住吉区

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住吉区
すみよしく
日章旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府 
大阪市
団体コード 27120-9
面積 9.34km²
総人口 157,036
推計人口、2008年4月1日)
人口密度 16,810人/km²
隣接自治体
行政区
大阪市:阿倍野区東住吉区
西成区住之江区
堺市:堺区北区
松原市
区の木
区の花 かきつばた
他のシンボル
住吉区役所
所在地 〒558-8501 大阪府
大阪市住吉区南住吉三丁目15番55号
電話番号 06-6694-9625
外部リンク 住吉区ホームページ
大阪市住吉区の位置

住吉区位置図

Template (ノート 解説) 日本の市町村pj

住吉区(すみよしく)は、大阪市を構成する24区のうちのひとつ。 上町台地の南部、大阪市の最南部に位置し、大和川をへだてて堺市堺区北区と隣接している。6本の鉄道、あびこ筋あべの筋の2本の主要道路が、いずれも都心部と南北に結ばれている。区の北部は、阿倍野区南部から続く住宅街で、阿倍野区の帝塚山一丁目から住吉区の帝塚山中、帝塚山西とお屋敷町となる。その南に位置する住吉大社を中心にした住吉上住吉は、旧家の多い昔からの静かな住宅地域であり、その周囲に清水丘墨江遠里小野、南住吉、山之内などの勤め人階層の多い住宅地が続いている。

目次

[編集] 地域の歴史

  • 住吉は古代では「すみのえ」と訓み、万葉集にも登場し、歴史は古い。現在、住吉、住之江、墨江は、別な地域名となっているが、元は住吉の読みの「すみのえ」の異表記だった。
  • 古代の住吉大社の南に置かれた住吉津(すみのえのつ)は、日本最初の国際港であり、難波津(なにわのつ)が作られるまでは日本の国際的窓口であり、遣隋使遣唐使はここから出発し、またシルクロードの玄関でもあり、仏教もここから日本に入った。
  • 中世は、住吉大社宮司の津守氏の館の住之江殿(正印殿)に、南朝後村上天皇の御座所(皇宮)が約10年間置かれ(住吉行宮)、南朝の拠点となる。

[編集] 区の歴史

もとは摂津国住吉郡といい、古代には住吉津とそれを護る住吉大社が栄えたことで難波津など大阪中心部とは独自の発展をした。

1878年明治11年)に「郡区町村編制法」が施行され、おおよそ現在の平野区東住吉区・住吉区・住之江区を範囲とする(ただし、現在の行政区の区域とは完全に一致しない)大阪府住吉郡が誕生し、村ではなく郡内では唯一の町だった安立町に郡役場が置かれた。1896年(明治29年)4月に新しい郡制が施行され、住吉郡は東成郡に併合され消滅した。

住吉区は、1925年に大阪市の第二次市域拡張に伴って東成郡全域が大阪市に編入された際、旧住吉郡の部分を中心にして誕生した。その後、1943年の分増区により、当時の阿倍野区東住吉区にあたる区域を分離した。また1943年の分増区の際、隣接する西成区との間で区の境界の見直しがおこなわれ、一部区域が西成区に分離編入されると同時に、当時西成区に属していた粉浜地区が住吉区に編入された。1974年には住吉区と住之江区に分区された。住之江区の分区により、住吉公園安立浜口などは住之江区に属することとなった。

[編集] 神社・寺院・史跡

[編集] 交通

[編集] 鉄道

[編集] 道路

[編集] 一般国道

[編集] 主要府道

[編集] 教育

大阪市立大学
大阪市立大学

[編集] 大学

[編集] 短期大学

[編集] 高校

公立
私立

[編集] 中学校

[編集] 小学校

[編集] 教育

[編集] 地価

帝塚山東一丁目2-3(住宅地)-34.4万円
我孫子西二丁目8-15(住宅地)-27.1万円
苅田八丁目8-2(住宅地)-22.7万円
南住吉三丁目18-18(住宅地)-28.2万円
帝塚山西三丁目3-12(住宅地)-30.6万円
万代四丁目17-20(住宅地)-27.2万円
杉本一丁目13-8(住宅地)-25.9万円
墨江二丁目8-17(商業地)-26.0万円
長峡町2-4(商業地)-29.0万円

1m²あたり・平成16年7月1日現在
国土交通省・平成16年9月21日発表

[編集] 出身有名人

[編集] 関連

[編集] 外部リンク

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