石井貴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

石井 貴
埼玉西武ライオンズ コーチ #97
基本情報
国籍 日本
出身地 神奈川県綾瀬市
生年月日 1971年8月25日(37歳)
身長
体重
180cm
78kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 投手
プロ入り 1993年 ドラフト1位
初出場 1994年
最終出場 2007年9月28日
経歴(括弧内は在籍年)
選手歴
コーチ歴

石井 貴(いしい たかし、1971年8月25日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手投手)。現在は埼玉西武ライオンズ二軍投手コーチ。

現役時代は気合を前面に押し出したピッチングで知られ、投手陣のリーダー格的存在だった。文化放送文化放送ライオンズナイター』では、石井を「投げる金剛力士像」と称していた。

目次

[編集] 来歴・人物

神奈川県綾瀬市出身。藤嶺学園藤沢高等学校から社会人野球三菱重工横浜を経て1993年、ドラフト1位で西武ライオンズに入団。

入団当時から速球が注目され、即戦力との期待が高かった。しかし制球力が低く、2年目までは活躍しなかった。

3年目の1996年、制球力が向上し、140km/hを超えるシュートが活きるようになり、この年から一軍に定着することになる。

1997年も中継ぎとして活躍し、59試合に登板、10勝8敗9セーブ。先発としても2試合起用され、プロ初完封を達成した。

1998年より先発転向し先発ローテーションに定着した。ボークが7個と多発したが、先発転向一年目で9勝を挙げた。

その後も先発ローテーションを守り、1999年2000年と2年連続で2桁勝利 (13勝・10勝) を記録。完投は少なかったが、2年間で完封を3度記録した。

2001年は不調に陥り5勝どまりに終わったが、翌2002年に持ち直して8勝を挙げた。

しかし2003年、初めて大きな故障をしてしまい大不振に陥る。2003年2004年の2シーズンは右肩痛に苦しみ、それぞれシーズン1勝ずつしか挙げられなかった。

2004年のプレーオフ第2ステージ第5戦で1点リードの10回裏の投手に指名されて登板し、無失点に抑えてリーグ優勝をもたらし、胴上げ投手となった。同年の日本シリーズでは第1戦と第7戦に先発、中日打線を2戦合計13イニングを無失点に抑え、ともに勝利投手となり日本シリーズMVPに輝いた。日本シリーズでの勝利数がレギュラーシーズンの勝利数を上回った投手は史上初めてである。

2005年前年終盤の活躍により復活が期待されたが、7試合で防御率8点台に終わる。この年FA権を取得したが、行使せずに西武残留の意思を示している。このことについて石井は、逆指名で西武に入ったのだから生涯西武を貫くという趣旨の発言を2006年にしている。

2006年は、春季キャンプで佐々木主浩からフォークボールを伝授されると、「今まで教わってきたことと全てが違っていた」と口にするほどの手応えでこの球種を習得。森慎二豊田清が抜けリリーフ陣が苦しくなったこともあり、9年ぶりにリリーフに転向した。それまでのように速球で押すピッチングではなく、新球種フォークを武器にした新しい投球スタイルで開幕から11試合連続無失点を記録した。開幕から中継ぎ(主に8回)を任されるようになり、最終的にチームトップでリーグ3位の23ホールドを挙げた。同年8月1日の対ロッテ戦で1球勝利を達成。

2007年は開幕二軍でスタート。二軍で防御率0点台と安定感を誇ったが、直球の球威が思うように戻らず一軍では防御率7点台に終わった。

ファンからの声援に応える石井 2007年9月28日

2007年9月26日、2007年シーズン限りで現役を引退することを表明。「理想の投球ができなくなった。悔しいけど、体力の限界に至った」と理由を語った。同年9月28日、本拠地最終戦となる日本ハム戦で9回に登板し、先頭打者の田中賢介をすべて直球で3球三振に退け、14年に渡るプロ生活に有終の美を飾った。試合後の引退セレモニーでは「もう肩は上がりません」と涙ながらにコメントし、チームメイトから胴上げされた。なお10月30日付で任意引退が公示された。

[編集] エピソード

  • 清原和博は昔から兄貴分のような存在で、今でも頭が上がらないようだ。高級ワインと言われて尿を飲まされ、さらにはタバスコを一気のみさせられたというエピソードもある。2006年8月30日の試合で清原は石井からサヨナラ2ランを放ち、このとき清原は「なんだか申し訳ないな。弟分から打ってもあまり気分がよくない」とコメントした。
  • テレビカメラを向けられた時には、やたらコワモテな野球選手を演じていた。例えば、キャンプを訪れたファンに対してガンを飛ばしたり、松坂大輔をパシリ扱いしたり、ヤクザ映画に登場するチンピラのような怒り方をするなど。また、あまり客の入っていない西武ドームで、投球と投球の間に突然叫ぶこともあり、その仏頂面が「投げる金剛力士像」という比喩の元となっている。ただし、実際にはちゃんとファンサービスに応じる。
  • 上記のエピソードも含め、テレビ番組などでは、松坂との絡みをよくネタにされた。ランニング中やキャッチボール中に後ろから悪戯したり、記者会見中にちょっかいを出す場面が多く、松坂選手のインタビュー中にデビルマンのうたを(松坂の声にかぶせるように)歌いながら堂々と後ろを歩いていく場面も見られた。
  • ボークが多いが、これはセットポジションの際、投球動作を完全に静止させないことが多かったからである。後に修正した(下表を参照)。
  • 2000年まで、福岡ダイエーホークスは西武の投手陣(石井、西口文也豊田清ら)を大の苦手としており、石井もダイエー相手に3年越しの連勝記録を更新していてダイエーをカモとしていた。この年の5月に行われた福岡ドームでの試合で、石井はマウンドに塩を撒いて気合いを入れたが、制球が定まらず立ち上がりの悪い状況であった。そこに秋山幸二が打ったピッチャー返しの打球が顔面へ直撃し、石井は倒れこみ、のた打ち回った。このときこめかみあたりから出血していたが、集まってきた選手やトレーナーからは「耳から血が出ているのではないか」と大変心配されたという。
  • 三沢光晴ファンでもある。週刊ベースボールでの一言アンケートにて「三沢選手は強い。最近は各団体から有望な若手も沢山出てきているが、三沢選手には誰も敵わないんじゃないの?」と答えている。
  • 狭山不動尊へ初詣に出かけたところ、その筋の人に間違えられそうになったことがある。
  • インタビューの際には独特の味のあるコメントを残すことが多く、ファンから『タカシ節』と呼ばれる。
  • 1997年頃に、インタビューで名前を石井丈裕(現・西武二軍コーチ)に間違えられたことがある。
  • かなりの嫌煙家であり、移動中の航空機内でも席用のカーテンを閉めていた(ガンバレ日本プロ野球!?内にて発言。)。
現役最後の登板となったグッドウィルドームスコアボード・2007年9月28日ホームゲーム最終戦

[編集] 背番号

  • 14(1994年 - 2001年)
  • 21(2002年 - 2007年)
  • 97(2008年 - )

[編集] 通算成績

  • 321試合 68勝58敗13S 671奪三振 防御率3.78

[編集] タイトル・表彰

  • 日本シリーズMVP:1回(2004年)
  • オールスター出場:3回(1997年、1999年、2000年)

[編集] 関連項目