正田樹
| 東京ヤクルトスワローズ #61 | |
|---|---|
2012年3月16日、明治神宮野球場にて
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 群馬県太田市 |
| 生年月日 | 1981年11月3日(31歳) |
| 身長 体重 |
188 cm 88 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1999年 ドラフト1位 |
| 初出場 | NPB / 2000年8月6日 CPBL / 2009年3月29日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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正田 樹(しょうだ いつき、1981年11月3日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手(投手)。
目次 |
来歴・人物 [編集]
プロ入り前 [編集]
群馬県太田市出身。太田市立北中学校では軟式野球部の投手兼一塁手を務めていた[1]。桐生第一高校に進み、3年時には夏の甲子園に出場。エースとして3完封の活躍をし、群馬県代表初となる夏の甲子園での優勝に貢献した。高校では1学年上のエースに小林正人、1学年下に一場靖弘と大廣翔治がおり、小林と一場がエースだった年も夏の甲子園に出場しているが、ともに初戦で敗れている。
1999年のドラフト会議で日本ハムファイターズから1位指名を受けて入団。
日本ハム時代 [編集]
ルーキーの2000年、新人監督大島康徳に一軍で登板機会を与えられ、同年のフレッシュオールスターゲームに1歳上の同僚実松一成と共にイースタン・リーグ選抜先発バッテリー務めウェスタン・リーグ選抜先発投手の同じ1位指名の高卒新人左腕河内貴哉と投げ合った。この年は日本ハムの商品「ナポリピザ」のCMにも起用されていた[2]。
2002年には課題だった制球難を克服し、5月3日の対ダイエー戦では松中信彦に通算100本塁打となるソロ本塁打を浴びるも、その1失点のみに抑える完投勝利でプロ初勝利をあげた。9勝11敗、防御率3.45の成績を残し、パ・リーグの新人王を獲得。
2003年は27イニング連続無失点を記録したものの、春季キャンプで発症した左肩痛の影響もあり5勝15敗に終わった。この年以降、再び制球難になり、一軍では四死球数が増加。2004年は8勝5敗と健闘したものの、翌2005年は2勝6敗と再び精彩を欠いた。2006年はダルビッシュ有、八木智哉の台頭もあって一軍登板なしに終わり、二軍のイースタン・リーグでも防御率5点台と結果を出せなかった。
阪神時代 [編集]
2007年シーズン開幕直前の3月20日、金澤健人との交換トレードで阪神タイガースに移籍。同年は一軍登板はなく、二軍のウエスタン・リーグでは投球回数を上回る安打を浴びて防御率6.00に終わった。
2008年も一軍登板はなく、二軍では5点近い防御率に終わった。結局阪神では一度も一軍登板することなく、10月2日に戦力外通告を受けた。その後12球団合同トライアウトに参加したが、獲得する国内球団はなかった。この時期の様子は、TBSテレビの年末番組『プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達』で取り上げられた。
台湾・アメリカ球界時代 [編集]
2009年1月14日、台湾プロ野球球団の入団テストを受けるため台湾に渡り、興農ブルズのキャンプに参加。1月23日、仮契約に至った。しかし、野球賭博の影響による球団数減少によって投手陣が充実した興農が、即戦力の先発ローテーション投手のみを採用する方針としたため、1月中に予定されていた最終テストの合否判定は延期されて、最終的に入団テストに合格したのは開幕直前の3月上旬であった[3]。3月29日の対La Newベアーズ戦で開幕投手を務めるが、1/3回、打者8人に対し4安打3四球の7失点でノックアウトされた[4]。しかし、次の登板の4月4日には同じLa Newを7奪三振の無四球で6回無失点に抑えた[5]。その後はシーズンを通して先発ローテーションの一角を担い、27試合(うち先発25試合)に登板し、防御率4.44, 14勝6敗、奪三振115の成績で勝投王(最多勝利)と三振王(最多奪三振)のタイトルを獲得した。11月から12月にかけてドミニカのウィンターリーグにヒガンテスの一員として参加し、メジャーリーグ進出を図ったが、2010年も興農でプレーすることになった。
2010年は、2年連続となる興農の開幕投手を務めた。32試合に登板し、11勝5敗、防御率2.81。リリーフとしての起用が増えたため、勝ち数は減ったが登板数は増えた。前年4点台だった防御率は2点台と改善されている。成績は尻上がりに向上し9月・10月期は6試合(うち先発5試合)に登板し、34イニングを投げて3勝1敗、防御率0.794で月間MVPを獲得した。同年に興農に入団した高津臣吾と同一試合で投げることも多く、中継ぎの沈鈺傑らとともに5年ぶりの半季リーグ優勝に貢献した。しかし、11月23日、興農から来季の契約を結ばないという通告を受けたことが本人のブログにて報告された[6]。チームが経営難であり外国人選手と契約を結ばないという方針が出されたことによるものであった[7]。11月に複数のMLB球団が参加するトライアウトに挑戦。
