的場直樹
ロッテ時代(2011年8月6日、QVCマリンフィールド)
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| 基本情報 | |
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| 国籍 | |
| 出身地 | 大阪府大阪市住吉区 |
| 生年月日 | 1977年5月9日(36歳) |
| 身長 体重 |
179 cm 87 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 捕手 |
| プロ入り | 1999年 ドラフト3位 |
| 初出場 | 2000年4月30日 |
| 最終出場 | 2011年10月1日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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的場 直樹(まとば なおき、1977年5月9日 - )は、大阪府大阪市住吉区出身の元プロ野球選手(捕手)。
目次 |
経歴[編集]
プロ入り前[編集]
明治大学時代は主将を務めながら木塚敦志とバッテリーを組み、アマチュアNo.1捕手と評価された。東京六大学リーグは通算60試合出場・打率.244・3本塁打・18打点で、ベストナインを2回受賞している。また、2000年のシドニーオリンピックのアジア最終予選に日本代表の一員として出場した。
1999年のドラフト会議において、福岡ダイエーホークスから3巡目で指名を受け、入団。
ダイエー・ソフトバンク時代[編集]
2000年には正捕手の城島健司が負傷したため、34試合に出場した。しかし正捕手・城島の壁は厚く、一軍の試合に出場すら出来ない時期が長く続いた。
2004年に開催されたアテネオリンピックで、アテネオリンピック野球日本代表に城島が選出されると、同僚の田口昌徳と共にその穴を埋めた。2005年には城島がケガで離脱した際にも大半の試合でスターティングメンバーを任され、4年ぶりに本塁打も2本放った。その年出場した2005年のパシフィック・リーグプレーオフにおいても、城島が公式戦終盤に骨折欠場したため、正捕手を任された。低めのリードに徹する城島とは違い、勝負所で大胆な内角高めのボールを要求して空振りを誘導するなど、城島とは一味違うリードを見せることもあった。
2006年に城島がシアトル・マリナーズへ移籍したことからチームの新正捕手争いが激化した。的場は経験・安定感に勝ることから最有力候補と目されており、開幕先発出場を勝ち取るなどシーズン序盤は常時スタメン出場をしていたが、自身の打撃難と山崎勝己の台頭によって、中盤以降は斉藤和巳専属捕手の形になった。
2007年も引き続き、主に斉藤が先発する試合でマスクを被ったが、その斉藤本人が故障がちだったことや打力に秀でる田上秀則の台頭によって、前年よりもさらに出場機会が減少した。2008年は斉藤のケガが悪化したことでシーズンを棒に振ったことや、的山哲也の加入、さらに高谷裕亮が起用されたことからほとんど出番がなく、スタメン出場は2試合のみ、トータルでも8試合出場に終わった。
2009年は一軍出場すら無い状態で、二軍でも38試合の出場に終わる。同年10月3日にソフトバンクから戦力外通告を受けた[1]。その後行われた12球団合同トライアウトを受験し、千葉ロッテマリーンズの秋季練習でテストを受け、同年11月20日にロッテへの入団が発表された。
ロッテ時代[編集]
2010年は里崎智也が離脱したこともあり、リードや守備での実力が認められ、一軍での出場機会を昨シーズンから大幅に増やした。同年9月25日のオリックス戦ではプロ入り初の猛打賞を達成し、この年は自己最多となるシーズン30安打を放った。CSでは里崎と併用でスタメンマスクを被り、優勝した古巣・ソフトバンクを相手に下剋上を果たす。
2011年は27試合の出場に留まる。2012年は一軍出場無しとなり、同年10月7日付で戦力外通告を受け[2]、現役引退。その後、12月10日にスコアラーとして3年ぶりにソフトバンクに復帰した[3]。
プレースタイル[編集]
典型的な専守防衛型の捕手で、リード面や守備では早くから長く正捕手を務めていた城島健司にも劣らない評価を得ていた。特に斉藤和巳とのバッテリーは特筆すべきものがある。しかし打力は、打率2割に届いたシーズンが1度もなく、城島退団後もレギュラー捕手に定着できない一因となっていた(ただ打球自体はライナー性の強い当たりが多く、ウエスタン・リーグではクリーンナップを務めたこともある)。
プレー以外ではユーモラスなキャラクターが特徴で、ソフトバンクホークスの宮崎キャンプで恒例の「朝の声出し」では自分の低打率までネタにして、毎年のように周りを爆笑させていた。
人物[編集]
