住吉区

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すみよしく
住吉区
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
大阪市
団体コード 27120-9
面積 9.34km²
総人口 154,712
推計人口、2014年2月1日)
人口密度 16,560人/km²
隣接自治体
隣接行政区
大阪市阿倍野区東住吉区西成区住之江区
堺市堺区北区
松原市
区の花 かきつばた
住吉区役所
所在地 558-8501
大阪府大阪市住吉区南住吉三丁目15番55号
北緯34度36分13.3秒東経135度30分2.2秒
住吉区役所
外部リンク 大阪市住吉区役所HP

住吉区位置図

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住吉区(すみよしく)は、大阪市を構成する24区のうちのひとつ。

概要[編集]

上町台地の南部、大阪市の最南部に位置し、大和川をへだてて堺市堺区北区と隣接している。6本の鉄道、あびこ筋あべの筋の2本の主要道路が、いずれも都心部と南北に結ばれている。区の北部は、阿倍野区南部から続く住宅街で、阿倍野区の帝塚山一丁目から住吉区の帝塚山中、帝塚山西とお屋敷町となる。その南に位置する住吉大社を中心にした住吉、上住吉は、旧家の多い昔からの静かな住宅地域であり、その周囲に清水丘墨江遠里小野、南住吉、山之内などの勤め人階層の多い住宅地が続いている。

現在の区域はおおむね、大阪市編入前の住吉郡(のち東成郡住吉村・墨江村・長居村依羅村の大半と、西成郡粉浜村の一部に当たる。1950年代頃までは区の東部・南部に農地が広がっていたが、宅地開発が進んだため区のほとんどが住宅地となっている。一方で、農地もごく一部に残っている。

区の歴史[編集]

住吉は古代では「すみのえ」と訓み、万葉集にも登場し、歴史は古い。現在、住吉、住之江、墨江は、別な地域名となっているが、元は住吉の読みの「すみのえ」の異表記だった。

もとは摂津国住吉郡といい、古代には住吉津(すみのえのつ)とそれを護る住吉大社が栄えたことで難波津など大阪中心部とは独自の発展をした。住吉津は古代の国際港であり、難波津(なにわのつ)が作られるまでは日本の国際的窓口であり、遣隋使遣唐使はここから出発し、またシルクロードの玄関でもあり、仏教もここから日本に入った。中世には、住吉大社宮司の津守氏の館の住之江殿(正印殿)に南朝後村上天皇の御座所(皇宮)が約10年間置かれ(住吉行宮)、南朝の拠点となった。

1878年明治11年)に「郡区町村編制法」が施行されて大阪府住吉郡が誕生し、郡内では唯一の町だった安立町に郡役場が置かれた。1896年(明治29年)4月に新しい郡制が施行され、住吉郡は東成郡に併合され消滅した。

住吉区は、1925年に大阪市の第二次市域拡張に伴って東成郡全域が大阪市に編入された際、旧住吉郡全域(平野郷町喜連村、北百済村、南百済村、田辺村、依羅村、墨江村、住吉村安立町、敷津村、長居村)と旧東成郡天王寺村の区域で誕生した。大阪市編入の際には、当初は名称を「阿倍野区」とする案が出されたが、最終的に住吉区の名称が採用された。

その後、1943年の分増区により、当時の阿倍野区東住吉区にあたる区域を分離した。1943年の分増区の際、当時の住吉区役所は現阿倍野区の区域にあったことから、現在の阿倍野区が「住吉区」の区名を継承し、現在の住吉区の区域を「住之江区」とする案が出された。しかし住民の反対によりこの案は撤回され、住吉大社周辺を含む当区の区域が住吉区の区名を継承した。

また1943年の分増区の際、隣接する西成区との間で区の境界の見直しがおこなわれ、一部区域(天下茶屋・山王地区および旧敷津村の一部)が西成区に分離編入されると同時に、当時西成区に属していた粉浜地区が住吉区に編入された。

1974年には住吉区と住之江区に分区された。従来の区について、細井川(細江川)以北は南海本線・細井川以南は阪堺線を境に東西に分け、西部を住之江区とした。住之江区の分区により、住吉公園安立、浜口などは住之江区に属することとなった。

年表[編集]

