小坂誠

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小坂 誠
東北楽天ゴールデンイーグルス #32
基本情報
国籍 日本
出身地 宮城県亘理郡山元町
生年月日 1973年7月2日(36歳)
身長
体重
167cm
63kg
選手情報
投球・打席 右投左打
守備位置 遊撃手二塁手三塁手
プロ入り 1996年 ドラフト5位
初出場 1997年4月5日
経歴(括弧内は在籍年)

小坂 誠(こさか まこと、1973年7月2日 - )は、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属するプロ野球選手内野手)。

目次

[編集] 経歴

[編集] プロ入り前

宮城県柴田高等学校では甲子園出場はなく、卒業後は社会人野球JR東日本東北硬式野球部に在籍。

その後、1996年のドラフト会議千葉ロッテマリーンズからドラフト5位指名を受け入団。背番号00

[編集] プロ入り後

[編集] ロッテ時代

ルーキーイヤーの1997年、ルーキーながらショートのレギュラーを獲得。シーズン全試合出場を果たすなど活躍を見せ、新人王に選ばれる。この年に記録した56盗塁はそれまでの新人最多記録である45盗塁を遥かに抜く偉業であり、現在も破られていない。

1998年には、背番号を1に変更。43盗塁で盗塁王に輝く(故意のボーク疑惑による盗塁阻止問題も発生。詳しくはそちらの項を参照)。

1999年、ゴールデングラブ賞を受賞。以後、2001年まで受賞し続ける。2000年33盗塁で自身2度目となる盗塁王を獲得。翌2002年は、右足骨折の影響で、入団からの連続100安打が5年でストップする 。 2003年は、通算50三塁打達成。翌2004年ボビー・バレンタイン新監督の統計スタッフの統計により「ゴロヒットよりフライヒットが多い」ので、転がすバッティングから外野へ飛ばすバッティングにスタイルを変える。シーズン途中から眼鏡の使用を開始、2007年からコンタクトを試みた時期もあったが、現在は眼鏡とチューインガムがプレースタイルとして定着している。

2005年1月1日に入籍。4月22日 通算1000試合出場(401人目)を地元宮城県フルキャストスタジアム宮城で達成。また、6月5日 通算250盗塁達成。以後、西岡剛堀幸一らとともに二遊間を3人でローテーションするという独特のシステムの下(出場の試合は全て遊撃手)活躍し、チームの31年ぶりのリーグ優勝・日本一に貢献。ゴールデングラブ賞を受賞した。しかし、12月21日、 金銭トレードで読売ジャイアンツへ移籍。ロッテで付けていた背番号1が巨人では永久欠番になっていたこともあり、用意された背番号は2

[編集] 巨人時代

2006年 監督に復帰した原辰徳の構想では三塁小久保裕紀、遊撃二岡智宏、二塁仁志敏久と内野のレギュラーが確定していたため、「新生原巨人」でのキャンプでは「内野守備・走塁のスペシャリスト」としてセカンドサードの守備にとりくんでいたが、正二塁手仁志の極度の打撃不振もあり開幕2番セカンドのスタメンを勝ち取り、この年は二塁での起用が殆どとなった(二岡の守備固めでない、ショートでの先発は二岡欠場時の2試合のみとなった)。4月15日の対横浜ベイスターズ5回戦(横浜スタジアム)で、通算1000本安打達成。5月24日 巨人に移籍後、初めてお立ち台に立った。

小技などに千葉ロッテ時代よりも進歩も見せるが、前年のロッテと異なり、チーム自体が貧打のチームだったこともあってか打率1割台と極度の不振となり、併用された仁志と共倒れとなってしまったことで後半は守備代走要員に回り、ルーキー脇谷亮太が優先起用されている。チーム内にケガ人が続出するなかで李承燁や二岡と共にシーズンを通じて一軍に定着・チームを支え続けたが、シーズン終了後には大幅減俸を受け入れ、10月には若手とともにフェニックスリーグに参加した。10月27日 シーズン中に取得したFA権を行使せずに巨人に残留することを表明[1]