2005年のプレーオフ第2ステージで千葉ロッテマリーンズに敗退後、ベンチで人目もはばからず号泣したが、その際、骨折で出場出来なかった城島健司が松葉杖を付きながら的場の元へ歩み寄り、「この悔しさを自分の目に焼き付けておけ!」と語りかけると、泣きながらも顔を上げてロッテナインの胴上げを凝視した。その5年後の2010年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズファイナルステージでは、千葉ロッテマリーンズの選手として、奇しくも前年戦力外通告を受けた古巣・ソフトバンクを相手に福岡Yahoo!JAPANドームで勝利して日本シリーズ進出を決め、胴上げの輪に加わって歓喜の涙を流した。
2006年8月19日の対西武ライオンズ戦で、水田圭介が三振を喫した際にバランスを崩して倒れかかった際、的場が二塁へ盗塁阻止のために投げた送球が、至近距離にいた水田の後頭部に当たった。水田はヘルメットに助けられて大事には至らなかったものの、記録は走塁妨害となった。
2008年5月4日、シーズン初出場は小久保裕紀の代走で、代えられた小久保は一塁からベンチに戻った後も爆笑していた。
同じ捕手の的山哲也と名前を混同されることが多く、テレビなどで「球場で『的山さ~ん!』と声をかけられて非常に困惑している」と(笑い話として)話していたが、2007年オフにその的山がソフトバンクに入団(2008年限りで現役引退)した。そのため、テレビ中継などでもアナウンサーが「的場」と「的山」を言い間違える場面が増えた。的場はプロ野球選手会の「今年の目標」ページで「的山さんに間違われないこと」と書いたこともある。
ソフトバンクから戦力外通告を受けて、トライアウトを経てロッテの入団テストに合格するまでの模様がTBSで放送された「プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達2009」で紹介された。
2010年シーズン開幕後、背中の炎症で欠場した里崎智也に代わって、捕手としてその穴を埋める活躍を見せ、新たなるリストラの星(リストラの星はホークス時代の先輩・宮地克彦の代名詞だった)として注目されている模様が関連番組の「バース・デイ」(2010年5月1日)でも「第2の野球人生 家族のために」として放送された。
ロッテでは2010年6月30日からの登場曲をDJ OZMAの「Mr.DJ」から女性アイドルグループAKB48の「ポニーテールとシュシュ」に変更された。ただし、これは的場本人の意思ではなく、福浦和也に決められたもので、本人もAKB48のファンではない。これをネタに、7月2日のヒーローインタビューでは「AKB48ファンクラブ会員番号67の……」と言った(67は自身の背番号)。以降も登場曲にAKB48の楽曲が使用されていた。また、応援歌もAKB48の「みなさんもご一緒に」の替え歌であった。
詳細情報[編集]
年度別打撃成績[編集]
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2000 | ダイエー ソフトバンク |
34 | 60 | 53 | 6 | 8 | 1 | 0 | 2 | 15 | 2 | 0 | 1 | 1 | 0 | 6 | 0 | 0 | 8 | 1 | .151 | .237 | .283 | .520 |
| 2003 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
| 2004 | 13 | 16 | 15 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 7 | 0 | .067 | .125 | .067 | .192 | |
| 2005 | 39 | 94 | 86 | 7 | 16 | 8 | 0 | 2 | 30 | 8 | 0 | 1 | 4 | 0 | 4 | 0 | 0 | 21 | 2 | .186 | .222 | .349 | .571 | |
| 2006 | 82 | 157 | 137 | 12 | 20 | 6 | 0 | 0 | 26 | 8 | 0 | 0 | 10 | 1 | 7 | 1 | 2 | 42 | 3 | .146 | .197 | .190 | .387 | |
| 2007 | 35 | 50 | 42 | 4 | 7 | 3 | 0 | 0 | 10 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 3 | 0 | 1 | 12 | 0 | .167 | .239 | .238 | .477 | |
| 2008 | 8 | 6 | 6 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .167 | .167 | .167 | .333 | |