  • 1877年10月3日 - 住吉警察署を長峡町に設置。
  • 1885年12月26日 - 阪堺鉄道(現南海本線)開通。
  • 1889年4月1日 - 町村制による住吉郡住吉村・墨江村・依羅村、西成郡粉浜村が成立。
  • 1894年10月25日 - 依羅村より寺岡・堀・前堀の3大字が分離、長居村が発足。
  • 1896年4月1日 - 住吉郡は東成郡に合併される。
  • 1900年11月1日 - 住吉郵便局(現住之江郵便局)を長峡町に開設。
  • 1900年9月30日 - 高野鉄道(現南海高野線)開通。
  • 1900年11月 - 大阪馬車鉄道(現阪堺電気軌道上町線)開通。
  • 1912年 - 阪堺電気軌道阪堺線が開通。
  • 1924年6月 - 大阪府立難波病院(現大阪府立急性期・総合医療センター)を開設。
  • 1929年7月18日 - 阪和電気鉄道(現JR阪和線)開通。
  • 1925年4月1日 - 12か町村が大阪市に編入、第一次住吉区発足。阿倍野町の区役所本庁(現阿倍野区)のほか、千躰町(現住吉区)に第一出張所、平野宮町(現平野区)に第二出張所を置く。
  • 1937年7月 - 区役所第一出張所が殿辻町(現殿辻一丁目)に移転。
  • 1940年6月 - 万代池公園が開園。
  • 1943年4月1日 - 阿倍野区東住吉区を分区。一部地域を西成区へ分離。粉浜を住吉区に編入。第二次住吉区発足。旧第一出張所庁舎を区役所とする。
  • 1947年7月 - 住吉税務署を設置(西成税務署より分離)。
  • 1960年7月1日 - 大阪市営地下鉄1号線(現・御堂筋線西田辺あびこ間開通。
  • 1962年 - 南港通全通。
  • 1964年 - あびこ筋全通。
  • 1970年9月 - 長居公園通全通。
  • 1974年7月22日 - 住之江区を分区。第三次住吉区が発足し、現行区域となる。
  • 1976年10月5日 - 住吉消防署が開庁(住之江消防署より分離)。
  • 1980年6月15日 - 南海本線玉出~大和川間高架工事完成。
  • 1982年10月7日 - 大阪市立住吉図書館が遠里小野一丁目に開館。
  • 1987年4月 - 大阪市営地下鉄御堂筋線がなかもずまで延伸。あびこ検車場廃止(跡地は我孫子南中学校・浅香中央公園など)
  • 1988年6月27日 - 住吉郵便局が我孫子西二丁目に開局(住之江郵便局より分離)。
  • 2006年5月21日 - 阪和線美章園~杉本町間高架化工事完成。
  • 2008年1月5日 - 大阪市立住吉図書館が南住吉三丁目に移転開館。
  • 2008年2月12日 - 住吉区役所が南住吉三丁目に移転。新庁舎で業務開始。

神社・寺院・史跡[編集]

住吉大社 
万代池 
大聖観音寺(あびこ観音) 

交通[編集]

鉄道[編集]

バス[編集]

道路[編集]

一般国道
府道

教育[編集]

大阪市立大学

区内には大学1校、高等学校7校、中等教育学校1校、中学校11校、小学校16校、特別支援学校1校、専修学校1校、幼稚園15園が存在する。

大学[編集]

区内には大阪市立大学が設置されている。旧制大阪商科大学時代の1934年7月25日に、天王寺区烏ヶ辻から現在地に移転している。太平洋戦争の終戦直後にはGHQにより一時学舎を接収され、市内各地に仮校舎を分散していた。この間の1949年に新制大阪市立大学となった。敷地は1952年に一部返還を受け、1955年9月30日に全面返還された。

また現在は区外に移転している(移転後閉校したものも含む)が、かつて区内には帝塚山学院短期大学関西外国語短期大学大阪女子大学大阪府立看護短期大学といった高等教育機関も設置されていた。

高等学校[編集]

高等学校は7校(大阪府立2校、私立5校)が設置されている。

公立高校は大阪府立阪南高等学校(1959年創立)、大阪府教育センター附属高等学校(1963年に、大阪府立大和川高等学校として創立。2011年改編)の2校。両校とも全日制普通科を設置する。阪南高等学校の通学区域は第三学区に属し、大阪府教育センター附属高等学校は大阪府全域から出願できる。

私立高校は大阪学芸高等学校清明学院高等学校建国高等学校帝塚山学院高等学校浪速高等学校の5校がある。

  • 大阪学芸高等学校 - 1903年商業学校として現在の浪速区で開校。1945年長居に移転。成器高等学校の名称を経て1998年に現校名に改称。
  • 清明学院高等学校 - 1941年女学校として開校。学制改革を経て住吉学園高等学校と称し、2000年に現校名に改称。
  • 帝塚山学院高等学校 - 1926年高等女学校として開校。
  • 建国高等学校 - 在日韓国人生徒への民族教育を目的に、1946年工業学校・高等女学校として設立。学制改革で新制高校に移行。
  • 浪速高等学校 - 1923年旧制中学校として開校。

中等教育学校[編集]

長居に大阪学芸中等教育学校が設置されている。同校は大阪学芸中学校・高等学校の6年一貫教育課程を改組し独立させる形で2004年に設置された。大阪府で最初に開校した中等教育学校であり、2010年時点では大阪府下唯一の中等教育学校でもある。

中学校[編集]