2007年、背番号を6に変更(北海道日本ハムファイターズからFA権を行使して移籍してきた小笠原道大が日本ハム時代と同じ背番号2をもらったため)。3月30日セントラル・リーグ開幕戦の対横浜(横浜スタジアム)で史上10人目の通算250犠打を達成。翌年初頭に、越年で契約更改。前年の選手での最後に、肩の故障の経過をみたうえでの契約となったセリーグに合わせ打球を上げる打撃スタイルなどを修正、シーズン当初は開幕スタメンショートで押し出し四球を記録するなど活躍したが、チームの貧打により二岡が1軍昇格するとスタメンは二岡で固定され、仁志が移籍したセカンドも木村拓也脇谷亮太が起用されることが多かった。出場機会は二岡と交代での守備固め、もしくは代走に限られ、1シーズンを通したヒット数はわずか3安打となった。下半身に不安を抱える二岡のバックアップ要員としてチーム優勝に貢献したものの、肩を痛め8月3日の出場を最後に1軍登録を抹消された。

2008年2007年まで一度しか守ったことがなかった三塁を守ることも多くなった。故障の後遺症もなく、その三塁でも堅実な守備を見せた。若いが荒削りな坂本勇人が遊撃手として台頭、二岡の本格三塁コンバートが決定。ひきつづき守りのスペシャリストとしての役割が期待されていたが、若手・中堅選手の台頭、打撃不振もあり出場試合数は自己最少。プロ入り以来初めて一軍で無安打に終わった。

11月、金銭トレードでの東北楽天ゴールデンイーグルス移籍を発表。背番号は32。巨人には二軍コーチを打診されていたが、現役にこだわりたいとの思いから自分で移籍までを願い出たという。

[編集] 楽天時代

2009年、小坂は楽天初の宮城出身の選手として地元球団へ移籍(ロッテ、巨人と歌われ続けた応援歌は楽天では使用されず、新たに作られた応援歌には、「宮城の星」という節が含まれることになった)。

楽天のニ・遊間は、レギュラーである三割バッター高須洋介と俊足渡辺直人を中心に、打撃重視なら2008年首位打者リック・ショート草野大輔、若手の内村賢介らがしのぎを削る激戦区であり、入団当初は守備コーチを兼ねた脇役を任される予定だった。開幕当初こそレギュラーで何試合か使われたものの、次第にベンチスタートでの守備固めとして活躍することが多くなった。

しかし、5月に入ってレギュラーの二人が相次いで故障に見舞われ、小坂の出場機会は増加する。

5月3日のオリックス戦(Kスタ)では8回1アウト2、3塁の場面で三塁ランナーの代走で出場。内野前進守備の中での内野ゴロの間に好走塁でホームを陥れた。これが決勝点となり、その走塁が評価されて初の地元でのお立ち台に立った。5月25日の横浜戦では、巨人時代は一度もなかったホームランを4年ぶりに放ち、入団当初の期待以上の奮闘を見せている。

[編集] プレースタイル

プロ野球選手としては小柄な体格だが、特に走塁と守備の技術には非常に長けている。ゴールデングラブ賞を通算4度受賞しており、現役の遊撃手の中では宮本慎也東京ヤクルトスワローズ)、井端弘和中日ドラゴンズ)と並ぶ最高峰の守備能力を誇っている。前述の眼鏡着用とチューインガム使用以外に、バッターボックスに入るときに審判に軽く会釈することが多い。

[編集] 打撃・走塁

走塁技術も高く、盗塁王を2度、リーグ最多三塁打を4度記録している。その俊足は右中間が狭い東京ドームで右中間に放った打球で楽々三塁に到達してしまうほどである。

[編集] 守備の評価

俊足とポジショニング、打球反応の速さ、打球勘などからくる広い守備範囲、教科書通りと形容される捕球と一体化した安定した送球、柔らかなグラブ捌きや併殺の処理、その全てがプロの最高水準である。全盛時の守備範囲の広さは「小坂ゾーン」とまで形容された。