| 2010 | ロッテ | 74 | 209 | 188 | 14 | 30 | 5 | 1 | 1 | 40 | 19 | 0 | 0 | 6 | 2 | 13 | 0 | 0 | 61 | 6 | .160 | .212 | .213 | .424 |
| 2011 | 27 | 74 | 70 | 2 | 13 | 1 | 0 | 0 | 14 | 3 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 1 | 24 | 1 | .186 | .208 | .200 | .408 | |
| 通算:9年 | 313 | 667 | 598 | 45 | 96 | 24 | 1 | 5 | 137 | 42 | 0 | 2 | 27 | 3 | 35 | 1 | 4 | 178 | 13 | .161 | .211 | .229 | .440 | |
- 2011年度シーズン終了時
- ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更
年度別守備成績[編集]
| 年度 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 捕逸 | 守備率 | 企図数 | 許盗塁 | 盗塁刺 | 阻止率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2000 | 32 | 115 | 12 | 0 | 1 | 4 | 1.000 | 23 | 16 | 7 | .304 |
| 2004 | 12 | 34 | 1 | 1 | 0 | 1 | .972 | 4 | 4 | 0 | .000 |
| 2005 | 37 | 242 | 13 | 4 | 4 | 0 | .985 | 18 | 14 | 4 | .222 |
| 2006 | 82 | 434 | 32 | 4 | 7 | 2 | .991 | 39 | 28 | 11 | .282 |
| 2007 | 33 | 135 | 7 | 2 | 0 | 1 | .986 | 17 | 14 | 3 | .176 |
| 2008 | 7 | 21 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | ||||
| 2010 | 73 | 417 | 28 | 3 | 4 | 3 | .993 | .125 | |||
| 2011 | 27 | 142 | 16 | 4 | 0 | 1 | .975 | ||||
| 通算 | 303 | 1550 | 109 | 18 | 16 | 12 | .989 | 101 | 76 | 25 | .248 |
表彰[編集]
記録[編集]
- 初出場:2000年4月30日、対日本ハムファイターズ6回戦(東京ドーム)、5回表に坊西浩嗣の代打で出場
- 初打席:同上、5回表に金村曉の前に投手ゴロ併殺
- 初安打:同上、7回表に金村曉から右前安打
- 初先発出場:2000年6月2日、対千葉ロッテマリーンズ8回戦(福岡ドーム)、8番・捕手で先発出場
- 初本塁打・初打点:2000年6月23日、対千葉ロッテマリーンズ11回戦(福岡ドーム)、8回裏に川俣浩明から左越ソロ
背番号[編集]
- 26 (2000年 - 2009年)
- 67 (2010年 - 2012年)
登場曲[編集]
- DJ OZMA「Mr.DJ」(2010年)
- AKB48[4]
- 「フライングゲット」(1打席目)
- 「Everyday、カチューシャ」(2打席目)
- 「ヘビーローテーション」(3打席目)
- 4打席目以降は1〜3打席の繰り返し
- みなさんもご一緒に
関連情報[編集]
CM[編集]
脚注[編集]
- ^ ソフトBが篠原、本間、的場に戦力外通告 - 野球ニュース : nikkansports.com 2009年10月3日
- ^ 戦力外通告のお知らせ - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト 2012年10月7日
- ^ 新入団のお知らせ - 福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルサイト 2012年12月10日
- ^ 選手登場曲 - 千葉ロッテマリーンズ公式サイト 2011年10月4日
関連項目[編集]
- 大阪府出身の人物一覧
- 明治大学の人物一覧
- 福岡ソフトバンクホークスの選手一覧
- 千葉ロッテマリーンズの選手一覧
- プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達
- 的山哲也 - ソフトバンク時代のチームメート。
外部リンク[編集]
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