2011年2月13日にボストン・レッドソックスとマイナー契約を結び[8]、スプリングトレーニングに招待選手として参加するが、3月29日に解雇された[9]。
独立リーグ時代 [編集]
4月8日、新潟アルビレックスBCへの入団が発表された[10]。前年まで興農で共にプレーしていた高津と再び同じチームでプレーすることとなった[7]。記者会見で「野球が出来ることが一番です」と語っている[7]。2011年のシーズンはシーズンインの準備が遅れた影響で前期日程は0勝4敗防御率3.72の成績であったが、後期は調子をあげ最終的には年間通して23試合に登板し、3勝5敗1セーブ防御率3.00でチームの後期優勝に貢献し、更に地区チャンピオンシップでも好投し地区優勝に貢献した。11月24日、東京ヤクルトスワローズと入団が合意したことが発表され[11]、12月1日に年俸800万で正式契約をおこない4年ぶりにNPBに復帰した[12]。独立リーグから日本プロ野球への復帰は山田秋親以来二人目。
ヤクルト時代 [編集]
2012年2月1日から行なわれる春季キャンプでは沖縄県浦添市で開催される一軍キャンプのメンバーに選ばれた[13]。6月8日、交流戦の対千葉ロッテマリーンズ戦で7年ぶりの国内公式戦に登板し、その後も主にビハインドでの場面で起用される。最終的には24試合を投げて3ホールドを記録。シーズン後の契約更改では12月4日に300万円増の1100万円でサインした[14]。
2013年5月17日、交流戦である対千葉ロッテ戦で中継ぎ登板し、8年(2952日)ぶりの勝利を挙げた[15]。
プレースタイル [編集]
スライダー、スクリューボールや速球と変わらないフォームから繰り出す落差の大きいカーブが最大の武器[16]。しかし、立ち上がりが不安定なことが多く、左の中継ぎとなることを期待されていた阪神時代を除いては主に先発投手として起用されている。また、台湾時代から三振を取った時などのガッツポーズが派手になっている。
詳細情報 [編集]
年度別投手成績 [編集]
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2000 | 日本ハム | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 32 | 6.0 | 11 | 0 | 3 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 3 | 3 | 4.50 | 2.33 |
| 2001 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 14 | 2.0 | 1 | 1 | 6 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 3 | 2 | 9.00 | 3.50 | |
| 2002 | 23 | 23 | 5 | 2 | 0 | 9 | 11 | 0 | -- | .450 | 639 | 156.2 | 145 | 12 | 37 | 0 | 6 | 90 | 6 | 3 | 66 | 60 | 3.45 | 1.17 | |
| 2003 | 26 | 26 | 1 | 1 | 0 | 5 | 15 | 0 | -- | .250 | 604 | 134.0 | 152 | 21 | 66 | 0 | 5 | 60 | 7 | 0 | 94 | 86 | 5.78 | 1.63 | |
| 2004 | 17 | 17 | 0 | 0 | 0 | 8 | 5 | 0 | -- | .615 | 411 | 86.1 | 102 | 10 | 57 | 0 | 2 | 51 | 4 | 0 | 64 | 48 | 5.00 | 1.85 | |
| 2005 | 12 | 12 | 0 | 0 | 0 | 2 | 6 | 0 | 0 | .250 | 288 | 60.1 | 79 | 8 | 36 | 0 | 0 | 31 | 5 | 0 | 49 | 42 | 6.27 | 1.91 | |
| 2009 | 興農 | 27 | 25 | 3 | 0 | 0 | 14 | 6 | 0 | 0 | .700 | 687 | 158.0 | 191 | 10 | 36 | 0 | 2 | 115 | 4 | 0 | 87 | 78 | 4.44 | 1.44 |
| 2010 | 32 | 24 | 1 | 0 | 0 | 11 | 5 | 0 | 1 | .688 | 693 | 166.1 | 167 | 9 | 33 | 2 | 5 | 116 | 3 | 0 | 65 | 52 | 2.81 | 1.24 | |
| 2012 | ヤクルト | 24 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | ---- | 108 | 25.1 | 31 | 0 | 5 | 0 | 2 | 14 | 0 | 1 | 9 | 8 | 2.84 | 1.42 |
