISBN 978-4-7572-1744-7
  14. ^ 守備を得点換算で評価するSMR Baseball lab

関連項目[編集]