的場直樹

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的場 直樹
北海道日本ハムファイターズ コーチ #82
Naoki Matoba 2011.jpg
2011年ロッテ浦和球場 ロッテ選手時代
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府大阪市住吉区
生年月日 1977年5月9日(36歳)
身長
体重
179 cm
87 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1999年 ドラフト3位
初出場 2000年4月30日
最終出場 2011年10月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

的場 直樹(まとば なおき、1977年5月9日 - )は、大阪府大阪市住吉区出身の元プロ野球選手捕手)。2014年から北海道日本ハムファイターズの二軍バッテリーコーチを務める。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

明治大学時代は主将を務めながら木塚敦志とバッテリーを組み、アマチュアNo.1捕手と評価された。東京六大学リーグは通算60試合出場、打率.244、本塁打3、打点18で、ベストナインを2回受賞している。

1999年のプロ野球ドラフト会議において、福岡ダイエーホークスから3巡目で指名を受け、入団。また、2000年のシドニーオリンピックのアジア最終予選に日本代表の一員として出場した。

ダイエー・ソフトバンク時代[編集]

ソフトバンク時代

2000年には正捕手の城島健司が負傷したため、34試合に出場した。しかし城島の壁は厚く、一軍の試合に出場すら出来ない時期が長く続いた。

2004年に開催されたアテネオリンピックで、野球日本代表に城島が選出されると、田口昌徳と共にその穴を埋めた。2005年には城島がケガで離脱した際にも大半の試合でスターティングメンバーを任され、4年ぶりに本塁打も2本打った。その年出場したプレーオフにおいても、城島が公式戦終盤に骨折欠場したため、正捕手を任された。低めのリードに徹する城島とは違い、勝負所で大胆な内角高めのボールを要求して空振りを誘導するなど、城島とは一味違うリードを見せることもあった。

2006年に城島がシアトル・マリナーズへ移籍したことからチームの新正捕手争いが激化した。的場は経験・安定感に勝ることから最有力候補と目されており、開幕先発出場を勝ち取るなどシーズン序盤は常時先発出場をしていたが、自身の打撃難と山崎勝己の台頭によって、中盤以降は斉藤和巳専属捕手の形になった。

2007年も引き続き、主に斉藤が先発する試合でマスクを被ったが、その斉藤本人が故障がちだったことや打力に秀でる田上秀則の台頭によって、前年よりもさらに出場機会が減少した。2008年は斉藤のケガが悪化したことでシーズンを棒に振ったことや、的山哲也の加入、さらに高谷裕亮が起用されたことからほとんど出番がなく、先発出場は2試合のみ、トータルでも8試合出場に終わった。

2009年は一軍出場すら無い状態で、二軍でも38試合の出場に終わる。同年10月3日にソフトバンクから戦力外通告を受けた[1]。その後行われた12球団合同トライアウトを受験し、千葉ロッテマリーンズの秋季練習でテストを受け、同年11月20日にロッテへの入団が発表された。なお、戦力外通告を受け、トライアウトを経てロッテの入団テストに合格するまでの顛末は、『プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達2009』(TBSテレビ)で紹介された。

ロッテ時代[編集]

キャッチボールをする的場(2010年4月24日)

2010年里崎智也が離脱したこともあり、リードや守備での実力が認められ、一軍での出場機会を前シーズンから大幅に増やし「新たなるリストラの星」(「リストラの星」はソフトバンク時代の先輩・宮地克彦の代名詞だった)として注目された。この模様は『バース・デイ』(2010年5月1日)で「第2の野球人生 家族のために」として放送された。9月25日オリックス・バファローズ戦ではプロ入り初の猛打賞を達成し、自己最多となるシーズン30安打を記録した。クライマックスシリーズでは里崎と併用で先発マスクを被り、リーグ優勝したソフトバンクを相手に「下剋上」を果たす。

ロッテ時代
(2011年8月6日、QVCマリンフィールド)

ところが、2011年は27試合の出場に留まる。2012年は一軍出場無しとなり、同年10月7日付で戦力外通告を受け[2]、現役引退。

引退後[編集]

2013年に古巣のソフトバンクに3年ぶりに復帰し、スコアラーを務めた[3]10月26日北海道日本ハムファイターズの二軍バッテリーコーチに就任することが発表された。[4]

人物・プレースタイル[編集]

典型的な専守防衛型の捕手で、リード面や守備では長く正捕手を務めていた城島健司にも劣らない評価を早くから得ていた。特に斉藤和巳とのバッテリーは特筆すべきものがある。しかし打力は、打率2割に届いたシーズンが一度もなく、城島退団後もレギュラー捕手に定着できない一因となっていた(打球自体はライナー性の強い当たりが多く、ウエスタン・リーグではクリーンナップを務めたこともある)。