| NPB:7年 | 108 | 79 | 6 | 3 | 0 | 24 | 37 | 0 | 3 | .393 | 2096 | 470.2 | 521 | 52 | 210 | 0 | 15 | 253 | 22 | 4 | 288 | 249 | 4.76 | 1.55 | |
| CPBL:2年 | 59 | 49 | 4 | 0 | 0 | 25 | 11 | 0 | 1 | .694 | 1380 | 324.1 | 358 | 19 | 69 | 2 | 7 | 231 | 7 | 0 | 152 | 130 | 3.60 | 1.34 | |
- 2012年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル [編集]
- CPBL
表彰 [編集]
- NPB
- 新人王(2002年)
- CPBL
- 月間MVP(2010年9・10月)
記録 [編集]
- NPB
- 初登板:2000年8月6日、対福岡ダイエーホークス21回戦(いわきグリーンスタジアム)、5回表に4番手で救援登板、1回無失点
- 初奪三振:2000年8月10日、対大阪近鉄バファローズ21回戦(大阪ドーム)、6回裏に鷹野史寿から
- 初先発:2001年8月7日、対大阪近鉄バファローズ17回戦(大阪ドーム)、2回0/3を3失点
- 初勝利・初完投勝利:2002年5月3日、対福岡ダイエーホークス6回戦(東京ドーム)、9回1失点
- 初完封勝利:2002年6月22日、対福岡ダイエーホークス14回戦(香川県営野球場)
- 初ホールド:2012年6月24日、対読売ジャイアンツ11回戦(東京ドーム)、11回裏に4番手で救援登板、1/3回無失点
独立リーグでの成績 [編集]
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
完 投 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ | ブ |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ | ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
奪 三 振 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2011 | 新潟 | 23 | 0 | 3 | 5 | 1 | .375 | 252 | 63.0 | 61 | 3 | 8 | 1 | 45 | 1 | 0 | 27 | 21 | 3.00 | 6.43 | 1.10 |
| 通算:1年 | 23 | 0 | 3 | 5 | 1 | .375 | 252 | 63.0 | 61 | 3 | 8 | 1 | 45 | 1 | 0 | 27 | 21 | 3.00 | 6.43 | 1.10 | |
背番号 [編集]
- 28 (2000年 - 2006年)
- 20 (2007年 - 2008年)
- 75 (2009年 - 2011年)
- 61 (2012年 - )
脚注 [編集]
- ^ 正田樹オフィシャルサイト・プロフィール2009-08-29閲覧。
- ^ 正田樹のCM出演履歴一覧 ORICON STYLE, 2011年4月10日閲覧。
- ^ TBSテレビ『バース・デイ』、2009年4月27日放送。
- ^ 陽建福第3週才出賽 (NOWnews) 2009年12月6日閲覧。
- ^ 正田樹雪恥 牛迎4連勝(自由電子報)2009年12月6日閲覧。
- ^ “正田樹オフィシャルウェブサイト”
- ^ a b c 「プロ野球開幕スペシャル 俺たちはまだ負けられない」…TBS 2011年5月7日
- ^ “元ハムドラ1左腕・正田 Rソックスとマイナー契約”. スポーツニッポン. (2011年2月12日)
- ^ “レッドソックス 正田を解雇…2A予定も選手枠空かず”. スポーツニッポン. (2011年3月30日)
- ^ “新入団選手のお知らせ”. 新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ. (2011年4月8日)
- ^ “選手獲得のお知らせ”. 東京ヤクルトスワローズ. (2011年11月24日)
- ^ “正田 ヤクルトで石井弘の背番号「61」継承”. スポーツニッポン. (2011年12月1日)
- ^ 東京ヤクルトスワローズ公式サイト「春季沖縄キャンプ参加メンバー」より
- ^ “ヤクルト - 2013年度契約更改”. サンケイスポーツ 2013年2月28日閲覧。
- ^ “正田 2952日ぶり白星 パ新人王から台湾、米、独立L経た苦労人”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2013年5月17日) 2013年5月17日閲覧。
- ^ 「男の野球道・正田樹」『週刊ベースボール』ベースボールマガジン社、2009年11月16日号、43 - 47ページ。
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
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