浪速区

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浪速区
なにわく
日章旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
大阪市
団体コード 27111-0
面積 4.37km²
総人口 58,927
推計人口、2009年5月1日)
人口密度 13,480人/km²
隣接自治体
行政区
大阪市:西区大正区
天王寺区西成区中央区
区の木
区の花 なでしこ
他のシンボル
浪速区役所
所在地 〒556-8501 大阪府
大阪市浪速区敷津東一丁目4番20号
電話番号 06-6647-9625
外部リンク 浪速区ホームページ

浪速区位置図

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浪速区(なにわく)は、大阪市を構成する24区のうちのひとつ。

目次

[編集] 地理

一帯は上町台地西側の平地で、北辺では西道頓堀川が、西辺では木津川が区境となっている。また区東部には江戸時代に難波新川または難波入堀川と呼ばれる運河が開削されたが、1958年に埋め立てられた[1]

日本一面積の小さな行政区でもある。(最も大きいのは静岡市葵区

[編集] 歴史

1925年に南区から分区によって誕生した。旧西成郡難波村今宮村木津村・西浜町)の地域を中心にしている。区名は、王仁が詠んだと伝えられる古歌「難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」(難波津の歌)からとられた[2]。1943年、日本橋筋の一部が南区から、日東地区が天王寺区から、幸町が西区からそれぞれ編入され、また難波地区の一部を南区へ分離して現在の区域となった。

難波村は古くから農村であり、特に大坂の街が大きくなった江戸時代以降は、市内に野菜を供給する一大近郊農村として繁栄した。特にねぎが有名で、「なんば」はねぎの代名詞となった。これらの野菜は天満の青物市場に持ってゆく決まりであったが、農民達は市を建てたり自前で売ろうとして、天満商人と対立した。

明治時代以後は1885年に阪堺鉄道(後の南海鉄道)の難波駅が、1889年には大阪鉄道(後の関西鉄道、現在の西日本旅客鉄道)の湊町駅(現在のJR難波駅)が開通し、奈良や和歌山の木材や農産物などが集まった。木津には大きな市場(現在の木津地方卸売市場)ができ、日本橋以南の堺筋松坂屋ほか商店、古物商や古本屋が軒を並べる繁華街となった。また1903年の第5回内国勧業博覧会以後は新世界がレジャーセンターになるなど遊興地としても栄えた。一方、市街地の拡大に伴い、大正時代には堺筋の裏側に長町スラムが広がっていたため、当時の大阪市は画期的な鉄筋アパート[3]を建設するなどこの地域の社会改善、住宅改良に力を入れた。スラムは西成区釜ヶ崎に移転し、現在のあいりん地区となった。

戦後は日本橋(恵美須町)が焼け野原から電気街として繁栄したが、産業構造の変化などに伴い中小企業や工場主体の地域の活力は落ち始めた。この地域にあった大阪球場クボタの工場、湊町駅の貨物駅などが相次いで再開発の対象となった。バブル崩壊後、これらの再開発は足踏みしたが、2000年代には超高層マンション群や大規模店舗群に変わりつつある。また中小工場の廃業が相次いだほか、日本橋に対して郊外の大規模電気店・梅田へのヨドバシカメラ出店などが地域全体を揺さぶったが、日本橋もソフト販売・開発の町に変わりつつあるなど変化への対応も見られる。新世界は繁華街としてはすっかり老朽化したが、戦後の雰囲気を色濃く残すため観光に来る人も多い。

また比較的地価が安いため、アジアヨーロッパアメリカオセアニアなどからの出稼ぎ労働者やホステス、外国語教師など外国人の居住が多いほか、若い単身者向けのワンルームマンションも多い。区の人口は1940年に約15万人いたが、その後の空襲による市街地の破壊やドーナツ化現象、生活環境の著しい悪化などに伴い長く減少傾向にあった。しかし近年再開発によりマンション建設が進み、都心回帰によって再び増加傾向にある。特に単身男性の転入が加速しており、浪速区の性比(女性を100とした時の男性の比率)は大阪市95.0に対して104.8とかなり男性の割合が高い。なおこの数値は南隣の西成区に次いで大阪市内第2位である。

こうした浪速区の都心再開発プロジェクトにはOCAT湊町リバープレイスを中心として高層マンション群と産経新聞社などを誘致したルネッサなんばプロジェクト、南海なんば駅前、大阪球場跡を再開発した商業施設と高層マンションの複合体なんばパークス等がある。

[編集] 交通

日本を代表する電気街の一つ、日本橋でんでんタウン(日本橋3南歩道橋から恵美須町方面を撮影)
新世界界隈(南側)と通天閣(2007年4月)
円形劇場からパークスガーデンとパークスタワーを望む

[編集] 鉄道

[編集] 道路

[編集] 教育

[編集] 高等学校

[編集] 中学校

[編集] 小学校


  • 統廃合による小学校の閉校
    • 大阪市立難波小学校、大阪市立元町小学校 - 1985年に統合で難波元町小学校となる。
1874年に難波小学校が創立。1901年に元町小学校が「難波第四小学校」として開校。戦災により1946年に両校は一時統合して「元町小学校」となった。その後1954年に元町小学校難波分校を設置し、1956年に難波小学校が再分離。児童数減少により1985年に再統合して旧元町小学校敷地に「難波元町小学校」を設置。旧難波小学校跡地はその後、大阪市立浪速スポーツセンターとなっている。

[編集] 特別支援学校

[編集] マスメディア

[編集] 新聞社

[編集] 放送局

[編集] 浪速区に本社を置く企業

[編集] 名所・旧跡・文化・観光施設

[編集] 出身有名人

  • 富士ヶ根全陽(大相撲親方・元小結大善(だいぜん)二所ノ関部屋所属)本名:高橋徳夫
  • 望桜将太(大相撲現役力士・(みざくら)宮城野部屋所属)本名:近藤将太
  • 折口信夫 - 歌人・国文学者
  • 高橋和巳 - 作家
  • 渚ゆう子 - 歌手
  • 浜田雅功 - お笑い芸人

[編集] 脚注

  1. ^ 埋め立て後の旧河道には阪神高速道路1号環状線が建設された。
  2. ^ 浪速区ウェブサイトより。ちなみに同じ大阪市内の此花区の区名も同じ歌に由来する。
  3. ^ 下寺住宅・日東住宅などの通称「軍艦アパート」。

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ

[編集] 外部リンク


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