プレー以外ではユーモラスなキャラクターが特徴で、ソフトバンクの宮崎キャンプで恒例の「朝の声出し」では自分の低打率までネタにして、毎年のように周りを笑わせていた。

実家は浄土真宗真宗大谷派)の古刹・西光寺。的場は長男として生まれ、9歳で得度、僧籍を持つ。幼少時代は勉学・部活動の合間を縫って実父らと読経・檀家回りなどの修行を積んだ。中学時代にPL学園高校から進学の勧誘があったが、的場は宗教上の蟠りを感じ、勧誘を固辞して上宮高等学校へ進学した。プロ入りの誘いがあったとき、的場と親族はプロ入りか野球を辞めて仏道に専念するか大いに迷ったが、父からの「寺の改築費用に充てるため、契約金全額を実家に提供する」「オフシーズンは、トレーニングの邪魔にならない範囲で除夜の鐘などの寺の手伝いをする」という提案を受け入れてプロ入りを果たした。

  • 福岡ソフトバンクホークス所属時の2005年のパシフィック・リーグプレーオフ第2ステージで千葉ロッテマリーンズに敗退後、ベンチで人目もはばからず号泣したが、その際、骨折で出場出来なかった城島健司が松葉杖を突きながら的場のもとへ歩み寄り、「この悔しさを自分の目に焼き付けておけ!」と語りかけると、的場は泣きながらも顔を上げてロッテナインの胴上げを凝視した。その5年後の2010年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズ・ファイナルステージでは、千葉ロッテの選手として、前年戦力外通告を受けたソフトバンクを相手に福岡Yahoo!JAPANドームで勝利して日本シリーズ進出を決め、胴上げの輪に加わって歓喜の涙を流した。
  • 2006年8月19日のソフトバンク対西武ライオンズ15回戦の8回裏無死一塁の場面で、一塁走者の炭谷銀仁朗の盗塁を阻止するために二塁へ送球するも、三振した水田圭介がバランスを崩して倒れかかってきたためにその球が水田の後頭部を直撃してしまった。水田はヘルメットに助けられて大事には至らなかったが、水田のこの行為は守備妨害と判定されて炭谷がアウト(水田は既にアウトになっているため。記録は盗塁刺)となった。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2000 ダイエー
ソフトバンク
34 60 53 6 8 1 0 2 15 2 0 1 1 0 6 0 0 8 1 .151 .237 .283 .520
2003 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
2004 13 16 15 0 1 0 0 0 1 1 0 0 0 0 1 0 0 7 0 .067 .125 .067 .192
2005 39 94 86 7 16 8 0 2 30 8 0 1 4 0 4 0 0 21 2 .186 .222 .349 .571
2006 82 157 137 12 20 6 0 0 26 8 0 0 10 1 7 1 2 42 3 .146 .197 .190 .387
2007 35 50 42 4 7 3 0 0 10 1 0 0 4 0 3 0 1 12 0 .167 .239 .238 .477
2008 8 6 6 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .167 .167 .167 .333
2010 ロッテ 74 209 188 14 30 5 1 1 40 19 0 0 6 2 13 0 0 61 6 .160 .212 .213 .424
2011 27 74 70 2 13 1 0 0 14 3 0 0 2 0 1 0 1 24 1 .186 .208 .200 .408
通算:9年 313 667 598 45 96 24 1 5 137 42 0 2 27 3 35 1 4 178 13 .161 .211 .229 .440
  • ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更

年度別守備成績[編集]

年度 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 捕逸 守備率 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
2000 32 115 12 0 1 4 1.000 23 16 7 .304
2004 12 34 1 1 0 1 .972 4 4 0 .000
2005 37 242 13 4 4 0 .985 18 14 4 .222
2006 82 434 32 4 7 2 .991 39 28 11 .282
2007 33 135 7 2 0 1 .986 17 14 3 .176
2008 7 21 0 0 0 0 1.000
2010 73 417 28 3 4 3 .993 .125
2011 27 142 16 4 0 1 .975
通算 303 1550 109 18 16 12 .989 101 76 25 .248

表彰[編集]

記録[編集]

背番号[編集]

  • 26 (2000年 - 2009年)
  • 67 (2010年 - 2012年)
  • 82 (2014年 - )

登場曲[編集]

関連情報[編集]

CM[編集]

脚注[編集]

  1. ^ ソフトBが篠原、本間、的場に戦力外通告 - 野球ニュース : nikkansports.com 2009年10月3日
  2. ^ 戦力外通告のお知らせ - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト 2012年10月7日
  3. ^ 新入団のお知らせ - 福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルサイト 2012年12月10日
  4. ^ “厚澤コーチ、的場コーチが就任会見” (プレスリリース), 北海道日本ハムファイターズ, (2013年10月26日), http://www.fighters.co.jp/news/detail/3973.html 2013年10月28日閲覧。 
  5. ^ 選手登場曲 - 千葉ロッテマリーンズ公式サイト 2011年10月4日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]