三瀬幸司

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三瀬 幸司
中日ドラゴンズ #39
SH-Koji-Mise.jpg
ソフトバンク時代
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 香川県観音寺市
生年月日 1976年3月11日(35歳)
身長
体重
177cm
77kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2003年 ドラフト7巡目
初出場 2004年3月28日
年俸 3,800万円(2012年)
経歴(括弧内は在籍年)

三瀬 幸司(みせ こうじ、1976年3月11日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手投手)。香川県観音寺市出身。

目次

[編集] 経歴

[編集] プロ入り前

観音寺第一高校入学時は外野手であったが、当時の監督に勧められ投手に転向。岡山理科大学は二部リーグで、本人曰く「うちの高校のほうが強いんじゃないかというぐらいのチーム」だった。当時は全くの無名選手だったため、高校は一般入試で、大学は野球とは関係ない指定校推薦でそれぞれ入学している[1]

大学卒業後は野球をやめるつもりで就職活動をしていたが、父親の知り合いの紹介で社会人野球NTT四国のテストを受け高評価を得る。しかしこの年のNTT四国は既に新人の枠が一杯だったため、まだ枠に余裕のあったNTT中国を紹介され、1998年NTT西日本に入社[1]。翌1999年に同チームが「NTT西日本中国クラブ」としてクラブチーム化されて以後も活動を続けた。当時NTT中国の本拠地は広島市民球場の隣であったが、広島東洋カープのスカウトが見に行った試合はいつも打たれたため、スカウトの目に留まることは無かった。

2003年、この年限りでの休部が決まっていたNTT西日本中国クラブのエースとして、都市対抗野球大会中国地区第1代表を獲得。1回戦(対大阪ガス戦)に先発し敗戦投手になったが、キレのある変化球に数球団のスカウトが注目した。しかし当時、プロ野球のスカウトの間では「三瀬はNTT西日本に移籍する」と言われていたため、プロからの誘いは(後述の福岡ダイエーを除き)来ることはなかったという[1]

本人は「休部を機に社会人野球をやめて草野球でもやろう」というつもりだったというが、本人の意向を知った福岡ダイエーホークスから「辞める前に試しにテストを受けてみれば」との誘いがあり入団テストを受けたところ、当時の投手コーチだった尾花高夫らから高評価を受け[1]、同年秋のドラフト会議で同球団から7巡目指名を受けて入団。28歳でのプロ入りだった。

[編集] プロ入り後

2004年、新人ながらチーム事情により抑えを任されオールスターゲームに監督推薦で出場。9月14日には自己最速となる149km/hを計測し、最終的に横山道哉日本ハム)と並び32セーブポイントで最優秀救援投手城島健司と共に最優秀バッテリー賞を獲得。新人での最優秀救援投手は与田剛1990年)以来二人目。新人での最優秀バッテリー賞受賞は史上唯一。新人王にも選出され、28歳7ヶ月での受賞はパ・リーグ最年長受賞者となった。

2005年は開幕から好調で、4月22日西武戦で10セーブ目を挙げた。開幕から24試合目での2桁セーブ到達はプロ野球史上最速記録となった。しかし、5月1日のロッテ戦で調整登板をした際に、ベニーに3点本塁打を浴びてシーズン初失点を喫すると、以後は別人のように投球が乱れるケースが増加。6月2日の阪神戦では、9回裏に金本知憲の頭部にボールをぶつけてしまい、危険球により退場。7月4日の楽天戦では10球連続ボールを含む3連続四球と大乱調で二軍降格となった。以後は主に対左打者のワンポイントリリーフとして登板。

2010年6月24日清水将海との交換トレード中日ドラゴンズへ移籍[2]。移籍後に一軍登録され、中継ぎで登板するも結果が出ずにその後は二軍生活であったが、クライマックスシリーズより一軍に合流し、日本シリーズでも有資格者に選ばれて日本シリーズ初登板を果たした。