千葉ロッテマリーンズに入団して以来、ロッテの1軍では2004年に一度だけ三塁手を守った以外は9年間遊撃のレギュラーを守り続けた。2軍やオールスターでは二塁手なども経験しているが移籍時に一部スポーツ紙で「2005年に二塁を守った」という記事が掲載されたのは誤りである。ロッテ在籍時の小坂はショートのみを守る選手、「ショートの達人」と解釈できる。巨人に移籍後は、二塁・三塁守備を習得し「内野守備・走塁のスペシャリスト」(2006年前半は仁志の打撃不振から事実上の正二塁手として起用された)として期待され、3ポジションで持ち前の守備力を発揮したが、打撃不振や故障により実力を十分に発揮することができなかった。楽天では守備コーチとしての役割も期待されている(日刊スポーツ、野村監督の連載より)。

[編集] 人物

新聞などによると好きな女優は伊藤かずえ。夫人は伊藤とはタイプが違う小柄な一般人女性。

感情を顔に出さないタイプであり、特に笑顔は少ないと言われている。踊る!さんま御殿!!に出演した際には「小坂さんの笑った顔を初めて見た。今日はラッキーデーですよ。」と他球団選手に言われたほど。2005年お立ち台の際、4安打目となる二塁打を放ったときに見せた笑顔について聞かれ、「まあ、たまには見せないといけないでしょう」と答えた。

ロッテのアイスモナカモナ王」のコマーシャルに、初芝清篠原ともえと共に出演した。

芸人に守備のうまさをネタにされることが多い。上田晋也リチャードホールのコントで、「なんであんたそんな拾いづらいとこ拾うんだよ!ロッテの小坂か!?」や、石橋貴明とんねるずのみなさんのおかげでした食わず嫌い王での、「ロッテ(巨人)の小坂並に守備範囲広いですね~」など。

2000年ナゴヤドームで行われた「オールスター大運動会」において俊足の小坂に対し、恰幅良く鈍足と思われる阪神中込伸と二人で100m徒競走を行うという企画が行われた。中込には半分の50m地点から同時に走るというアドバンテージがつけられ、差は縮まったものの、大方の予想に反し中込の圧勝だった。

2000年、2001年とオールスターに出場した際、TV中継のアナウンサーが誤って小坂を「ロッテオリオンズの小坂」と紹介。その他の選手は「ロッテマリーンズの○○」と呼ばれていた中、一人だけオリオンズとされていた。

2002年2003年には千葉マリンスタジアムで、「小坂スチール弁当」が販売された。弁当の呪いによって2002年のホークスとの開幕カード3試合目で併殺を阻止しようとしたランナー・バークハートのタックルにより右足を骨折した。

2005年、巨人に金銭トレードで移籍した経緯として、報道によると、契約更改交渉予定だったが予定時間が二転三転し、交渉は行われたものの、その場で金銭トレード(推定1億円)での巨人移籍が通告され、その数時間後に巨人で入団会見をするという急な移籍となった。
ファンの感情的な憶測とは裏腹に『「バレンタイン流マネジメント」の逆襲(高橋徹・著、講談社・刊)』によれば、金銭トレードはボビー自身が主導したもので巨人1球団に対してというものでもなかったようである。不要な選手を放出して資金を捻出しただけとバレンタイン監督自身はMLB出身の監督らしく極めて冷静に振り返っている(小坂の守備力を高く評価していた一方、打撃力の低さを短所とみており、2005年に残したような成績を来季以降も残せると判断していなかったようである)。
一方巨人清武代表は入団会見で小坂に関し「1年前から狙っていた選手のひとり」と相反するコメントを残している(伏線になる事実としては、2004年オフ、正二塁手仁志敏久がFA権行使しメジャーリーグ移籍を試みており、当時の巨人堀内恒夫監督もクラシカルな守りの野球を掲げ仁志流出を危惧していた。仁志の代替選手をリストアップしており、小坂がその数名のリストのなかに入っていたのではないかと思われる)。

