牧田明久
| 東北楽天ゴールデンイーグルス #5 | |
|---|---|
2009年8月24日、西武第二球場にて
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 福井県越前市 |
| 生年月日 | 1982年6月3日(29歳) |
| 身長 体重 |
182cm 78kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 外野手 |
| プロ入り | 2000年 ドラフト5位 |
| 初出場 | 2005年7月19日 |
| 年俸 | 2500万円(2012年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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牧田 明久(まきだ あきひさ、1982年6月3日 - )は、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属するプロ野球選手(外野手)。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] プロ入り前
少年野球チーム「北日野マウンテンズ」で小学二年生から野球を始める。ポジションは主に投手。中学・高校時代は投手で4番をつとめた。高校は鯖江市にある鯖江高校に進学したが甲子園出場経験はない[1]。
2000年のドラフト会議で大阪近鉄バファローズから5位指名を受け、入団。高校時代は投手として140km/h以上をマークしていたが、50メートル6.0秒の俊足、高校通算8本塁打という打力を買われ、外野手として入団した。背番号は63。
[編集] 近鉄時代
近鉄時代は二軍での打率も1割台後半から2割台前半という成績で、一軍昇格のきっかけを掴めずに終わった。守備では、入団1年目は外野に専念していたが、当時の近鉄はタフィ・ローズ、大村直之、礒部公一をはじめとして層が厚かったため、出番を増やすため三塁手の守備にも挑戦した。
[編集] 楽天時代
- 2005年
- 分配ドラフトで東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍。7月15日に負傷した飯田哲也に代わって一軍に昇格し、7月19日のソフトバンク戦(ヤフードーム)で代走として、プロ5年目にして一軍戦初出場を果たした。7月25日の日本ハム戦(Kスタ宮城)でのプロ初打席は死球となったが、出塁し初盗塁を記録した。7月30日の西武戦(西武ドーム)で延長11回に打席に立ち、勝利につながるプロ初安打を打った。8月3日のロッテ戦でサードゴロを打ち、初打点を上げる。この年は一軍戦に主に代走として出場し、合計13試合に出場した。二軍ではチーム2位の74試合に出場、打率.242、7盗塁(チーム2位)を記録した。
- 2006年
- 開幕二軍スタートとなったが、二軍では初戦を除き4番を務めた。5月19日に一軍登録。シーズン前半は打撃好調だったが、6月9日の広島戦(倉敷)で頭部に死球を受け戦線離脱。6月27日に復帰直後は打率1割台と低迷した。しかし守備では貢献し、リーグ10位・チームではトップとなる補殺5を記録した。一方、盗塁成功率が5割未満と盗塁技術に課題を残した。野村克也監督に「我慢して使おうという気にさせてくれる」と評価され、また礒部公一が精彩を欠いたこともあって、積極的に起用されて1軍戦62試合に出場した。
- 2007年
- 4月12日の西武戦(Kスタ宮城)で先発の松永浩典からプロ初本塁打(ソロ)を放つ。5月3日のソフトバンク戦(ヤフードーム)で8回裏に公式戦では初めての三塁守備につく(守備機会はなし)。8月4日のソフトバンク戦(Kスタ宮城)で、本塁を狙った荒金久雄を好返球で封殺して逆転を阻止、球団史上初の「本拠地でのホークス戦6連勝」へ貢献する。試合後、牧田の強肩について野村克也監督は「専守防衛の自衛隊のようだ」とコメントし、以来「専守防衛」は牧田の代名詞となった。その後も守備固めとして多く起用され、初めてシーズン通して一軍に在籍した。また鉄平の打撃不振もあって、相手投手しだいでは先発出場の機会も増えた。10月3日の日本ハム戦(Kスタ宮城)で、本塁送球の際に右肘を痛め、12月に遊離軟骨の除去手術を受ける。秋季キャンプ、翌年の春季キャンプは別メニューで調整した。
- 2008年
- 前年に受けた右肘の手術の影響で一軍の出場はなかった。二軍戦では40試合に出場し、打率.275、4本塁打、22打点の成績だった。守備では全力投球できないためか、左翼手としての出場が多かった。
