渡辺直人

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渡辺 直人
埼玉西武ライオンズ #8
Watanabe naoto.jpg
2013年7月31日、こまちスタジアムにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 茨城県牛久市
生年月日 1980年10月15日(34歳)
身長
体重
173 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 遊撃手二塁手三塁手
プロ入り 2006年 大学生・社会人ドラフト5巡目
初出場 2007年4月17日
年俸 5,900万円(2015年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

渡辺 直人(わたなべ なおと、1980年10月15日 - )は、茨城県牛久市出身の埼玉西武ライオンズに所属するプロ野球選手内野手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

野球を始めたのは小学3年生。牛久市立下根中学校茨城県立牛久高校城西大学竹原直隆と同期)を経て、三菱ふそう川崎に入社。

入社1年目の2003年、3年目の2005年都市対抗野球大会にて優勝を経験。自身も遊撃手として勝利に貢献した。2006年には第16回IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表に選ばれ、全9試合に出場し、打率.357のハイアベレージを記録。社会人ベストナインの一人に選ばれた。

2006年の大学生・社会人ドラフト東北楽天ゴールデンイーグルスより5巡目指名を受け、入団。背番号は社会人時代と同じ「2」。

楽天時代[編集]

2007年
開幕一軍入りは逃したが、4月17日に一軍登録され、同日のソフトバンク戦7回裏にリック・ショート代走として一軍初出場し、8回表からは遊撃の守備に就いた。翌18日には遊撃手として初の先発出場を果たし、3回裏の初打席は杉内俊哉の初球を叩き二塁ゴロに倒れた。7回裏にはプロ初安打となる一塁内野安打で出塁し、鷹野史寿の右前安打で一塁から生還、初得点を挙げた。7月24日の西武戦の9回表に初本塁打を記録した。当初は遊撃の守備要員という扱いであったが、打席でも力を見せたため先発出場が増え、遊撃手のレギュラーとして完全に定着した。8月23日のロッテ戦で、サヨナラエラーを含む3失策をしている。打率は3割前後を保ち、一時は新人王有力候補とも言われた。打順は当初下位を打っていたが、後半は鉄平に代わって1番を務めることも増えた。最終的な打率は.268だったものの、盗塁数はリーグ7位の25盗塁(成功率.833)と俊足ぶりを見せつけた。この年、新人として両リーグ唯一の規定打席に到達した。三振率.105はチームメイトのリックと並んでリーグ最少だった。
2008年
1月30日、球団から入籍が発表された。開幕戦に「1番・遊撃手」で出場。「出塁率を上げる」という目標から打席で粘って四死球で出塁というスタイルで高出塁率を維持。一時期は打率が2割台ながら出塁率が4割を超えていた時期もあった。しかし、交流戦で三盗の際ヘッドスライディングをした際に肩を負傷。怪我の影響で打撃不振に陥り、後半は下位打線を打ったり他の選手にスタメンを譲ったりすることが多くなった。打率は.251と規定打席到達では26位と振るわなかったものの、盗塁数は前年より増えて34盗塁とリーグ2位、盗塁成功率は.850であった。死球22とダントツだった(シーズン記録では2004年城島健司と同数の5位)。
2009年
開幕戦は「9番・遊撃手」で出場。6月5日のヤクルト戦で6回裏に、二塁手小坂誠が遊撃の守備に就き、遊撃手の渡辺は初めて二塁の守備に就いた。翌6日には二塁手として先発出場した。1番の他に2番での先発出場も多くなり、3年連続でチームトップとなる26盗塁を記録した。このシーズンは守備が安定し、6失策と初めて失策が一桁に止まり、守備率.988でリーグトップを記録した[1]
2010年
この年は115試合に出場したものの、マーティ・ブラウン新監督の若手重視の起用と自身の不調が重なって規定打席には到達せず、成績も全体的に過去最低となった。守備率は.984で遊撃手として2年連続パ・リーグ守備率1位となった[1]
オフに契約更改後、金銭トレード横浜ベイスターズに移籍。移籍に至る経緯は後述

横浜・DeNA時代[編集]