2008年、楽天へ金銭トレードで移籍した経緯として、当初、巨人からコーチ就任の要請を受けていたが、現役続行にこだわりそれを固辞。また、かねてから地元球団でのプレーを熱望していた(イーグルス設立時からプレーを望んでいたという)こともあり、楽天への移籍が実現する形となった。

ホームランが2008年までの通算でも18本と少ない方であるが、2000年3月26日オープン戦の対横浜戦で1イニング2本塁打を記録している。この試合は千葉ロッテのかつての本拠地であり狭いことで有名であった川崎球場の取り壊し記念の最終戦で、両軍合わせて10本塁打が飛び出し、スコアも22-6(千葉ロッテ勝利)という乱打戦であった。小柄な体格ゆえにパワーが無いと思われがちだが、広い福岡ドームで本塁打を放ったこともある。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績
































O
P
S
1997 ロッテ 135 595 499 66 130 14 7 1 161 30 56 16 38 5 49 0 4 49 4 .261 .329 .323 .651
1998 124 527 430 51 100 12 8 3 137 33 43 11 48 6 40 2 3 48 3 .233 .299 .319 .617
1999 130 586 482 64 135 18 10 3 182 40 31 15 42 2 57 4 3 59 2 .280 .358 .378 .736
2000 135 559 462 57 110 17 4 1 138 30 33 11 23 5 69 2 0 69 4 .238 .334 .299 .633
2001 140 657 550 79 144 16 8 1 179 35 32 9 22 7 77 0 1 70 8 .262 .350 .325 .675
2002 93 380 334 35 82 13 6 1 110 15 11 3 18 0 26 0 1 54 2 .246 .302 .329 .631
2003 134 592 516 67 133 21 7 3 177 40 27 7 19 3 53 1 1 84 5 .258 .326 .343 .669
2004 89 300 242 33 61 9 3 1 79 26 6 8 21 3 31 0 1 37 1 .252 .336 .326 .662
2005 118 367 321 64 91 14 6 4 129 31 26 11 10 1 29 0 6 47 3 .283 .353 .402 .755
2006 巨人 92 255 218 24 40 5 2 0 49 12 4 4 8 2 22 2 5 41 3 .183 .271 .225 .496
2007 56 31 24 13 3 1 1 0 6 3 2 0 1 1 4 0 1 8 0 .125 .267 .250 .517
2008 13 7 7 1 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
通算:12年 1259 4856 4085 554 1029 140 62 18 1347 295 272 95 250 35 457 11 26 568 35 .252 .328 .330 .658
  • 2008年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

[編集] 年度別守備成績

位置 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
97 135 197 459 14 86 .979(4)
98 123 236 417 16 106 .976(3)
99 130 230 421 13 84 .980(1)
00 135 226 489 11 98 .985(1)
01 140 252 492 16 99 .979(3)
02 93 175 298 3 57 .994(1)
03 134 226 483 8 86 .989(1)
04 88 148 275 8 65 .981(3)
1 1 0 0 0 1.000
05 112 142 290 3 64 .993(1)
06 76 114 196 4 34 .987
27 14 21 0 5 1.000
07 2 0 2 0 0 1.000
51 22 41 1 10 .984
08 7 1 2 0 0 1.000
5 1 2 0 0 1.000
  • 2008年シーズンまで。表中の太字はリーグ最高

[編集] タイトル・表彰・記録

  • 新人王:(1997年)
  • 盗塁王:2回(1998年・2000年)
  • ゴールデングラブ賞:4回(1999年-2001年・2005年)
  • 月間MVP:1回(1997年4月)
  • シーズン守備率 パ・リーグ遊撃手記録:.994(2002年)
  • シーズン補殺 パ・リーグ遊撃手記録:492(2001年)
  • 通算三塁打 現役2位・歴代18位タイ:62(2008年終了時点)
  • 通算犠打 現役3位・歴代11位:250(同上)

[編集] 初記録・節目の記録

[編集] 背番号

[編集] 関連項目


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