衣川篤史
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | 兵庫県宝塚市 |
| 生年月日 | 1981年3月20日(30歳) |
| 身長 体重 |
179cm 93kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 捕手 |
| プロ入り | 2006年 大学生・社会人ドラフト4巡目 |
| 初出場 | 2008年5月13日 |
| 最終出場 | 2010年6月7日 |
| 年俸 | 850万円(2010年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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衣川 篤史(きぬがわ あつし、1981年3月20日 - )は、元プロ野球選手(捕手)である。
目次 |
[編集] プレースタイル
捕手らしいがっしりとした体格ながら、捕ってから投げるまでが素早く、盗塁を刺す場面も見られる。課題はリード・捕球面とされている。本塁打を量産するタイプではないものの、打撃は得意なタイプの捕手である。二軍では勝負に絡む場面での安打も見られ、将来に期待がかかる。
[編集] 来歴・人物
[編集] アマチュア時代
大商学園高校から岐阜聖徳学園大学に進学。同期の星野八千穂(現日ハム打撃投手)とバッテリーを組み、神宮球場で行われた選手権大会に出場する大きな原動力となった。大学4年時にはシュアな打撃でドラフト候補と報道されたものの、プロからの声はかからなかった。
社会人野球の昭和コンクリートへ進んだものの、チームは2003年の夏をもって活動休止となり、住友金属鹿島へ転籍。住友金属鹿島では正捕手の座をつかみ、都市対抗野球大会連続出場に貢献した。社会人通算4年目となる2006年、第77回都市対抗野球大会の1回戦では日本生命と対戦。試合には敗れたものの、日本生命が仕掛けた4盗塁を全て阻止。強肩ぶりが注目され、一躍ドラフト有力候補となった。
2006年の大学・社会人ドラフトで東京ヤクルトスワローズから4巡目で指名を受けた。11月22日に推定契約金5,000万円、年俸1,000万円で仮契約を行い入団した。
[編集] プロ入り後
一軍キャンプに招聘されたが、オープン戦で当たりが出なかったこと、守備面でも課題を指摘されたことから、開幕は二軍スタートとなった。出場機会を増やすため、一塁手にも挑戦している。7月に川本良平が一軍昇格した後はほぼ二軍の正捕手として定着し、最終的に53試合に出場。ファームとはいえ打率.274、5本塁打と一年目からまずまずの成績を残した。
キャンプは二軍スタートだったが、川本良平の故障に伴って一軍キャンプに合流。開幕は再び二軍で迎えたものの、イースタン・リーグでは開幕から正捕手を務めた。打撃不振の選手が多い中で、二軍とはいえ3割台をキープ。そのことと福川将和の骨折の疑いもあり、5月13日に一軍初昇格。同日の対中日戦で初出場、初先発を果たした。翌5月14日対中日戦5回裏2アウト無走者の場面で、山本昌からプロ入り初安打を放った。しかし右肘の故障によって一軍に定着することはできず、5月29日に登録を抹消されると、以降は二軍で過ごすことになった。8月には試合に復帰し、最終的にイースタン・リーグとはいえ、44試合で打率.302、2本塁打10打点1盗塁と、前年を上回る結果も出している。秋には川本良平、米野智人らと共に一軍メンバーに選ばれ、松山でキャンプを過ごした。
シーズンの大半を二軍ですごし、ファーストやサードなども経験する。シーズン終盤に一軍へ昇格し、最終戦では代打でタイムリーを放つ。 クライマックスシリーズでもベンチ入りするも、新型インフルエンザにかかり、チームに貢献はできなかった。
シーズン序盤に2年ぶりの本塁打を放つなど活躍したが、それ以降は2軍ですごし、そのままシーズンを終えた。
一軍での出場は無く、二軍のみの出場となった。二軍では49試合に出場したが、打率.193、本塁打1、打点8であった。10月9日に戦力外通告を受け[1]、12月2日に自由契約公示された。今後はヤクルトのスコアラーに就任する[2]。
[編集] エピソード
[編集] 家族・交流
社会人時代に結婚し、息子が一人いる。妻子がある場合免除されるにもかかわらず、2007年に単身で入寮して話題になった。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2008 | ヤクルト | 17 | 46 | 42 | 1 | 11 | 0 | 0 | 1 | 14 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 1 | 12 | 2 | .262 | .326 | .333 | .659 |
| 2009 | 5 | 4 | 4 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .250 | .250 | .250 | .500 | |
| 2010 | 13 | 24 | 22 | 2 | 5 | 2 | 1 | 1 | 12 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 3 | 2 | .227 | .292 | .545 | .837 | |
| 通算:3年 | 35 | 74 | 68 | 4 | 17 | 2 | 1 | 2 | 27 | 14 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 1 | 16 | 4 | .250 | .311 | .397 | .708 | |
- 2011年度シーズン終了時
[編集] 記録
- 初出場・初先発出場:2008年5月13日、対中日ドラゴンズ7回戦(明治神宮野球場)、8番・捕手として先発出場
- 初打席:同上、3回裏に朝倉健太から四球
- 初安打:2008年5月14日、対中日ドラゴンズ8回戦(明治神宮野球場)、5回裏に山本昌から右前安打
- 初打点:2008年5月15日、対中日ドラゴンズ9回戦(明治神宮野球場)、1回裏に川上憲伸から右前適時打
- 初本塁打:2008年5月16日、対阪神タイガース7回戦(阪神甲子園球場)、9回表に安藤優也から左中間へ3ラン
[編集] 背番号
- 38 (2007年 - 2011年)
[編集] 脚注
- ^ “来季の契約について”. 東京ヤクルトスワローズ (2011年10月9日). 2011年10月21日閲覧。
- ^ “【ヤクルト】衣川 篤史捕手 - スポニチ Suponichi Annex 惜別球人”. Suponichi Annex (2011年12月21日). 2011年12月21日閲覧。
[編集] 関連項目
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