塩川達也

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塩川 達也
RE-Tatsuya-Shiokawa.jpg
2008年(ロッテ浦和球場)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県神戸市垂水区
生年月日 1983年3月15日(28歳)
身長
体重
180cm
79kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 2004年 ドラフト5巡目
初出場 2006年6月1日
最終出場 2011年6月6日
年俸 1,250万円(2011年)
経歴(括弧内は在籍年)

塩川 達也(しおかわ たつや、1983年3月15日 - )は、プロ野球選手内野手)。

目次

[編集] 経歴

[編集] プロ入り前

1983年生まれ。1998年に神戸国際大学附属高等学校へ進学、県大会ベスト4まで進んだ。2001年に東北福祉大学へ進学すると、2年春からレギュラーとなり、2年春の仙台六大学野球連盟では三冠王・盗塁王を同時に獲得したほか、でベストナインを6度(遊撃手:5度・三塁手:1度)受賞した。4年時の第53回全日本大学野球選手権大会では主将として出場し、チームを日本一へ輝いた。同年開催の第33回日米大学野球選手権大会にも選出され、主将を務めた。

2004年のドラフト会議にて、2005年から創設される東北楽天ゴールデンイーグルスから5巡目で指名され、入団。創設年では唯一となる、地元にゆかりのある選手となった。新人ながら背番号1を与えられた。

[編集] プロ入り後

2005年は内野のレギュラー候補として期待されるが、一軍出場は無かった。二軍では遊撃手を中心に内野の全ポジションを守り、打率.274を記録した。

2006年沖原佳典の不調によって、西村弥草野大輔と遊撃手のレギュラーを争い、結果として最多の出場機会を獲得した。同年6月1日の対阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)でプロ初登場を果たし、プロ初安打を放った。6月4日の対中日ドラゴンズ戦(フルキャストスタジアム宮城)ではプロ初先発出場。9月27日の対オリックス・バファローズ戦(スカイマークスタジアム)では、岸田護からプロ初本塁打を放つ[1]。2006年7月5日、ブログ「全力疾走」を開設した。2007年度に球団が実施した小学校訪問は6校だったが、うち4校に参加した。これは楽天選手の中では最多で、安部理のブログでは「ミスター学校訪問[2]」と呼ばれた。本人もこのような交流活動について「けっこう好き」と、2006年07月05日付のブログで記述している。

同年終了後からスイッチヒッターに転向。10月24日の湘南シーレックス戦(フェニックスリーグ)の6回・第3打席にて、実戦初の左打席に立ったが2打席無安打に終わった。

2007年4月21日の対千葉ロッテマリーンズ戦(フルキャストスタジアム宮城)で、小宮山悟から左打席での公式戦初安打を放つ。課題だった打撃も前年より打率を落とし、渡辺直人が遊撃のレギュラーに、草野大輔が三塁のレギュラーに定着したためス出場機会が激減した。そのため、代走と三塁の守備固めとしての起用が中心だったが、細かな怪我の多い高須洋介に代わって二塁手としても出場するなど、二塁手三塁手遊撃手の3ポジションを各20試合以上守り、重要な控えの内野手として開幕から一軍に帯同し続けた。球団生え抜き選手としては初となる専用応援歌が私設応援団によって作成された。[要出典]

2008年も前年と同じく主に代走・守備固めに起用された。外野守備にも挑戦したが、打撃はさらに打率を落とした。

2009年は調子を落とす一方だったスイッチヒッターから右打ち専門に再転向。高須洋介に代わって昇格すると、同年5月27日の対中日ドラゴンズ戦で8番・二塁手として出場し、2打点を挙げて田中将大の開幕7連勝をアシストした。7月に降格された後は再昇格がないままシーズンを終えた。この年は出塁率が打率よりも低いという珍しい成績になった。

2010年は一度も昇格されなかった。シーズン終了後、岩村明憲の加入に伴い、背番号を6に変更。

2011年も一軍では4試合の出場にとどまり、同年11月14日に戦力外通告を受け、引退。2012年より、楽天イーグルスJr.コーチに就任。[3]

[編集] プレースタイル

俊足強肩の遊撃手だが、二塁手三塁手としての出場も多く、2006年は1試合だけ右翼手、2008年には中堅手を守ったことがある。一塁手としても出場し、試合途中に捕手を使い切った際には強肩を生かすために捕手を守らせる案まであった[要出典]など、投手以外ならどこでも守ることができるユーティリティープレイヤーとして期待されていた。2008年に外野守備に就いた際は、鉄平のグラブを借りた。

2006年 - 2008年の盗塁数はいずれも5と少なかったが、脚力は良く、走塁技術もチーム随一の上手さを誇る。2008年5月21日の対中日ドラゴンズ戦では8回裏に代走で起用され、二盗・三盗を決めて勝利に貢献した。監督の野村克也は「あの子(塩川)はしっかりしている。いつもベンチで(盗塁の)タイミングの練習をしている。(走り出す時の)思い切りも良い」と絶賛した。

2006年にはスイッチヒッターに転向したが、2006年8月のある日、室内での打撃練習中にストレッチをかねて左打席に入って練習していたところ、橋上秀樹の目に留まり、転向を進められたことによる。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績

















































O
P
S
2006 楽天 69 212 190 16 41 3 0 1 47 6 5 2 8 1 10 0 3 44 5 .216 .265 .247 .512
2007 84 113 95 19 18 2 0 0 20 4 5 3 8 1 9 0 0 25 2 .189 .257 .211 .468
2008 82 52 43 18 7 1 1 0 10 1 5 3 5 0 4 0 0 11 2 .163 .234 .233 .467
2009 24 20 18 2 3 0 0 0 3 2 1 0 1 1 0 0 0 5 3 .167 .158 .167 .325
2011 4 5 5 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .200 .200 .200 .400
通算:5年 263 402 351 56 70 6 1 1 81 13 16 8 22 3 23 0 3 88 12 .199 .253 .231 .485
  • 2010年度シーズン終了時

[編集] 年度別守備成績


一塁 二塁 三塁 遊撃 外野




























































2006 - 9 18 22 0 4 1.000 5 2 6 0 0 1.000 57 80 151 8 29 .967 1 2 0 0 0 1.000
2007 - 26 33 43 0 10 1.000 29 8 16 0 2 1.000 24 26 53 2 12 .975 -
2008 1 1 0 0 0 1.000 20 7 14 1 2 .955 41 6 11 0 3 1.000 9 6 20 0 4 1.000 6 3 1 0 0 1.000
2009 - 20 18 21 1 4 .975 - 2 1 0 0 0 1.000 1 1 0 0 0 1.000
2011 - - - - 1 1 0 0 0 1.000
通算 1 1 0 0 0 1.000 70 76 100 2 20 .989 75 16 33 0 5 1.000 92 113 224 10 45 .971 9 7 1 0 0 1.000

[編集] 記録

[編集] 背番号

  • 1 (2005年 - 2010年)
  • 6 (2011年)

[編集] 登場曲

[編集] 脚注

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  1. ^ この1点が決勝点となりチームは1-0で勝利した。ちなみに、この本塁打は東北楽天ゴールデンイーグルス生え抜き選手では第1号となった。
  2. ^ ブログ「安部理 東北プロジェクト!野球塾」 2007年09月13日付日記
  3. ^ 塩川本人によるTwitterより。2012年1月20日の投稿

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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