- 2009年
- 野村監督からの期待も大きく、自慢の強肩をオープン戦で披露し、開幕一軍入りを果たし、主に守備固めとして起用された。左投手が先発のときは時折スタメンで起用されたが、打撃で結果を残せず二軍と一軍を行き来するシーズンとなった。
- 2010年
- 開幕一軍入りを果たすとトッド・リンデンや宮出隆自が不振に陥ったため左翼手としての出場機会が増加。8月13日のロッテ戦では成瀬善久から3年ぶりの本塁打を放つ。その後、長年に渡りウィークポイントとされていたバッティングで9月に月間4本塁打を記録し、終盤にはレギュラーとして定着。規定打席には達しなかったものの打率.291、6本塁打と長打力不足に喘ぐチームで奮闘した。反面、200打席近くに立ちながら4四球と選球眼に課題を残した。
- 2011年
- キャンプの時点では右翼手のレギュラーを期待された[2]が、肩を痛めて開幕に間に合わず、復帰は6月半ばまでズレ込んだ。復帰直後は中村真人、横川史学と併用でレフトで起用されていたが、鉄平が不調で二軍落ちしてからは横川と併用でライトでの出場が増えた。8月30日の西武戦では2点リードの8回2死2・3塁の場面で中島裕之のライト前ヒットでホームに突入した2塁ランナー浅村栄斗を刺し、勝利に貢献した。夏場までは中々ヒットが出ず、スタメンを横川に譲ることも多かったが、9月に一気に調子を上げた事に加え、横川が二軍落ちしたため以降は右翼手のレギュラーとしてシーズン最後まで出場。一時は2割にも満たなかった打率は.268まで上がり、得点圏打率は.350を記録した。シーズンオフに背番号を5に変更した。
[編集] プレースタイル
[編集] 守備
俊足に強肩と身体能力に恵まれており、打球判断も悪くなく外野の守備能力はチームでもトップレベルである。
[編集] 打撃
2011年現在は打撃が課題とされているが、入団当初は打撃も期待されており、高卒ルーキーで迎えた2001年の春季キャンプでは臨時ながらも一軍昇格、フリーバッティングでは100スイングで2本の柵越えを放った。梨田昌孝監督は「高校生とは思えないような鋭い打球を飛ばしている。将来が楽しみ」とコメントした。牧田は「吉岡さんのタイミングの取り方が参考になりました」と話した。2011年の秋季キャンプでは、新しく就任した大久保博元コーチに「中島裕之(西武)や中村剛也(西武)よりもいい。(本塁打)20本は打てる」と評価された[3]。
例年、秋になると打撃の調子が上がる傾向がある[4]。
[編集] 人物
- 2006年の日本ハム戦で、牧田が二塁打を打った際、二塁に立った牧田がセンター方向を見ると新庄が手を振ってくれたという。また、新庄に憧れているという話が本人に伝わり、新庄からバットをもらえたと喜んでいた[5]。
- プロ入り時の背番号の63は自身の誕生日の6月3日にも因むと共に、新庄が阪神入団当時につけていた背番号でもあり、「昔からあこがれていた新庄さんの最初の背番号と同じ番号なので、もう変えられないです」と週刊ベースボールのインタビューで発言している。2011年のシーズンオフに背番号が5に変わることが発表された際にも、新庄が阪神時代につけていたことを踏まえて「新しい番号は嬉しい」とコメントしている[3]。
2006年11月27日に11歳年上の会社員の女性と入籍。その後、2007年4月11日に第一子となる女児が誕生、2009年12月9日には第二子となる女児が誕生した[6]。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2005 | 楽天 | 13 | 11 | 10 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | .200 | .273 | .200 | .473 |
| 2006 | 62 | 144 | 125 | 8 | 28 | 1 | 0 | 0 | 29 | 8 | 5 | 6 | 3 | 0 | 13 | 0 | 3 | 21 | 3 | .224 | .312 | .232 | .544 | |
| 2007 | 97 | 177 | 162 | 18 | 43 | 6 | 0 | 1 | 52 | 9 | 4 | 4 | 4 | 0 | 11 | 0 | 0 | 28 | 2 | .265 | .312 | .321 | .633 | |
| 2009 | 37 | 24 | 24 | 7 | 3 | 1 | 0 | 0 | 4 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 1 | .125 | .125 | .167 | .292 | |