2010年12月21日、入団会見を行った[2]。背番号は楽天時代と同じ「2」。

打席での渡辺(2011年)
2011年
実戦で一度も遊撃を守ることなく二塁にコンバートされたが、若手の特守にも志願して毎日参加しアピールを行った結果、4月12日の開幕戦でスタメンを勝ち取った。4月24日の阪神戦では下柳剛から自身2年ぶりとなる本塁打を放った[1]。7月には監督推薦で自身初となるオールスターゲームに選出された。仙台で開催されたオールスター第三戦目では「9番・二塁手」としてスタメン出場、2安打を放ち、敢闘選手賞を獲得した[3]。夏場に調子を落とし藤田一也との併用の時期もあったが、正遊撃手の石川雄洋の怪我により9月終盤からは移籍後初となるショートに回った。最終的には、チーム方針により少なかった盗塁数以外は例年並みの成績を残した。
2012年
シーズン前の東日本大震災復興支援ベースボールマッチの日本代表に、横浜DeNAから唯一選出された。
シーズンに入ると、石川が事実上の二塁手コンバートとなり、遊撃手にはオープン戦で絶好調だった梶谷隆幸が入ったため、開幕からしばらくは控え続きとなる。梶谷の不振により4月後半からスタメン出場が続いたが、5月6日の中日戦で打球を捕球した際に左肩を強打し脱臼[4]し、残りの前半戦は治療のため二軍生活となった。復帰後は打撃不振に苦しみ、内村賢介の加入もあり出番が減少。打率も.224と伸び悩んだ。この年、プロ入り初の三塁守備に就いた。
2013年
開幕は一軍で迎えたものの[5]、14試合の出場で打率.143と打撃不振に陥り[6]、4月20日に一軍登録を抹消された[5]。7月7日、長田秀一郎‎との交換トレードにより埼玉西武ライオンズへ移籍することが両球団より発表された[6][7][8]

西武時代[編集]

2013年
7月10日、入団会見を行った[9]。背番号は「8」。7月12日に出場選手登録され、同日の楽天戦(Kスタ宮城)、3-3で迎えた延長12回表に代打で出場。星野智樹から右翼線を破る二塁打を放つと、犠飛で決勝点となるホームを踏んだ[10]。その後、打撃の調子は落としたものの、安定感のある守備やバント用代打など、ベテランらしい活躍をみせた。また、9月19日の日本ハム戦で6回裏の攻撃で右足首を負傷した浅村栄斗に替わって、プロ入り初の一塁守備に就いた。

選手としての特徴[編集]

俊足巧打の内野手(主に遊撃手)。50メートル6.0秒の俊足を活かした軽快な遊撃守備から、三菱ふそう川崎時代は“平成の牛若丸”と称され、不動の2番打者として活躍した。打撃は引っ張る傾向が強いものの小技型で、二・三塁打も多いが右打ちも得意としている[要出典]

打撃[編集]

渡辺の打撃フォーム(2013年)

プロ入り時は右肩が下がるアッパー気味のスイングをしており(三菱ふそう川崎の選手の特徴とも言われている)、入団初年度には監督の野村克也に「お前のスイングでは通用しない」とレベルスイングの必要性を2時間に渡って説かれ、開幕直前に矯正のために二軍降格となった。シーズンに入ってからも、事あるごとに野村からアッパースイングにならないようにアドバイスや指導を受けている。その都度、短期間で悪い部分を修正してくるので、その修正能力の高さを「いい選手をとった」と野村は評価していた[要出典]

入団以来、打撃は可もなく不可もなくといった成績を残しているが、2008年からは出塁率を上げるためファウルで粘って投手に球数を投げさせた上で四球を選んだり、死球で塁に出たりと出塁率は高い[11]。そのため三振が少なく、なかなか球を避けようとしないため死球の数が多いのも特徴である。1年目の2007年からリーグ6位の12死球を記録し、2008年は7月28日に2打席連続死球を記録し、オールスター前にもかかわらず20個に到達した。しかし、現在までに死球による故障離脱は1度もしていない。空振り自体も少なく、2011年はセ・リーグで規定打席に到達した選手の中で4番目の少なさだった[12]

走塁[編集]

俊足を元来の武器としているため、塁に出ればかき回せる選手であり[要出典]、盗塁についてはルーキーイヤーの2007年は25盗塁、2008年はリーグ二位の34盗塁を記録し、失敗が6と非常に高い成功率を残した。2009年は26盗塁で失敗が7、盗塁成功率.788と僅かに3年連続盗塁成功率.800以上には及ばなかったものの、依然として高い盗塁成功率を維持した。通算の盗塁成功率は約78%を記録している。