公立中学校は三稜中学校我孫子中学校住吉中学校大和川中学校東我孫子中学校墨江丘中学校大領中学校我孫子南中学校の8校。

1947年の学制改革の際、当時の住吉区の区域(現住之江区含む)には4中学校が設置され、うち住吉第三(現・三稜)、住吉第四(現・我孫子)の2中学校が現住吉区域に設置された。翌1948年には住吉第一(現住之江区域)・住吉第三両校の校区を再編し、住吉第五(現・住吉)中学校が新設された。

その後地域の宅地化により生徒数が増加し、それに伴って既設校が過密化したため、1970年代に新設中学校が相次いで設置された。三稜中学校の校区を分離する形で、大和川中学校(1973年)・墨江丘中学校(1978年)が開校している。また我孫子中学校の校区を分離する形で東我孫子中学校(1973年)が開校し、住吉中学校の校区を分離する形で大領中学校(1978年)が開校している。

1995年には我孫子・東我孫子の両中学校の校区を再編する形で、我孫子南中学校が開校した。

私立中学校は建国中学校、帝塚山学院中学校、浪速中学校の3校が設置されている。

小学校[編集]

公立小学校は東粉浜小学校住吉小学校長居小学校依羅小学校墨江小学校遠里小野小学校清水丘小学校南住吉小学校大領小学校苅田小学校山之内小学校苅田南小学校苅田北小学校大空小学校の14校が設置されている。

明治時代初期、1872年に現在の墨江小学校が設置された。その後当時の各村に相次いで学校が設置され、統廃合などを繰り返して明治時代中期までには現在の依羅小学校・長居小学校が創立している。1908年には墨江小学校から、当時の住吉村を校区とする住吉小学校を分離している。

大阪市編入後には東粉浜小学校(1930年)・遠里小野小学校(1937年)・清水丘小学校(1942年)が開校した。

1950年代以降の地域の宅地化により、南住吉(1958年)・苅田(1960年)・大領(1960年)・山之内(1967年)・苅田北(1974年)・苅田南(1974年)の各小学校が開校している。

2000年代には南住吉小学校の過大規模傾向がしばらく続くと判断され、同校から分離する形で2006年に南住吉大空小学校(現・大空小学校)が開校した。

私立中学校は建国小学校、帝塚山学院小学校の2校が設置されている。

特別支援学校[編集]

区内には大阪府立視覚支援学校が設置されている。1938年12月8日に天王寺区から現在地に移転している。かつては大阪府立盲学校の名称だったが、特別支援教育制度の導入に伴い現在の校名に改称している。

知的障害・肢体不自由・聴覚障害・病弱児童についてはそれぞれの障害種別に応じた特別支援学校の校区が設定され、区外の学校に通学することになる。

専修学校[編集]

専修学校は区内に1校。苅田六丁目に私立の関西医療学園専門学校が設置されている。

かつては帝塚山(旧大阪女子大学帝塚山学舎)に大阪府立貿易専門学校があったが、大阪府の方針により2004年3月に閉校になった。

幼稚園[編集]

(公立)

  • 大阪市立墨江幼稚園 - 1950年4月1日墨江小学校の併設園として開園。
  • 大阪市立住吉幼稚園 - 1925年3月住吉村立住吉幼稚園として住吉小学校内に併設、同年4月大阪市立となる。1946年4月独立園となる。

(私立)

  • 愛児幼稚園 - 1952年8月開園
  • あびこ幼稚園 - 1953年8月開園
  • 遠里小野幼稚園 - 1952年5月開園
  • 建国幼稚園 - 1980年4月開園
  • 清水幼稚園 - 1930年3月開園
  • 帝塚山学院幼稚園 -1918年5月開園
  • 長居幼稚園 - 1955年5月15日開園
  • 東粉浜幼稚園 - 1952年4月13日開園
  • 東よさみ幼稚園 - 1968年4月開園
  • ひまわり幼稚園 - 1970年4月開園
  • 万代幼稚園 - 1949年4月開園
  • 美農里幼稚園 - 1926年開園
  • よさみ幼稚園 - 1953年10月開園

文教[編集]

地価[編集]

  • 帝塚山東一丁目2-3(住宅地)-34.4万円
  • 我孫子西二丁目8-15(住宅地)-27.1万円
  • 苅田八丁目8-2(住宅地)-22.7万円
  • 南住吉三丁目18-18(住宅地)-28.2万円
  • 帝塚山西三丁目3-12(住宅地)-30.6万円
  • 万代四丁目17-20(住宅地)-27.2万円
  • 杉本一丁目13-8(住宅地)-25.9万円
  • 墨江二丁目8-17(商業地)-26.0万円
  • 長峡町2-4(商業地)-29.0万円

1m²あたり・平成16年7月1日現在
国土交通省・平成16年9月21日発表

出身者[編集]

他多数

住吉区ゆかりの有名人[編集]

参考文献[編集]

  • 住吉区制七十周年記念事業実行委員会 『住吉区史』 大阪都市協会、1996年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]