| 2010 | 81 | 190 | 182 | 22 | 53 | 15 | 3 | 6 | 92 | 16 | 2 | 0 | 1 | 1 | 4 | 0 | 2 | 26 | 3 | .291 | .312 | .505 | .818 | |
| 2011 | 76 | 215 | 194 | 18 | 52 | 15 | 0 | 2 | 73 | 21 | 2 | 2 | 4 | 4 | 8 | 0 | 5 | 27 | 8 | .268 | .308 | .376 | .684 | |
| 通算:6年 | 366 | 761 | 697 | 74 | 181 | 38 | 3 | 9 | 252 | 57 | 14 | 12 | 12 | 5 | 36 | 0 | 11 | 110 | 17 | .260 | .304 | .362 | .666 | |
- 2011年度シーズン終了時
[編集] 年度別守備成績
| 年度 | 三塁 | 外野 | ||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
| 2005 | - | 8 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |||||
| 2006 | - | 53 | 90 | 5 | 2 | 0 | .979 | |||||
| 2007 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 92 | 113 | 4 | 1 | 0 | .992 |
| 2009 | - | 33 | 24 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |||||
| 2010 | - | 78 | 96 | 4 | 1 | 0 | .990 | |||||
| 2011 | - | 73 | 126 | 3 | 0 | 2 | 1.000 | |||||
| 通算 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 337 | 454 | 17 | 4 | 2 | .992 |
[編集] 記録
- 初出場:2005年7月19日、対福岡ソフトバンクホークス13回戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)、9回表に益田大介の代走として出場
- 初盗塁:2005年7月25日、対北海道日本ハムファイターズ11回戦(フルキャストスタジアム宮城)、9回裏に二盗(投手:ブラッド・トーマス、捕手:中嶋聡)
- 初安打:2005年7月30日、対西武ライオンズ12回戦(インボイスSEIBUドーム)、11回表に大沼幸二から左前安打
- 初打点:2005年8月3日、対千葉ロッテマリーンズ12回戦(千葉マリンスタジアム)、9回表に藤田宗一から三塁ゴロの間に得点
- 初先発出場:2006年5月29日、対広島東洋カープ3回戦(フルキャストスタジアム宮城)、7番・右翼手として先発出場
- 初本塁打:2007年4月12日、対西武ライオンズ5回戦(フルキャストスタジアム宮城)、4回裏に松永浩典から左越ソロ
[編集] 背番号
- 63 (2001年 - 2011年)
- 5 (2012年 - )
[編集] 登場曲
[編集] 関連項目
[編集] 出典
- ^ 楽天野球団発行「ホームゲームプログラム vol.6 福盛和男、牧田明久特集」
- ^ 「右翼候補・牧田 開幕微妙…楽天新外国人緊急補強も」 スポーツニッポン(2011年2月20日)、2011年11月18日閲覧。
- ^ a b 「デーブ太鼓判!!牧田20本打つ…楽天」 スポーツ報知(2011年11月18日)、2011年11月18日閲覧。
- ^ a b 「楽天・牧田 季節ごとに改名? 春久→夏久→明久」 スポーツニッポン(2011年12月13日)、2011年12月13日閲覧。
- ^ a b 「牧田明久です。」 楽天イーグルスファームブログ(2006年10月26日)、2011年11月18日閲覧。
- ^ 「牧田明久選手に第二子(次女)が誕生」 東北楽天ゴールデンイーグルス(2009年12月9日)、2011年11月18日閲覧。
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