2011年は、開幕一軍入りを果たす。6月5日の対ロッテ戦(ナゴヤドーム)では移籍後初、2008年以来3年ぶりの勝利を飾るもその後は不調で二軍降格。7月に復帰するとその後は一軍に留まり計44試合に出場、ホールド数は2005年と2006年に記録した11ホールドに次ぐ7ホールドを記録した。

[編集] プレースタイル

ストレートは140km/h台前半だがキレが良く、スライダーシュートカーブフォークなどの多彩な変化球と組み合わせる。

スリー・クォーターともサイドスローともとれるフォームからキレのある球をコースいっぱいに投げ込む。クロスファイヤー気味の投球を用い右左の打者の相性を苦にせずテンポよく打ち取るのが持ち味。

[編集] 人物

愛称は、名前から三瀬店長(三瀬→店)。また、初めてのお立ち台で「毎日沢山の皆様にお越し頂きまして、ありがとうございます!」と店長のようなコメントをした事も、愛称の由来の一つである。

プロ入り前は阪神ファンであった(岡山理科大学時代に「三瀬君のページ がんばれ阪神Tigers」という名でホームページを作成していた)。

契約更改は基本的に一発サイン。増額なら感謝を述べ、減俸では自分の成績への反省の弁を述べる。

福岡ダイエー時代にバッテリーを組んだ城島健司とは、城島がメジャーリーグに移籍した後も交友が続いており、2011年現在もオフシーズンの自主トレーニングを合同で行っている[3](同郷で2010年より同僚である鈴木義広を誘った事もある)。また城島の影響で釣り(特に磯釣り)を趣味とするようになり[4]、2011年には福岡市の釣具メーカー「AURA」の商品カタログに後輩の攝津正と共に登場している[5]

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別投手成績





















































W
H
I
P
2004 ダイエー
ソフトバンク
55 0 0 0 0 4 3 28 -- .571 279 67.2 47 6 19 2 9 71 3 0 28 23 3.06 0.98
2005 54 0 0 0 0 2 2 18 11 .500 191 45.2 30 8 20 1 7 45 0 0 24 24 4.73 1.09
2006 40 0 0 0 0 1 3 1 11 .250 130 32.2 26 2 9 4 2 15 0 0 17 17 4.68 1.07
2007 28 0 0 0 0 0 1 0 4 .000 75 18.1 12 1 5 0 5 17 0 0 6 5 2.45 0.93
2008 44 0 0 0 0 2 1 0 5 .667 145 35.0 28 5 14 0 2 25 3 0 16 16 4.11 1.20
2009 17 0 0 0 0 0 1 0 0 .000 92 20.0 26 1 8 1 0 19 2 0 14 14 6.30 1.70
2010 6 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 19 3.1 6 0 3 0 0 2 1 0 5 4 10.80 2.73
中日 6 0 0 0 0 0 1 0 1 .000 18 3.0 5 0 4 0 0 3 0 0 5 5 15.00 3.00
'10計 12 0 0 0 0 0 1 0 1 .000 37 6.1 11 0 7 0 0 5 1 0 10 9 12.79 2.84
2011 44 0 0 0 0 1 1 0 7 .500 149 35.1 38 0 7 0 3 25 0 1 17 16 4.08 1.27
通算:8年 294 0 0 0 0 10 13 47 39 .435 1098 261.0 218 23 89 8 28 222 9 1 132 124 4.28 1.18
  • 2011年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • ダイエー(福岡ダイエーホークス)は2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更

[編集] タイトル

[編集] 表彰

[編集] 記録

[編集] 背番号

  • 57 (2004年 - 2010年途中)
  • 39 (2010年途中 - )

[編集] 脚注

  1. ^ a b c d 東京中日スポーツ・2011年5月12日付 3面「旬撃 -竜戦士を直撃-」
  2. ^ トレードについて
  3. ^ 阪神・城島が佐世保での自主トレを公開 - デイリースポーツ・2011年1月9日
  4. ^ 東京中日スポーツ・2011年5月16日付 3面「CD連覇へ」
  5. ^ AURA Catalog 2011 pp.28 - 29

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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