守備[編集]

守備範囲は広く[要出典]ダイビングキャッチなどからのファインプレーも多い選手だが[要出典]ここ一番でのエラー・送球ミスもやや多い[要出典]安定感のある堅実な守備というよりも、恵まれた敏捷性を生かした感性型のグラブさばきを見せる選手である[要出典]。2009年、2010年と連続して遊撃手としてはリーグトップの守備率を記録した[13]

異例の契約更改後の金銭トレード[編集]

DeNA時代(2012年)

2010年シーズン終了後の12月1日に次年度シーズン5300万円(推定)で楽天との契約更改を済ませていたが、8日になって金銭トレードでの横浜ベイスターズ移籍の方針が両球団の間で決まり、練習先の千葉県から仙台に呼び戻された渡辺に9日に通告された[14][15][16][17][18]

この移籍は、大リーグから松井稼頭央岩村明憲両内野手を獲得したため同じ内野手である渡辺の出場機会が減少する可能性があった楽天と、内野手の補強を目指していた横浜との間で思惑が一致して決断されたとも報道された[16][18]が、一方でポスティングシステムによって大リーグ移籍を目指していた岩隈久志の入札金を補強費として見込んでいた楽天球団が、岩隈の残留によって入札金が入らず補強費不足となり、人的補償の無い金銭トレードに向かったとも報道された(ただし、球団側は否定している)[16][17]

同年オフに選手会副会長に就任し、プロ4年目でチームの精神的支えとなっていた選手の放出はチーム内に大きな波紋を呼び、渡辺の涙のトレード会見[17][19]の翌10日に契約更改に臨んだ鉄平(渡辺と合同自主トレをしてきた)、草野大輔(渡辺と社会人野球時代からの知己)、嶋基宏(渡辺と同期入団)が各々の記者会見の席上で、自らの話題よりも渡辺のトレードの件にふれて言葉をつまらせ、涙を流した[3][20][21][22]

11日には、山崎武司が「出すべき選手ではなかった」と渡辺のトレードに疑問を投げかけ[13]、前述の契約更改の様子を聞いたコーチの田淵幸一も「渡辺だけは出すべきじゃなかった」とコメントしたと報じられた[3]。同日夕方、仙台放送スポルたん!LIVE』に渡辺が急遽出演し、渡辺の特集が組まれた。鉄平、嶋、そして意図せずして今回のトレードの関連人物の1人となってしまった岩隈がスタジオに急遽駆けつけ、花束を渡した[23]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2007 楽天 119 472 410 60 110 17 1 2 135 26 25 5 16 2 32 0 12 43 6 .268 .329 .338 .667
2008 132 567 470 79 118 11 2 0 133 30 34 6 19 2 54 2 22 66 6 .251 .354 .283 .637
2009 125 547 463 79 128 24 2 1 159 28 26 7 19 3 55 1 7 69 13 .276 .360 .343 .703
2010 115 425 355 43 94 14 1 0 110 26 12 3 20 1 39 1 10 43 8 .265 .353 .310 .663
2011 横浜
DeNA
126 469 403 33 107 16 2 1 130 24 7 5 19 0 36 0 11 73 13 .266 .342 .323 .665
2012 70 213 174 19 39 4 0 0 43 10 2 4 5 0 24 0 10 27 1 .224 .351 .247 .598
2013 14 15 14 3 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 1 0 0 5 1 .143 .200 .143 .343
西武 56 177 139 9 28 3 1 0 33 4 3 2 23 1 9 0 5 19 6 .201 .273 .237 .510
'13計 70 192 153 12 30 3 1 0 35 4 3 2 23 1 10 0 5 24 7 .196 .266 .229 .495
2014 104 429 350 35 91 17 1 0 110 26 4 0 35 1 32 0 11 46 9 .260 .340 .314 .654
通算:8年 861 3314 2778 360 717 106 10 4 855 174 113 32 156 10 282 4 88 391 63 .258 .344 .308 .653
  • 2014年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年にDeNA(横浜DeNAベイスターズ)に球団名を変更

年度別守備成績[編集]

年度 一塁 二塁 三塁 遊撃
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2007 - - - 119 156 329 13 65 .974
2008 - - - 131 186 360 16 62 .972
2009 - 5 8 10 0 1 1.000 - 124 175 337 6 78 .988
2010 - - - 111 165 312 8 58 .984
2011 - 97 230 267 9 54 .982 - 21 33 50 1 11 .988
2012 - 4 10 4 1 0 .933 1 0 0 0 0 ---- 48 63 143 6 19 .972
2013 1 2 0 0 0 1.000 21 48 52 1 10 .990 32 19 39 1 2 .983 2 2 2 0 1 1.000
2014 4 18 3 0 0 1.000 1 0 0 0 10 .000 39 10 37 0 4 1.000 85 107 181 4 30 .986
通算 5 20 3 0 0 1.000 128 296 333 11 65 .983 72 29 76 1 6 .991 641 887 1714 54 324 .980
  • 2014年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
節目の記録
その他記録

背番号[編集]

  • 2 (2007年 - 2013年途中)
  • 8 (2013年途中 - )

登場曲[編集]

出典[編集]

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  1. ^ a b c 2011年5月7日放送のTBS『プロ野球開幕スペシャル 俺たちはまだ負けられない』より。
  2. ^ 渡辺選手 入団会見」 横浜ベイスターズ(2010年12月21日)、2011年11月18日閲覧。
  3. ^ a b c 渡辺 古巣・楽天の本拠地で恩返しの敢闘選手賞受賞Sponichi Annex(2010年7月25日)、2011年11月18日閲覧。
  4. ^ “渡辺直、左肩脱臼「大丈夫だと思うけど怖さがある」”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2012年5月7日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/05/07/kiji/K20120507003196380.html 2013年5月2日閲覧。 
  5. ^ a b 出場選手登録 - 横浜DeNAベイスターズ公式 2013年7月8日閲覧
  6. ^ a b 西武長田とDeNA渡辺直が交換トレード - nikkansports.com 2013年7月7日配信 2013年7月8日閲覧
  7. ^ トレードのお知らせ - 埼玉西武ライオンズ公式 2013年7月7日配信 2013年7月8日閲覧
  8. ^ 渡辺 直人選手と埼玉西武・長田 秀一郎選手のトレードについて - 横浜DeNAベイスターズ公式 2013年7月7日配信 2013年7月8日閲覧
  9. ^ 渡辺直人選手 入団会見 - 埼玉西武ライオンズ公式 2013年7月10日
  10. ^ 渡辺直、西武移籍後初打席で二塁打→生還 日刊スポーツ 2013年7月13日
  11. ^ 今までの横浜ナインの野球感を覆す、カウント1-3における渡辺直人の選択。Sports Graphic Number(2010年12月27日)、2011年11月18日閲覧。
  12. ^ 週刊ベースボール』2011年12月19日号、ベースボール・マガジン社、 12頁、 雑誌20443-12/19。
  13. ^ a b 人気と戦力以外に必要なことがある! 楽天が渡辺直人と共に放出したもの。」 Sports Graphic Number(2010年12月14日)、2011年11月18日閲覧。
  14. ^ トレードのお知らせ」 横浜ベイスターズ(2010年12月9日)、2011年11月18日閲覧。
  15. ^ トレードのお知らせ」 東北楽天ゴールデンイーグルス(2010年12月9日)、2011年11月18日閲覧。
  16. ^ a b c 岩隈残留“余波”…楽天、契約更改済みの生え抜き放出」 Sponichi Annex(2010年12月9日)、2011年11月18日閲覧。
  17. ^ a b c 渡辺、横浜に金銭トレード河北新報(2010年12月10日)、リンク切れ。
  18. ^ a b 楽天・渡辺直、横浜へトレードデイリースポーツ(2010年12月9日)、2011年11月18日閲覧。
  19. ^ 【楽天】渡辺「離れるのは寂しい…」日刊スポーツ(2010年12月9日)、2011年11月18日閲覧。
  20. ^ 楽天3選手号泣更改…渡辺直トレードで」 デイリースポーツ(2010年12月10日)、2011年11月18日閲覧。
  21. ^ 渡辺トレードに楽天号泣更改サンケイスポーツ(2010年12月11日)、リンク切れ。
  22. ^ 渡辺トレードに男3人涙、涙、涙」 河北新報(2010年12月11日)、リンク切れ。
  23. ^ 2010年12月11日放送の仙台放送スポルたん!LIVE』より。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]